「夜明け」
ある地方の小さな町。木工所を経営する哲郎(小林薫)は、釣りに出かけた朝の川べりで水際に倒れている青年(柳楽優弥)を見つける。一人暮らしの哲郎は青年を自宅に連れて帰り介抱する。青年は“ヨシダシンイチ”と名乗る。行く当てのなさそうなシンイチを哲郎は自分の木工所に連れて行き、ここで働くようにと言う。従業員たちも彼の事を受け入れて行く。しかし、シンイチは本名を明かせないある秘密を抱えており、哲郎にもまた、決して忘れられない過去があった…。
テレビマン・ユニオンに所属し、今や日本を代表する監督となった是枝裕和は、有能な人材を育てる方面でも活躍している。2003年に、ここから西川美和を「蛇イチゴ」でデビューさせ、やがて「ゆれる」、「ディア・ドクター」、「長い言い訳」と秀作を連打し、こちらも一流監督に成長した。
その二人の元で助監督修行をしていた広瀬奈々子が、この度一本立ちし、本作で監督デビューする事となった。是枝、西川は企画協力としてもクレジットされている。
これは期待が高まる。是非観ておかねばと、体調はまだ完全回復していないが、無理して上映館まで出かけた。
(以下ネタバレあり)
ある朝、川の水際で倒れていた一人の青年。その近くの水面には花束が浮かんでいた。
哲郎の家で気が付いた青年は、名前を「ヨシダシンイチ」と名乗る。しかし何故あそこで倒れていたのか、何をしにこの町にやって来たのか、シンイチは何も語らない。
ミステリアスで謎だらけである。花束から推測出来るのは、この町の誰かを弔いにやって来たのではないかという点だけである。
数年前に最愛の妻と長男を交通事故で亡くし、今は一人暮らしの哲郎は、シンイチに息子の面影を見る。奇しくも亡くなった息子の名前も“真一”だった。哲郎は息子を愛し、行く行くは木工所を真一に任せるつもりだった。その喪失感は計り知れないだろう。
哲郎はシンイチを木工所で働かせ、何くれとなく世話を焼く。元は息子が住んでいた二階の部屋も、シンイチにあてがう。その部屋で国家試験技能士資格証に書かれた名前を見て、シンイチは哲郎の息子も同じ名前であった事を知る。そして薄々、哲郎は自分を亡き息子の代りにしようとしている事を悟る。
こうして、哲郎とシンイチは、一つ屋根の下で、親子のような暮らしを始めるのである。
なかなかいい出だしである。脚本は広瀬奈々子監督のオリジナル。木工所の男性作業員や、事務員で6歳の娘と母親と暮らしている宏美(堀内敬子)らとの交流も丁寧に描かれ、やがて哲郎と宏美が、再婚するであろう事も分かって来る。
シンイチは心苦しい。自身を偽っているのに、みんなが親切で心から労わり、見守ってくれている事に、良心が疼く。決して人に言えない、重い過去をシンイチは背負っている。
…この難しい役を、柳楽優弥が寡黙ながらも全身で表現している。好演である。
(以下重要ネタバレあり、注意)
隠し続ける事に堪えられなくなったのか、シンイチは自分の過去とこの町にやって来た理由を洗いざらい哲郎に告白する。
シンイチは、本名芦沢光であり、以前この町のコンビニでバイトしていた事があり、ある日店内でガスの臭いがする事に気付いたが、何故か店長に言わなかった。閉店時、いつも店長がタバコを吸う事も知っていた。そして火災が発生し、店長はそれが元で亡くなった。
シンイチこと光は、自分が店長を殺したようなものだと後悔している。最初の花束は店長の墓に供えるつもりだったのだろう。
だが哲郎は、「お前がガスをつけたわけじゃないだろう」と言い、取り合おうとしない。
どんな過去があろうと、光を今まで通り、シンイチとして家族のように迎え入れようとする。
プロダクションノートによると、最初は光は父親を殺して逃げて来たという案もあったという。
最終的に上のような設定になったわけだが、これは正解である、何故なら、人を殺せばその罪は法律で裁かれ、刑に服する事で罪を償う事が出来る。
だが、ガスの臭いを見過ごしただけでは、本人が懺悔したとしても、証拠もないし罪には問えないだろう。
つまりは、本人に罪を償いたい言う意思があったとしても、道義的責任はあるかもしれないが罰を受ける事は出来ないし、罪を償う事は出来ないのである。
それだけに、光の苦悩はより深い。やがては、哲郎や木工所の人たちの優しさ、思いやりが却って重荷となり、光の心に重くのしかかって来る。
