名画発掘シリーズ・リクエスト特集 Vol.2
大阪・九条の名画座、シネ・ヌーヴォで開催中の、名画発掘シリーズ・リクエスト特集 Vol.2に行って来た。
シネ・ヌーヴォが現在の形でオープンしてから20周年になるのを記念して、昨年6~7月に名画発掘シリーズ・リクエスト特集Vol.1が開催された。
この劇場では、俳優・監督・特定ジャンルに限定した特集上映が恒例となっているが、今回の上映は、ビデオ・DVDになっていなかったり、テレビ放映もされなかったりで、観たいのになかなか観られないカルト的珍品・秀作を、ジャンルを問わず、ファンのリクエストに応じて上映する企画である。
私はその時3本を観たが、どれも面白かった。
で、今回はその第二弾として、またまた珍品・カルト作がズラリ並んだ。中には、私にとって題名は知っていたけれど観る機会がなかった、幻の作品が多くあるので余計楽しみにしていた。
上映期間は11月22日まであるのだが、後半のプログラムは「マルサの女2」「動脈列島」「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」など、昔観ているし、DVDになっている作品も多いので、も一つ食指が動かない。
というわけで、まだシリーズ上映は続いているけれど、現在まで観た作品についてとりあえず感想を。
1958年・日本/松竹
監督:野村芳太郎
脚本:野村芳太郎、山田洋次
音楽:木下忠司
これ、とても観たかった作品である。と言うのは、脚本に山田洋次が参加していて、山田洋次について書かれた文章の中にちょくちょく出て来る題名だからである。多分脚本・山田洋次とクレジットされた、最初の作品ではないかと思う。
東京のゴム会社を舞台に、九州から転勤して来た熱血サラリーマン陸奥吾朗(南原伸二=後の宏治)が巻き起こす騒動を中心に、サラリーマンの悲哀ををコミカルに描いた喜劇である。
傑作なのが、登場人物の名前がすべて海産物に由来しており(「サザエさん」と同じ趣向)、主人公がムツゴロウ、田村高廣扮する人事課員は浅利、ヒロインは帆立なぎさ、独身寮の小母さんは海老名いそ、といった具合。さらには宮口精二扮する人事課長は亀野功(カメノコウ) 、竜野落五郎(タツノオトシゴ)なんてのもあって笑える。三井弘次扮する人事課員はスズキさんと呼ばれているので鈴木かと思ったら魚の鱸(すずき)の方だった(笑)。
物語は、堅物で融通の利かない九州男児の陸奥吾朗が、上司に忖度など全くせずに自己の正義を押し通す姿を通じて、サラリーマン社会をやんわりと皮肉っている。夏目漱石の「坊ちゃん」を思わせたりもする。
入社試験の試験官となった吾朗が、社長紹介の大事な取引先の息子のカンニングを摘発するのだが、社長の鶴の一声でこのカンニング学生が採用され、そのあおりで優れた成績の田村高廣の弟が不合格になったりと、いかにもありそうな理不尽なエピソードが登場する。ラストは、カンニングを摘発した吾朗が社長の怒りに触れ、北海道へ左遷されてしまう所で終わる。
コメディであり、随所に笑いもあるのだが、こんな具合に、やがて高度成長に向かう日本の会社組織の不合理さ、理不尽さがかなり痛烈に描かれている。笑いながらも、身につまされる。風刺喜劇とでも言えようか。これをシリアスドラマにしたら、山崎豊子原作・山本薩夫監督「白い巨塔」に似た作品になるだろう。ちなみにあの作品で最後に組織にはじき出され大学病院を去って行くのが、本作にも出ている田村高廣であった。
当時量産されていたプログラム・ピクチャーの1本だが、かなり考えさせられる問題作ではないかと思う。後に「家族」「故郷」「息子」などで、庶民の哀歓、社会の矛盾を描く事となる山田洋次の片鱗が伺える。山田洋次ファンなら観ておくべき力作である。あ、むろん野村芳太郎監督の軽妙な演出も褒めておきたい。
