「家(うち)へ帰ろう」
アルゼンチン・ブエノスアイレス。88歳のユダヤ人の仕立屋アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)は、自分を老人施設に入れようとする子供たちに反発し、ある夜、家族の誰にも告げずに家を出た。向かう先は、ホロコーストの忌まわしい記憶が残る母国ポーランド。アブラハムは第二次大戦中、ユダヤ人である彼を匿ってくれた命の恩人である親友ピオトレックに、自分が仕立てた最後のスーツを渡したいという目的があった。しかしマドリッドを経由し、パリに着いた彼は、そこから列車でポーランドに行くためには、あのドイツを通らなければならないと知る。ホロコーストを生き延びたアブラハムは、例え一瞬でもドイツの地を踏みたくはなかった。駅ですっかり途方に暮れるアブラハムだったが…。
入院していた為、映画を観るのは3週間ぶり。観たい映画は一杯あったが、昨年末に観ようと思いながら果たせなかったこの作品を本年第一弾に。
ナチス・ホロコーストものである。ホロコーストものはヨーロッパを中心に今でもコンスタントに作られているが、アルゼンチン産の映画に登場するのは珍しい。まあホロコーストを逃れたユダヤ人は世界中いたる所に移り住んだではあろうが、遠く南米にも住んでいたとは初めて聞いた。これはユダヤ系アルゼンチン人であるソラルス監督が、自分の祖父から聞いたり、偶然カフェで耳にした話を元に、10年がかりで史実を調べ上げシナリオ化したとの事である。それだけに、実に丁寧にきめ細かく作られており、最後は感動で泣けた。
(以下ネタバレあり)
観る前は、暗い話だろうなと思っていた。が、冒頭から南米らしい陽気なダンスの群舞があったり、またアブラハムの孫の一人が家族一緒の記念写真の事でゴね、スマホを買うお金を出してくれたら参加するといった事で金額の駆け引きをするくだりがあって、ここは笑える。以降も、随所にこの頑固じいさんが巻き起こすトボけたユーモラスなシーンが登場するのが面白い。
アルゼンチンで仕立て屋を営んでいた老人アブラハムはもう88歳で、足も悪く、この先一人で自活は難しい。それを見かねた家族が彼の自宅を売って老人介護施設に入れようとする。
だがアブラハムには、死ぬまでにどうしてもやっておかねばならないある目的があった。それは第二次大戦中、彼の故郷ポーランドで、かろうじてユダヤ人狩りから逃れ、親友ピオトレックの家にたどり着いた時、ピオトレックが父の反対を押し切って助け匿ってくれた、その恩に報いる為、自分が仕立てた最後のスーツ(これが原題)を届け礼を言う事…。その為、これを機会にアルゼンチンからはるばるポーランドまでの旅を決意するのである。
アブラハムは頑固一徹、融通の利かない偏屈な爺さんである。スペイン在住の娘クラウディア(ナタリア・ベルベケ)とは確執があって長年会ってもいないし、“ポーランド”、“ドイツ”は口にしたくもない。特にドイツには絶対に足を踏み入れたくない。
最初に空路でスペインに到着し、宿の女主人マリア(アンヘラ・モリーナ)と意気投合したりもする。そこまでは良かったが、宿に置いた金を盗まれてしまい途方にくれる。マドリッドにいるクラウディアに金を借りるしかなくなるが、どうしても抵抗がある。
だが、マリアに後押しされ、渋々クラウディアに会う。アブラハムは過去を謝罪し、クラウディアは一瞬嫌な顔をするも金を貸してくれる。
疎遠だった二人の距離が、少しだけ近づいたようである。この辺りから、偏屈なアブラハムの心に微妙な変化の兆しが見え始める。脚本がうまい。
そして列車でパリに到着すると、また難題が起きる。そこからポーランドに向かうには、ドイツを経由しなければならない。ドイツを通過せずにポーランドに行く方法はないかと係員に無理を言う。だが言葉も通じず、埒が明かない。
そこに居合わせたドイツ人の文化人類学者イングリッド(ユリア・ベアホルト)が見かねていろいろと親切にするが、ドイツ人と聞いただけでアブラハムは心を閉ざす。
アブラハムは仕方なく列車に乗るが、付き添ってくれたイングリッドにほだされ、彼女に「ドイツの土地を踏まない方法はないか」と相談する。そこでイングリッドが示した機転が面白い。ここもユーモラスである。
そして、イングリッドとも心が打ち解け、ドイツを憎む心も薄れたのか、アブラハムは自分の足で駅のホームを踏む。ここは感動した。
