「寝ても覚めても」
2018年・日本=フランス合作
制作:C&Iエンタティンメント
配給:ビターズ・エンド、エレファントハウス
監督:濱口竜介
原作:柴崎友香
脚本:田中幸子、濱口竜介
音楽:tofubeats
製作:横井正彦、定井勇二、瀬井哲也、安井邦好、飯田雅裕、本丸勝也、増田英明、久保田修、澤田正道
エグゼクティブプロデューサー:福嶋更一郎
芥川賞作家・柴崎友香の同名恋愛小説の映画化。監督は5時間を越える長尺作品「ハッピーアワー」で数々の映画賞を受賞した俊英・濱口竜介。脚本は濱口竜介と「散歩する侵略者」の田中幸子の共作。主演は「菊とギロチン」の東出昌大と「ラブ×ドック」の唐田えりか。その他「ミックス。」の瀬戸康史、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の山下リオ、「獣道」の伊藤沙莉、「勝手にふるえてろ」の渡辺大知など。第71回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門正式出品作。
大阪。美術館で写真展を見ていた朝子(唐田えりか)は、そこで出会った男・鳥居麦(ばく・東出昌大)と運命的な恋に落ちる。だが麦はある日突然朝子の前から姿を消してしまう。2年後、東京に出てカフェで働く朝子は、コーヒーを届けに行った先で麦とそっくりな顔の亮平(東出昌大・二役)と出会い驚く。朝子はもしかして麦かとも思うが、別人であったと判り失望する。だが亮平はそんな朝子に好意を抱き、朝子も戸惑いながらも亮平に惹かれて行く。それでも麦を忘れられない朝子は、同じ顔をした二人の男の間で心が揺れ動き続け…。
濱口竜介監督の前作「ハッピーアワー」の登場は衝撃的だった。上映時間が5時間17分もあるのに、退屈する事なく最後まで見入ってしまった。ワークショップ参加の素人を起用したにも係らず、彼女たちから自然な演技を引き出し、人間そのものの複雑さ、不思議さ、面白さが巧みに表現されていた。
この作品はいわゆる自主製作作品。で、本作は人気俳優を主演に据えている事もあって、濱口監督の商業映画デビュー作とされている。監督としての真価が問われる作品と言えよう。
当然、期待が高まる中での鑑賞となったのだが、なんと!凄い傑作に仕上がっていた。新人とは思えない、風格さえ感じさせる堂々たる出来栄えに感嘆させられた。
(以下ネタバレあり)
映画はまず冒頭、大阪の国立国際美術館で開催されている写真展を鑑賞している主人公・朝子の姿を捉える。この写真展は、実在の牛腸(ごちょう)茂雄という写真家の作品展で、この人の作品には“双子”をテーマとしたものが多い。映画の中にも、双子の少女の写真が出て来る(右)。まったく同じ顔をした二人の男が登場する本作を象徴するような写真である。この出だしにまず感心した。
その写真展で朝子は、鼻歌を歌いながら写真を眺める男と出会う。これが鳥居麦(バク)である。朝子は美術館を先に出た麦がなんとなく気になり、彼の後を追うように歩く。
公園では子供たちが爆竹のような花火で遊んでいる。爆竹が破裂した瞬間、振り返った麦と目が合った朝子は、そのまま麦を見つめ、近づいて行く。…そして二人は一瞬で恋に落ちる。
ここまで、映画は一切のセリフなしである(麦の鼻歌は別として)。実に巧みな導入部であり、ロング、バストショット、切り返しのカメラワークを巧みに編集した演出テクニックも冴えている。
原作小説は朝子の一人称であり、文学作品には多い手法で、主人公の心の中がそのまま読者に伝わるのであるが、映画は映像と会話だけで物語を伝えなければならず、こうした一人称小説を映画化するのは難しい。本作はその点、映像表現を巧みに駆使して、物語を紡いで行く。むしろ、口数の少ない朝子が何を考えているのか分からない事が、作品的にプラスになっている。脚本(田中幸子+濱口竜介)が実に秀逸。
麦はどちらかと言えば自由人。時々フラリといなくなる。大抵は数日後に帰って来るのだが、ある日忽然と消えて、そのままいつまでも戻って来なかった。
それから2年と数ヶ月経ったある日、東京に移り住み、カフェで働く朝子はコーヒーを配達した会社で、麦と同じ顔をしたサラリーマン、亮平と出会う。