ところで、タイトルはポスターでは「月給13,000円」となっているが、本編クレジットでは「月給¥13,000.」、さらにKINENOTEサイトでは「月給一三、〇〇〇円」とマチマチである。統一して欲しい。 (採点=★★★★)
「広い天」 79分
1959年・日本/松竹
監督:野崎正郎
原作:獅子文六
脚色:柳井隆雄
製作:小梶正治
監督助手:篠田正浩
戦争末期の昭和20年、東京で暮らす少年・新太郎が、空襲が激しくなった為母と別れ、一人で父の郷里・広島へ疎開する為列車で移動中、列車が空襲に会い、その混乱の中で郷里の住所を書いた紙片をなくしてしまう。途方に暮れた時、列車内で知り合った顔の長いおじさんが「とりあえず俺の故郷・四国へ来い。そこからお母さんに手紙を出せば連絡して来るだろう」と親切に言ってくれて、新太郎はそのおじさんの田舎に行く事になる。だが東京の母の家は空襲で焼かれ手紙は戻って来てしまう。こうして戦争が終わるまで、新太郎はおじさんの家に居候する事になるのだが、閉鎖的な田舎の人々は彼を厄介者扱いし、地元の子供たちからもいじめられたりする。そんな新太郎をおじさんは優しく慰め、彼の母を探す為に手を尽くしてくれる。
…というお話で、迷子になった子供を、赤の他人のおじさんが助け、子供の家族を探す為に尽力する、という、今年公開されたインド映画の秀作「バジュランギおじさんと小さな迷子」とよく似たお話である。
監督の野崎正郎も、この作品もまったく知らなかったのだが、これが意外と面白い、感動の作品になっている。日本映画には、まだまだこうした隠れた秀作が埋もれているのかも知れない。
新太郎少年が東京生まれという事で、田舎の人たちから疎外されたり苛められたりする、というエピソードは、篠田正浩監督の「少年時代」にも登場していた。こういう事は当時の田舎ではよくあったのだろう。
伊藤雄之助が演じるおじさんのキャラクターがとてもいい。見た目はとっつき悪そうだが、実はとても人が良くて面倒見がいい。住所の紙片をなくして途方に暮れている新太郎におじさんは空を指さし「ごらん、地面は暗くて狭いが、空はあんなに明るく広い。星を見ていると戦争が馬鹿らしくなる。元気を出せ!」と語りかけ元気づける。いいセリフである。題名もこれから来ている。
子供がいないおじさんは新太郎を可愛がり、やがて二人の間に疑似的な親子関係が生まれているようにも思えて来る。
実はおじさんは小杉朝雲という名の彫刻家である。戦争下で芸術活動もままならず、彫刻もしばらくはやっていなかった朝雲だが、終戦後、空を見上げる新太郎の姿に創作意欲が湧き、新太郎をモデルにして「広い天」と名付けた像を完成させ、これを展覧会に出すべく、朝雲は単身東京へと向かう。だがおじさんがいなくなった田舎では住みづらく、新太郎は家出をしてしまう。
以後はまるで「君の名は」を彷彿とさせる、母と子のすれ違いドラマが続くのだが、最後にはやっと両親と巡り合えてハッピーエンドとなる。
ただ、カメラマンの新太郎の父が展覧会に出品された「広い天」の写真を家に持ち帰り、それを見た母が、この彫像は新太郎がモデルだと気付くという展開は、偶然が重なるややご都合主義でちょっと残念。
まあそれはともかく、他人の子供に寄せるおじさんの限りない優しさ、さまざまな試練を経て人間的に成長して行く新太郎少年のけなげさについ涙してしまう、ちょっと拾い物の佳作だった。
