「ホテル・ムンバイ」
2018年・オーストラリア・アメリカ・インド合作
原題:Hotel Mumbai
配給:ギャガ
監督:アンソニー・マラス
脚本:ジョン・コリー、アンソニー・マラス
製作総指揮:ケント・クベナ、ジョナサン・ファーマン、ライアン・ハミルトン、イン・イェ、マーク・モントゴメリー、デブ・パテル、ジョン・コリー、ジョゼフ・N・コーエン、ゲイリー・エリス
2008年にインド・ムンバイで起きたテロ事件を、テロリストに占拠されたタージマハル・パレス・ホテルを主な舞台にして描いた実話の映画化。監督は本作が長編デビュー作となるオーストラリア出身のアンソニー・マラス。出演は「スラムドッグ$ミリオネア」のデブ・パテル、「君の名前で僕を呼んで」のアーミー・ハマー、「ハリー・ポッター」シリーズのジェイソン・アイザックスなど。
2008年11月、インド・ムンバイで同時多発テロが発生、インドを代表する五つ星ホテルのタージマハル・パレス・ホテルががテロリストに占拠され、500人もの宿泊客と従業員がホテル内に閉じ込められる。ホテルの給仕アルジュン(デブ・パテル)や総料理長オベロイ(アヌパム・カー)たちホテルマンは、自らの命を危険にさらしながら宿泊客を守り、逃がそうと奔走する。一方、アメリカ人宿泊客のデヴィッド(アーミー・ハマー)夫妻は、部屋に残した赤ん坊が心配になり、デヴィッドは決死の覚悟で部屋に戻ろうとする。テロリストたちに支配される極限の状況下で、多くの人々の運命が交錯する…。
テロリストに占拠された建物を舞台に、警察と犯人との攻防を描いた作品は「ダイ・ハード」シリーズをはじめいくつかあるが、本作は実際に起きたホテル占拠事件の実話を、かなり事実に忠実に描いた作品である。
だから当然ながら、ジョン・マクレーンのようなスーパー・ヒーローは登場しない。テロに巻き込まれる人たちは皆、普段は穏やかな生活を送る普通の人々である。
それ故、圧倒的な武力・兵器を持つテロリストたちを前に、人々はなすすべもなく、隠れ、逃げ惑う。その緊迫感たるや尋常ではない。
本作は、そうした極限状況の中で、五つ星ホテルの誇り高きホテルマンたちが、宿泊客たちの命を守る為に如何に考え、行動したかをスリリングに描いて行く。
(以下ネタバレあり)
映画は、まずイスラム系テロリストたちが海からやって来て、ムンバイに向かうシーンから始まる。
場面は変り、主人公であるタージマハル・ホテルの給仕であるアルジュンが自宅で、ターバンを慎重に、丁寧に頭に巻きつけるシーンが描かれる。また出掛けに、幼い娘や身重の妻に優しく声をかけるシーンもある。
アルジュンが熱心なシーク教徒であり、また家族思いである事を示し、これらが後の物語に生きて来る。
以後もテロリストたちの行動とアルジュンたちホテルマンの仕事ぶりが交互に描かれて行く。
アルジュンはホテルに出勤するが、うっかりホテルで履く靴を家に忘れて来てしまい、サンダル履きだったのを総料理長に見咎められ、厳しく叱責されたうえ「帰っていい」とまで言われてしまう。
しかし家族を養わなければならないアルジュンは必死に懇願し、なんとか予備の靴を貸してもらえ事なきを得る。
総料理長は朝の訓示で、「お客様は神様です」と言う。以後もこの言葉は何度も総料理長の口から出る。
三波春夫を知ってる世代ならつい笑いそうだが、英語でも "The Guest is God"と言ってるから、お客様と接する仕事の人にとっては世界共通の心構えなのだろう。
ここまでのシークェンスだけでも、アルジュンが実直で真面目な性格、総料理長が厳格だけれども仕事に誇りを持ち、常にお客様を大事にするステータスを持っている事が分かる。
こういう所をきっちりと描いているから、テロリストによるホテル襲撃事件発生後、アルジュンや総料理長らホテルマンたちが危険を顧みず、命を賭けて500人もの宿泊客を守り通した事にも十分な説得力が生まれるのである。脚本が実に秀逸。
総料理長の落ち着いた的確な判断で、多くの宿泊客は安全な場所に移動し、ひたすら特殊部隊の到着を待つ。総料理長を演じたアヌバム・カーの貫録と威厳ある演技が見事。なおこのオベロイ総料理長は実在の人物だそうだ。
映画は、時に当時のニュース映像を交え、手持ちカメラも駆使してスリリングにテンポよく描いて行く。それはあたかもドキュメンタリー映像を観ているかのよう。
