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2018年7月22日 (日)

橋本忍さん 追悼

Hashimotoshinobu日本を代表する脚本家、橋本忍氏が7月19日、肺炎の為亡くなられました。享年100歳でした。

まさに、巨星堕つ、という気持ちです。日本映画界に果たした功績は計り知れません。

黒澤明監督の良き協力者で、8本の黒澤作品に参加し、そのうちの「羅生門」「生きる」「七人の侍」は映画史に残る大傑作として今も燦然と輝き続けています。

黒澤作品だけでなく、他の監督の為に書いた脚本でも、1956年「真昼の暗黒」(今井正監督)、1966年「白い巨塔」(山本薩夫監督)、1967年「上意討ち 拝領妻始末」(小林正樹監督)がそれぞれキネ旬1位!。「生きる」と合わせ、キネ旬ベストワンを4度も獲得した事になります。

Seppuku3ついでに書くと、キネ旬2位が「隠し砦の三悪人」(1958・黒澤明監督)  、「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(1960・堀川弘通監督)  、「砂の器」(1974)・野村芳太郎監督)、キネ旬3位が「七人の侍」(1954)、  「悪い奴ほどよく眠る」(1960)、 「どですかでん」(1970)の黒澤作品3本に、「切腹」(1962・小林正樹監督)、「日本のいちばん長い日」(1967・岡本喜八監督)と、キネ旬ベスト3位まで12本もランクインしています(うち黒澤作品は5本)。しかも黒澤作品を除けば、「砂の器」以外すべて橋本さんの単独脚本
参考までに、橋本さんが参加した脚本でキネ旬ベストテンにランクインした作品は25本に上り、うち単独脚本は13本です。

おそらく、一人の脚本家が書いた作品で、こんなに多くの作品がキネ旬ベストテンに入選したケースは橋本さんが最多でしょう。これからも、この記録は絶対に誰も破られないでしょう。
なおキネマ旬報に個人賞として脚本賞が創設された1957年以後、橋本さんは1958年「隠し砦の三悪人」「張込み」他、1960年「黒い画集 あるサラリーマンの証言」、1966年「白い巨塔」、1967年「上意討ち 拝領妻始末」「日本のいちばん長い日」(2年連続)、1974年「砂の器」、と5度も脚本賞を受賞しています。

個人的には、黒澤明監督に並ぶ、日本映画最大の功労者だと思っています。
なのに、マスコミの扱いは意外なほどに小さいです。大手新聞で1面に訃報を掲載した所はなし。スポーツ誌ですら最終芸能面に横15センチ程度。浅利慶太氏の時の方が大きかったくらいです。追悼番組も今の所ありません。まあ100歳という年齢、「八甲田山」(1977)以降はこれといった代表作もなく、もう過去の人、といった感じなのかも知れません。寂しいです。

 
橋本さんの凄い所は、構成力がしっかりしていて緻密、骨太で、社会派的テーマにも大胆に切り込むかと思えばエンタティンメント性も豊か、時代劇にも新風を吹き込み、松本清張原作作品などサスペンス・ミステリー物も多く手掛け、まさに作家(創作者)としても第一級である点でしょう。

特に素晴らしい点は、原作がごく短い短編小説であっても、それを膨らませて大長編に仕立て、それでいて原作の良さを損なわないばかりか、原作をも上回る傑作に仕上げてしまう筆力の凄さです。

例えば松本清張原作「黒い画集 あるサラリーマンの証言」、や「影の車」(1970・野村芳太郎監督)などは、原作はいずれも連作短編の1話で、ページにしても3~40ページほどの短さです。橋本さんはこれを、原作にないエピソードを創作して、原作以上にスリリングな物語にシナリオ化します。ある意味、松本清張原作を元にした、橋本忍作品、と言っていいかも知れません。
「切腹」も滝口康彦の原作はやはり30ページの短編です。橋本さんはこれを元に、回想シーンを大胆に取り入れて、主人公の行動の謎が次第に解明されて行く、サスペンスとダイナミックなアクションが交錯する、上映時間134分にも及ぶ大スケールの長編映画としてシナリオ化しました。
原作ではたった1行で書かれている主人公の最期を、なんと20分にも及ぶ大乱闘シーンに作り変えました。ここまで来ると、原案:滝口康彦、原作:橋本忍とクレジットしてもいいくらいです(笑)。

