フィルム・ノワールの世界 Vol.4

大阪・九条のシネ・ヌーヴォの特集上映「フィルム・ノワールの世界」も今回でVol.4を数えた(5月26日~7月5日)。すっかり恒例になった感がある。
このブログでは昨年5月、Vol.2について詳しく書いた(記事はコチラ)。昨年末から今年正月にかけてVol.3が開催されたが、あいにく私が病気入院していた時期と重なって、わずか3本しか観られなかった。
今回は万全の体調で、全21本中8本を観る事が出来たので、簡単ではあるがレビューしてみたい。
1936年・アメリカ/M・G・M映画
原題:Fury
監督:フリッツ・ラング
原作:ノーマン・クラスナ
脚色:バートレット・コーマック、フリッツ・ラング
製作:ジョセフ・L・マンキーウィッツ
「フィルム・ノワールの世界」特集ではお馴染みになった、フリッツ・ラング監督作である。ドイツ映画界で活躍していたが、ナチス台頭を嫌ってパリへ亡命、1934年にフランスで1本撮った後ハリウッドに招かれる。本作は渡米第一回作品である。後に「イブの総て」などの秀作を発表するジョセフ・L・マンキーウィッツが製作を担当しているのも興味深い。
(以下ネタバレあり)
主人公は真面目な勤め人、ジョー・ウィルソン(スペンサー・トレイシー)。許嫁のキャサリン(シルヴィア・シドニー)を深く愛していたが、生活が苦しいので仕事の為離れて暮らしている。そしてやっと会える事になり、中古車を手に入れキャサリンの元へ向かう途中の町で保安官に呼び止められ、町で発生した少女誘拐犯に間違われ警察署に留置されてしまう。犯人が捕まったと聞いた町の人々が警察署に押し寄せ、犯人を出せと要求する。やがて興奮した群衆が警察署内に乱入、だが格子に阻まれジョーに近付けなかった暴徒は留置所に放火し、警察署は焼け落ちてしまいジョーの行方は分からなくなる。
まるで、ドイツ時代の代表作「M」の後半を思わせる、群衆によるマス・ヒステリーとも言うべき集団的狂気の恐ろしさが描かれる。おそらく(と言うか明らかに)ラングは、故国における当時のナチスに熱狂する国民心理をここに投影しているのだろう。
死んだかと思われたジョーはかろうじて脱出し生き延びたのだが、復讐に燃えるジョーはその事を秘密にし、自分を襲った暴徒たちが裁判にかけられ、ジョー殺害の罪で死刑になる事を望むという法廷劇が終盤のクライマックスとなる。 前半は善人を絵に描いたような表情のスペンサー・トレイシーが、後半では怒りに燃えた凶暴な顔(右)に変貌する、その表情の変化が凄い。名演技である。
ジョーの怒りはもっともだが、自分の死を偽装してまで復讐を果たそうとする歪んだ憎悪も、暴徒たちの狂気と紙一重である。最後は愛するキャサリンの説得でジョーは正気を取り戻し、裁判所に現れ被告たちは無罪となる。
ちょっとした事で狂気が際限なくエスカレートし、悲劇を招いてしまう人間の愚かしさ、群集心理の怖さを鋭く描いた傑作である。またこれは現代とも無縁ではない。SNS上で特定の人間を集団で叩く風潮は、本作のマス・ヒステリーと根底で繋がっている気がする。今の時代にこそ、改めて評価すべき作品ではないかと思う。 (採点=★★★★☆)
(付記) ジョーが拾ってレインボーと名付け可愛がるケアーンテリアの犬がなかなかの名演。この犬が警察署の焼き討ちで死んだ事もジョーの復讐心を増幅させたようだ。IMDBで配役を検索すると、Terryという名で21本ものハリウッド映画に出演しているらしい。なんとあの「オズの魔法使い」(1939)のドロシーの愛犬トトも演じていた事を知って驚いた。なんか似てるなとは思っていたが。ちなみに「オズ-」の主題歌とも言える名曲のタイトルが「オーバー・ザ・レインボー」。この偶然も面白い。