テロリストに見つからないよう、狭い部屋で息を殺して潜む宿泊客たちの姿を観ていると、まるで私たち観客もその中にいるかと錯覚してしまうほどだ。
テロリストたちが特に躊躇する事もなく、無造作に宿泊客やホテル従業員を射殺して行くシーンも怖い。いつアルジュンや総料理長まで殺されるかも分からない。
特に、デヴィッドの赤ん坊を抱いたベビーシッターの女性がクローゼットに隠れ、その部屋にテロリストが侵入し、誰かいないか捜索するシーンでは、こちらまで息を止めたくなるくらい緊張した。赤ん坊が泣きそうになり、ベビーシッターがその口を塞いだ時など、赤ん坊を殺すんじゃないかとハラハラした(第二次大戦中の戦地などでは実際にあったし)。
テロリスト側も頭が回る。捕えたホテル従業員に、もう安心だからドアを開けてという偽の電話をかけさせ、客がドアを開けた途端容赦なく射殺する。
従業員の中には偽の電話をする事を拒絶し、それで射殺される者もいる。自分の命を捨ててまでも宿泊客を守り通す従業員の尊い犠牲心に涙が出た。
また、総料理長が従業員に「強制はしない。帰りたい者は帰っても恥ではない」と言い、それに対してほとんどの従業員が帰ろうとせず、毅然とホテルマンとしての仕事をやり通そうとするシーンにも胸を打たれる。いずれも「お客様は神様だ」の精神が従業員に浸透している事が分かる。
いいシーンもいくつかある。一人の老白人女性が、アルジュンのターバンを見てテロリストを連想し怯えるので、総料理長がアルジュンに「ターバンを脱げ」と言った時、アルジュンは老婦人の前に歩み寄り、自分は敬虔なシーク教徒でターバンは私の誇りだが、貴方が不快に思うなら脱ぎますと優しく、だが毅然と伝える。それを聞いた老婦人が安堵の表情で、「いや、そのままで結構」と答える。自分の宗教心よりも、宿泊客の気持ちを優先するアルジュンのホテルマンとしての気概に感動させられた(そのターバンも、ある理由で結局脱ぐ事になるのだが)。
このシーンはまた、白人の有色人種に対する偏見の根深さという問題も浮かび上がらせ、またそれに対し、誠意をもって思いを伝えれば、宗教、肌の色を超えてきっと人は分かり合える、という普遍的なテーマも内在している。
こういう隅々まで気配りが行き届いた脚本の見事さに感心する。
そして本作が素晴らしいのは、テロリスト側についても、単なる悪人という描き方はしていない点である。実行犯はいずれも年端も行かない少年ばかりで、ある少年は親に電話し、親を心配する優しさも見せている。そして彼らにテロ行動を命じたテロリストの幹部は、安全な場所から電話で指示を伝えるだけで、映画の中では最後まで姿を見せない。
おそらくは少年たちは子供の時から「アッラーは偉大なり」を呪文のように唱えさせられ、洗脳されて来たのだろう。ある意味では彼らもまた被害者であると言える。この描き方にも感動した。
そして終盤、ようやく特殊部隊が到着し、激しい攻防戦の末テロリストたちは制圧される。
アルジュンたちホテルマンの勇気ある沈着冷静な行動が、多くの宿泊客の命を救ったのである。総料理長がアルジュンに、よくやってくれたと労うシーンもジンと来るし、家に戻ったアルジュンが妻や子供たちと抱き合うエンディングも感動的だ。そして何よりあの赤ん坊。本当にホッとした。
いやあ、こんなに観ててハラハラドキドキ、緊張して観た映画は久しぶりだ。どんなサスペンス、スリラー映画より怖くて震え上がった。これがフィクションでなく実話だから余計恐ろしい。
ドキュメンタルな迫真の映像も見事だし、前述のように、ホテルマンたちの果敢な行動、テロリストたちの内面と、さまざまな角度からこの事件の全貌を余すところなく描き切ったアンソニー・マラス監督の演出(脚本も)が素晴らしい。マラス監督はこれが長編デビュー作だというから凄い。今後も注目しておこう。
あの事件から11年が経ったが、今の時代もテロの脅威は衰えるどころか益々広がっている。日本でもオリンピックを控え、絶対に起きない保証はない。政府も我々国民も肝に銘じるべきである。
いろいろ考えさせられる、見事な秀作であった。是非多くの人に観て欲しい。 (採点=★★★★☆)
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