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2018年12月 9日 (日)

「銃」

Gun2018年・日本/KATSU-do=チーム・オクヤマ
配給:KATSU-do、太秦
監督:武 正晴
原作:中村文則
脚本:武 正晴、宍戸英紀
企画・製作:奥山和由
エグゼクティブプロデューサー:片岡秀介

芥川賞作家・中村文則のデビュー作となる同名小説の映画化。監督は「百円の恋」の武正晴。主演は「武曲 MUKOKU」の村上虹郎、共演は「巫女っちゃけん。」の広瀬アリス、「万引き家族」のリリー・フランキーなど。2018年・第31回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門・監督賞を受賞。

雨の夜、大学生の西川トオル(村上虹郎)は、河原に横たわる男の死体の傍に落ちていた拳銃を拾い、自宅アパートに持ち帰る。毎日拳銃を眺め、丁寧に手入れする内、やがてその銃はトオルにとってかけがえのない宝物のな存在になって行く。ある日トオルは、悪友のケイスケ(岡山天音)に誘われた合コンで出逢った女(日南響子)と一夜を過ごす。朝トーストを焼いてくれた彼女をトオルは“トースト女”と呼び、セックスフレンドとして性欲を吐き出すようになった。一方でトオルは同じ大学のヨシカワユウコ(広瀬アリス)とも親しくなるが、それにも増してトオルは日毎に銃に惹かれ、カバンに入れて持ち歩くようになる。そんなある日、トオルのもとに刑事(リリー・フランキー)が突然やって来る…。

最近では珍しい、全編モノクロ映像(但しラストの数分のみカラー)の作品である。

物語は極めてシンプル。一人の若者(トオル)が偶然拳銃を手に入れ、それによって若者の日常が少しづつ狂って行く…というもの。

サスペンス、と言うよりは、ハードボイルド、フィルム・ノワール的である。主人公の過去、家族がほとんど描かれない、彼に関わる人物もこれまた少ない(友人1人、女性2人)。余計な情報をそぎ落としている点でもハードボイルドだ。

そう言えば、半年ほど前シネ・ヌーヴォで開催され、私も通った「フィルム・ノワール特集」で上映されたフィルム・ノワール作品は全部モノクロだった(古い作品だから当たり前だけど)。その中の1本、「拳銃魔」は、拳銃に異様な興味を抱く男が、拳銃を持つ事で身を滅ぼして行く話だった。
フランス・フィルム・ノワールの秀作「サムライ」(アラン・ドロン主演)のように、フィルム・ノワール作品には、一人の孤独な男の心の内面を冷たく描写するという、本作とも共通するタッチの作品が多い。

そういう意味でも、本作は数少ない、日本製フィルム・ノワールの異色作と言えるだろう。モノクロ作品であるのも、そう考えれば当然である(ノワールとは、“”という意味)。

 
(以下ネタバレあり、注意)

本作のポイントだが、誰でも拳銃を所持する事が出来るアメリカと違って、日本では一般の人は拳銃を持てば違法である。従って、拳銃を持つ事自体が、誰にも言えない犯罪行為であり、また一方では、人を殺傷出来る強力な武器を持っている優越感も感じる事となる。
銃を手に入れた後、トオルは少しづつ大胆な振る舞いをするようになり、“トースト女”と呼ぶ女とセックスを重ねて行く。

そして、拳銃を撃ってみたいという欲望に駆られ、深夜、死にかけた猫を撃ってしまう。だがそれを目撃され、刑事(リリー・フランキー)が訪ねて来る。

この刑事もちょっと変わっている。トオルが拳銃を持っていると確信しながら、やんわりと諭す。「拳銃を持てば、やがて人を殺したくなるもんです。どこかに捨てなさい」というような事を言う。
トオルを犯罪者として逮捕するつもりはなく、自分の意思で、普通の人間に戻る事を促しているように思える。

拳銃を持つ自分は、本当に人を殺せるのか。その事を試すように、アパートの隣の部屋に住む、子供を日常的に虐待している母親を殺そうともするが、一歩手前で躊躇してしまう。犯罪者に堕ちて行くか、踏みとどまって普通の生活に戻るべきか、トオルは悩み続ける。

終盤の展開は異色である。トオルはある日、拳銃を川に捨ててしまう。
これで観客がホッとしたのも束の間、電車の中で隣に座った、傍若無人な迷惑男(村上淳)を突発的に射殺してしまう。ここで画面は鮮やかなカラーに変わる。

では、あの川に拳銃を捨てる描写は何だったのかという疑問が湧くだろう。

これが本作のユニークな点である。拳銃を川に捨てるシーンが心の内面での幻想で、実際には拳銃を持ったままだったのか、あるいはラストの電車内の発砲こそ、精神に変調を来たしたトオルの妄想だったのか(あの刑事の姿もある)。どちらを取るかは観客の想像に委ねられているかのようである。
モノクロ・シーンがリアルな現実のように見えているので、カラーのシーンは白日夢のように幻想的でシュールに見えてしまうのも、監督の狙いだろう。

 
原作の出だしの文章、「昨日、私は拳銃を拾った。あるいは盗んだのかもしれないが、私にはよくわからない」は、カミュの「異邦人」の冒頭(今日、ママンが死んだ)と似ているが、原作者自身も「異邦人」の影響を受けていると語っている。そう言えば「異邦人」の主人公も突発的に人を殺しているし、主人公の現実と非現実の境界にいるような内面描写も本作に影響を与えているようだ。

映画もまた、カミュ的不条理感が充満した力作になっている。評価は分かれるだろうが、私には楽しめた。

武 正晴監督と言えば、これまで「モンゴル野球青春記」「イン・ザ・ヒーロー」「百円の恋」など、心がホッコリする人情ドラマが多かったのだが、本作で新たなジャンルにチャレンジし、まず成功したと言える。今後のさらなる活躍を期待したい。     (採点=★★★★

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原作本「銃」

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