そうかと思うと、これも松本清張の「砂の器」は、原作はダラダラ長いだけで面白くなくてガッカリします。村井淳志さんの研究本「脚本家・橋本忍の世界」にもこう書かれています。「なにせ映画に感動して原作を読んでみると、あまりのつまらなさに愕然とするのだ。(略)とにかく話がゴチャゴチャで、殺人方法はSFじみていて嘘臭いし、人物描写が類型的で押しつけがましい」と散々ですが、私もまったく同感です。現に橋本さんも初めは全然やる気が起きなかったし、シナリオ化を手伝う事になった山田洋次も「長くて複雑で、とても映画に出来そうもない」と橋本さんに言ったそうです。
ところがは橋本さんは山田さんに「いや、この原作には一つだけいい所がある。それは『親子がどうやって島根県までたどり着いたかは、この親子二人にしか分からない』という記述だ。山田君、ここだぞこの映画は」と言い、この旅をメインにすれば映画になるかも知れない、と思ったそうです(前掲「脚本家・橋本忍の世界」より)。
こうして橋本さんらは、原作の音叉を使った連続殺人などの謎解きサスペンス部分を丸ごとカットし、親子の宿命の旅に話を絞って、原作を大幅に作り変えてしまい、結果として映画は大ヒット、松本清張自身が、自作の映画化作品の中でも最高傑作と認めるほどの名作になりました。

こんな具合に、原作よりも映画の方がずっと出来がいいというものが、橋本脚本には数多くあります。そんな稀有なシナリオ・ライターは、橋本さんの他にはまずいないでしょう。改めて、凄い人だと言えると思います。

 
それにしても、橋本さんの著作「複眼の映像 私と黒澤明」や黒澤作品のスクリプター・野上照代さん著「天気待ち」などを読むと、一つの傑作が生まれる時は、さまざまな偶然や、天才と天才との運命的な出会いがあり、そうした才能がぶつかり合う中で誕生するものなのだなとしみじみ感じます。

詳しくは私が以前にアップした「複眼の映像 私と黒澤明」書評を読んで欲しいのですが、橋本さんが軍隊時代、結核にかかった事に始まる、いろんな人々との偶然の、あるいは運命的な出会いを重ねて、あの名作「羅生門」が生まれるまでの経緯は、まさに事実は小説より奇なり、どんな小説よりもドラマチックで感動的です。
そんな、いろんな偶然的要素の、どれか一つでも欠けていたなら、黒澤明と橋本忍の出会いもなかっただろうし、映画「羅生門」「七人の侍」もこの世に誕生しなかっただろうし、そして何より、稀代の名脚本家・橋本忍も生まれなかったでしょう。こんな偶然が現実にあるのだろうかと驚いてしまいます。

ひょっとしたら、映画の女神が、橋本さんと黒澤さんに微笑んだのかもしれませんね。

映画作家を志す人、シナリオ・ライターを志す人は、まず何より、原作と橋本脚本とを読み比べ、脚本作りの神髄、橋本さんのシナリオ作りに向かう毅然とした姿勢を学んでいただきたいと思います。

橋本さんは、100歳に至るも創作意欲が衰えず、亡くなる直前まで小説を書いていたそうです。その凛とした生き方にも学ぶ点は多いでしょう。

本当に長い間お疲れさまでした。改めて、ご冥福をお祈りいたします。

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文庫版 橋本忍・著「複眼の映像-私と黒澤明」(文春文庫)

 
新書 村井淳志・著「脚本家・橋本忍の世界」(集英社)

 
文庫本 野上照代・著「完本 天気待ち: 監督・黒澤明とともに」 (草思社文庫)

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