亮平は麦とは性格が異なり、誠実に仕事に取り組む明るくて実直な好青年である。最初は亮平を麦ではないかと疑い、違うと判ると、兄弟はいないか(つまり双生児ではないか)と問うが、亮平は一人っ子だと言う。顔は同じだがどうやら全くの別人と確信し、そして失望する。
亮平は次第に朝子を好きになって行くが、朝子は迷い続ける。亮平は麦ではない。それが分かっていながらも、不在の麦の代わりとして、亮平に心が近づいて行く自分の心を抑えられない。
この辺り、ビルの上階から地上の朝子を見つめる亮平、下から亮平の視線を感じ見上げる朝子、という縦の構図で両者の心の距離を表現する演出が巧みである。
見下ろす亮平は、朝子が近くにいるかの如く感じるのだが、見上げる朝子からは、亮平は遠い存在なのである。
この、不在の異性とそっくりな顔をした相手を代替者として愛するようになる、という物語は、ヒッチコックの傑作「めまい」を思わせる。
「めまい」では、主人公の男(ジェームズ・スチュアート)が、塔から落ちて死んでしまったはずの女(キム・ノヴァク)とそっくりな女性を町で見つけ、彼女に近づき、いつしか死んだ女の代わりとして女を愛するようになるお話である。
実はミステリー映画らしいトリックが隠されているのだが、ヒッチコックの演出は、死んだ女をいつまでも忘れられない男の一途な愛を描いた究極のラブ・ストーリーとしても一級の仕上がりになっている。
本作もまた、男と女の究極の愛の姿を描いたラブ・ストーリー映画の傑作と言えるだろう。
朝子の心は不安定に揺れ動く。亮平に近づいてはまた離れたりを繰り返す。自分を愛してくれる亮平を好きになりかけるも、自分が愛したのは麦であって、亮平ではない、という思いも心のどこかにある。この難しい朝子役を演じた唐田えりかは、新人ながらなかなかの好演である。「ハッピーアワー」同様、芝居臭くない自然な演技を引き出した濱口演出は見事である。
やがて朝子と亮平は一緒に暮らすようになる。そのきっかけが3.11東北大震災というのがちょっと引っかかる気がしないでもないが、濱口監督はこれまでにも「なみのおと」「なみのこえ」「うたうひと」という、東北大震災に関する記録映画三部作を作っており、監督にとっても東北大震災には強い思い入れがあるのだろう。
震災から5年、二人は震災ボランティアとして東北に何度も訪れる。二人を結びつけた大震災に何か礼をしたいという思いなのか、あるいは、一瞬にして最愛の人を失わせる災害の恐ろしさは人ごとではないと彼らが思ったのかも知れない。そしてこの設定は、終盤でも生きて来る。
そんな、平穏で幸せな暮らしをしていた朝子はある日、麦が現在はモデルとなって注目されている事を知る。もう忘れようと思っていたはずの昔の恋人の登場で、朝子の心は再び乱れる。
公園にロケに来ていた麦の車に、朝子は大きく手を振るのだが、これは麦に対する「私は元気です」というサインと、「さようなら」という意味も込められていると思われるが、一方「また会えて嬉しい」とも相手に受け止められかねない。事実、この朝子の行動を見た麦は朝子の家に押しかけて来たり、亮平の大阪転勤食事会にもやって来て朝子を強引に連れて行こうとする。
そして朝子は、麦に誘われるまま、亮平の元を去ってしまうのだ。
最初の麦との生活でも分かる通り、麦は周囲も顧みず、思った事を行動に移してしまう自由人、と言うか身勝手な男である。だがそんな奔放な麦を朝子は愛してしまったのだ。
亮平との幸せな暮らしを捨ててまで、麦に付いて行く朝子の行動は不可解だし、理解出来ないと思う人もいるだろう。
だが、そんな不可解さもまた、人間の一面なのである。自分が本当に愛している男は、二人のどっちなのか、自分でも未だに分かっていない。強い力で引っ張られたら、ついそっちに行ってしまうのも、人間の心の弱さ、不可解さであり、哀しさなのである。
だが、車で北海道に向かう途中、一時休憩した東北の海岸で目覚めた朝子は、何故自分はここにいるのだろうと思い、次に、今いる所は亮平と朝子を結びつけた大震災の爪跡が残る東北の地であり、この5年間こそが真実の愛の時間だった事に思い至って、朝子はやはり亮平の元に帰ろうと決心する。麦はそんな朝子を見て、彼女を諦めあっさりと去って行く。
ここで背景となるのが、東北の海岸に造成された高い防潮壁である。これは、一見幸せなはずの亮平と朝子の間に立ち塞がる見えない壁を象徴するかのようである。