1943年・フランス/パテ・コンソルシオム
日本公開:1950年
配給:SEF=東宝
原題:Le Corbeau
監督:アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
脚本:アンリ・ジョルジュ・クルーゾー、ルイ・シャヴァンス
撮影:ニコラ・エイエ
後にサスペンスの名作をいくつも作ったアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督作。これは第二次大戦中のドイツ占領下のフランスで作られたが、内容がナチス批判を示唆しているというので上映禁止になったいわく付きの作品である。
(以下ネタバレあり)
フランスの田舎町。公立病院のジェルマン医師(ピエール・フレネー)の元に“カラス”(これが原題)という署名のある手紙が届き、そこにはジェルマンと精神科の部長の妻ローラ(ミシュリーヌ・フランセイ)が不倫関係にあるという内容が書かれていた。以後も町の人々の家にさまざまな中傷や秘密の暴露が書かれた“カラス”の署名入りの手紙が届く。病院の入院患者の一人は、本人は知らなかったガンである事実を知らされ自殺する。“カラス”ではないかと疑われ、逮捕される者もいたが、その後も“カラス”署名入りの密告の手紙は続き、町の人たちは疑心暗鬼となって行く。
確かに戦時下のナチスでは、邦題にもある“密告”を奨励するような事もあったので、密告の愚かさ、恐ろしさ、―ひいては全体主義国家への批判にも繋がるであろう本作にナチスが神経を尖らせるのも分からなくもない。
ただクルーゾー演出は、誰が犯人=カラスなのかを探る、謎解きミステリー・タッチで進むので、サスペンス映画として見ても十分楽しめる。こいつが犯人かと思わせるミスディレクションもちゃんとあるし。後にヒッチコック監督もライバルと認めたサスペンスの巨匠・クルーゾー監督作品の萌芽も垣間見え、十分面白い作品になっている。 (採点=★★★★)
1946年・アメリカ/パラマウント映画
日本公開:1956年
配給:パラマウント映画
原題:The Blue Dahlia
監督:ジョージ・マーシャル
脚本:レイモンド・チャンドラー
製作:ジョン・ハウスマン
音楽:ヴィクター・ヤング
脚本がハードボイルド探偵小説の第一人者レイモンド・チャンドラー のオリジナル脚本であるのが興味深い。主演は当時「ガラスの鍵」、「拳銃貸します」(共に1942)他のフィルムノワール作品によく出ていたアラン・ラッド。音楽が後にラッドの代表作「シェーン」を担当する事になるヴィクター・ヤングという組み合わせも面白い。
(以下重要なネタバレあり)
召集解除になった海軍飛行士ジョニー(アラン・ラッド)は親友バズ(ウィルアム・ベンディクス)、ジョージ(ヒュー・ボーモント)と3人でロサンジェルスへ戻る。ジョニーは二人と別れ、妻ヘレン(ドス・ドウリング)の許に帰ると、妻は友人仲間を集めたドンチャン騒ぎの真っ最中。その中には妻と深い関係らしい男ハーウッド(ハワード・ダ・シルヴァ)もいた。それを知ったジョニーは、ハーウッドを殴って家を飛び出す。ジョニーは雨の中を歩くうち、ブロンド女性のジョイス(ヴェロニカ・レイク)の車に拾われ、やがて二人は急速に親しくなる。だがその後、ヘレンが何者かに殺害され、警察はジョニーを容疑者の一人と見て彼の行方を探す。ジョニーはまた巡り合ったジョイスの助けを借りて、ヘレン殺しの真相を求め行動を開始する。
上のストーリーをおさらいしてみると、殺人の容疑をかけられた男が、警察の目を逃れながら、謎のブロンド美女の助けも借りて事件の謎を追う…。
