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2019年6月 4日 (火)

「空母いぶき」

Kuuboibuki 2019年・日本/デスティニー、他
配給:キノフィルムズ
監督:若松節朗 
脚本:伊藤和典、長谷川康夫 
原作:かわぐちかいじ 
監修:かわぐちかいじ 
企画:福井晴敏
プロデューサー: 小滝祥平

かわぐちかいじ原作の同名軍事サスペンス・コミックの実写映画化。監督は「沈まぬ太陽」の若松節朗。脚本は「機動警察パトレイバー」シリーズの伊藤和典と「亡国のイージス」他の長谷川康夫。また「亡国のイージス」の原作者福井晴敏が企画として参加。出演は「散り椿」の西島秀俊、「嘘八百」の佐々木蔵之介。

20XX年12月の未明。沖ノ鳥島の西方、波留間群島の一部が国籍不明の武装集団に占領された。海上自衛隊は直ちに自衛隊初の航空機搭載型護衛艦《いぶき》を出動させた。艦長は、航空自衛隊出身の秋津竜太一佐(西島秀俊)、そしてそれを補佐する副長は、海上自衛隊生え抜きの新波歳也二佐(佐々木蔵之介)。そんな彼らを待ち受けていたのは、敵潜水艦からの突然のミサイル攻撃だった。さらに針路上には敵の空母艦隊が出現。想定を越えた戦闘状態に突入していく中、政府は戦後初めての「防衛出動」を発令する。果たして日本はこの危機を乗り越えられるのか…。

脚本クレジットに伊藤和典の名前を見て、おおっと思った。伊藤和典と言えば、OVA「機動警察パトレイバー・二課の一番長い日」、及び劇場版「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」(いずれも監督:押井守)それぞれの脚本で、自衛隊のクーデターを描いた方である。また平成ガメラ・シリーズの2作目「ガメラ2 レギオン襲来」(1996)でもレギオンと自衛隊との本格的攻防戦が物語のメインとなっていた。その他にも傑作「攻殻機動隊 Ghost in the Shell」(監督・押井守)もあるし、ポリティカル・サスペンス・アクションを書かせては他の追随を許さない名脚本家として私は高く評価している。

その伊藤和典が全く久しぶりに、自衛隊が謎の敵と戦う本作に脚本家として参加している。それだけでもファンとしては期待が高まる。

ただ、監督が若松節朗、共同脚本が長谷川康夫という名前にちょっと不安があったのだが。理由は後述。

(以下ネタバレあり)

うーん、はっきり言ってこれは残念な出来、期待外れであった。せっかくの日本映画には珍しい本格的軍事サスペンス・アクション大作であるのに、もったいない。

難点はいくつもあるが、一番の問題は、原作では相手国が中国で、尖閣諸島が占領されるというタイムリーかつリアルな設定であったのに、映画ではこれを太平洋の島々が集まり、たった3年前に建国された新興国家である“東亜連邦”という架空の国に、占領した島も尖閣諸島でなく架空の初島に変えられている。

製作委員会方式の弊害である。おそらくは資本参加のどこかの会社が「中国を出すのはまずい」とか言い出したのだろうが、これでは原作の面白さが台無しである。そもそも敵の戦闘能力はミグ戦闘機何十機、ミサイルに空母、潜水艦と、これだけの軍事力を持つ事が可能な国はアジア地域では中国しかない。中小新興国家にそんな軍事予算(おそらく数兆円規模)を捻出できるはずがない。財政破綻する。あの北朝鮮でも絶対無理である。

また、そんな新興国がなんで日本の小さな島を占領するのか、なんで日本に戦争を仕掛けて来るのか、その理由もまったく語られていない。中国なら尖閣近辺の海洋資源を狙ってるし、また南沙諸島で大規模な埋め立てを行っているように、将来的に太平洋のさらなる海域へ展開しようという中長期的な軍事戦略が背景にあるので十分理解出来る

つまりはこの物語は、相手国が中国(もしくはそれに匹敵する軍事超大国)でないと成り立たないのである。どうしても「中国」名を使いたくないのなら、架空の軍事超大国「東亜人民共和国」にでもしとけばまだしもである。それでも「中国をあからさまに連想させる」と難色を示すかも知れないが。
フィクションなのだから別に「中国」の実名出してもいいじゃないか。ベストセラーの原作で堂々実名出してるのだし。それで中国が難癖つけたとも聞かない。逆に中国や韓国内で上映される反日映画では日本が悪辣な敵になっている。抗議出来る筋合いではない。そのくらいの度胸がなくて映画作りが務まるか。

こんな事だったら、例えば「インデペンデンス・デイ」のように敵を宇宙から来たエイリアンにするとか、「パシフィック・リム」のように謎の怪獣が攻めて来た、とかに設定を大幅に変えた方がまだマシだったと思う(原作者の了解を得るのは難しいだろうが)。実際、本作の敵は指揮する人間の姿がまったく見えない、エイリアンみたいな存在だったし(原作では中国軍の軍人も多く登場しているらしい)。