イングリッドとも別れたアブラハムだが、ポーランドに近づくにつれ、忌まわしい過去を思い出し、ナチスの幻影まで見てしまい列車内で倒れてしまう。
そして手当てをしてくれた病院の看護師ゴーシャ(オルガ・ポラズ)がまた親切で、目的地ウッチまで自分の車で送ってくれ、彼を車椅子に乗せて押してくれる。
だがもうすぐ目的地という所で、アブラハムは躊躇する。恩人ピオトレックはもうそこにはいないのではないか、あるいはもう死んでいるのでは。その事実を知る事を恐れ、行きたくないとまで言い出す。
その彼を励まし、勇気付け、後押しするゴーシャの優しさにこちらも涙腺が刺激される。
目的地に着いても、なかなか見つからない事もあり、まさに観客もハラハラ、サスペンス感が高まる。
そしてラスト、ここでは詳しくは書かないが、まさに涙腺決壊、号泣してしまった。見事な脚本、演出である。
ここらは、あの山田洋次監督の秀作ロードムービー「幸福の黄色いハンカチ」のラストの感動シーンを思い出した。それでまた泣ける。多少はヒントにしているのかも知れない。
ここで、再会したピオトレックがアブラハムにそっとつぶやく、「家へ帰ろう」の一言にも号泣である。邦題はここから来ているのだが、まさにピッタリの秀逸な邦題である。
彼が旅で出会う、マリア、イングリッド、ゴーシャ、3人の女性がいずれも親切で、その親切心がアブラハムの頑なな心を少しづつ解きほぐして行く。そのプロセスが実にきめ細やかで心を打つ。少し親切過ぎる気がしないでもないが、もしかしたら彼女たちは、天が使わした女神なのかも知れないとさえ思えてくる。
なおアブラハムを演じたミゲル・アンヘル・ソラは撮影当時67歳!。特殊メイクで20歳以上年上の老人を演じているのだが、違和感はまったくない。見事な名演技である。
年末から正月にかけての公開で、正月映画にはやや重苦しい題材かも知れないが、巧みなユーモアと、素晴らしい感動のラストで、爽やかな気持ちで映画館を後にした。正月早々いい気分である。昨年中に観る事が出来たら、マイ・ベスト20に入れたかった秀作である。是非多くの人に観て欲しい。 (採点=★★★★☆)
(付記)
観終わって、どうもこの話、以前にも観たような気がして仕方がなかった。奥歯にものが挟まった感じでどうにも気になる。
で、いろいろレビューを覗いていたら、本作はシェークスピアの「リア王」にインスパイアされており、エンドロールにもその旨の記載があるとの記事を見た。
「リア王」は、主人公の老リア王が、巧みに甘言を弄する長女と次女に国を譲るが、その後二人に裏切られて荒野を彷徨う事となる。末娘コーディリアは父に実直な意見を言って勘当されるが、一番父を心配していたのはコーディリアだった、というお話。
確かにリア王は偏屈な老人だし、娘たちに家から追い出されるハメになったり、末娘とは確執があって疎遠になったりと、本作と似た要素が多い。
しかし私が「リア王」と聞いて思い出したのは、2017年公開の日本映画、小林政広監督「海辺のリア」である。
題名通り、「リア王」にインスパイアされた作品だが、驚くのが本作とストーリーがよく似ている点である。
主人公の老人(仲代達矢)は頑固で偏屈で、しかも長女たちによって老人施設に入れられてしまう。老人はある日施設を無断で抜け出して海辺を彷徨うが、老人の末娘が付いて来て、老人を何かと世話する。
こちらも偏屈な老人が延々と海辺を歩く点はロードムービー的だし、長女たちに老人施設に入れられるし、どこかつっけんどんだけど内心は父を心配している娘との出会いもある。
そう言えば小林監督が最初に仲代と組んだ「春との旅」(2010)は、老人が北海道を出て列車に乗って旅をし、いろんな人に出会う、まさしくロードムービーだった。こちらの老人も頑固で偏屈である。
小林政広監督の作品は海外の映画祭でいくつも受賞しており、監督の人気も高い。「春との旅」も世界の映画祭に出品され、スペインではこれで最優秀監督賞を受賞している。
本作の製作国、スペインで受賞しているのが興味深い。
思えば本作冒頭に、アブラハムを中心に家族で記念写真を撮るシーンがあるが、小津安二郎監督の秀作「麦秋」にも、孫も入った家族の記念写真を撮るシーンがあった。
「幸福の黄色いハンカチ」もあったし、ソラルス監督、もしかしたら意外と日本映画ファンなのかも知れない。
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