と、これヒッチコック監督作品ではお馴染みの、巻き込まれパターン作品とそっくりである事に気付く。特にブロンド美女のジョイスが、実はジョニーが事件の黒幕ではないかとと睨んだ男の女だった、という点も含めて、ヒッチコックの代表作「北北西に進路を取れ」とそっくりな展開となる。最後はジョニーとジョイスは結ばれる、というエンディングもこれまた同じだし。
チャンドラーは後にヒッチコックの「見知らぬ乗客」の脚本にも参加しているし、案外ヒッチコック映画は、レイモンド・チャンドラーに相当影響を受けているのではないだろうか。
こういう発見があるから、古い映画はこまめに探して観るべきなのである。
アラン・ラッドが、ハーウッドの手下に痛めつけられながらも逆襲に転じる辺り、いかにもハードボイルドなヒーローとしてなかなか決まっている。後年の「シェーン」とはまた違った、ラッドの魅力も満喫出来る佳作であった。ラストに判明する、意外な真犯人も悪くない。注意深く観ていればおよその見当は付くはずである。
作られたのが第二次大戦終結直後という事もあり、ジョニーたちは戦争からの復員兵であり、一緒に帰還した親友バズは、戦闘で受けた頭の傷(鉄板を埋め込んでいる)の後遺症で音楽を聴くと頭痛で苦しむ、という戦争の傷跡も取り入れられているのが作品の厚みとなっている。
ちなみに、アラン・ラッドとヴェロニカ・レイクは、「ガラスの鍵」、「拳銃貸します」、本作、そして「サイゴン密輸空路」(1947)と4度も共演している(いずれもサスペンス映画)。ハンフリー・ボガートとローレン・バコールみたいな関係になるのかと思われたが、ヴェロニカは「サイゴン密輸空路」を最後に映画出演は途絶えている。寿引退でもしたのだろうか。出演作も少なく、活動期間も1939年からわずか8年間くらいである。「拳銃貸します」と本作でちょっとファンになりかけたのに、残念である。
(採点=★★★★)
1946年・アメリカ/20世紀フォックス映画
日本公開:1947年
配給:20世紀フォックス極東
原題:Boomerang
監督:エリア・カザン
原作:アンソニー・アボット
脚本:リチャード・マーフィー
製作:ルイ・ド・ロシュモン
監督がエリア・カザンである点に注目。後に「エデンの東」、「波止場」他で巨匠に上り詰めたが、こんなサスペンスも監督していたとは知らなかった。原作はリーダース・ダイジェスト所属のアンソニー・アボットが発表した、ある殺人事件に関するドキュメントで、本作はこれを基にした実話の映画化である。
誰からも慕われていた神父が、ある夜突然、何者かに背後から頭を銃撃され死亡するという殺人事件が起こる。犯人はそのまま逃亡する。
犯行を目撃したという7人が名乗り出て、証言から犯人は黒いコートを着て、白い帽子を被っていたという事が分かり、たちまち黒コートと白い帽子の男数名が拘束され、目撃者の面通しで、ワルドロンという青年が有力容疑者として浮かび上がる。なおかつワルドロンの所持していた拳銃の口径が、神父を撃った銃弾と一致し、犯行直前に彼を見たという目撃者の証言も決め手となってワルドロンは犯人として逮捕され、裁判にかけられる。ワルドロンに不利な証言も次々出て来て、裁判で有罪となりかけた時、地方検事ヘンリー・ハーヴィー(ダナ・アンドリュース)は一転、彼は無罪だと主張する。
(以下ネタバレあり)
いわゆる、冤罪事件である。怖いのは7人の目撃者たちが、普段は善良な市民なのだろうが、一旦犯人らしい人物が逮捕されると、思い込みから来る虚偽の証言で、一人の男を無理やり犯人に仕立て上げてしまう。前記の「激怒」とも共通する、付和雷同的集団心理の怖さにゾッとさせられる。また警察も、40時間もワルドロンを寝かせず尋問し、精神的に追い詰められたワルドロンがつい犯行を自供してしまう辺りも、日本のいくつもの冤罪事件でも行われた手法で、冤罪はこうして作られるのだとまざまざと実感する。