伊藤雄之助という役者のうまさを再認識した。代表作の1本と言えるかも知れない。「馬のように顔の長いおじさん」と新太郎に言われていたが、後に黒澤明監督が作った「椿三十郎」でも、家老役の伊藤雄之助をして「乗った人より馬は丸顔」と言わせるくらい馬面が強調されていたのを思い出す。
監督の野崎正郎は、1952年から60年までの間にわずか7本しか監督作を残していないが、60年に下村胡人原作の「次郎物語」二部作を監督しており、本作と合わせ子供の成長物語に力を発揮した監督と言えるかも知れない。覚えておこう。ちなみにこちらにも伊藤雄之助が出演している。
なお助監督に篠田正浩の名前があるが、この篠田が後に前記の「少年時代」を監督しているというのも不思議な縁ではある。 (採点=★★★★)
1960年・日本/東映東京
配給:東映
監督:今井正
原作・脚本:菊島隆三
企画:本田延三郎、若槻繁
撮影:中尾駿一郎
音楽:芥川也寸志
今井正監督にしては珍しい、フィルム・ノワール・タッチのサスペンスである。
大手証券会社の社長秘書を勤める、野心に燃える青年・尾形(木村功)が、社長令嬢・美千代(佐久間良子)と恋仲になり、巧みに策を弄して会社の中で上昇して行くが、ふとした弾みで美千代を死なせてしまい、事故に偽装するが、それに疑問を抱いた美千代の姉に疑われ、姉をも殺そうとするが失敗し、最後に破滅して行くという物語である。
野心家の貧しい若者が、金と地位を手に入れる為に上流階級の子女に取り入り、目的を果たす為に殺人まで犯してしまうが、最後に自滅するというパターンの作品は、昔からよくある。
有名なところでは、シオドア・ドライサーの小説「アメリカの悲劇」、及びそれを映画化した「陽のあたる場所」(1951)で、最後に主人公が死刑になるのも本作と同じ。
我が国でも石川達三原作で神代辰巳監督で映画化もされた「青春の蹉跌」がある。
今井正監督作品としては珍しくややプログラム・ピクチャー的な位置付けの作品で、あまり知られていない。DVDにもなっていない。
なので、今井ファンとしては是非観たかった作品である。
女優陣が佐久間良子、有馬稲子、中原ひとみ、藤間紫、三宅邦子と豪華な顔ぶれ。B級作品的本作ですらこれだから、当時の日本映画は本当にいい役者が揃っていたのだと改めて実感する。
開巻、佐久間良子のボートの運転で木村功が水上スキーをするシーンがある。本人の顔が見えるシーンもあるので本人がやっているのだろうか。珍しいシーンでる。
その後茂みで二人が濃厚なラブシーンを見せているのも珍しい。
尾形は、秘書の仕事をテキパキこなし、次第に社長(進藤英太郎)の信頼を得て行く。社長が妾宅で脳溢血で倒れた時には気を使って、社長を自宅に運ばせるなど臨機応変の対応を見せる。
社長が再度の脳溢血を起して死んだ時、たまたま側にいた尾形は、遺言がなかったかと訊ねる重役たちに、次期社長の名前とか、美千代との結婚も承諾してくれたとか、口から出まかせの嘘を言う。こうして尾形は美千代と結婚し、会社でも出世して野望を少しづつ達成して行く。
ただ、身内でもない尾形の証言を、重役たちが疑いもなくそのまんま信じてしまうのはちょっと無理がある気がするが。
ところが、社長の主治医から、脳溢血になれば口頭で遺言を話すなど不可能と聞かされた美千代は尾形を疑い、口論の末尾形に突き飛ばされた美千代が後頭部を強打し死んでしまう。
ここから後は、尾形が巧みに美千代の死を交通事故に偽装したり、外国から戻った美千代の姉・景子(有馬稲子)が、美千代の死因に疑いを抱き調べ始めたりと、サスペンス・ムードが濃厚になって来る。
景子の追及に焦った尾形は、景子を殺そうとして間違えて女中(中原ひとみ)を殺してしまい、最後は尾形が死刑台に送られる所で終わる。
