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2019年12月30日 (月)

2019年を振り返る/追悼特集

今年も押しつまりましたね。いかがお過ごしでしょうか。

さて今年も、毎年恒例の、この1年間に亡くなられた映画人の方々の追悼特集を行います。

 

ではまず、海外の映画俳優の方々から。

1月15日 キャロル・チャニングさん 享年97歳
Carolchaning あまりご存じではないかも知れませんが、ブロードウェイで長年活躍された舞台女優です。90歳代まで現役を続けられていたそうです。
1949年初演の「紳士は金髪がお好き」を始めとして、多くのブロードウェイ・ミュージカルに主演。これは後にマリリン・モンロー主演で映画化されました。
特に評判が高かったのは、1964年初演の「ハロー・ドーリー」。映画版ではバーブラ・ストライザンドが主演して有名ですが、ブロードウェイではその後も1994年まで4度もチャニング主演で上演され、また64年にこの作品でトニー賞のミュージカル主演女優賞を受賞しています。舞台で「ハロー・ドーリー」と言えばチャニングさんの名前がまず挙げられます。
映画はあまり出ていなくて、それも多くは日本未公開。出演作で唯一日本で公開されたのが、ジュリー・アンドリュース主演の「モダン・ミリー」(1966)。この中で金満家の未亡人マジー・ホスミア役を演じていたので、映画を観た方なら覚えているかも知れません。これでチャニングさんはアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされました。
キュートでなかなか魅力的な方でしたね。実力もあるので、もっと映画に出ていればアカデミー賞も獲って有名になれたかも知れませんね。惜しいです。

2月3日 ジュリー・アダムスさん 享年92歳
Creaturefromblacklagoon3 この方は何と言っても、あのギレルモ・デル・トロ監督でアカデミー賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」の元ネタとなった「大アマゾンの半魚人」(1955)のヒロイン役が有名ですね。半魚人にひたすら片思いの恋をさせた美人として、映画は今もカルト的人気を誇っています。
映画デビューは1949年で、以後も多くの映画に出ていますが、どれもB級的作品ばかり。中では「いかすぜ!この恋」(1965)ではエルヴィス・プレスリー、「マックQ」(74)ではジョン・ウェインとそれぞれ共演、そしてデニス・ホッパー監督・主演の「ラスト・ムービー」が目に付く程度。近年ではニコラス・ケイジ主演の「ワールド・トレード・センター」(2006)に出演しており、これがどうやら出演作としては最後の作品のようです(声だけの出演作は2011年の「おとなのけんか」があります)。
なお奇しくも前記の「ラスト・ムービー」のデジタル修復版がこの12月20日から公開されているので、ファンの方はジュリー・アダムス追悼として鑑賞されてはいかがでしょうか。

2月7日 アルバート・フィニー氏 享年82歳
イギリスの名優です。王立演劇学校を卒業し、その後しばらくは舞台で活躍。1960年から映画に出演、注目されたのは、いわゆる“怒れる若者たち路線”と称された「土曜の夜と日曜の朝」(1960)あたりから。そしてトニー・リチャードソン監督「トム・ジョーンズの華麗な冒険」(63)でベネチア映画祭の主演男優賞を受賞、アカデミー主演男優賞にもノミネートされ、これで一躍国際的に有名になりました。その後も「いつも2人で」(67)ではオードリー・ヘップバーンと共演、70年の「クリスマス・キャロル」で主演のスクルージを熱演、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞します。
そして何と言っても代表作はシドニー・ルメット監督の「オリエント急行殺人事件」(74)でのエルキュール・ポワロ役。これでアカデミー主演男優賞にノミネートされました。
以後も多くの映画で名演技を披露。アカデミー賞では5度のノミネート、ゴールデングローブ賞も3度受賞する等、イギリスを代表する名優と言えるでしょう。
近年でも、これもシドニー・ルメット監督の秀作「その土曜日、7時58分」(2007)で主人公の父親役を演じ、存在感を見せつけました。最後の出演作は2012年の「007/スカイフォール」と思われます。

