「生きてるだけで、愛。」
過眠症で引きこもり気味、現在無職の寧子(趣里)は、ゴシップ雑誌の編集者である恋人・津奈木(菅田将暉)の部屋で同棲して3年、自分でうまく感情をコントロール出来ず、時に鬱状態になったりの日々が続いていた。一方の津奈木も、文学に夢を抱いて出版社に入ったものの、週刊誌の編集部でゴシップ記事執筆の日々。それでも家から出れない寧子のために毎日弁当を買って帰っていた。そんなある日、突然寧子の前に津奈木の元恋人・安堂(仲里依紗)が現れる。津奈木とヨリを戻したい安堂は、寧子を自立させて津奈木の部屋から追い出すため、寧子を半ば強制的に知り合いのカフェバーでバイトさせる事にするが…。
先月初、「太陽の塔」というドキュメンタリー映画を観た。1970年の大阪万博(2025年・2回目の大阪万博決定おめでとうございます)には私も何度か足を運び、自宅も万博公園から近い事もあって、太陽の塔には親しみを感じており、これは観なければと思っていた。
観て驚いた。一応29人の文化人、知識人へのインタビューを中心に、記録映像、塔の製作者・岡本太郎氏の製作意図への探求、等から構成されているのだが、演出が凝りに凝っている。
冒頭から縄文時代の女性(俳優の織田梨沙が扮している)が登場して、映画は単なる太陽の塔に関するドキュメンタリーに終わらず、古代日本史からの延長上に太陽の塔があるとし、CGによる、荒野にそびえ立つ太陽の塔のイメージ映像が出て来たり、3.11の東日本大震災にまで話が飛んだり、最後はまた縄文女性が今度は現代に現れ、まるで「2001年宇宙の旅」のラストのスターゲイト突入を思わせるシュールな映像で締めくくられる。
これは、岡本太郎の名キャッチフレーズ“芸術は爆発だ!”そのままに、映像の爆発、とでも言うべき、なんともアーティスティックな異色のセミ・ドキュメンタリー映画であった。
この映画の監督が、斬新なCMでカンヌ国際広告祭で何度も賞を獲ったり、Mr. Children、他のミュージックビデオを演出して評判になったり、2012年には短編オムニバス映画「BUNGO~ささやかな欲望~」の1本を監督したりと、そのマルチな多才ぶりで国際的にも評価されていると言われる関根光才。
これでいっぺんに関根光才という監督の名前を覚えた。
前置きが長くなったが、その関根監督が今度は本作で長編劇場映画監督としてもデビューする事となったと聞いて、これは是非観なければ、と思った次第である。
(以下ネタバレあり)
「太陽の塔」の演出具合からも、本作もシュールな映像美が登場したりするアート志向の映画になるのではと一瞬不安になったのだが、出来上がった映画は、現代に生きる若者たちを正攻法でじっくりと正面から見据えた、新人とは思えないほどの実に見事な傑作になっていた。
主人公の寧子は、躁鬱病で自分の感情をコントロール出来ない。おまけに過眠症で一日布団に潜って寝てばかり。目覚まし時計が鳴っても起きられず、イラついて自分の頭を目覚まし時計で殴りつけたりする。
そんな彼女を、なぜか愛しく思い自分の部屋に住まわせ、毎晩仕事帰りに弁当を買って帰ったり、甲斐甲斐しく世話をするのが雑誌編集者の津奈木。
津奈木は寧子にどんなに理不尽な感情をぶつけられても、決して怒らず、献身的にまで面倒をみている。
まるで昨年の白石和彌監督の傑作「彼女がその名を知らない鳥たち」の十和子(蒼井優)と佐野(阿部サダヲ)を思わせるような二人である。
この寧子を演じる趣里が素晴らしい。鬱で心を閉ざしながらも、立ち直ろうとする気持ち(一応目覚ましで起きようと努力する)と、やはり心が負けてしまう弱さ、そんな自分自身に腹を立て怒りを露にするという難しい役を見事に巧演している。
受ける菅田将暉がこれまたうまい。そんな寧子の態度にも辛抱強く接し、一見無関心を装いながらも、実は限りない優しさで彼女を見守っている。
