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2019年9月16日 (月)

「荒野の誓い」

Hostiles 2017年・アメリカ
配給:クロックワークス、STAR CHANNEL MOVIES
原題:Hostiles
監督:スコット・クーパー
原作:ドナルド・E・スチュワート 
脚本:スコット・クーパー 
撮影:マサノブ・タカヤナギ
製作:ジョン・レッシャー、ケン・カオ、スコット・クーパー
製作総指揮:ドナルド・E・スチュワート、バイロン・アレン、キャロリン・フォークス、ジェニファー・ルーカス、テレンス・ヒル、クリス・シャラランブス、マーク・ボード 

西部開拓時代が終焉を迎えた19世紀末のアメリカ西部を舞台にした異色の西部劇。監督は「クレイジー・ハート」のスコット・クーパー。主演は「バイス」のクリスチャン・ベール。なおクーパー監督とベイルは「ファーナス 訣別の朝」でもタッグを組んでいる。共演は「プライベート・ウォー」のロザムンド・パイク、「アバター」のウェス・ステューディ、「君の名前で僕を呼んで」のティモシー・シャラメなど。

1892年のアメリカ・ニューメキシコ州。かつてインディアン戦争で英雄として名を馳せた騎兵隊のジョー・ブロッカー大尉(クリスチャン・ベール)は、今はインディアンを収監する監獄の看守として働いていた。ある日彼は上司に命じられ、かつての宿敵で、今は服役中ながらも、ガンで余命わずかなシャイアン族の酋長イエロー・ホーク(ウェス・ステューディ)とその家族を、彼らの部族が所有する土地があるモンタナ州まで護送する任務を与えられる。不承不承ながらも任務に就いたジョーは、途中でコマンチ族による殺戮で家族を失ったロザリー・クウェイド(ロザムンド・パイク)と出会い、一緒に旅をする事となる。だが長い旅の途中、一行にさまざまな危機が襲いかかる。果たして彼らは無事目的地まで辿り着けるのか…。

2年前にアメリカで公開されるも、我が国では長らく未公開だった作品。今の時代、西部劇には客が入りにくい事もあるのだろうが。ようやく公開されたものの、スクリーン数はごくわずか。宣伝もあまりされておらず、見逃してしまう所だったが、監督・主演が「ファーナス 訣別の朝」という佳作でコンビを組んだスコット・クーパーとクリスチャン・ベールだったので、ちょっと気になって劇場に足を運んだ。

結果は、観て良かった。見事な傑作だった。個人的には本年度のベスト上位にしたい力作である。

(以下ネタバレあり)

物語は冒頭、平和に暮らす一家を、凶暴なコマンチ族インディアンが襲い、妻であるロザリーを残して一家全員が殺されてしまう凄惨なシーンから始まる。

このシーン、西部劇ファンならジョン・フォード監督の名作「捜索者」を思い出すだろう。
こちらの作品も、主人公ジョン・ウェインの一家がウェイン留守の間にコマンチ族に襲われ、2人の娘たちがコマンチに連れ去られた他は皆殺しにされてしまう家が焼かれてしまう所も同じである。

Hostiles3 その後、主人公ジョー・ブロッカー大尉が働く監獄に場面が移ると、「捜索者」の冒頭シーンとそっくりの、暗い部屋からシルエットのジョーが出て行くショットがある(右)。
これらからして、おそらくはクーパー監督、ジョン・フォードのあの名作にオマージュを捧げているのだろう。西部劇ファンならこれだけでハートがキュンとなってしまう。

ジョーはこれまで、騎兵隊の勇士として、苛烈なインディアンとの戦いの中で多くのインディアンを殺して来ており、英雄として崇められている。その分インディアンに対する憎しみも強い。
そんな彼に、かつての宿敵であったシャイアン族の首長イエロー・ホークとその家族を、モンタナ州の居住地まで護送せよとの命令が下る。病気で死期が近いので、ここには置いておけないという事だろう。
インディアンに憎悪心を抱くジョーは当初この命令を拒否するが、退役間近の身であり、拒否すれば命令違反で年金ももらえなくなると脅され、仕方なく部下を集め、イエロー・ホークたちを目的地まで護送する事となる。

ジョーの心は複雑である。これまで、互いに相手の兵士を殺し合って来た憎むべき敵を、こともあろうに護衛し、命を守らなければならないのだから。
そんな気持ちの表れか、勝手にイエロー・ホークたちに鎖の鍵をかけたりもする。せめてもの鬱憤晴らしなのだろう。