2月10日 ジャン=マイケル・ヴィンセント氏 享年74歳
懐かしい名前ですね。あのサーフィン青春映画の名作「ビッグ ウェンズデー」(1978)で主演していた姿が忘れられません。
1967年に西部劇「テキサスの七人」で映画デビュー。この時の芸名はマイケル・ヴィンセントでした。ジョン・ウェイン主演「大いなる男たち」(1969)などいくつかの西部劇に助演した後、SF映画「世界が燃えつきる日」 (1977)で遂に主演を果たして注目され、そして「ビッグ・ウェンズデー」へと至る訳です。
その後、テレビシリーズ「超音速攻撃ヘリ エアーウルフ」(84)に主演し、これが当たって以後1987年の第6シーズンまで続く人気シリーズとなります。これは日本でも放映されましたね。
ただ良かったのはその頃まで。「エアーウルフ」終了後は以前からのアルコール依存症、薬物依存症が顕著になり、出演作も減って低予算作品にしかオファーが来なくなり、またアルコール浸りになるという悪循環。1996年には交通事故で頸椎と声帯に損傷を負い、これでほぼ役者生命は終わった形になりました。いい役者だったのに、惜しいですね。

2月16日 ブルーノ・ガンツ氏 享年77歳
この方も名優ですね。スイス・チューリッヒ出身で、主にドイツ映画界で活躍しました。1977年のヴィム・ヴェンダース監督、デニス・ホッパー主演の「アメリカの友人」で映画初出演、以後も「ブラジルから来た少年」(78)等の話題作で重厚な演技を見せ、そして87年のヴェンダース監督「ベルリン・天使の詩」の天使役で一躍世界的に知られるようになりました。その続編「時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!」(93)にも同じ天使役で出演。以後も多くの名作に出演し、渋い演技で作品を支えました。1993年の「ヒトラー 〜最期の12日間〜」ではヒトラーを演じ、これも高い評価を得ました。近年でも「手紙は憶えている」(2015)、「ハウス・ジャック・ビルト 」(2018)等で短い登場ながら存在感を示しました。来年にはテレンス・マリック監督の「名もなき生涯」(2019)が控えていますが、これが遺作となったようです。

4月7日 シーモア・カッセル氏 享年84歳
アメリカ・デトロイト生まれの俳優ですが、ちょっとユニークな経歴を持った方です。新人俳優の頃、俳優でありながらインディーズ系作品の監督でもあるあのジョン・カサベテスに師事し、カサベテスの監督デビュー作「アメリカの影」(59)でプロデューサーと助演(クレジットなし)を担当します。以後も「フェイシズ」(1968) 、「ミニー&モスコウィッツ」(1971)、 「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」(1976)といったカサベテス監督作品に連続出演する事となります。「フェイシズ」ではアカデミー助演男優賞にノミネートされています。カサベテス監督の良き片腕と言えるでしょう。
またデビュー間もない頃のウェス・アンダーソン監督の「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」(2001)、「ライフ・アクアティック」(2005)にも連続して出演しており、こうして見ると、インディーズ系新人監督を積極的に支援している様子が窺えます。素敵な事ですね。

4月30日 ピーター・メイヒュー氏 享年74歳
「スター・ウォーズ」ファンなら知らない人はいないでしょう。あのチューバッカのコスチュームの中に入ってた方です。第1作「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」でチューバッカを演じて以来、「エピソード7/フォースの覚醒」まで、エピソード1、2を除く全作でチューバッカを演じ続けました。ちなみに映画デビューはレイ・ハリーハウゼン特撮の「シンドバッド虎の目大冒険」(1977)におけるミノトン役。こうして見ると、どれも素顔を見せてませんね(笑)。「スター・ウォーズ」最終作(多分)である「エピソード9/スカイウォーカーの夜明け」が公開される年に亡くなられたのも、不思議な巡り合わせを感じますね。

5月13日 ドリス・デイさん  享年97歳
Drisday 父はドイツ出身で、本名はドリス・メアリー・アン・フォン・カッペルホフとやたら長い(笑)。バレリーナ志望でしたが事故で断念、歌手に転向し、やがて「センチメンタル・ジャーニー」の大ヒットを飛ばして一流歌手の仲間入り。その後ワーナーのオーディションを受けて映画俳優になります。'50年に主演した「二人でお茶を」の同名主題歌がまた大ヒット、また51年にはミュージカルカラミティ・ジェーン」でカラミティ・ジェーンを熱演、と歌と主演で活躍します。
そして何と言っても、ヒッチコック監督の「知りすぎていた男」(56)のジェームズ・スチュアートの妻役が忘れられません。ドリスが歌う、主題歌でもある「ケ・セラ・セラ」の歌が、さらわれた息子を見つけるキーとなります。この歌も大ヒットしましたね。その後も多くの映画に出演。'58年の先生のお気に入りではまたまた主題歌が大ヒット、といった具合に、映画俳優と主題歌の歌手の両方兼務で共にヒットを積み重ね、その歌のいずれもが今ではスタンダード・ナンバーになっている点でも稀有な存在と言えるでしょう。1968年に早々と映画界を引退、テレビに移り「ドリス・デイ・ショー」などで活躍しました。追悼の意味で、彼女が歌うCDでも聴く事としましょうか。