光は何度かこの町を出ようとするが、哲郎が追いかけて来て連れ戻されたり、自分を優しく迎え入れてくれた人たちを裏切れないという思いも心の隅にあるのだろう、なかなか町を出る事が出来ない。光の心は揺れ動き続ける。
そして終盤、哲郎と宏美の結婚式が執り行われ、その席で哲郎は光に挨拶を強要するが、ここで遂に彼は皆の前で、自分はシンイチでなく本名芦沢光であり、みんなを騙して来たと謝罪し、式場を飛び出してしまう。今度こそ、もう戻らないと心に決めて。
光がここで告白する気になったのは、おそらくは哲郎の気持ちが、一度失った“家族”を取り戻したいという、自分本位のエゴによるものだと薄々感じ取ったからだろう。
宏美を妻として迎え入れ、次に光を息子シンイチとして無理やり家族の一員に加えようとする。それによって、家族を失った喪失感を取り戻そうとしている。そんな勝手な哲郎の思惑に、やはり反感を抱いていた、自分の父と同じ空気を感じ取ってしまったのだろう。
これは実にシニカルで苦い結末である。最初は親切で善意の塊りのように思われていた哲郎を、ラストでは意地悪く突き放してしまうのだから。
広瀬監督自身、公式ページで次のようにコメントしている。
「他人に救いの手を差し伸べるというのは美談ではありますが、反面、優位な人間のエゴもどこかにあるのではないかと思います。また、その救いに依存する側にも、権力に媚びる卑しさや、自分を見失う危険をはらんでいます。そんなふうに敢えて残酷で皮肉な目線を加え、家族と師弟の美しい部分と、闇の部分の両面を見つめていきました」
これがこの映画のポイントである。人間の善意とは、本当に正しいものだろうか。善意の押し付けは、どこかに自己満足意識を孕んではいないだろうか、一方で善意を受ける側も、それに甘える弱さを抱えてはいないだろうか。
血の繋がっていない人間同士が一緒に住んで、擬似的な家族関係を構築する、という展開は、奇しくも師匠の是枝裕和監督「万引き家族」のテーマとも共通する。
描き方によってはハートウォーミングな感動作にもなるはずの話であるのに、広瀬監督はあえて人間の潜在的なエゴを残酷に炙り出し、冷たく見据えるのである。新人でありながら、なんと大胆な事をやってのけるのか。
ラストシーン、光は夜明けの列車が通過しようとしている踏切の前で立ち止まり、そして遮断機が上がっても、光は立ち止まったまま動かない。遠く、木工所だろうか、何かを叩く音が微かに聞こえている。
光は、このまま町を去って行くのか、それとも木工所に戻り、もう一度やり直そうとするのか…映画はその先を描かないままに終わる。
だが、光の顔には、夜明けのまばゆい光が差している。冒頭の薄暗い夜明けとは違って…。そこに、わずかな希望を見出す事も可能である。どう考えるかは、観客次第である。
重い作品である。山田洋次監督作のように、人間の善意を肯定的、感動的に描いた作品が好きな方にはあまりお奨めは出来ないだろうし、ついて行けない観客もいるだろう。
だが、人間とは本来、やっかいな動物である。わがままで、自分勝手で、欠点を抱えて、それでも自分は正しいと信じて生きている。
そんな人間を、さまざまな角度から厳しく凝視しながらも、でも、そんな人間だからこそ、どこかに愛おしさも感じさせたりもする、何とも不思議な、しかし恐らくは見直す度に愛着が増すであろう、これはそんな作品なのである。
もう一つ特徴的なのは、本作には回想シーンが一切登場しない。光や哲郎の過去や家族同士の確執もセリフでごく短く語られるだけである。
その為、哲郎の息子真一の人物像や、光が家族とどのような葛藤を抱えていたかも、いま一つ伝わり難い。広瀬監督の、あえてのこだわりなのだろうが、それならそれで、もう一工夫欲しかった。この点が難点と言えば言えるかも知れない。
それでも、監督デビュー作にしてここまで人間の内面を掘り下げ、追及した作品を完成させた広瀬監督の頑張りには敬意を表したい。さすがは是枝、西川監督の直弟子である。食い足りない所もあるけれど、将来への期待も込めて、採点はやや甘めに。 (採点=★★★★☆)
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