そして旅の途中、冒頭のシーンにおいて一家が殺され、一人生き残ったロザリーと出会い、彼女の家族を埋葬した後、ロザリーも一行の旅に加わる事となる。

ロザリーは最初、精神錯乱状態で、ジョーたちの一行の中にインディアンがいるのを見つけると悲鳴を上げ、逃げようとするほどである。
それでも、旅の目的を知った事もあり、旅を続けるうちに、ロザリーは少しづつ心の平静を取り戻して行く。

途中では、あのコマンチ族に襲われ、部下の若い兵士が殺され、一人は重傷を負うが、イエロー・ホークたちの助力もあってなんとか敵を撃退する。
若い兵士を演じているのが今売出し中のティモシー・シャラメ。早々と殺されあっけなく退場する事となるが、この映画が作られた当時はまだ人気はあまり出てなかったのだろう(笑)。

昼は砂漠を行進し、夜はテントを張って野営するシーンが何度か繰り返されるが、旅を通じて、ジョーやロザリーの心が少しづつ変化して行く事をじっくり描く為には、必要なプロセスだと思う。
シャイアン族の子供たちが可愛らしい事もあって、ロザリーの彼らに対する憎しみも、徐々に解きほぐされて行く。この辺りの丁寧な演出がいい。

途中の町に着く頃には、ロザリーは彼らから着替え用にと衣服を提供され、ロザリーはそれを受け入れる。インディアンと言っても、悪い者もいれば良い人間もいる事をロザリーは理解して行くのである。

そしてジョー自身も、死期が迫っているにも関わらず、イエロー・ホークの常に悠然とした、穏やかな立ち居振る舞いを見て、少しづつ、イエロー・ホークに対し畏敬の念を抱いて行く。
イエロー・ホークを演じる名優、ウェス・ステューディの風格漂う名演技は圧巻である。

途中で、シャイアン族の子供たちがならず者に攫われた時には、両者は協力し合って見事敵を倒し、子供たちを取り戻す。

旅を通して、当初は憎しみ合っていたジョーたちとイエロー・ホークたちとが、次第に心を通わせ、憎しみを捨てて和解に至って行く。このプロセスには感動した。

そして、ようやく目的地にたどり着くも、そこでイエロー・ホークは永い眠りにつく。哀惜感漂うこのシークェンスもいい。

だが物語はそれだけでは終わらない。この辺りの土地を所有する領主たちがやって来て、「インディアンは出て行け」と言う。

この時、ジョーもロザリーも毅然と相手の要求を撥ね付ける。真っ先に領主たちに銃を突きつけたのがロザリーであった。そして最後の壮絶な銃撃戦に至る。

相手を全員倒したものの、味方も倒れ、最後に生き残ったのはジョーとロザリー、そしてシャイアン族の最年少の子供の3人だけだったという結末が悲しい。

ラストも印象的である。ロザリーはシャイアン族の子供を養子にし、ジョーと最後の別れの挨拶を交わす。ジョーは子供に、強く生きよと励ます。
この後のちょっと味なエンディグ・ショットは、予想はしていたが、思わずニヤリとさせられ、心がホッコリとなった。

 
映画全体を通して強調されるのは、“私たち人間は、過去に深い憎しみを抱いていたとしても、それらを乗り越え、力を合わせて困難を克服して、未来に向かって歩むべきだ”という根源的なテーマである。
いつの時代も人間は、国籍、民族、宗教等による対立や、肌の色や住む地域等による差別・偏見によっていがみ合い、敵対し、争い、憎悪の連鎖を生み出して行く。
だがそれらは不毛の対立であり、空しく、悲しい事である。どこかでその連鎖を断ち切らなければ、未来はない。

西部劇でも、かつては白人と先住民との間で戦い、殺し合う物語が描かれて来た。ジョン・フォード監督も「駅馬車」はじめ多くの作品でインディアンを倒すべき悪役として描いて来た。
それでも、徐々にそうした描き方は間違いではないかという志向が広まり、フォード監督も「シャイアン」でインディアン側に憐憫の情を寄せた作品を作り上げた。その後は、インディアンを単純な悪役とする映画はかなり影を潜めた。
今では両者はほぼ和解し、ネイティヴ・アメリカン出身の国会議員が誕生するまでになっている。

