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2019年4月22日 (月)

「多十郎殉愛記」

Tajuuroujunnaiki 2019年・日本/よしもとクリエイティブ・エージェンシー
配給:東映、よしもとクリエイティブ・エージェンシー 
監督:中島貞夫
脚本:中島貞夫、谷慶子
監督補佐:熊切和嘉、谷慶子
製作:藤原寛
エグゼクティブプロデューサー:片岡秀介

幕末の京都を舞台に、脱藩した浪人が斬りまくるチャンバラ活劇。監督は「極道の妻たち 決着」以来、20年ぶりの監督作となる東映の重鎮中島貞夫。主演は「横道世之介」の高良健吾、共演に「日日是好日」の多部未華子、「帝一の國」の木村了、「アンフェア」シリーズの寺島進など。

幕末の京都。そこでは日夜、尊皇攘夷を叫ぶ長州藩や薩摩藩の脱藩志士たちと、取り締まる新撰組や見廻組との攻防が繰り広げられていた。一方、親の残した借金から逃げるように長州を脱藩し京にやって来た清川多十郎(高良健吾)は、今では酒浸り、かろうじて居酒屋・満つやの用心棒をしながらなんとか糊口をしのいでいた。そんな多十郎に満つやの若女将・おとよ(多部未華子)は好意を寄せていたが、多十郎がそれを知ってか知らずか相手にしなかった。ある日、多十郎の腹違いの弟・数馬(木村了)が兄を頼って上洛して来るが、折しも町方からの注進で多十郎の存在を知った見廻組が手勢を集め、多十郎の住む長屋を取り囲み…。

冒頭に「伊藤大輔監督の霊に捧ぐ」と字幕が出る。

伊藤大輔監督は戦前から時代劇映画の監督として活躍し、特に時代劇スター大河内傳次郎とのコンビでいくつもの傑作を生みだし、1926年の「長恨」で注目され、翌年の傳次郎が国定忠次を演じた「忠次旅日記」三部作は絶賛され、第二部「信州血笑篇」がキネ旬1位、第三部「御用篇」が同4位と高く評価された。

これら初期の作品はいずれもサイレント(無声)だったが、スピーディなカット割り、斬りまくる主人公を追っての横移動撮影(名前をもじって“イドウダイスキ”と仇名された)など斬新で迫力ある殺陣が見せ場で、中でもおびただしい数の御用提灯が夜の闇の中でうごめく映像は、伊藤監督のトレードマークと言われるほど監督作の中に何度も登場した。

私が個人的に好きな伊藤監督作品は、昭和30年代の市川雷蔵主演の「切られ与三郎」「弁天小僧」の2本だが、中でも1958年の「弁天小僧」では、ラスト約20分が、雷蔵扮する弁天小僧と奉行所の捕り方衆との攻防戦で、無数の御用提灯に囲まれる中での延々移動する乱闘シーンはまさに伊藤時代劇の真骨頂、惚れ惚れするほど好きなシーンである。

そういうわけだから、この冒頭の字幕で、アレが出て来るだろうなと予想はしていたが、やっぱり出て来た。終盤のクライマックス、捕り方の御用提灯が多十郎を取り囲み、一人の多十郎対数十人の見廻組との壮絶なチャンバラもあるし、竹林の中を逃げるシーンではカメラが横移動で多十郎と追っ手を捕える。

まさに伊藤大輔オマージュ・シーン満載。中島監督、これをやりたかったんだろう、その思いが伝わって来て感動してしまった。

そして特にいいと思ったのが、多十郎の住む長屋や、街並み等の見事なセットである。中でも長屋のリアルなセットや美術は、京都製作の時代劇の伝統が息づいていて、このセットを見てるだけでもため息が出そう。御用提灯を持った大勢の捕り方なども見もので、川本三郎さんではないが、まさに“時代劇ここにあり”と言いたくなる。

 
なお本作のストーリーは、実は前述の伊藤監督+大河内傳次郎の「長恨」(1926)が元ネタである。

「長恨」の物語は、こちらのサイトによると、
幕末の京洛において勤皇の志士壱岐一馬(大河内傳次郎)とその弟次男は共に娘雪絵を愛していた。新選組の襲撃により、次男は両眼を切られ失明する。雪絵は次男を看護し、二人の間に愛が芽生えてゆく。一馬は雪絵と次男が愛し合っていることを知って、二人を守り、自身は新選組の隊士達に囲まれ、壮絶な殺陣を繰り広げた末に斬られる」

というもので、主人公の弟も女を愛し、女も失明した弟を愛するようになる、という箇所以外は、ほとんど同じようなストーリーである。

Choukon 本作は、これをベースに、伊藤監督作のお得意パターンを随所に配置して脚本を書き上げたものと思われる。本作の、多十郎の弟・数馬という名前も、「長恨」の主人公・一馬から取ったのだろう。

ただ、「長恨」の物語であれば、愛する者たちを守る為に、主人公が一人斬りまくる理由も納得出来るが、本作では最初はおとよを無視していた多十郎がいつの間におとよに心を寄せたのか、いま一つはっきりしない。また、倒幕の意思も捨て、怠惰な生活を送っている多十郎一人に対し、繰り出す手勢が多過ぎる気がする点も弱い。
無理やり伊藤作品パターンを継ぎはぎした弱点が出てしまったようだ。

これならむしろ、「長恨」をまるまるリメイクした方が良かったのではないか。「殉愛記」というタイトルも、こちらの物語にこそふさわしい気がする。
この作品は現在、終盤のクライマックス13分しかフィルムが残っていないそうで、私は観ていないが、映画研究家の岩本憲児氏によると、「戸板・縄・刺又・槍、さまざまな武器・捕り物道具が使われて、捕り方が寄せては返し、ヒーローと集団が繰り広げる運動のうねりとリズム」「『時代映画』の誕生」吉川弘文館・刊)があるそうで、ますますリメイクして欲しい思いがつのる。

 
とまあ、文句も言ったけれど、前述の通り、見事なセットと、網羅された伊藤大輔オマージュに見惚れてしまったので、個人的には満足出来る作品であった。こうした、時代劇の伝統を受け継ぐチャンバラ映画を、今後も作り続けて欲しいと切に願う。    (採点=★★★★

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