6月12日 シルヴィア・マイルズさん 享年94歳
アクターズ・スタジオ出身。映画出演作はあまり多くはありませんが、「真夜中のカーボーイ」(1969)とフィリップ・マーロウもの「さらば愛しき女よ」(1975) の2本でアカデミー助演賞にノミネートされました。いずれも登場時間はわずかなのに強い印象を残しているのは名演技者の証しと言えるでしょう。近作はオリバー・ストーン監督「ウォール・ストリート」(2010)。多分これが遺作でしょう。

6月25日 イザベル・サルリさん  享年89歳
Nyotaiarijigoku この方、私にとっては少年時代に強烈な印象を受けた、忘れられない俳優です。と言うのは、1962年にアルゼンチン製の「女体蟻地獄」なる題名の、いわゆる成人映画が我が国で公開されますが、その公開劇場の表看板に貼られたポスターがなんとも刺激的(右参照)で、無論当時私は未成年ですから映画を観る事は出来ませんが、通学途中、その映画館の前を通る度にそのポスターが目に飛び込んで来て、ドキドキしたものでした(見る為に遠回りしたわけではありません(笑))。その裸体を晒した主演女優がイサベル・サルリでした。
おかげでサルリさんの名前とポスターのビジュアルは今も頭にこびり付いています(笑)。その後もサルリ主演の映画がいくつも輸入公開。その題名が「先天性欲情魔」 (1970)、「獣欲魔」(1971) 、「獣欲魔地獄責め」(1973)、「水中悶絶狂乱」(1973) とまあ強烈。監督はすべてサルリさんの夫でもあるアルマンド・ボー。配給会社もよくまあ付けも付けたり。なんだかロジャー・コーマン監督のポー原作ものに「姦婦の生き埋葬」だの「怪談呪いの霊魂」だのといった題名を付けた大蔵映画を思い起こさせるなと思ったら、「女体蟻地獄」の輸入元が大蔵映画でした(笑)。2010年頃まで、数多くのアルゼンチン映画に出演。アルゼンチンの外貨獲得に貢献したようで、2008年にはアルゼンチン映画批評家協会功労賞を受賞したそうです。確かに彼女主演作以外、アルゼンチン映画って思い浮かばないのですね。これらの映画、私にとっては幻の作品で、DVDが出ていれば観たいですね。

7月19日 ルトガー・ハウアー氏  享年75歳
オランダ映画界で活躍の後、ハリウッドに渡り、多くの映画に出演。中でも強烈な印象を残したのがSF映画史上の傑作「ブレードランナー」(1982)で演じたレプリカント役ですね。あと85年の「ヒッチャー」における不気味なヒッチハイカー役も忘れられません。変わった所では、勝新太郎主演の「座頭市」を翻案した「ブラインド・フューリー」があります。その他の代表作としては「聖なる酔っぱらいの伝説」(1988)、「バットマン ビギンズ」(2005)、「ダリオ・アルジェントのドラキュラ」(2012)などがあります。2018年の「ゴールデン・リバー」が遺作となったようです。でも出演作中で最高の1本となると、「ブレードランナー」にとどめを刺すでしょうね。

8月16日 ピーター・フォンダ氏 享年79歳
名優ヘンリー・フォンダの息子でありながら、幼い頃から父に反発し(母親の自殺が原因とも言われている)、それでもやはり父と同じ俳優の道を選びます。最初の頃は他愛ない青春物が続きますが、そんな彼をB級映画の帝王、ロジャー・コーマン監督が目に留め、ヘルス・エンジェルスと呼ばれた無軌道なバイク集団を主人公にした「ワイルド・エンジェル」(1966)に主演させます。そして翌年、コーマンはLSDの幻覚症状を描く「白昼の幻想」に再びピーターを起用します。ここで共演したデニス・ホッパー、脚本を書いたジャック・ニコルソンと意気投合したピーターは、3人で組んで「ワイルド・エンジェル」からヒントを得たバイク・ロードムービー「イージー・ライダー」を自らプロデュース・脚本・主演を兼任し、ホッパー監督で完成させ、これが世界中で大ヒット、映画はアメリカン・ニューシネマの金字塔として高い評価を得ました。父親とは別の生き方で映画史に名を刻む事となった訳ですね。
71年には初の監督作品「さすらいのカウボーイ」を発表、これも評価されます。しかしその後も「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」(74)、「ダーティハンター」「悪魔の追跡」(75)、「怒りの山河」(76。ロジャー・コーマン製作)といったB級的アクション映画に出続け、決して父のようなA級俳優の道を歩まなかったのもえらいと言えばえらいですね。83年には村上龍監督の日本映画「だいじょうぶマイ・フレンド」にも出演しました。一時期は低迷していた時代もありましたが、1997年に主演した「木洩れ日の中で」が高い評価を受け、ピーターはゴールデングローブ賞とニューヨーク映画批評家協会賞でそれぞれ主演男優賞を受賞し、カムバックを果たします。
その後もコンスタントに映画出演を続けますが、やはりB級的な匂いのするエンタメ作品が多いですね。2007年の4人の中年バイクライダーを主人公にした「団塊ボーイズ」で、元ヘルス・エンジェルスの老人役でカメオ出演していたのもニヤリとさせられました。「木洩れ日の中で」で主演男優賞にノミネートされた以外、最後までアカデミー賞とも無縁なのもこの人らしいです。なお女優として活躍しているブリジット・フォンダはピーターの娘です。