異色なのは、地方検事のハーヴィーが、いろんな証拠をつぶさに検討した結果、ワルドロンは無実だと確信し、法廷で彼を無罪にする為に闘うという点である。弁護士が無罪を主張するのは当然だが、被告を有罪にするのが職務である検事が無罪を主張するのは珍しい。日本ではまず考えられないだろう。
ハーヴィー検事を演じるダナ・アンドリュースが素晴らしい名演。彼は以前にもフィルム・ノワール「ローラ殺人事件」(1944)で若い刑事を演じていた。本作では堂々たる貫録で、証拠を積み上げ的確に無罪を立証して行く。凄いのは、ワルドロンが所持していた拳銃に法廷で弾を込めさせ、なんと自分の頭を狙わせるのである。だが引鉄を引いても弾丸は発射されず、この銃では殺人は不可能である事を立証する。自分の命を賭けてまでも真実を追求する、ハーヴィー検事の正義への信念に心打たれる。
これはカザン監督の長編デビュー作「ブルックリン横町」(1945)からまだ2作目くらいの作品だが、既に重厚な演出ぶりが光っている。この後カザン監督は「紳士協定」(1947)で見事アカデミー作品賞・監督賞を受賞する事となる。エリア・カザン監督を語る上で見逃せない秀作である。観れて良かった。 (採点=★★★★☆)
1952年・アメリカ/20世紀フォックス映画
日本公開:1984年
配給:インターナショナル・プロモーション
原題:Deadline U.S.A
監督:リチャード・ブルックス
脚本:リチャード・ブルックス
撮影:ミルトン・クラスナー
音楽:ライオネル・ニューマン
製作:ソル・C・シーゲル
ハンフリー・ボガート主演で、このタイトルだから、てっきり暗黒街を舞台にした犯罪ものかと思っていたら、ボガートはある新聞社の編集長で、報道の自由と社会正義の為に闘う新聞社とその編集長の、勇気と決断を描いた社会派サスペンスだった。
脚本・監督のリチャード・ブルックスは、元は新聞記者だったという変り種で、そのせいか新聞社の内情や上層部から末端に至るまでの人物像も丁寧に説得力ある描き方で、なかなか見応えがあった。
これ日本では永らく未公開だったが、水野晴郎さんが主宰するIPが輸入し、製作から32年後にやっと公開された。その時見逃してしまっていたので、シネ・ヌーヴォでの上映は本当に有難い。
弱小ながら進歩的で先鋭な新聞社、ザ・デイ。その編集長エド・ハッチソン(ハンフリー・ボガート)は、最近になって新聞社の身売り話がある事を知らされ驚く。自分が確信を持ってやって来た仕事が出来なくなる…。新聞社のオーナーであるジョン・ガリソン夫人(エセル・バリモア)は本心では反対だったが、2人の娘が積極的に売却を進めており、それに抵抗出来なかったのだ。エドの必死の抗議も空しく、2日後にザ・デイはスタンダード社に正式に売却されることに決まった。一方、暗黒街のボス、トーマス・リエンツィ(マーティン・ゲーベル)の犯罪の証拠を掴んでいた記者のバロウズ(ウォーレン・スティーヴンス)が、数人の男たちに襲われ重傷を負わされる事件が起きる。襲った男たちがリエンツィの配下である事を確信したエドは怒りに燃え、あらゆる手段を用いてリエンツィを糾弾する記事を新聞に書く。リエンツィはエドを懐柔しようとするが、エドは毅然とそれを撥ね退けた。そんなエドの信念に共感した一人の女性が、リエンツィの悪事を記した一冊の日記帳と証拠物件を持って新聞社を訪れた。
(以下ネタバレあり)
新聞社が舞台とは言え、ハンフリー・ボガート扮する編集長は暗黒街のボスの悪辣なやり方に徹底して抗戦し、正義を貫く。ちょっと洒落たセリフといい、ボスに対して一歩も引かない強面な態度といい、まさにハードボイルドだ。これはまさにボガートに打ってつけの役柄だ。
