フィルム・ノワールの世界 Vol.2
今回も、前回に増して面白い作品が多かった。ほとんどが1940~50年代に作られたモノクロ・スタンダード作品なのに、今作られている新作よりも面白いものもある。温故知新と言うべきか、古い作品を観る事によって新しい発見があり、今の時代の作品をさらに面白く見る事も出来る。
前回は20作品が上映され、私は時間の都合で4作品(「拳銃貸します」、「ローラ殺人事件」、「湖中の女」、「復讐は俺にまかせろ」)しか観れなかったが、どれも面白かった。
今回のVol.2はさらに増えて22作品が上映された。今度はなんとか時間のやりくりを付け、9作品を観る事が出来た。以下作品評を簡単に。
1931年・ドイツ/ネロ・フィルム
原題:M
監督:フリッツ・ラング
脚本:テア・フォン・ハルボウ、 フリッツ・ラング
ドイツ出身の巨匠、フリッツ・ラング監督の、その中でも特に映画史上でも有名な作品だが、機会がなくて今日まで未見だった。やっと観る事が出来たのは嬉しい。
物語は、ある町で少女を誘拐しては惨殺する事件が続発し、警察は取り締まりを強化し怪しい人物を次々検挙する。早く捕まえないと仕事がやりにくくなると考えた暗黒街の犯罪者たちが、自分たちの手で犯人を捕まえようと網を張り巡らせる。そして犯人と思われる人物が見つかり、組織の青年がその男の背中にチョークで“M”の文字を転写する。犯人は組織に捕らえられ、住民裁判にかけられる、というもの。
犯人に扮したピーター・ローレが不気味なムードを醸し出し、うまい。ラングの演出は、街角の懸賞金のポスターに犯人らしき影が大きく映し出されるシーン等、光と影を使ったドイツ表現主義的な映像を効果的に使ったり、電線に風船が引っかかっている映像で子供が誘拐された事を間接暗示する等、技巧が光る。
住民裁判のシーンでは、子供を殺された母親も含めた住民全員が「死刑だ!」と絶叫する等、大衆のマス・ヒステリーの恐ろしさを実感させられる。これはまた、やがて大衆の熱狂に支えられ、ナチス・ヒトラーが台頭する未来を予見していたのかも知れない。
そしてこの映画公開の2年後、ラングはナチスに利用されるのを嫌ってフランスに亡命するのである。
トーキー化間もない時期に作られた、フィルム・ノワールの初期の秀作である。見ごたえあり。
(採点=★★★★☆)
1944年・アメリカ/パラマウント・ピクチャーズ
日本公開:1988年
配給:ケイブルホーグ
原題:Ministry of Fear
監督:フリッツ・ラング
原作:グレアム・グリーン
脚本:シートン・I・ミラー
原作が後に「第三の男」で有名になるグレアム・グリーンである点に注目したい。これもフリッツ・ラング監督作。主演は後に「失われた週末」でアカデミー主演男優賞を受賞するレイ・ミランド。
舞台は第二次大戦下のイギリス。冒頭から謎の連続で、話が込み入っていて、序盤は少々判り辛い。
精神病院を退院した主人公スティーブン・ニール(レイ・ミランド)が、たまたま立ち寄った慈善バザーで、占い師の予言に従いケーキの重量当てに参加したことから、謎に包まれたスパイ組織の陰謀に巻き込まれて行く、というサスペンス。ラング監督らしい光と影の演出がここでも見られる。
(以下ネタバレあり)
冒頭、慈善バザーでケーキの重さを当てて賞品のケーキを持って駅に向かおうとすると、タクシーから降りた謎の男(ダン・デュリエ)とすれ違う。その直後ケーキを渡した婦人が追いかけて来て、「間違いだ、返して欲しい」と言う。それを無視して列車に乗ると、盲目の男が向かいの席に座る。空襲で列車が止まると、突然盲目男がニールに殴り掛かりケーキを奪って飛び降りるが、その男の逃げ込んだ小屋が爆撃されて…と、出だしから謎また謎で面食らう。