9月3日 キャロル・リンレイさん 享年77歳
少女モデルから女優になり、映画デビューは1958年の「開拓者の血」。その後数年間は主に青春物で活躍していました。そして1965年、代表作と言える作品に出合います。それがオットー・プレミンジャー監督の「バニーレークは行方不明」。キャロルは、突然娘が行方不明になったものの、周囲からは「そんな娘はいなかった」と言われ、自分がおかしくなったのではと不安に苛まれる母親役を好演しました。当時流行った、ニューロティック・スリラーものの佳作でした。翌年には怪奇小説家H・P・ラブクラフトの小説を映画化した恐怖映画「太陽の爪あと」にも主演、と順調な足跡をたどります。69年にはヒッチコック監督により映画化されたパトリシア・ハイスミス原作「見知らぬ乗客」のリメイク作品「死刑台に接吻」にも主演。ただしこちらはヒッチコック作品と同じ原作とは言え、交換殺人がテーマである以外は全くの別作品です。キャロルは精神に異常をきたした娘役を演じましたが、作品的にはほとんど話題になりませんでした。キャロルのビキニ水着姿が見られるのは見どころと言えるでしょうが。
それ以降はこれと言った代表作がなく、B級ホラー作品にも出演したりで次第に精彩を欠いて行きます。72年にはパニック映画の秀作「ポセイドン・アドベンチャー」に主題歌「モーニング・アフター」を歌う歌手役で出演しました。歌はアカデミー歌曲賞を受賞しましたが、歌ったのはキャロルではなくモーリン・マクガヴァンでした。
以降もこれと言った出演作はなく、いつの間にか忘れられてしまったのは残念でしたね。

11月2日 マリー・ラフォレさん 享年80歳
何と言っても、ルネ・クレマン監督の映画史に残る傑作サスペンス「太陽がいっぱい」(60)のヒロイン、マルジュ役が忘れられませんね。

Marylafore

1959年に姉の替わりに出場したラジオのタレントコンテストで優勝、これでルイ・マル監督に見いだされ、映画出演をオファーされますが、企画が流れてしまい、その後ルネ・クレマン監督作品「太陽がいっぱい」に抜擢され、この作品で映画デビューとなります。これが世界中で大ヒット、一躍スターの仲間入りとなります。
同年、名匠ジャン=ガブリエル・アルビコッコと結婚、アルビコッコ監督作「金色の眼の女」(61)、ヴァレリオ・ズルリーニ監督の「国境は燃えている」などにも主演します。
歌手としても活躍し、何枚かアルバムも出していますし、舞台にも進出、中でもマリア・カラスを演じた「マスター・クラス」は高く評価されました。
映画の方はその分出演作が少なくなり、70年代以降はわずかの助演作品しかないのは残念ですね。それでも、名作「太陽がいっぱい」の主演女優として映画史に名前を刻んだだけでも素晴らしい事だと思います。またDVD引っ張り出して「太陽がいっぱい」を追悼鑑賞する事にしましょう。

11月20日 マイケル・J・ポラード氏 享年80歳
この方も懐かしい。アメリカン・ニューシネマの傑作「俺たちに明日はない」(67)で、ボニーたちの仲間になるややチビの若者を好演して、これで英国アカデミー新人賞を受賞、一躍有名になりました。
映画デビューは1962年。最初の頃は脇役で目立たない存在でしたが、ピーター・フォンダの項でも触れた「ワイルド・エンジェル」に助演、これがきっかけで「俺たちに明日はない」の抜擢に繋がります。以後もマイケル・ウィナー監督の佳作「脱走山脈」(68)、ロバート・レッドフォードと共演した「お前と俺」(70)等でも印象的な存在感を示しました。
しかしその後は、多くの映画に出演はしていますがこれといった代表作はなく、脇に回って次第に目立たなくなって行きます。フィルモグラフィを見ても、知らない作品ばかりです。いい役者だったのに、残念ですね。

