「岬の兄妹」
ある港町で暮らす、足に障碍のある良夫(松浦祐也)と自閉症の妹・真理子(和田光沙)。良夫はリストラで仕事を失い生活が困窮。そんな中、真理子が町の男と寝て金銭を受け取っていることを知る。最初は激しく詰る良夫だったが、生活の為仕方なく、良夫が客引きとなり、真理子への売春の斡旋を開始する。そのおかげでなんとか食べて行けるようになるが、良夫はそれまで理解していなかった妹の心の内面を意識し、複雑な気持ちになる。やがて真理子の心と体に少しずつ変化が起き始め…。
チラシに掲載された著名人のコメントが凄い。山下敦弘、瀬々敬久、白石和彌、呉美保、深田晃司といった錚々たる映画監督たち、寺脇研、森直人等の映画評論家から、作家、プロデューサー、俳優等々、総勢25人もの人たちの作品に対する熱烈な賛辞が載せられている。ポン・ジュノ監督に至っては、「慎三、君はなんてイカれた監督だ!」に始まる長文の賛辞を寄せている。今までまったく知らなかった監督だが、これまでポン・ジュノ監督「TOKYO!」(08)、「母なる証明」(09)、山下敦弘監督「マイ・バック・ページ」(11)、「苦役列車」(12)などに助監督として携わり、これらの監督から多くのことを学んだそうだ。これは観たくなるではないか。早速観に行った。
(以下ネタバレあり)
作品全体に、非常に“昭和の匂い”がする。メインタイトルからして、真っ赤な太字の毛筆書体でバーンと登場する。'70年代の東映や日活映画のタイトルとそっくりである。お話も、社会の最底辺で貧乏(この言葉からして今や死語)にあえぎ、生きる為になりふり構わず、妹の体を売ってまで生活費を稼ごうとする。こういう貧乏話も昭和の映画にはよくあった。
セックスシーンも大胆で、真理子を演じる和田光沙はヘアー丸出しの体当たり演技で、これも日活ロマンポルノを思わせたりもする。そう言えばロマンポルノの傑作、田中登監督の「㊙色情めす市場」(1974)も社会の底辺でふてぶてしく生きる姉弟の物語で、芹名香扮する姉は売春婦、弟は知的障害者と、本作の二人の性別を逆転させたようなお話だった(片山監督によると、この作品は観ていないそうだ)。
その貧困生活の描写も凄まじい。食べるものもなくて街のゴミ箱の生ゴミをあさったり、香料入りのティッシュをうまいと言って食べたり、なんだかチャップリンの「黄金狂時代」で空腹のあまりドタ靴を食べてしまうシーンを思い出した。チャップリンも極貧生活を経験しているが、片山監督もそんな体験をしているのだろうか(笑)。
妹に売春をさせた金で、少しは食べられるようになるが、その金を狙って襲って来た高校生たちを、良夫が自分の糞を投げつけ撃退するシーンには笑った。またヤクザに見咎められ、袋叩きに会ったりもする。
兄妹のセックスシーンこそないが、性行為のやり過ぎで爛れた真理子の膣を良夫が覗き込むシーンがあり、ほとんど近親相姦スレスレである。心の中では良夫は妹を深く愛している事は想像がつく。これもロマンポルノ、美保純主演の「ピンクのカーテン」の兄妹の関係を思い出す。
だがやがて、真理子が妊娠している事が発覚する。産婦人科で診てもらう(このシーンで女医を演じていたのが日活ロマンポルノで多くの作品に出演した風祭ゆき)が、堕胎するのに7~8万円かかると言われ良夫は困惑する。そんな金はない。思い余って友人に金の無心をしたりもする。貧すれば鈍する、人間の悲しい性がこれでもかと描かれる。
こんなシーンもある。ある夜、寝静まっている真理子の頭上に、良夫がコンクリートブロックを振り上げる。自閉症の妹を不憫に思っての衝動的行為だろうが、すんでの所で良夫は思い留まる。
それ程までに、良夫の心も折れそうになっていたのだろう。
しかし悪い事ばかりでもない。解雇した造船所から、復職の誘いの手が差し伸べられる。これは一定規模以上の会社は障碍者雇用が義務付けられている法律のおかげだろう。それでもクビにした会社への恨みからか、良夫は素直に受け入れられない。
ラストは冒頭と同じ、姿が見えなくなった真理子を良夫が必死で探すシーンが再登場する。冒頭と同じ造船所の作業服を着ているので復職したのだろう。もう真理子に売春をさせなくても済むだろう。
そしてやっと良夫は岬の先端に立つ真理子を見つけ、二人が見つめ合う所で映画は終わる。この後二人はどうなるのか、それは観客の判断に委ねられている。
観終わって、ズシンと心に響いた。凄い映画である。
貧困、障碍、知的障害、売春、堕胎、犯罪、心理的近親相姦、糞の投げ付けと、下品で粗暴、あらゆるタブーをぶち破る破天荒な作品である。
社会の底辺に生きる、庶民のバイタリティをねちっこく描いている点では、「にっぽん昆虫記」や「『エロ事師たち』より 人類学入門」等の庶民の逞しい生きざまを活写した今村昌平監督作品を思い出した。また日活ロマンポルノでやはり庶民の猥雑な生活ぶりを描いた神代辰巳監督の秀作群も想起させる。
この映画は、昭和の時代に作られ、時代と共に消えて行った、そうした庶民エネルギー映画の、現代的な復活であるとも言える。
これを、ほとんど自主映画のような形で、自ら資金調達、プロデュース、脚本、監督、それに編集まで一人でやってのけ、完成・公開にこぎ着けた片山慎三監督の熱意、エネルギーには、素直に敬意を表したい。
前記のように、試写を見た多くのクリエイターたちから絶賛を浴び、当初は6館程度で公開される予定だったが、評判を呼んで20館まで拡大し、今後は50館程度の拡大公開も検討されていると聞く。素敵な事である。
作品そのものは、まだ粗削りで描き足りない面もあるが、それら難点も吹っ飛ばすほどの強烈な熱気が画面から迸り、圧倒される事は間違いない。
将来が大いに期待される、パワフルな新人監督の誕生である。次回作を楽しみに待ちたい。 (採点=★★★★☆)
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