ニールはほっとけばいいのに、私立探偵に調査を依頼したり、慈善バザーの主催団体を訪ねたりと、この事件に首を突っ込んで行き、降霊会で起きた殺人事件の犯人に疑われ、怪しい男からも追われ、バザー主催団体で知り合った女性カーラ(マージョリー・レイノルズ)に助けられて、追われながら事件の謎を解明して行く。
…と、いわゆる巻き込まれ型サスペンス・パターンの物語が展開するが、やっと終盤で、事件の背後にあったのはナチスによるスパイ事件で、ケーキに隠されていたのはその秘密が仕込まれたマイクロフィルムであった、という事が判明する。
これ、よく見れば、後にヒッチコックが発表するサスペンスの要素がいっぱい詰まっている。マクガフィンとなるマイクロフィルムや、スパイ組織の暗躍、犯人にさせられ、美女と逃亡しながら謎に迫って行く…といった具合に、「汚名」や「北北西に進路をとれ」とそっくりな話が随所に登場する。
ラストも、事件が解決し、結婚したニールとカーラが車でドライブするシーンへと飛ぶが、カーラの「結婚式には大きなケーキを」という言葉にニールがギョッとなる洒落たオチも楽しい。これもどことなく、ヒッチコックの「泥棒成金」のエンディングに似た味わいがある。
「M」もそうだったけれど、フリッツ・ラングって、ヒッチコックに多大な影響を与えている気がする。主演のレイ・ミランドも後に「ダイヤルMを回せ」に起用されてるし。
ただし、「恐怖省」という題名は(原題そのまんまだけれど)意味不明だし、作品のムードに合っていない。そんなに恐怖を煽るシーンもないし。もう少し気の利いた題名にすべきだったと思う。
(採点=★★★★)
1944・アメリカ/インターナショナル・ピクチャーズ
日本公開:1953年
原題:The Woman in the Window
監督:フリッツ・ラング
原作:J・H・ウォリス
脚色:ナナリー・ジョンソン
撮影:ミルトン・クラスナー
これもフリッツ・ラング監督の、題名だけはよく聞いていた作品。主演はエドワード・G・ロビンソン。いつもギャングや犯罪組織の黒幕を演じているけれど、本作では大学助教授役というのが珍しい。
(以下ネタバレあり)
映画は、大学の心理学の助教授リチャード・ウォンリー(エドワード・G・ロビンソン)が、「殺人の心理的側面」というタイトルの講義を行っているシーンから始まる。これが実は物語の伏線にもなっている。
ウォンリーは妻子を夏の休暇旅行に送りだし、旧友の地方検事(レイモンド・マッセィ)らとクラブで食事をする。そこに入る前に、隣の画廊の窓に架けられている女の肖像画に魅了される。酔った後、係に10時半に起こしてくれと頼んで仮眠する。起こされた後、また隣の肖像画の女に魅入っていると、ガラスに肖像画とそっくりの女(ジョーン・ベネット)が映る。彼女がそのモデルだと判り、誘われるまま、ウォンリーは彼女のアパートへ行く。夜も更けた頃、突然女の愛人の男が入ってきてウォンリーと口論の末乱闘となり、絞め殺されそうになったウォンリーがはずみで鋏で男を刺し殺してしまう。露見すれば助教授の地位も家庭も終わりだとあせったウォンリーは死体を遠くの森に捨てに行くが、やがて死体が発見され、さらに死んだ男の用心棒(ダン・デュリエ)が現れ、口留め料を要求された事で、ウォンリーは心理的に追い詰められて行く…。
こうして、女の色香に惑わされて人殺しをしてしまった男が、それを隠そうとした為に、どんどんのっぴきらない状況に陥って行くのだが、殺人をめぐるサスペンスなのに、時折ユーモラスなシーンが挟まれる、緩急自在のラング演出が見事。
例えば、この事件を担当するのがウォンリーの友人の地方検事で、行きがかりで検事と共に死体発見現場に立ち会ったウォンリーが、つい犯人しか知らない事実をポロっと漏らしてしまい、あわてて取り繕うシーンが何度か繰り返されるのがおかしい。あのロビンソンがうろたえ、オタオタするのだから余計笑える。
ジョーン・ベネット演じるこの謎の女は、ファム・ファタールと呼ぶほどの悪女ではないのだが、男をどんどん破滅に追いやる役割を果たしている点では、やはり怖い女である。
