「散り椿」
2018年・日本/東宝映画=ドラゴンフライ
配給:東宝
監督:木村大作
原作:葉室 麟
脚本:小泉堯史
撮影:木村大作
音楽:加古 隆
殺陣:久世 浩
ナレーター:豊川悦司
製作:市川 南
直木賞作家・葉室麟による同名時代小説の映画化。監督は名カメラマンで「劔岳 点の記」「春を背負って」に続きこれが監督第3作となる木村大作。脚本は同じ葉室麟原作「蜩の記」の監督を務めた小泉堯史。主演は「追憶」の岡田准一、共演は「クリーピー 偽りの隣人」の西島秀俊、「日々是好日」の黒木華、「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」の池松壮亮、「俳優 亀岡拓次」の麻生久美子、「棒の哀しみ」の奥田瑛二など。第42回モントリオール世界映画祭で準グランプリに当たる審査員特別賞を受賞。
享保15年。藩の不正を訴え出た事で藩を追われた瓜生新兵衛(岡田准一)は、妻・篠(麻生久美子)と共に静かに暮らしていたが、病に倒れた篠の、榊原采女(西島秀俊)を助けて欲しいという最期の願いを叶えるため、藩に戻る決意を固める。新兵衛にとって采女は、かつては良き友であり、剣のライバルであり、かつ篠を巡る恋敵でもあった。藩に入った新兵衛は篠の妹・坂下里美(黒木華)宅に身を寄せるが、里美の弟・藤吾(池松壮亮)は新兵衛の出現に戸惑う。やがて新兵衛はある確証を得て、藩の不正事件の黒幕である家老・石田玄蕃(奥田瑛二)と対決する事となる…。
木村大作は、「八甲田山」、「鉄道員(ぽっぽや)」など、いくつもの秀作で撮影を担当した日本を代表する名カメラマンであり、後年に至って監督業にも進出し、「劔岳 点の記」という素晴らしい傑作を完成させた。その監督第3作目となる本作は、初めての時代劇。
「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」などの黒澤明監督作品に撮影助手として参加し、ダイナミックな黒澤時代劇の真髄を学んだであろう木村大作が、映画監督として時代劇に挑戦した、と聞けば、ファンとしては期待が高まるのも当然である。ワクワクしながら劇場に足を運んだのだが…。
(以下ネタバレあり)
物語は、藩の若侍たち(道場の四天王と呼ばれる)が、悪家老による藩の不正を暴こうとするも、逆に陰謀で一人は切腹、一人(瓜生新兵衛)は藩追放と挫折を強いられるという過去がまず前提にある。
そして数年後、浪人となった新兵衛が、亡き妻の思いを胸に、藩に舞い戻って来る、というのが物語の発端となる。
この、若侍たちが悪家老の不正を糾弾しようと画策するも、逆に窮地に立たされる、という過去、そして無精髭を生やした凄腕の素浪人が藩にやって来る、という発端からして、黒澤時代劇の傑作「椿三十郎」の出だしとそっくりである。岡田准一扮する瓜生新兵衛の服装、むさ苦しい風貌、そして目にも止まらぬ豪快な剣の腕前まで、三船敏郎扮する三十郎と酷似している。おまけにどちらの作品にも、題名にもある椿の花がアクセントとして使われている。
原作を読んで映画化を熱望したという木村大作の頭にも、撮影助手として付いた「椿三十郎」があったに違いない。
これはうまく行けば、「椿三十郎」のようなダイナミックでスリリングなチャンバラ映画の傑作になるのでは、と大いに期待した。
…のだが、残念ながら期待通りとは行かなかった。何より、豪快でユーモラスな黒澤時代劇とは違って、端正な語り口で話が淡々と進み、なかなか物語が弾まない。
葉室麟の原作は未読だが、「蜩の記」でも感じたが、武士の世界の掟、大義に縛られ、ストイックに生き、思いをちゃんと伝えられない、侍の生き様がこの作品でもメインとなっている。
また、長い原作を2時間に収めた為か、説明不足が目立つ。例えば新兵衛とは親友だった采女が、本来は篠と婚姻するはずだったのが母にその話を壊されたと台詞には出て来るが、その縁談がなぜ壊されたのか、またその後新兵衛が、なぜ親友の采女と恋仲だった篠とあえて夫婦になったのかも分からない(親友の恋人なら遠慮するのが普通だろう)。原作ではちゃんと語られているのかも知れないが。
采女が新兵衛に確執を抱いているのは分かるのだが、「采女を助けて欲しい」というのが篠の願いなのだから、その新兵衛が刀を抜いて散り椿の下で采女と斬りあうシーンもよく分からない。結局その後二人は力を合わせて悪家老と戦うのだから、あれは何だったのかという事になる。
商人・田中屋惣兵衛(石橋蓮司)が唐突に、悪家老・石田玄蕃の悪事の証拠となる証文を新兵衛に見せるのもご都合主義な気がする。なんでそんなもの大事に持ってたのか、また新兵衛が護衛を引き受けた途端に、家老配下の者が田中屋を襲うのもタイミングが良すぎる。それまでほったらかしにしてた(ように見える)家老側がなんで邪魔な新兵衛が用心棒になった時に限って襲ったのかが分からない。新兵衛も、用心棒なら惣兵衛にピッタリ張り付いていなけりゃダメだろう。