終盤はやや駆け足気味になり、尾形の行動も行きあたりばったり的だったりで、サスペンスの名匠・菊島隆三脚本にしては詰めが甘いのがちょっと残念。
まあ難点もあるが、今井正監督の珍しい犯罪サスペンスという意味で、見ておくべき作品だとは言えるだろう。 (採点=★★★☆)
1964年・日本/東映東京
配給:東映
監督:佐藤肇
原作:樹下太郎
脚色:松木ひろし、藤田傅
企画:秋田亨
これも東映東京作品。当時の東映東京は、京都の時代劇、任侠映画のヒットの影に隠れて話題に乏しく、観客動員もさっぱりという作品が多いが、反面今の時代見直すと、結構面白い作品があったりする。本作もそんな1本。
題名がユニーク。「吸血鬼ゴケミドロ」なんかのホラーの秀作も撮ってる佐藤肇監督だけに、霊柩車が無人で動くといったオカルト的ホラーかなと勘違いしそうだが、単に霊柩車が街中を走るだけで、中身はサスペンスと笑い、人間の狂気が交錯する異色のコメディである。
春川ますみ扮する豊満な妻・すぎ江が、タクシー運転手の夫・弘(西村晃)に隠れ、次々と男と浮気する。それを知った夫は激怒するが、一計を案じ、妻が死んだ事にして、妻が納棺された霊柩車で浮気相手の男たちを訪れ、強請って金をせしめ取ろうとする。だがその計画もすぎ江と浮気相手の男が仕組んだもので、金持ちの男(曽我廼家明蝶)から強請り取った五百万円の金を巡っての、欲のからんだ騙し合いが延々続く事となる。
まさに狐と狸の化かし合い。すぎ江の共犯相手の男(金子信雄)がすぎ江を毒殺しようとしたり、その企みを知った弘が逆に男に毒を飲ませたり、また弘が眠っている隙にすぎ江が金を持って又別の若い男(岡崎二朗)の元に逃げたり、と物語は目まぐるしく二転三転、どう決着するのか予想がつかない。
映画を観ていない方の為に、以後の展開についてはあまり詳しくは書かないが、終盤に至って、弘は次々と殺人を重ね、それで心が咎めたのかどうか、霊柩車を運転する途中で殺した人たちの亡霊を見てしまい、最後は自滅する結果となる。
人間の、色と金の強欲の深さ、浅ましさを痛烈に笑い飛ばすブラックな人間喜劇の佳作ではないかと思う。面白かった。
霊柩車の運転手に、渥美清が扮しており、コメディ演技を封印して、最後に弘を強請るチョイ悪運転手役を好演している。目付きが他のコメディからは想像出来ない程気味悪い。
ところで西村晃と春川ますみの夫婦というと、奇しくも同じ年、本作のわずか3ヶ月前に公開された今村昌平監督の「赤い殺意」でもやはり夫婦役を演じている。偶然だろうか。それとも今村作品を意識してのキャスティングだろうか。
そう言えば今村昌平監督も、大金をめぐって欲につかれた人間の醜さ滑稽さを描いたサスペンス・コメディ「果しなき欲望」(1958)を監督していたのを思い出す。 (採点=★★★★)
1967年・日本/斎藤プロ
配給:松竹
監督:斎藤耕一
脚本:斎藤耕一
企画:斎藤節子
製作:斎藤節子、三木治
撮影:斎藤耕一
音楽:斎藤耕一、世良譲
おしまいは、後に「約束」、「津軽じょんがら節」などの映画史に残る秀作を撮る事となる斎藤耕一の監督デビュー作である。
元は日活所属のスチールカメラマンで、奇しくも前述の「赤い殺意」のスチール写真も手掛けている。
その斎藤が、自身のプロダクションを設立し、夫人のプロデュースで原案・脚本・監督・撮影・音楽まで担当した、ワンマン映画である。
さすがカメラマン出身だけあって、映像がとてもフォトジェニックで美しい。音楽もスキャットが全編に流れ、前年に公開されたクロード・ルルーシュ監督の出世作「男と女」と似た要素も多く、和製クロード・ルルーシュとも言われた。
ただ本作の撮影では、やたら急激なズームアップが多用されていて、今から見るとせわしなく見えてしまう。