まあ、ついフラフラとついて行ってしまったウォンリーも悪いのだが。
ウォンリーを脅迫する不気味な用心棒役を演じたダン・デュリエ(右)が、「恐怖省」に続いて好演。この人、あまり知らなかったのだが、実にいい味を出してる役者である。今後は注目しておこう。
だが何よりびっくりしたのが結末。ネタバレになるので書かないが、やや禁じ手とも言えるオチ。しかしラングの演出が巧みなのでむしろ、ウーンやられた、と感心したい気分である。こういう、二度とマネ出来ないオチ、という点ではやはり映画史に残る名作だと言えよう。
そしてエンディング。冒頭と同じ(ガラスに映る女)シーンが繰り返され、ウォンリーがもうコリゴリだと慌てて逃げて行くシーンもケッサクである。これ、ヒッチコックの「見知らぬ乗客」のオチにうまく再利用されている気がするのだが。
ヒッチと言えばもう一つ、上記の殺されそうになって抵抗し、弾みで相手をハサミで刺し殺してしまう、というくだりは、ヒッチコックの「ダイヤルMを回せ」にも同じようなシーンが登場する。うーん、やっぱりヒッチコックに相当影響を与えているのかも。
というわけで、これは実に楽しい、ユニークなサスペンスの快作である。 (採点=★★★★☆)
1944年・アメリカ/ユニバーサル・ピクチャーズ
日本公開:1951年
原題:Phantom Lady
監督:ロバート・シオドマク
原作:ウィリアム・アイリッシュ
脚色:バーナード・C・ショーエンフェルド
製作:ジョーン・ハリソン
ウィリアム・アイリッシュの原作は有名で、江戸川乱歩も絶賛したという。これを、フリッツ・ラングと同じくドイツからハリウッドに逃れてきたロバート・シオドマクが監督しているのも興味深い。シオドマクも何本かフィルム・ノワールを監督しているし、ドイツ出身監督はフィルム・ノワールとウマが合うのかも知れない。
(以下ネタバレあり)
妻と口論になり、家を飛び出した男が、バーで行きずりの女と知り合い、互いに名も名乗らずショー見物をしたりして帰宅すると妻が殺されており、警察に犯人として捕まる。男は女と一晩一緒にいたのでアリバイがあると言うが、男が立ち寄った先では誰もが、そんな女はいなかったと証言する。その為男は死刑を宣告されてしまう。男の秘書は、幻の女を探し出せば彼の無実が証明されると考え、女を探すべく行動を開始する…というお話。
出演者が、死刑を宣告された男がアラン・カーティス、その秘書がエラ・レインズ、幻の女がフェイ・ヘレム、警部がトーマス・ゴメス、と知らない役者ばかり。男の友人役フランチョット・トーンは、名前は聞いた事があるがよく知らない。知ってるのは、脇でショーのドラマーを演じたエリシャ・クックJr.くらい。そのくらい地味な配役だが、映画は面白い。
原作と違って、早い段階で真犯人が判る。実はこの犯人が、先回りして証言者に金を掴ませ、嘘の証言をさせていたというわけである。死刑実行が迫る、タイムリミット・サスペンスが緊張感を煽る。シオドマク演出はなかなかスリリングで見ごたえあり。
エラ・レインズ演じる秘書キャロルが、実は男をひそかに愛しており、その為必死になって幻の女探しを行うわけで、実質はエラ・レインズ主演とも言える。彼女が本作ではなかなか光っており、人気が出なかったのが惜しい。
ただ後で考えると、「女はいなかった」とは言ってるが、男が来た事は証言してるので、それじゃアリバイが証明されてるんじゃ、とツッ込みたくはなるけれど(笑)。この程度で死刑判決というのもどうかと思うが。まあ原作はカッコいい文体で読ませるから、読者もついアラを見逃してしまったのかもしれない。
ちょっとした疑問。フランチョット・トーン演じる男の友人の名前は、原作ではジャック・ロンバートであったのが、映画ではなぜかジャック・マーロウに変えられている。
