「チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛」
2017年・アメリカ・イギリス合作
配給:ファントム・フィルム
原題:Tulip Fever
監督:ジャスティン・チャドウィック
原作:デボラ・モガー
脚本:デボラ・モガー、トム・ストッパード
製作:アリソン・オーウェン、ハーベイ・ワインスタイン
製作総指揮:ポール・トライビッツ、ボブ・ワインスタイン、デビッド・C・グラッサー、ジャスティン・チャドウィック、クリストファー・ウッドロウ、モリー・コナーズ、マリア・セストーン、サラ・E・ジョンソン、パトリック・トンプソン、ローリー・マクドナルド、ウォルター・パークス
作家デボラ・モガーによる、フェルメールの絵画から着想を得たベストセラー小説を、自身も脚本に参加して映画化。監督は「ブーリン家の姉妹」のジャスティン・チャドウィック。出演は「リリーのすべて」のアリシア・ヴィキャンデル、「アメイジング・スパイダーマン2」のデイン・デハーン、「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」のジュディ・デンチ、「ビッグ・アイズ」のクリストフ・ヴァルツなど。
17世紀のオランダ。修道院育ちのソフィア(アリシア・ヴィキャンデル)は成人すると、親子のように年の離れた豪商コルネリス・サンツフォールト(クリストフ・ヴァルツ)と結婚し、豊かで安定した暮らしを送っていた。ある日、コルネリスは夫婦の肖像画を若手の画家ヤン・ファン・ロース(デイン・デハーン)に依頼する。若く情熱的なヤンとソフィアはすぐに恋に落ち、二人はコルネリスに隠れて逢瀬を重ねるが、ヤンが2人の未来のため希少なチューリップの球根に全財産を投資したことから、彼らの運命は思わぬ方向へと転がって行く…。
17世紀のオランダが舞台、というのがまず珍しい。この時代、オランダではチューリップの希少種の球根が投機対象になっていたそうで、相場において取引価格がどんどん跳ね上がり、ピーク時には球根ひとつの値段が邸宅一軒分の価値になったという。まさに熱(フィーバー)に冒されたように誰もが金儲けに狂騒していたようである。我々日本人には、あのバブル景気時代を思い起こしてしまう話だが、実際これは世界最古の経済バブルとも言われているそうだ。
映画は、この史実を背景に、ある豪商に嫁いだ若妻と、夫婦の肖像画作成を依頼された若い画家との道ならぬ恋、また一方、その家の女中マリア(ホリデイ・グレインジャー)と、魚売りのウィレム(ジャック・オコンネル)とのこちらも熱烈な恋、という二つの恋模様が並行して描かれ、そこにこの時代のチューリップ・フィーバーが絡んで来る…というちょっと込み入った展開であるが、脚本に「恋におちたシェイクスピア」で知られるトム・ストッパード、監督に「ブーリン家の姉妹」「マンデラ 自由への長い道」のジャスティン・チャドウィックと実力派が揃っている事もあってか、スリルとユーモアが巧みにブレンドされたストーリー・テリングとテンポいい演出で、なかなか見応えのある作品になっている。
(以下ネタバレあり)
物語の中で強調されるのは、貧富の差が激しい格差社会の実情で、豪商コルネリスは交易で大儲けして贅沢ざんまい、ジュディ・デンチ扮する修道院長のいる修道院ではチューリップ球根栽培の副業が当たってこちらも左うちわ。一方で女中マリアとその恋人の魚売りウィレム、若い画家ヤン、いずれも社会の底辺にいる人たちで、ウィレムもヤンも、そこから這い上がる為にチューリップの球根投機で一山当てようと目論んでいる。その色と欲が、彼らの運命を大きく変えて行く。
原作者のデボラ・モガーは、フェルメールの絵から着想を得たそうだが、フェルメールも17世紀のオランダで活躍した画家。この時代、コルネリスのように成功した金持ちは、競って肖像画を描かせたり、絵画を購入したりした事で芸術が花開いた言われている。フェルメールも、この物語のヤンのようにその中から台頭して来たのだろう。
そう思えば、ソフィアの着ている青い服は、フェルメールの絵を想起させるし(青はフェルメール・ブルーと呼ばれているように、フェルメールの絵に印象的に使われる)、代表作「真珠の耳飾りの少女」を意識してか、ソフィアは真珠の髪飾りを付けている。落ち着いた色調の映像もフェルメールの絵画を思わせる。
物語が大きく動くのは、魚屋のウィレムがマリアとの結婚資金を稼ぐ為、球根の所有証明書を手に入れ、これで大金持ちだと喜んでいる時に、マリアのコートを拝借してヤンの元へと急ぐソフィアを見つけ、マリアが浮気したと勘違いしてヤケになり、酒場で荒れ狂ったあげく、証明書を財布ごと盗まれ、さらに喧嘩が元で強制的に軍隊に飛ばされてしまう辺りからである。
マリアのお腹にはウィレムとの愛の結晶が育っている。が、ウィレムが突然姿を消した為マリアは途方に暮れる。赤ん坊が生まれたらコルネリス邸からは追い出されてしまう。
切羽詰まったマリアはソフィアに相談し、夫からは子供が生まれない事を責められていたソフィアは一計を案じる。それはなんと、ソフィア自身が妊娠したと嘘を言い、マリアに赤ん坊が生まれたら、その子を自分が生んだ事にするという途方もない計画である。
