「きみの鳥はうたえる」
函館郊外の書店で働く“僕”(柄本佑)は、小さなアパートで失業中の静雄(染谷将太)と共同生活を送っている。ある日、ふとしたきっかけで同じ書店で働く佐知子(石橋静河)と体を重ねるようになるが、彼女は店長の島田(萩原聖人)とも関係を持っていた。“僕”、佐知子、静雄の3人は夏の間、毎晩のように酒を飲み、クラブへ出かけ、ビリヤードをして遊ぶようになる。そして夏が過ぎ、3人の幸福な日々にも終わりの気配が近づいていた…。
若くして夭折した佐藤泰志の小説は、函館の映画館・函館シネマアイリスが製作母体となって、これまで「海炭市叙景」(監督:熊切和嘉)、「そこのみにて光輝く」(監督:呉美保)、「オーバーフェンス」(監督:山下敦弘)が映画化されたが、どれも秀作だった。なので、本作も大いに期待した。
ただ、前の3作の監督は、いずれもそれまでに良質な作品を発表する等実績があり、私もよく知っている監督ばかり。
それに対し、本作の三宅唱監督は、初めて聞く名前だし、フィルモグラフィを見ても、いつ公開されていたかも覚えがないマイナーな作家。その点がやや不安だった。
原作は1982年に発表され、第86回芥川賞候補にもなった。4作の中では、一番最初に発表された作品でもある。
原作の時代は1970年代末期、舞台は東京なのだが、映画は現代の函館に変更されている。過去の佐藤原作映画化作品でも見慣れた函館の風景が何度も出て来るし、過去3作とも共通する、現代社会の底辺で生きる人々が主人公なので、過去の3作を観ている観客にはストレートに物語世界に入って行けるだろう。
物語は、2人で共同生活をしている男たちの前に、1人の女性が現れ、3人の共同生活が始まるという、フランソワ・トリュフォー監督の傑作「突然炎のごとく」(1962)以来数多く作られて来た、いわゆる“友情で結ばれた男2人+1人の女との三角関係”パターン作品で、このパターンの作品には心に沁みる秀作が多い。1967年のアラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカス共演の「冒険者たち」(ロベール・アンリコ監督)も永遠の青春映画の名作である。
本作もまた、素敵な秀作に仕上がっている。
(以下ネタバレあり)
主人公“僕”(名前がない)は書店で働いているが、時たま無断欠勤したり、突発的に暴力を振るったりする、やや社会に適合出来ない困った若者。
アルバイト先で知り合い、家賃節約の為ルームシェアで僕とアパートで共同生活をしている静雄は、失業中でブラブラしている。
どちらも、あまり共感出来ないタイプの若者である。
その2人を、若手ながら実力派の柄本佑、染谷将太が、役になりきって実に自然に演じている。これが見事である。特に、“僕”を演じる柄本佑は、心に鬱屈を抱えて時には外に暴発するけれど、内面ではやさしさも秘めているという難しい役柄を的確に好演している。
職場の同僚である佐知子は、これまでに男を何人も変えて来て、今も書店の店長・島田と愛人関係にある、奔放な性格の女性。
その佐知子が、ふとした気まぐれか、“僕”に好意を抱き、自然に“僕”とセックスし、アパートに入り浸るようになる。
静雄は、帰宅した時、二人がセックスしているのに気づくと、そっと立ち去る、という気遣いも見せる。が、やがて3人で行動を共にするようになる。
3人は夜の函館の街を飲み歩き、ビリヤードをしたり、カラオケで歌ったり、佐知子はクラブで踊ったりと、自由奔放な日々を送り続ける。
徹夜で遊び疲れた後、明け方の街を3人で気だるそうに彷徨うシーンの透明な空気感を切り取った映像が見事である。
だが、危ういバランスを保っていた3人の関係も、やがて崩れる時がやって来る。
“僕”との生活に飽いたのか、佐知子は静雄と二人で行動する事が多くなって来る。やがて佐知子の心は静雄に移って行く。“僕”はそれを知りながら、黙って佐知子の変節を受け入れて行く。
佐知子も好きだが、同時に静雄とのかけがえのない友情も大事にしたいという思いもあるのかも知れない。これは“僕”の、心の優しさでもあるのだろう。
冒頭、「僕には、この夏がいつまでも続くような気がした」という
“僕”のモノローグが語られるのだが、これは儚い願望であり、人生はそう甘くはない。夏もいつかは終わるのである。
佐知子は、店長との関係も清算し、静雄と共に、地に足の着いた人生を歩もうとしている。静雄の母も倒れ、時間は容赦なく前に進んで行く。しかし“僕”はいつまでもこの夏(=青春の日々)が終わらない事を願っている。終わらない夏なんてない事を薄々感じながらも。
ラストシーンがいい。静雄と暮すことを決め、“僕”にその事を告白した佐知子に“僕”は「俺は二人がうまく行けばいいなと思っている」と言ってしまう。本心でもないのに。やはり“僕”は心が優しいのである。
だが、去って行く佐知子を見送っているうちに、遂に“僕”は佐知子を走って追いかけ、勇気を出して佐知子に本心を告白する。
この時、困ったような、仕方ないな、という表情を見せる佐知子を長回しショットで捉えたシーンが素晴らしい。石橋静河、絶妙の巧演である。
ここで面白いのは、冒頭で佐知子がすれ違いざま、“僕”の肘を軽くつねり、その後“僕”が120まで数を数えて佐知子が戻って来るのを待つ、という一連のシーンが、このラストでもさりげなく繰り返されている点である。
“何かが変わる予感”がこのリアクションに込められている事を示す、いいシーンである。脚本が秀逸。
観終わって、ジンワリと心に沁みた。素晴らしい青春映画の傑作である。
若さをぶつけ、楽しそうに遊びながらも、どこか無為で、怠惰な空気が漂う日常を描きつつ、やがて終わりの時が訪れる、というこの物語は、藤田敏八監督の傑作「赤い鳥逃げた?」(1973)を思い起こさせる。あの作品も、原田芳雄、大門正明、桃井かおりの男女3人が主人公の青春映画だった。最後は破滅するけれど。
柄本佑、染谷将太、石橋静河のナチュラルな演技が見事。特に石橋静河は昨年、新人賞を獲ったばかりだというのに、随所に見せる名演技、特に無言の表情だけで感情を伝える演技には感嘆。今年の主演女優賞に一押ししたい。
三宅唱監督の演出も素晴らしい。若者たち3人が遊ぶ夜のシーンの、ブルーを基調とした映像もいいし、原作の意図を生かしつつ、現代に生きる等身大の青春群像をきっちりと描ききった点で、三宅監督自身が手がけた脚本と共に高く評価したい。次回作が楽しみである。
なお題名は、一世を風靡したビートルズの名曲、"And
Your Bird Can Sing"(アルバム「リボルバー」収録)の日本語訳である。
原作の中にも、ビートルズ・ファンの静雄がこの"And
Your Bird Can Sing"を歌う場面がある。
映画にはこの曲が登場しないが、これは曲の版権料の問題と言うよりも、原作の70年代ならともかくも、今の時代、さすがに20代の若者がビートルズなんか聞かないだろうから。その為、題名が意味不明になってしまった感はある。
エンドロールでもいいから、静雄(染谷将太)のギターとボーカルで、この曲を歌ってくれたら申し分なかったのに。それがやや残念。
今年は日本映画に秀作が目白押しで、これまでだけでもベストテンは満杯なのに、またまた傑作の登場で、ベストテン選考に頭が痛い。さあ、年末どうしよう?(笑)。 (採点=★★★★☆)
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