チャンドラー原作のフィリップ・マーロウものが当時既に有名だったので、名前を借りたのだろうか。
ところで、製作にクレジットされているジョーン・ハリソンだが、この人、実は戦前のヒッチコックの代表作の多くで脚本を担当した人である。題名を挙げると、「巌窟の野獣」(1939)、「海外特派員」(1940)、「レベッカ」(1940)、「断崖」(1941) 、「逃走迷路」(1942)と錚々たる題名が並ぶ。本作以降、プロデュサーに転身したようだが、こんな実力のある人が何故脚本を書かなくなったのか、不思議である。ただヒッチコックとはその後も、1955年から始まるテレビ「ヒッチコック劇場」の製作者としてコンビを組む事となる。
ちなみにヒッチコックは、「裏窓」でウィリアム・アイリッシュの原作を使っている。本作とヒッチコックは何かと繋がりがあるようだ。
なお、日本未公開となっている資料(キネノート等)もあるが、1951年に劇場公開されている。
(採点=★★★★)
1946年・アメリカ/ユニバーサル・ピクチャーズ
日本公開:1953年
監督:ロバート・シオドマク
原作:アーネスト・ヘミングウェイ
脚色:アンソニー・ヴェイラー
音楽:ミクロス・ローザ
ロバート・シオドマク作品が続く。これは有名な、ヘミングウェイ原作の傑作ハードボイルド短編の映画化。
とは言っても、原作はごく短い作品で、二人組の殺し屋が街にやって来て、レストランで殺す相手を待ち構えるがやって来ず、レストランにいた男の友人が彼にその事を知らせるが、男は死を覚悟して逃げようとしなかった。…と、これだけのお話。
映画は出だしは原作に忠実に、雰囲気もそのままに作られているが、開巻15分ほどで原作を描き終えてしまって、以後は映画オリジナルのストーリーが脚本家によって作られ、物語が進んで行く事となる。
(以下ネタバレあり)
その男スウェード(バート・ランカスター)は殺し屋に殺されてしまうが、彼が死亡保険に入っていた為、保険会社の調査員リアダン(エドモンド・オブライエン)が調査を開始する。
その保険金の受取人がホテルの掃除婦という事が分かり、興味を持ったリアダンは、スウェードにゆかりのあった人たちを訪ね歩いて、その証言が回想形式で描かれ、やがてスウェードの正体と謎が解明されて行く。この保険調査員・リアダンが、一種の探偵役であるとも言えよう。
リアダンが、こわもての表情でぶっきらぼうに保険会社のボスの部屋に入って行く辺りの演技・演出は、まさにハードボイルド探偵ものを思わせる。
死んだ男が残した謎を解明すべく、調査を担当した男が関係者を訪ねて行き、その人たちによる回想で、男がたどった数奇な人生、人となりが明らかになって行く…
という内容なのだが、これ、オーソン・ウェルズ監督・主演の傑作「市民ケーン」(1940)と作品構造がそっくりである。参考にしてるかも知れない。
実はスウェードは元ボクサーだったが、暗黒街のボスの情婦キティ(エヴァ・ガードナー)に心を惹かれ、キティに疑いが掛けられた宝石泥棒の罪を被って投獄されたり、出獄後もキティのボスが指揮するギャングたちの仲間に加わって帽子会社の給与強奪計画を実行したりする。
そしてスウェードは強奪金を奪ってキティと一緒に逃げようとするが、結局は女に裏切られ、ボスの秘密を知っているスウェードに殺し屋が差し向けられた、というわけである。
中で一か所、おおっと唸るシーンがある。スウェードたちが帽子会社に強盗に入る所で、一味を捕らえたカメラがずっと一行を追って行き、彼らが2階の事務所に押し入り、金を強奪し、1階に降りて車に乗り込み、猛スピードで走り去って行くまでの長いシーンを、クレーンを使用してワンカットで撮っている。こういう長回し演出を1946年という、かなり早い時期にやってのけてるのが凄い。