大阪の新居に着いた朝子は、必死に亮平とのヨリを取り戻そうとするのだが、一旦二人の間に入った亀裂は簡単に修復出来るものではない。自分を裏切った朝子が許せず、ケンもホロロに追い出そうとする亮平の気持ちも、もう一度元の生活に戻り、今度こそ本当に亮平を愛しようと決心する朝子の気持ちも、共に痛いほど伝わって来る。このシークェンスには心が揺さぶられた。
ラスト、家の前を流れる川を眺める二人を正面から捉えたショットも印象的である。二人は元の生活に戻れるのか、それとも互いに心に負った傷を隠しながら生きて行くのか、それは誰にも分からない。川の濁流が心の不安を象徴しているかのようだ。
観終わって、ズッシリと心に響いた。人が人を愛する事とは何なのか、人の一途な思いは誰にも止められないものなのか、人間の心とは何と弱く脆いものなのか、人が生きて行くとは、なんと哀しい事なのか…さまざまな思いが去来し、観終わった後も心に残る、重厚かつ繊細な人間ドラマ、恋愛映画の傑作であった。恋愛における繊細な心理描写演出は、名匠成瀬巳喜男監督のいくつかの傑作恋愛映画(「浮雲」(1955)、「乱れる」(1964)等)を思い起こさせる。新人離れしている。
脇の登場人物も、みんな個性豊かで自然な演技だった。それぞれ朝子の人生に微妙に関わって来る、大阪での朝子の友人・春代(伊藤沙莉)、東京での朝子とルームシェアしてる劇団員・ 鈴木マヤ(山下リオ)、亮平の同僚・串橋(瀬戸康史)、みんないい。
中でも、東北で生活を営み、後半朝子に金を融通してくれる人のいい漁師・平川を演じた人、最初は現地の素人かな、と思えるくらい自然な演技で誰か分からなかったが、エンドロールで元ドリフの仲本工事だったと知って驚いた(右)。失礼ながらこんなにいい演技が出来る人とは思わなかった。もっと映画に出て欲しい。
今年は日本映画が豊作で、正月に「花筐 HANAGATAMI」を観た時は早くもベストワンだと思ったが、その後も「菊とギロチン」、そして本作とベストワン級の傑作が目白押し。これに「孤狼の血」やアニメ「ペンギン・ハイウェイ」、それに異色作「カメラを止めるな!」も続いていて実にバラエティ豊か。この後もこれも傑作の予感がする「きみの鳥はうたえる」(9月22日公開)が控えており、私の邦洋混成ベストテンの上位を日本映画が独占しそうな勢いである。
俳優では特に東出昌大は「菊とギロチン」にも主演しており、まず間違いなく本年度の主演男優賞を総ナメするだろう。唐田えりかも新人女優賞当確。しかし「菊とギロチン」の木竜麻生にも新人賞をあげたいし。うーむ年末は選考に悩みそうだ(笑)。
とにかく、本作は今年の日本映画を代表する力作である。商業映画デビュー作にしてこれほど完成度の高い作品を作り上げた濱口竜介監督、凄い。今後も注目して行きたいと思う。必見。 (採点=★★★★★)
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コメント
私はキネマ旬報東京友の会に入ってますが、この会はキネマ旬報の編集部に提出して決算号に掲載する帳尻合わせのために、ベストテンの対象期間が前年12月〜当年11月と1ヶ月ズレているので、東京でも「花筐」が今年の対象です。
「花筐」「カメラを止めるな!」「寝ても覚めても」どれを一位にすべきか非常に悩むところです。
「万引き家族」「孤狼の血」も例年なら一位です。
投稿: タニプロ | 2018年9月23日 (日) 14:32
◆タニプロさん
おお、それは良かったですね。年末ギリギリ公開だと、年内に見られなかった人もいるでしょうからね。
それにしても、おっしゃる通り、今年は日本映画に本当に傑作が並びましたね。私も「花筐」「カメラを止めるな!」「寝ても覚めても」は無論、「菊とギロチン」もベストワン候補です。あと昨日観た「きみの鳥はうたえる」もやはり傑作でした。 「万引き家族」「孤狼の血」も同意見。これだけで7本! 本当に悩ましいですね。何本かは来年回しにして欲しいくらいです(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2018年9月25日 (火) 23:56