そして新兵衛の手に渡った証文、若殿が江戸から帰って来た時になぜ早く見せなかったのか。もっと早く若殿に渡しておけば多くの命が失われずに済んだものを。
どうも小泉堯史の脚本、練りが足らない気がする。
ロケを多用し、雄大な風景を捕らえた映像はさすがに美しいし、映像に関しては、さすが木村大作、と唸らずにはいられない。
が、肝心の物語が心を打つまでには至っていない。脚本にも難ありだが、木村演出も、人物の内面、心の動き、葛藤がきめ細かく描ききれていない。
皮肉な話だが、絵画的とも言える映像美は素晴らしいが、映画の出来はいま一つ、という所が、カラーとなった「どですかでん」以降の、師匠黒澤明の全般的な作品評価と同じ、というのが何とも辛い。そこまで黒澤明監督と似なくても(笑)。
思えば、「劔岳 点の記」が傑作となったのは、雄大で荘厳なまでに美しい自然の風景を、時間をかけてカメラに収めた、ドキュメンタリーにも近い映像に圧倒されたからである。美しい映像美が主人公だと言ってもいい。カメラマンだからこそ成功した作品でもある。
だから、人間そのものを丁寧に描かなければいけない本作のような作品には向いていないと言えるだろう。
むしろ監督は別の人に任せ、木村さんは撮影監督に専念した方が、もっといい作品になったかも知れない。
とまあやや辛口の感想になってしまったが、これは期待が大き過ぎたからで、日本映画全体から見れば十分水準以上の力作である。
木村カメラマンによる日本の美しい自然の風景、黒澤作品の名殺陣師・久世竜の流れを汲む久世浩担当の殺陣もそれぞれに見応えがある。
が、やはり目を瞠るのは、自ら殺陣も考案したという岡田准一の剣さばきである。新兵衛がバッタバッタと敵を斬り倒すシーンは、これぞチャンバラ映画とでも言うべき爽快感がある。こんなチャンバラ映画をこれからも観たい。
この瓜生新兵衛がこの後も旅を続けて、どこかの宿場か城下町で大暴れする、三船・三十郎のようなチャンバラ映画をスピンオフで作ってくれないだろうか。もっとも、原作者・葉室麟の遺族というか関係者は許可しないだろうが(笑)。 (採点=★★★☆)
(さて、お楽しみはココからだ)
本作には、随所に木村大作の師匠である黒澤明監督作品へのオマージュが見られるのが楽しい。
「椿三十郎」オマージュは先述したが、他にもいくつかある。
新兵衛が旅する背景に見える、雪をかぶった立山連峰の風景が、「用心棒」の冒頭のやはり雪をかぶった山々の風景を連想させる(あちらは南アルプス鳳凰三山)。
狩りに出かけた若殿が、鉄砲で撃たれるシーンが出て来るが、黒澤作品「影武者」でも城主武田信玄は鉄砲で撃たれている。また城主の狩りのシーンは「乱」の冒頭にも登場する。
ラストの、豪雨の中での立ち回りは、「七人の侍」のクライマックスの豪雨の中の大乱闘を思い出させる。
ついでながら、冒頭降りしきる雪の中で刺客に襲われた新兵衛が、敵の一人を柔道の巴投げのように投げ飛ばすシーンは黒澤の「姿三四郎」のオマージュ?(笑)。
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コメント
> 商人・田中屋惣兵衛(石橋蓮司)が唐突に、悪家老・石田玄蕃の悪事の証拠となる証文を新兵衛に見せるのもご都合主義な気がする。
これは奥田暎二一派が藩内を好き勝手していたので証文を渡していても問題がなかったのでしょうねえ。何かあれば単に石橋蓮司が暗殺されて終わり。それが岡田准一というハッキリした敵対勢力が現われたので対処せざるを得なくなったという流れでしょう。
何で岡田准一と西島秀俊が斬りあったのかは私も分かりませんでした。何だったんだろうアレ(痴話喧嘩?)
投稿: ふじき78 | 2018年10月 8日 (月) 03:23
◆ふじき78さん
なるほどね。そう考えてみれば 納得出来ますね。
でもねぇ、脚本が舌足らずの部分を観客が想像して補う、ってのもどうかとは思いますがね。伏線なり、悪家老が情報を知って部下に命令するシーンなどを入れておけばよかったのにね。
それに、「おぬしもワルよのう」とばかりに(笑)それまで家老と癒着して甘い汁を吸ってた田中屋が、急に心変わりして新兵衛に近づいた理由もよく分かりません。そのまま家老側とのベタベタの関係を続けてた方が安全で安心なはずだと思いますがね。まあこんな具合に、疑問が湧きだしたらキリがない(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2018年10月 9日 (火) 22:48