エヴァ・ガードナーが、妖艶なファム・ファタールを好演している。まあ女の色香に惑わされた為の転落、というお話はいかにもフィルム・ノワール。確かに謎はすべて解明された事にはなるのだが、原作の持つ、謎を残したまま唐突に話が終わる事による、得体の知れない恐怖感、不条理さがやや弱まってしまったのはちょっと残念。
でも、原作を知らなければこれはこれで十分面白い。犯罪サスペンスとしては一級品の仕上がりだと言えるだろう。
なおこの原作は後にドン・シーゲル監督によってリメイクされている。こちらの方は、二人の殺し屋自身が謎を解いて行く探偵役を担当している。
ちなみに、脚本には「マルタの鷹」(1941)などのジョン・ヒューストンがクレジットなしで参加している。実際にはヒューストンがほとんどを書き、監督も最初はヒューストンが手掛ける予定だったが、プロデューサーと衝突したため降板し、シオドマクに交代したのだそうだ。ヒューストン演出版も見たかったね。
(採点=★★★★)
1951年・アメリカ/コロムビア・ピクチャーズ
原題:M
監督:ジョセフ・ロージー
脚本:テア・フォン・ハルボウ、フリッツ・ラング
撮影:アーネスト・ラズロ
製作:シーモア・ネザンベル
前掲のフリッツ・ラング版「M」のリメイクである。ラング版のプロデューサーだったシーモア・ネザンベルが今回も製作を担当。脚本もラング版と同じテア・フォン・ハルボウ、フリッツ・ラングのコンビ。
従ってストーリーはラング版とほぼ同じだが、時代は現代(1950年代)、舞台もアメリカ・ロスアンジェルスに変更されている。
(以下ネタバレあり)
やはり、連続少女誘拐・殺人事件が起こり、警察と暗黒街の犯罪者たちが共に犯人を追って行く。オリジナルとちょっとだけ違うのは、前作では犯人が建物に逃げ込んだ時は一人だったのが、本作では一人の少女を連れて閉じこもっている点と、盲人の風船売りが犯人だと確信する犯人のクセが、オリジナルでは口笛だったのが、本作では縦笛になっている点くらいか。
そして犯罪者たちによる人民裁判となるのも同じだが、こちらでは犯人を弁護する弁護士が、「犯罪者といえども、弁明の余地を与えるべきだ」とかなり論理的に熱弁をふるっている。
難点を挙げれば、出演者はデヴィッド・ウェイン、ハワード・ダ・シルヴァ、マーティン・ガベル、ルーサー・アドラーと知らない人ばかり。犯人役を演じたデヴィッド・ウェインは、前作で犯人を演じたピーター・ローレに比べると、やや線が細い感じで、連続殺人鬼としての不気味さに欠ける。
興味深いのは、時代がマッカーシー旋風、いわゆる赤狩りが猛威をふるい始めた頃で、ジョセフ・ロージーもこの後赤狩りに引っかかってイギリスに亡命する事となる。
なんと、フリッツ・ラングがナチス台頭によって亡命したのと同じような経過をたどった事になる。
どちらの時代も、一方的な歪んだ思想が特定の人々を弾圧し迫害し始めた時代という点で共通しているというのは、偶然とは思えない。ひょっとしたら、そんな不穏な時代の空気が、「M」という映画の誕生を呼び寄せたのかも知れない。
人民裁判のシーンが、後で思えばマッカーシー議員による非米活動委員会での共産主義者と疑われた人たちへの執拗な査問を思わせたりもする。
ちなみに、“M”はマッカーシー議員のイニシャルでもあるのが、なんとも皮肉である(笑)。
ともあれ、ラング版と比較されてしまうのが気の毒だが、ロージー監督の演出も気迫がこもっていて見ごたえはある。
(採点=★★★☆)
1946年・アメリカ/ユニバーサル・ピクチャーズ
原題:Black Angel
監督:ロイ・ウィリアム・ニール
原作:コーネル・ウールリッチ
脚色:ロイ・チャンスラー
これも日本未公開で、監督がまったく知らない人だったので注目していなかったのだが、観たらこれが思わぬ拾い物だった。面白い。
原作がコーネル・ウールリッチ、即ちウィリアム・アイリッシュである点も要チェック。
(以下ネタバレあり)
