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2018年5月27日 (日)

「モリのいる場所」

Morinoirubasho2018年・日本/日活=ダブ
配給:日活
監督:沖田修一
脚本:沖田修一
プロデューサー:吉田憲一、宇田川寧

実在の洋画家・熊谷守一の晩年のある一日を描いた風変わりなドラマ。脚本・監督は「滝を見にいく」「モヒカン故郷に帰る」の沖田修一。主役の熊谷守一を演じるのは「祈りの幕が下りる時」の山崎努、その妻に「海よりもまだ深く」の樹木希林。共演は加瀬亮、光石研、吹越満、きたろう、三上博史と味のあるいい役者が顔を揃える。

昭和49年の東京。豊島区にある洋画家・熊谷守一(山崎努)の自宅の庭には草木が生い茂り、彼の描く絵のモデルになるたくさんの昆虫や猫などが住み着いていた。守一は30年以上、じっとその庭の動植物を眺めるのが日課だった。家族は守一と妻の秀子(樹木希林)と、身の回りの世話をする姪の美恵(池谷のぶえ)の3人だが、毎日のように来客が訪れ賑やかである。今日も守一に看板を描いてもらいたい温泉旅館の主人・朝比奈(光石研)、守一を撮ることに情熱を燃やす若い写真家の藤田武(加瀬亮)、近所の人々らがやって来て騒がしい。それでも守一はいつもの通り悠然と、庭の生命たちを眺めている…。

沖田修一監督は、商業映画デビュー作「南極料理人」(2009)以来、「キツツキと雨」(2012)、「横道世之介」(2013)、「滝を見にいく」(2014)、「モヒカン故郷に帰る」(2016)と、独特のトボけた味わいのヒューマン・コメディを作って来た人で、根強いファンがいる。私もその一人で全部観ている。

何と言うか、癒し系とでも言うべきか、不思議な味があって、「キツツキと雨」で私は“前作「南極料理人」でも、どことなくトボけた味わいながら、人間同士の心の触れ合い、奇妙な連帯感を独特の空気感で描いていた” “物語よりも、おかしな人間たちが醸し出す、その雰囲気、至福感を楽しむ映画である、と言えよう”と書いたのだが、本作もまったくその通りの作品になっている。まさに“沖田ワールド”とでも呼びたいユニークな作品世界である。

今回は初めて、実在の人物が主人公だが、それでもきっちり前掲の沖田ワールドになっているのだから大したものである。

 
モリこと熊谷守一は、伝説とも言われる洋画家である。普通の映画作家であれば、こうした芸術家を主人公にするなら、幼少時代から、画家を志すに至った道、妻となる女性との出会い、戦中戦後の苦難の時代を経て画壇に認められ、やがて晩年に至る、その生涯を描こうとするものだが(私はまったく知らなかった方なのでそこは是非知りたい)、沖田監督はそんな通り一遍の作品など作る気はないようで、昭和49年、モリが93歳の頃の“たった一日”だけの出来事を描いている。

特に大きな出来事があるわけでもない。モリはいつもと同じように、杖をついて広い、森のような庭を歩き、虫の動きを眺め、家に戻って食事をし、来客と会い、また庭に出て自然を観察し、一日が終わる…。ただそれだけである。画家なのに、絵を描くシーンすらない。
一応、文化勲章の内示の電話があるのが事件と言えば事件なのだが(但し実際に内示があったのは87歳の時)、これとても「そんな物もらってこれ以上人が来たら困る」と言って辞退する。欲がないと言おうか。それをまた、「いらないそうです」とあっさり伝達の役人に伝える妻の秀子もモリに劣らず面白い人だ。

こんな調子だから、多分「退屈で眠くなる」と不満を言う観客もいるだろう(レビューを見てもそんな感想が多かった)。

しかしこれが沖田ワールド。山崎努がこの変わった人物を飄々と演じ、妻役の樹木希林がこれまた飄々と受けて流す。そこに、沢田研二の「危険な二人」を歌いながら家事をテキパキこなす美恵も加わっての家族模様がとてもホンワカしてていい。
ちなみにここで沢田研二の歌が出て来るのは、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」で、ジュリーこと沢田研二狂いのヘンなバアサンを演じていた樹木希林へのオマージュだろう(毎回、沢田のポスターの前で樹木が「ジュリィィ~!」と身もだえするのがお約束だった(笑))。

熊谷家へ入れ代わり立ち代わりやって来るおかしな人たちと、モリや秀子たちとの掛け合いも楽しい。
モリに遠慮せず、まるで熊谷家の親類か家族のように自然に振る舞い談笑し合う隣人たち。その様子を泰然と眺めているモリ。その間を忙しく料理を運ぶ秀子たち。
昭和の時代の、のんびりと、おおらかに触れ合う人間たちの暮らしぶりに、何とも言えない、心の豊かさを感じてしまう。

そして、モリを撮影する為訪れた写真家の藤田も、森の自然に溶け込んでいるかのようなモリの人間性に魅了されて行く。
マンション建設反対の垂れ幕を何とかしてくれと訴えに来た、建設関係者の水島(吹越満)さえもが、モリに会うと文句を言えなくなってしまうのだ。

あるいはモリは、森の自然を観察するのと同様に、こうした人間たちをもジッと観察していたのかも知れない。

さらに、そのモリと秀子夫妻の一日を、沖田監督がカメラを通して観察している、という構図も見えて来る。
ラストシーンで、完成したマンションの屋上から藤田が熊谷家の全景を俯瞰し撮影しているのだが、それはまさに、鳥の眼でモリたちを観察しているかのようでもある。
この時、広大かと思われていた熊谷家の庭が、意外と狭かった事も判明する(資料によると、面積は30坪もなかったそうだ)。

思えば、上に挙げた過去の沖田監督作品は、どれも、おかしな、けれど愛着のある人間たちを観察するドラマだったと言えるだろう。そういう意味で、本作もまた紛れもない、沖田監督の作品なのである。

この、自然を慈しみ、自然と溶け合い生きている、モリがいる小宇宙世界をいつまでも眺めていたい、そんな気にさせさせられる、これはそんな映画である。

観終わった後、まだ見た事のない熊谷守一の絵画を見たくなった。それを見て、もう一度この映画を観れば、きっとまた新たな発見があるかも知れない。     (採点=★★★★☆

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(付記)

ついでながら、90歳を超えてなお、自然と付き合い、悠然と生を楽しんでいる夫と、その彼に50年以上もピッタリ連れ添って来た妻の姿は、昨年観た秀作ドキュメンタリー「人生フルーツ」における、90歳を超えた津端修一さんとその奥さんの、自然と共生する生活ぶりと重なるものを感じる。
その「人生フルーツ」で、ナレーションを担当していたのが樹木希林だったというのも、不思議な縁である。
も一つついでに、津端さんの奥さんの名前は英子さんといい、“ひでこ”と読む。
なんと樹木希林が演じたモリの奥さん、秀子(ひでこ)さんと、漢字は異なるが読みは同じである。

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