だがこの映画が作られる前年、トランプ大統領が誕生し、再び根強い白人至上主義が復活して来た。移民を排除し、国家の分断が助長された。アメリカだけでなく、本作が作られてから2年経った現在、世界的にもタカ派的なトップが増え、国家間の不毛な対立、抗争はさらなる広がりを見せている。
日本でも国家間分断が進みつつある、今の時期に公開されるに至った事は、その意味でも有意義だろう。

クーパー監督はインタビューでこう語っている。「この映画には、前向きなメッセージが含まれています。和解、救い、癒し。これらのテーマを理解する事は、分断された社会に生きる我々にとって、とても重要な事だと思います」
これからも分かる通り、クーパー監督はトランプ政権誕生後の分断社会に対し、強い抗議の意思を込めてこの映画を作ったのだろう。

終盤に登場する、インディアンに対する差別意識丸出しの白人領主は、明らかにトランプへの当てこすりだろう。
ジョーが領主に「インディアンにこの土地に住む許可を与えた大統領令を持っている」と言うと、領主は「そんなもの只の紙切れだ」と一蹴する。
この辺りも、前任のオバマ大統領が出したリベラル的大統領令を次々破棄しているトランプ大統領への痛烈な皮肉ではないかと思える。

 
この映画を評して「これはイーストウッド監督『許されざる者』以来の秀作西部劇だ」とする声もあるが、考えれば本作と「許されざる者」とはいくつかの共通点がある。

まず、どちらの主人公も、かつては多くの人を殺して来た。だが年老いて(ジョーも年金をもらえる年齢が近づいている)心境にも変化が生じつつある。
そして「許されざる者」の主人公マニーは黒人や娼婦たち、本作のジョーはインディアンと、どちらも低く見られ差別されているマイノリティの側に立ち、彼らを差別する白人に銃を向ける
イーストウッド作品に通底するのは、特にこの作品から顕著になった“贖罪意識”だが、本作のジョーも、物語後半に至り、数多く殺して来たインディアンたちに対する贖罪意識を持ち始めるのである。イエロー・ホークとのしみじみとした語り合いのシーンは心打たれる。

だが、そうした“憎しみを捨て、和解”へと心境が変わりつつも、最後は結局、ジョーたちは銃で相手を倒し決着を付ける事となる。
この大いなる矛盾。やはりアメリカは銃社会なのである。
こうしたシニカルな視点を入れる事によって、本作は単なる和解・前向き志向だけに留まらず、複雑な矛盾を抱えた現代そのものへの問いかけを行い、多元的・重層的なテーマを内包した秀作になり得ているのである。


スコット・クーパー監督(脚色も)の静謐な中に不穏な空気を滲ませた骨太の演出は見応えあり。近年出色の西部劇の秀作である。

日本人撮影監督マサノブ・タカヤナギ(高柳雅暢)の撮影も、夕陽を背景に荒野を進むジョーたちをシルエットで捕えたシーン等はとりわけ美しく、作品に厚みをもたらしている。見事。

前述のように、劇場数が少ないのが残念だが、西部劇ファンには絶対お奨めの力作である。見逃すなかれ。  (採点=★★★★☆

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(さらに、お楽しみはココからだ)

3:10 to Yuma クリスチャン・ベール主演の西部劇、と言えば、ちょうど10年前の2009年に「3時10分、決断のとき」(2007)というベール主演の秀作西部劇が公開されている。

この作品も製作されたのは2007年なのに、日本では本作と同じく、2年遅れでひっそりと公開された。
クリスチャン・ベール主演の西部劇作品って、いつも日本では不幸な目に合わされるねぇ(笑)。

が、この作品、それだけに留まらず、本作といくつか共通点がある。

物語自体が、ある凶悪犯(ラッセル・クロウ)を遠くユマまで、主人公のベールが護送するというお話である。
旅の途中で、危機的状況になった時、護送犯クロウがベールを助けて危機を逃れたり、逆にベールがクロウを助けたり。そうするうちに、ベールとクロウとの間に、いつしか心が通い合い、男の友情のようなものが生まれて来る。
また映画冒頭では、ベールの家が放火で焼かれるシーンも出て来る。

もう一つ、本作で、途中でベン・フォスター扮するジョーのかつての同僚で今は服役囚となっている男の護送を頼まれるシーンがあるが、実は「3時10分、決断のとき」にもベン・フォスターがクロウの片腕の凶悪なガンマン役で出演している。

10年前も、この秀作西部劇に関して当ブログで絶賛(記事はコチラ)したが、まさか10年後にまたまたベール主演西部劇を絶賛する記事を書く事になるとは思わなかった(笑)。

 

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