お話は、作曲家兼ピアニストのマーティン(ダン・デュリエ)の妻が自宅で殺害され、事件当日、彼女の部屋から出て来た、妻の不倫相手の男カーク(ジョン・フィリップス)が逮捕され、死刑判決をうけてしまうが、彼の無実を信じる妻・キャシー(ジューン・ヴィンセント)は、マーティンと共に事件の真相を調べ始める、というもの。
無実の男が犯人として死刑判決を受け、男を愛する女が無実と信じ犯人捜しを始める、という大筋は、前掲の同じアイリッシュ原作の「幻の女」ともちょっと似ている。
またもダン・デュリエ出演作。しかも今回は主演である。妻を殺され酒浸りになっていたが、キャシーに懇願され、二人で力を合わせ犯人捜しを始める。
面白いのは、マーティンが事件当日、クラブのオーナー・マルコ(ピーター・ローレ)が妻の所へ行くのを目撃しており、この男が怪しいと、マーティンとキャシーがピアノと歌のコンビとしてクラブのオーディションを受け、首尾よくクラブに雇われた後、隙を見てマルコの部屋に忍び込んで犯人である証拠を探そうとするくだり。
ピーター・ローレがいかにも怪しい雰囲気で(笑)、観客もこいつが犯人だと思ってしまうだろう。
妻が殺害された時、マーティンが妻にプレゼントした大きなブローチが所在不明となっており、犯人が盗んだのだろうとマーティンは考え、もしマルコの部屋からブローチが出て来たら決定的な証拠となる。
そのブローチを探す為、マルコが出て行った後、キャシーがマルコの部屋を物色している時、マルコが帰って来るシーンではハラハラさせられる。
ここから後は未見の方の為にネタバラシは避けたいが、なんとまあ、アッと驚くドンデン返しのオチが用意されている。この結末のアイデアは、アガサ・クリスティばりと言うか、反則スレスレである。すっかりダマされた。しかし面白い。ちょっと都合良すぎると言えなくもないが。
見どころはいくつか。まず冒頭、地上にあったカメラが、ぐんぐん上昇して行き、数階上のマーティンの妻の部屋の窓に近づき、そのまま部屋の中に入って行くまでをワンカットで捕らえたシークェンス。
これ、ヒッチコックが「サイコ」など、いくつかの作品で使っているテクニックである。このカメラワークだけでもおおっとなる。
マーティンとキャシーがクラブで、ピアノと歌を聴かせるシーンも楽しい。結構ノリノリで、急造コンビなのに、まるでプロの音楽チーム並みである。マーティンはプロのピアニストであるにしても。
マーティンを演じたダン・デュリエがやはりいい。この人の出演作、もっと探してみよう。
というわけで、これは期待していなかった分、個人的には今回の特集作品の中では一番楽しかった。DVDも出てるので、TSUTAYAさん、発掘良品コーナーに是非置いてください。
(採点=★★★★☆)
1949年・アメリカ/キング・ブラザース
日本公開:1953年
配給:日本アライド・アーチスツ=映配
原題:Gun Crazy
監督:ジョセフ・H・ルイス
原作:マッキンレー・カンター
脚色:マッキンレー・カンター、ミラード・カウフマン
製作:フランク・キング、モーリス・キング
音楽:ヴィクター・ヤング
この作品、一昨年日本で公開された「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」の中で、ダルトン・トランボが偽名で脚本を書いた作品の1本として取り上げられていたので、とても観たかった作品である。
(以下ネタバレあり)
物語は、子供の頃から銃器類に触るのが大好きだった少年バート(ジョン・ドール)が、生き物は決して殺さないという信念を持ちながらも、拳銃に魅せられ、成長して村のカーニバルにやって来た射撃の女王・アニー(ペギー・カミングス)と銃の腕前を競った事から心を通わせ、やがて結婚するが、アニーにそそのかされ、二人は強盗を繰り返し、遂に銀行強盗まで働いた末に警察に追われ、破滅して行く…というもの。