オーナーのガリソン夫人を演じるエセル・バリモアがいい。ふくよかだが貫録があり、エドを心から信頼しており、エドと共闘して新聞社身売りに抵抗する気概を見せる。
スピルバーグ監督の昨年の秀作、「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」でメリル・ストリープが演じた新聞社社主をちょっと思わせたりもする。
新聞社の編集部が真実追及の為に闘い、女性社主がそれを側面から支援するという構図も同作とよく似ている。
遂にボス・リエンツィの悪事の証拠を掴んだエドが、新聞社に架かって来たリエンツィの電話に対して、今輪転機が回り出した、その音に受話器を向け、リエンツィに聞かせるラストがいい。新聞社は無くなろうとも、正義への戦いの炎は消えないぞ、というエドの気概にホロッとさせられる。
この所アメリカでは前述「ペンタゴン・ペーパーズ」、「記者たち~衝撃と畏怖の真実」など、真実追及の為に奮闘する新聞社と記者たちを描く映画が作られているし、日本でも「新聞記者」が公開され話題を呼んでいる。そんな時に実にタイムリーな本作の上映である。今の時代こそ、是非観るべき力作だと思う。
(採点=★★★★☆)
1950年・アメリカ/M・G・M映画
原題:Side Street
監督:アンソニー・マン
脚本:シドニー・ボーム
音楽:レニー・ヘイトン
製作:サム・ジンバリスト
西部劇が多いアンソニー・マン監督の、珍しいフィルム・ノワールの佳作。冒頭から、ニューヨークの街の様子をドキュメンタリー・タッチで紹介して行く演出がなかなかいい。ナレーションもあるので、ジュールス・ダッシン監督の「裸の町」を思わせたりもする。参考にしているのかも知れない。
主人公は、生活があまり豊かではない郵便配達員ジョー( ファーリー・グレンジャー)。もうすぐ子供が生まれるので金が欲しい。ある弁護士事務所に郵便を届けた際、カバンから200ドルの札が落ちたのを見てしまう。別の日にその事務所に配達に行った時、ドアが開いていたので、出来心からキャビネットを壊し、金の入ったカバンを盗んでしまう。だがそのカバンにはもっと多額の現金が入っていた。実はその金は悪徳弁護士が恐喝で得た金だったのだ。そしてジョーは、感づかれた組織に追われる事となる。
全編ほとんどニューヨーク・ロケで撮られている。それがリアルな迫力を生んでいる。
本当は善良な人間が、ちょっとした出来心から金をくすねた事から、どんどんとのっぴきらない状況に追い込まれて行く展開はまさにフィルム・ノワール。主演のファーリー・グレンジャーもいいが、彼の妻役を演じたキャシー・オドネルもキュートで好演。
終盤はジョーと組織との、パトカーも交えての追いつ追われつのカーチェイスが展開する。実際のニューヨークの街中での追跡劇はなかなかの緊迫感で手に汗握る。
1950年製作だから70年近く前。当時で既にこんなカーチェイス映画が作られていた事に新鮮な驚きがあった。カーチェイス映画の嚆矢とも言えるのではないか。
配役が地味だとは言え、こんな力作が日本未公開。テレビでも放映された記憶はない。アンソニー・マン監督の代表作と言えるかも知れない。見逃さなくて良かった。 (採点=★★★★)
1947年・アメリカ/ワーナー・ブラザース
原題:The Unsuspected
監督: マイケル・カーティス
原作: シャーロット・アームストロング 『疑われざる者』(早川書房)
脚本: ロナルド・マクドゥガル、ベス・メレディス
音楽: フランツ・ワックスマン
製作: マイケル・カーティス、 チャールズ・ホフマン
これも日本未公開。監督はこれの5年前、「カサブランカ」で名を上げた マイケル・カーティス。