産科医や産婆も計略に巻き込んで、ソフィア一世一代の大芝居が展開して行く。
マリアは目立って来たお腹を隠し、ソフィアは腹に詰め物をしてお腹が大きくなったように見せる。ソフィアが夫とは寝室を別にして接触を避けたり、マリアがツワリで嘔吐しそうになると自分がツワリのフリをしてごまかしたり…と、この辺りはほとんどコメディ・タッチで笑わせてくれる。
しかし、出産の時、夫を部屋に入れさせないばかりか、妻はまだしも、マリアの姿さえも見えないのに、夫が疑問を抱かないのはやや不自然。そこまではいいとしても、赤ん坊が生まれた後、自分は難産で死んだ事にして、棺桶に隠れて脱出し、ヤンとの生活を夢見る、というのはちょっとやり過ぎだし無理があり過ぎる。ソフィアを信じて疑わない夫コルネリスも人が良すぎると言うか。ここらはやや減点。
ところが、妻が難産で母子の命が助かるか分からないと産科医に聞かされたコルネリスは、「もしどちらか一人しか助からない場合は、妻の命を助けて欲しい」と産科医に依頼する。
これはコルネリスが、かつて前妻の出産時に同じような状況に立たされた時、「子供の方を生かせよ」命じ、結果的にどちらも助からなかった、という過去があった事が伏線となっている。今回は妻の命を優先したわけで、これはコルネリスが、ソフィアを心から愛している事を示している。
この言葉をドア越しに聞いたソフィアは激しく動揺する。首尾よく棺桶で脱出したものの、こんなに自分を愛してくれている夫を裏切った事で、彼女は罪の意識にさいなまれる。
悩みに悩んだ末に、ソフィアは自分の青い外出着を運河に投げ捨て、ヤンとの恋も同時に投げ捨ていずこへともなく去って行く。
これらの物語と並行して、ヤンが手に入れた球根に超高値がついて、しかし前金を貰ったものの、過去の行状で信用がないヤンは逃げられる事を恐れた購入主に球根を取りに行かせてもらえず、仕方なく別の男に代りに取りに行かせたら、こいつが酒癖が悪くて大失態し球根はパアになる、というドタバタ劇も語られる。
つまりは、チューリップ投機熱も、ソフィアとヤンの恋も、どちらも熱(Fever)に浮かされただけの儚いバブルだった、というのが話のオチと言うわけである。
さらに、やっと軍隊から帰って来たウィレムがマリアの元を訪れ、ウィレムの無事を喜んだマリアは、お金が無くても、貧しくても二人で生きて行く事を決意する。
この時マリアは、ソフィアの悪だくみの事をウィレムに喋ってしまうのだが、それを物陰で聞いていたコルネリスは、妻に裏切られた事を知って絶望する。そして若い二人を祝福して財産をマリアたちに譲る事を決意する。
この、ちょっとあり得ないコルネリスの決断に首を傾げる人もいるだろうが、コルネリスは恐らく、“金だけで愛は得られない”事を悟り(つまりこちらも富豪としての熱が冷めたというわけである)、マリアたちのように、貧しくとも二人で愛して行こうとする人たちの中にこそ、本当の人間的な愛があるのだという事に気が付いた、と解釈すればこれはこれで納得出来る決断だとも言えるのではないだろうか。
8年後、ヤンは懸命に画家として努力を重ね、今では修道院の天井画を任されるまでに成長していた。そしてある日、修道女となったソフィアと再会するのだが、二人は互いに遠い所から見つめ合うだけで別れて行く。
お互いに熱から覚め、自分を見つめ直して人生をやり直し、それぞれの道を歩む二人にとっては、あの過去の時代はもはや過ぎ去った夢でしかないのだろう。人生は、前に向かって進むだけなのである。
この映画は、人間の果てしない欲望の愚かさを痛烈に皮肉り、それでもどこかに人間に対する希望も感じさせて、深い余韻を残してくれるのである。味わい深い、心に残る秀作である。 (採点=★★★★☆)
(蛇足)
邦題に「肖像画に秘めた愛」とサブタイトルが付いているが、これはちょっとヘンではないか。
ヤンが描いている肖像画には、コルネリスとソフィアの二人が描かれており、この絵のどこにヤンの愛が秘められているのだろうか。映画を観る限り、それは感じられない。どうも最近、おかしな邦題が多いように思う。
(付記)
エンドロールに、またもあのお二人、ハーベイ・ワインスタイン、ボブ・ワインスタインの名前を見つけた。
「ウインド・リバー」評で、これがハーベイ・ワインスタイン最後の作品かも、と書いたが、本作もあちらではセクハラ疑惑が出る前に完成・公開されていたようで、もしかしたらまだまだハーベイ・ワインスタイン・プロデュース作品は遅れながらも出て来るかも知れない。
それにしても、本当にワインスタイン兄弟プロデュース作品は、地味だけど粒よりの秀作ばかりである。
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コメント
なかなか面白かったのですが、お話にはちょっと突っ込み所が多かった様な。
ベッドシーンが過激という話もありそれもあって見たのですが、その点はそれほどでもなく。
17世紀のオランダは良く描かれていたと思います。
ヴィジュアルはやはりフェルメールを思わせますね。
アリシア・ヴィキャンデルは好きなのですが、本作でも美しい。
結構大胆に脱いでいますが、清潔感がありそれほど過激には感じませんでした。
投稿: きさ | 2018年10月23日 (火) 06:06