そして中盤から登場する、津奈木の元カノ、安堂役の仲里依紗がこれまた素晴らしい。別れた今も津奈木に執着し、寧子を津奈木から引き離すのにカフェバーで働かせようとする、こちらも自己中心的でどこか心が壊れている性悪女を絶妙に演じている。「時をかける少女」(2010)のあの少女と同一人物とはとても思えない。
その他、津奈木の同僚の記者を演じる石橋静河、寧子が勤める事となるカフェバーの店長夫妻、田中哲司、西田尚美、いずれも自然な好演が光る。役者がみんないい。
津奈木自身も、おとなしく見えているが、意に沿わない仕事への不満から、最後にはとうとうキレて感情を爆発させ、会社をクビになってしまうという一面も見せる。
ある意味、寧子も津奈木もそれぞれ、生きる事に不器用な似たもの同士なのかも知れない。
カフェバーの店長・村田は寧子の心の病いを知りながら、我慢して彼女をなんとか立ち直らせようとする優しさを持っている。そのおかげで、失敗しながらも寧子は少しづつ周囲になじんで行く。反発していた津奈木とも、スマホを通して次第に心が繋がって行く。
だが、トイレに篭って津奈木とLINEしている時、ちょっとしたきっかけで暴発し、今度は躁状態となってカフェバーを飛び出し、夜の街を走り抜けて行く。
途中で寧子と遭遇した津奈木が彼女を追いかけるが、寧子は1枚づつ着衣を脱ぎ捨て、やがて全裸となっても走り続ける。
アパートの屋上に辿り着いた寧子は、追って来た津奈木にここで自分の思いのたけをぶち撒ける、このシーンは圧巻である。
オールヌードで、寒い屋上でしゃべり続ける趣里の、文字通り体当たり演技には目を瞠らされる。凄い役者魂である。
全裸になるという事は、これまでの自分の殻をすべて脱ぎ捨て、裸になって一からやり直そうとする寧子の決意のメタファーであるとも言える。
その寧子に、自分の上着をそっと掛け、労わる津奈木の心優しさにもジンとなる。
「生きてるだけで、疲れる」と口ぐせのように呟く寧子がこの後どうなって行くのか、語らないままに映画は終わる。
でも、この津奈木や、店長夫妻のような優しい心を持つ人間がいる限り、寧子は少しづつでも、「生きてるって、悪くはない」と考えるようになるのかも知れない。
この複雑な現代の社会の中で生きるという事は、まさしく生きてるだけで疲れるものなのかも知れない。寧子だけでなく、そんな疲れた人間が今の時代には増えているように思う。
それでも人間は、悩み、逡巡し、迷走しながらも、生きなければならない。そんな人間同士が、心を寄せ合い、前に向かって進む力となり得るのは、題名通り、“愛”なのだろう。
関根監督の演出、演技指導は、これが長編第一作とは思えないくらい見事なもので、格調高ささえ感じさせ、ズッシリと心に響いた。その起用に応えた趣里の渾身の名演技にはただただ感服するばかり。
今年の主演女優賞候補は、安藤サクラ(「万引き家族」)、唐田えりか(「寝ても覚めても」)、石橋静河(「きみの鳥はうたえる」)と候補が目白押しで困ってるのに、本作の趣里も加わってますます困った。今年度は例外として複数受賞も考えてくれないだろうか。
この映画で関根光才の名前を覚えた方は、是非「太陽の塔」も観て欲しい。関根監督の異才ぶりがより際立つだろう。名前通り、キラリ光る才能を持った期待の新人の誕生である。
それにしても今年の日本映画は凄い!まだ年末まで1ヵ月少々あるけれど、傑作揃いで(それもベストワン級が多い)、順位付けて入ったらもう10本を越えてしまった。泣く泣くベストテンから落とした作品も多いのに、またまた傑作の登場である。私が毎年末に選んでいる年間ベスト20は邦洋混成だが、ヘタしたら20本のうち日本映画が15本以上を占めるかも知れない。うーん、悩ましい(笑)。 (採点=★★★★☆)
(付記)
ちなみに本作は、今主流のデジタル撮影でなく、16mmフィルムで撮影されている。生身の人間に寄り添い、凝視する為には、アナログ的フィルムの質感が必要という事なのだろう。そこにも関根監督のこだわりが感じられる。
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