実際の犯罪事件を絶妙のトークで語るラジオ番組の名物司会者ヴィクター・グランディスン(クロード・レインズ)。その彼の秘書がある晩自殺するが、それは偽装された殺人だった。一方、彼の姪マチルダ(ジョアン・コールフィールド)の元に、彼女の婚約者と名乗る男が現れるが、彼女はそんな男は知らないと言う。誰が嘘をついているのか、ヴィクターは何を狙っているのか。真実は最後に明らかになる。
(以下ネタバレあり)
クロード・レインズがいかにも怪しそう。ラジオの語り口が軽妙でラジオ界の大御所としての地位も確保しているが、裏では秘書を殺し自殺に見せかける悪辣な男である。
演出的に面白いのは、磨かれたテーブルやレコードの盤面に、犯人や怪しい人物の顔が映るというシーンが多用されている。これで冒頭の殺人シーンも、犯人は誰か観客には早々と知らされる結果となる。
ミステリー・タッチで、さまざまな謎が縒り合わさって、最後に真実が明らかになる語り口は、さすが職人 マイケル・カーティス、うまいものである。
ヴィクターの部下の男が、婚約者を名乗った、実は真相を探っていた青年フランシス(テッド・ノース)をトランクに閉じ込め、トラックでゴミ焼却場に運び込もうとし、それを察知したマチルダの連絡で警察がトラックを追うカーチェイスもなかなかスリリング。
最後は、ラジオ局で滔々と自説を語っていたヴィクターの所に警察とフランシスたちがやって来て、これまでとヴィクターは観念するのだが、この時ヴィクターがラジオで語っている話が面白い。犯罪は、実は一番“疑われない者”(これが原題)が本当の犯人だと言う。名司会者として名を上げた自分自身が一番の悪人だと白状したわけである。
出演者では名優クロード・レインズがさすがの貫録。カーティス監督の「カサブランカ」ではルノー大尉を演じ、最後にナチスを裏切りボガートを助けるおいしい役どころだったが、本作ではガラッと変わって残虐な悪人を嬉々として演じている。
ただ、この邦題はいかがなものか。「トゥルー・クライム」と聞けばクリント・イーストウッド監督・主演の名作が既にあるし、作品内容にマッチしているとも思えない。本作のDVDは2013年に出ているようなので、この時イーストウッド作品にあやかって付けたのだろうか。原作の題名が「疑われざる者」であり、イーストウッド作品「許されざる者」と似ている事からの発想だろうか。
原題通り、「疑われざる者」の邦題で良かったのに。これが唯一の減点。 (採点=★★★☆)
1952年・アメリカ/20世紀フォックス映画
日本公開:1952年
配給:20世紀フォックス極東
原題:Five Fingers
監督: ジョセフ・L・マンキウィッツ
製作: オットー・ラング
原作: L・C・モイズイッシュ
脚本: マイケル・ウィルソン
撮影: ノーバート・ブロダイン
音楽: バーナード・ハーマン
しんがりは冒頭の「激怒」のプロデューサーも務めた ジョセフ・L・マンキウィッツ監督作。期せずしてマンキウィッツに始まりマンキウィッツで終わる結果となったのが面白い。
冒頭にも書いたが、「三人の妻への手紙」や「イブの総て」等、女性映画が得意と思われていたマンキウィッツがこんなフィルム・ノワールも監督していたとは知らなかった。
本作は、第二次大戦中の中立国トルコを舞台としたスパイもので、ほとんど実話だそうである。
(以下ネタバレあり)