もう一つ、この事態を政府はなんで国民に秘密にするのだろうか。これまでも尖閣諸島近くに中国の漁船や軍艦が近づいたら逐一映像も含めたニュースを国民に伝えているのに。領土が不法に占有されたら堂々国際機関に訴えるなり、世界に幅広く現状を訴える方が絶対得策である。それが外交である。さらに日米同盟と集団的自衛権によって当然米軍も応援部隊を寄越すはずである。この物語の中では、日米安保条約は存在しない事になっているのだろうか。
一応首相が米政府に電話するシーンを申し訳程度に入れてるが、会議中だろうと緊急事態に対応出来ないはずがない。

その他にもいろんな方が指摘しているから簡単に済ませるが、いぶきに同乗しているマスコミだとか、呑気な様子のコンビニだとか、緊迫した作品のムードを停滞させる余計なシーンは不要。ニュースが流れたから買い溜めにコンビニに殺到するなんて、いつの時代の話だ。政府が正しい情報を流せばいいだけの話。国民をバカにしてないか。

 
空しくなるからこれ以上は指摘しないが、伊藤和典が参加して、なんでこんな酷い出来になったのか。脚本を無理矢理改変させられたのだろうか。原作者のかわぐち氏は監修にも名を連ねているが、何を監修したのだろうか。お二人とも、試写を見て、こんな内容であればクレジットから名前を外せと抗議すべきであった。

若松節朗監督の演出にも問題あり。全体に緊迫感に乏しいし、演出テンポも鈍くて一本調子。そもそもこの人が監督した「ホワイトアウト」も、原作はすごく面白いのに、その良さがまるで伝わらない凡作だった。テレビ局出身だからか、映画的なアクション演出センスに欠けている気がする。「シン・ゴジラ」のスピーディかつテンポいい演出をなぜ見習わないのだろう。せめて同作の庵野秀明か、「平成ガメラ」シリーズの金子修介あたりに監督させるべきだった。

良かったのは、「この国は二度と戦争をしないと国民に約束したのです」と言いながらも武力行使の決断を迫られ、苦悩しながらも事態に立ち向かう総理大臣の姿くらいか。演じた佐藤浩市、好演だった。現首相を揶揄するシーンなどどこにもなかったよ(笑)。

 
で、面白くない原因がエンドロール見てやっと判った。プロデューサーとして小滝祥平氏の名前があり、制作プロダクションとして小滝氏率いる“デスティニー”の名前があった。

デスティニーと言えばこれまで、「ホワイトアウト」(2000)、「亡国のイージス」(2005)、「ミッドナイト イーグル」(2007)、「真夏のオリオン」(2009)、そして「聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実」(2011)と、スケール感あるアクション、ポリティカル・サスペンス、戦争ものを多く作って来た会社である。このうち、「亡国のイージス」がまあまあ、「山本五十六」が可もなし不可もなしだったのを除けば、どれもトホホな出来だった。抜きん出た秀作と呼べるものは一つもない。それでもしぶとく同タイプの本作を作り、またもやズッこけてしまった。小滝氏、よっぽど軍事サスペンス・アクションが好きなのだろうが、それが成果に結びついていないのが現状である。

そして、本作も含めこれらの作品全てで脚本を書いているのが長谷川康夫。その他でもデスティニー制作作品のほとんどの脚本を書いている。デスティニーお抱え脚本家と言えるだろう。中にはデスティニー作品「深呼吸の必要(2004)、「山桜」 (2008) 、「青い鳥」(2008)、「小川の辺」 (2011)と、そこそこいい脚本を書いているので決して力がない訳ではないのだが、骨太アクションものはどうも得意ではない気がする。この方の脚本起用も問題だったと思う。むしろ伊藤和典単独で書いた方がまだ良かったかも知れない。

というわけで、いろいろ書いたけれど、こうした軍事サスペンスものは今後も作って欲しいと願う。ただし過度に他国に気兼ねしたりせず、原作を尊重する、緊迫感に満ちた秀作を望みたい。   (採点=★★☆

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(付記)
それにしても不思議なのは、どの映画情報サイト、データベース(映画.COM、KINENOTE、allcinema等々)を参照しても、プロデューサー、及び制作プロダクション(つまりデスティニー)の名前がないのである。公式HPですらプロデューサーの名前はない。これは異例である。
プロデューサーの名前も映画を観る判断材料にしている私としては、これは困る。ひょっとして過去のデスティニー制作軍事サスペンス作品の評判の悪さから、小滝氏とデスティニーの名前を隠したかったのか、とつい邪推してしまった(笑)。

 

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