バートはそのままだったら、拳銃は好きだが普通の若者で終わる所を、アニーという悪い女と知り合った為に、悪の道に踏み入れてしまう。これもまた、悪女によって身を滅ぼす男、というパターンのお話である。
二人の男女が銀行強盗を繰り返し、最後に警察の銃弾に倒れる、というストーリーは、映画「俺たちに明日はない」でも描かれた、ボニーとクライドの実話がモデルになっているようだ。
実際、バートの少年時代からの親友の一人の役名が、クライドである。この親友たちは、バートと強い友情で結ばれ、最後までバートを助けようとするのだが…。
強盗をしても、絶対に人殺しはしないと心に誓っていたバートなのに、アニーが警官を殺した事でその誓いも破られ、どんどん破滅に突き進んで行く。
そして最後は、沼地に追い詰められ、明け方、二人は霧が立ち込める沼で警官と対峙する。ここにもクライドら二人の親友が現れ、自首を進めるのだが、その彼らをアニーが撃とうとしたので、バートは遂にアニーを射殺するが、バートも警官たちに撃たれ、バートはアニーに覆いかぶさるように重なり、息絶えて物語は終わる。
いわゆる低予算B級映画であるのだが、全編、緊迫感溢れる展開で見ごたえある力作だった。さすがはトランボ脚本である。
ジョセフ・H・ルイス監督の演出もいいが、特に素晴らしかったのが、中盤、バートが一人で銀行に入り、アニーが見張っている時、警官が現れた為アニーが警官の気を引き、やがて強盗を終えたバートが車に飛び乗った後、街中を走り抜け逃走するまでをワンカットでとらえたシークェンスである。ここは映画的興奮と緊張感が漲った、本作中の白眉である。
トランボが脚本を書いた犯罪映画、というだけでも、映画ファンは見ておくべき注目作である。
(採点=★★★★)
1949年・アメリカ/RKOラジオ・ピクチャーズ
原題:The Big Steal
監督:ドン・シーゲル
原作:リチャード・ワームサー
脚色:ジェフリー・ホームズ
最後は、これも日本未公開の、ドン・シーゲル監督の初期の作品である。主演が若いロバート・ミッチャムであるのも魅力である。
お話は、公金横領の嫌疑を晴らす為、メキシコ・ベラクルスにやって来た男デューク(ロバート・ミッチャム)が、追って来た軍人から逃げながら真犯人のフィスク(パトリック・ノウルズ)を探し求めるというもので、途中からはフィスクに金を貸したのに返して貰えない婚約者ジョーン(ジェーン・グリア)もデュークの車に同乗し、広大なメキシコを舞台に追跡の旅が続いて行く。
さすがドン・シーゲル、71分という短さなのに、キビキビした演出で物語をテンポよく引っ張って行く。アクションの切れもいい。
かと思えば、メキシコの警察長官との会話の間合いが微妙にズレてて笑いを誘う。
ロバート・ミッチャムとジェーン・グリアのコンビは、フィルム・ノワールと言うより、ハワード・ホークス監督とかフランク・キャプラ監督の男女逃避行コメディを思わせたりもする。
出来は今一つだけど、B級アクション映画としてはそこそこ楽しめる作品。何より、ドン・シーゲルの未公開作品がスクリーンで見れただけでもありがたい。
(採点=★★★☆)
…というわけで、なんとか時間をやりくりして9本を観たけれど、全部で22本が上映されたので、13本を見逃した勘定になる。どれも面白そうで、全部観たかったなあ。
DVDで出ている作品もいくつかあるけれど、やっぱりスクリーンで観ると、緊迫感や迫力が違う。それに何より、フィルム・ノワールは、文字通り、暗黒の暗闇で観るに限る(笑)。
驚いたのが、各回とも結構客が入っていた事。番組によっては8割ほど席が埋まっていた回もあった。シネ・ヌーヴォとしてはヒット企画と言えるかも知れない。
第3弾も、是非開催していただいきたい。または、日本製フィルム・ノワール、ハードボイルド特集も出来れば是非。
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