時は第二次大戦末期の1944年。中立国トルコに駐在する英国大使の執事ディエロ(ジェームズ・メイスン)は、大使の信頼をいいことに、英国政府の機密文書を小型カメラに収め、そのネガをドイツ大使館武官モイズィッシュ(オスカー・カールウェイズ)に売りつけようとする。ネガを確認し機密文書が本物であることを知ったドイツ大使フォン・パーベンは早速これを2万ポンドで買い取る。かくてディエロはキケロというコードネームを使い、数度にわたり機密文書をドイツ大使館に高額で売りつけた。またディエロはかつて執事として仕えたスタヴィスカ伯爵の未亡人で金に困っているアンナ(ダニエル・ダリュー)にも交渉の片棒を担がせ、報酬を分け与えた。一方、機密漏洩に気付いた英国は諜報部のトラヴァース(マイケル・レニー)をアンカラに派遣、危うしと見たディエロはアンナとともにスイスへ逃亡する準備を始めたが、アンナはいち早く彼の金も持ち逃げしてしまっていた。一文無しになったディエロは最後の手段で、連合軍のノルマンディー上陸作戦の機密を手に入れ、高額で売りつけようとするが…。
映画の冒頭、1950年の英国議会において、戦時中在トルコのドイツ大使館武官だった人物(あらすじにある L・C・モイズイッシュ)が出版した本の事が議題に上げられ、ここに書かれた事は真実かとの問いに、外相が事実だと認めるシーンが登場する。この元ドイツ大使館武官モイズイッシュが書いたノンフィクションが本作の原作である。
英国大使館の中枢にいた人物が、英国の機密情報を敵国のドイツに売り渡す事自体、文字通りの売国奴であるあきれた話だが、これが実話というからなんともはやである。この狡猾な男ディエロ役を、名優ジェームズ・メイスンが飄々と演じているのが面白い。これも名女優ダニエル・ダリューが演じる伯爵未亡人も、ディエロを上回る狡くしたたかな人物であるのがまた面白い。
もっと驚くのが、アンナに金を持ち逃げされ、困ったディエロが最後の大仕事とばかり、連合軍の大軍事作戦、ノルマンディー上陸作戦の極秘情報を10万ポンドという大金でドイツ大使館に売りつける話。
だが、せっかくの重大情報を手にしたものの、ドイツ本国のゲシュタボは、「キケロは二重スパイかも知れず、情報を鵜呑みにするのは危険」と判断してこの情報を無視してしまう。
もしドイツ側がこれの対抗措置を講じていたら、ノルマンディー上陸作戦(映画「史上最大の作戦」で描かれた作戦)は失敗していたかも知れず、歴史が大きく変わっていたかも知れない。
そして大金を得たディエロが南米に渡り、優雅な生活を楽しんでいた時に、警察が彼の元を訪れ伝える驚愕のどんでん返し的結末も、実に皮肉である。2007年に作られた映画「ヒトラーの贋札」の話がこれと繋がっていたとは。どこまで事実かは分からないが。
ディエロが、この事実を知らされ、笑うしかないエンディングにもニンマリさせられる(つまりはアンナも騙されたわけだ)。
この秘話を本にしてベストセラーとなり、映画化権も売った元ドイツ大使館武官モイズイッシュが結局は一番得した人物という事になるのが、実に皮肉である。
マンキウィッツ演出は緩急自在、時にサスペンス、時にユーモラスで飽きさせず、全体としてトボけた味わいの大戦秘話スパイものであった。鑑賞後の満足感は、悲惨さがなく楽しい分、一番であった。 (採点=★★★★☆)
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こうやって鑑賞作品を振り返ると、「デッドラインU.S.A」を除いて、どれもこれまでまったく知らなかった作品ばかりでありながら、どれもスリリングで楽しめた作品ばかり。よくまあこんな、埋もれた名作を見つけて来たものであると感心しきりである。
今回もシネ・ヌーヴォの上映回は、前回にも増して観客の入りは上々。中にはほぼ満席に近い回もあった。友人の映画仲間とも劇場で久しぶりに出会ったり、映画ファンの面白いものを求める嗅覚はみんな凄い。この「フィルム・ノワール特集」、これからも継続して欲しい。次回も楽しみにしている。
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