お話は、殺し屋のジョー(中山仁)が、ファッションモデルで恋人の可奈子(麻生れい子)と愛し合いながらも、生活にくたびれ、「ブラジルに行きてえ」を口癖のように言い、可奈子を財閥の御曹子・三輪(金内吉男)に近づけ、二人が接近するのを黙認したりの、ジョーの怠惰で刹那的な生活ぶりを描く。
とりとめもない日常を即興的に切り取った映像には、ゴダールの「勝手にしやがれ」の影響も垣間見える。ステージでフルートを演奏する渡辺貞夫の姿も写っている。
ジョーは、夫を殺してくれという女の要望に応え、その夫を殺し、警察に追われる事となる。なぜか、いつも晴着を大事に持っている浮浪者の老人(信欣三)と仲良くなり、一緒に逃亡し、やがて海岸に辿り着いたジョーはそこで廃木を集め、「これでブラジルに行く」と言ってイカダを作り始める。
そして可奈子に連絡を取って呼び寄せるのだが、その後を警察に付けられていたのを可奈子は知らなかった。警察に包囲された事を知ったジョーは可奈子が裏切ったと勘違いし、可南子を銃で撃ってしまう。老人も警察に撃たれ死に、ジョーは可奈子の死体をイカダに乗せ、沖に漕ぎ出した所でエンド。こんな帆もない粗末なイカダでとてもブラジルなんて行けるはずもないのに…。
このラストは、ゴダール監督、ベルモンド主演のもう1本の秀作「気狂いピエロ」(1965)のラストも想起させる。こちらの主人公も恋人を射殺し、海岸で自らの命を絶つ。警察に追い詰められるラストは「勝手にしやがれ」と同じ。ルルーシュ・タッチも含め、フランス映画的な香りがする。
デビュー作として、意気込みは買えるし映像にも見るべきところは多いが、お話はどうって事はない。なぜブラジル行きにこだわるのかも描かれていない。
しかし欠点も多いけれど、何となく魅力的な映画である。動く写真集的な味わいもある。斎藤耕一ファン、及びルルーシュやゴダール作品が好きな方なら観ておいて損はないと思う。
この映画を観た数日後、本作に主演した中山仁の訃報を聞いた。享年77歳。報じられたのは11月11日だが、亡くなったのは1ヶ月も前の10月12日だったという。訃報を聞いてから本作を観たなら、また別の味わい方もあったのではないか。ともあれ謹んでご冥福を祈りたい。 (採点=★★★☆)
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というわけで、ほとんどはプログラム・ピクチャーで、公開後話題にもならず埋もれて行った作品も多いけれど、それなりに1950年代末から60年代後期にかけての、当時の日本映画の面白さの片鱗が伺えるだけでも観てよかったと思う。この企画は今後も続けて欲しい。
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コメント
初めて知る作品ばかりですね。
こういった特集上映羨ましいです。
因みに私の常連館は、車で20分の
イオンシネマ三川、自転車3分の
鶴岡まちなかキネマです。
まちキネの方に通なリクエスト
してみる予定です。
投稿: ぱたた | 2019年11月18日 (月) 10:13
◆ぱたたさん、お久しぶりです。
どれも面白いのですが、地味でほとんど知られていない作品ばかりですので、リクエストしても採算面で難しいかも知れませんね。
これらの作品の上映が実現したのは、シネ・ヌーヴォ20周年改装事業にクラウドファンディングで資金集めを募り、その出資した方々のリクエストに応えた、という経緯があるからです。出資への感謝とご褒美という意味合いもあるのでしょうね。
でもリクエスト、通る事祈ってます。
投稿: Kei(管理人) | 2019年11月18日 (月) 22:40