12月14日 アンナ・カリーナさん 享年79歳
Annakarina デンマーク出身。本名はハンネ・カリン・バイエル。10代の頃、女優になることを夢見て故郷のデンマークからヒッチハイクでパリに渡ったそうです。そしてたまたま町を歩いていた時カメラマンの目に止まり、モデルとして雑誌やCMに出演、ファッションデザイナーのココ・シャネルの助言でアンナ・カリーナと改名します。そしてジャン・リュック・ゴダール監督に見いだされ、1960年、ゴダール監督の「小さな兵隊」で映画デビューを果たします。翌年ゴダールと結婚。以後「女は女である」(61。ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞)、「女と男のいる舗道」(62)、「はなればなれに」(64)、秀作「気狂いピエロ(65)、「アルファヴィル」(65)、「メイド・イン・USA」(67)とゴダール監督作に連続して出演、アンナはまさにゴダール作品になくてはならない存在になります。
しかし64年にゴダールと離婚、以後もゴダール作品には出演を続ける一方、その他の名だたる監督の作品にも多く出演しています。ロジェ・ヴァディム監督「輪舞」(64)、ルキノ・ヴィスコンティ監督「異邦人」(68)、トニー・リチャードソン監督「悪魔のような恋人」(69)など。奇しくも前掲のマリー・ラフォレ主演作「国境は燃えている」にも出演しています。70年代以降も多くの作品に出演していますが、日本未公開作品やマイナーな作品が多く、近年あまり目に触れる機会が少なかったのは残念ですね。山田宏一さんの著作ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」では、ゴダール作品におけるアンナの魅力が語られ、アンナ・カリーナという女優を知るには必見の名著です。お奨めです。亡くなったのは惜しいですが、ゴダールの名作映画の中で、アンナ・カリーナはミューズとして今も燦然と輝いていると言えるでしょう。 

     

さて、日本の俳優に移ります。

1月12日 市原悦子さん 享年82歳
名女優ですね。俳優座出身で、1957年舞台デビュー。主に舞台で活躍されましたが、60年代からテレビにも進出、またTBSのアニメ「まんが日本昔ばなし」で常田富士男さんと長期間にわたり登場人物の声を演じたのも有名ですね。映画も57年の「雪国」を皮切りに数多く出演、脇役ながら渋い存在感を示しました。あまりに出演作が多くて一々挙げられませんが、個人的に代表作を探すと、松山善三監督「われ一粒の麦なれど」(64)で、冒頭小林桂樹の所に掛かって来た、小児マヒ患者の母親からの間違い電話の声を演じたのが市原さんでした。声のみの出演ですが、その悲痛な叫び声は真に迫っていて圧倒されました。その他の作品では、小林正樹監督「上意討ち 拝領妻始末」(67)での、三船敏郎の孫の面倒を見る乳母役ですね。ラスト、藩に歯向かった三船も倒され、一人残った幼い遺児を抱いて去って行く市原さんの姿を捕えてエンドマーク、という幕切れが印象的でした。今村昌平監督「黒い雨」(89)も忘れられませんね。2003年には恩地日出夫監督の力作「蕨野行」で初の主演を果たします。そして近年一番の名演は河瀬直美監督の傑作「あん」(2015)における、樹木希林さんの友人役です。出番はわずかでしたが、その凛とした佇まいはさすがでした。2017年公開の「しゃぼん玉」が遺作となりました。
蛇足ですが、本名は塩見悦子!なんと、志穂美悦子の本名と同姓同名じゃないですか。どうでもいいですけど(笑)。

2月17日 佐々木すみ江さん 享年90歳
劇団民藝出身。1951年より数多くの舞台に立ちます。長身の美人で、「和製ソフィア・ローレン」と呼ばれていたそうです。舞台、テレビ、映画を股にかけて活躍されました。映画は57年の新藤兼人監督「どぶ」を皮切りに、主に新藤兼人監督作、民藝ユニット作品を中心に数多く出演しています。出番は僅かの作品が多いですが、貴重なバイプレイヤーとして最近まで映画出演を続けていました。遺作は来年公開の「記憶屋-あなたを忘れない」。70年近い俳優人生でしたね。お疲れさまでした。

2月22日 2代目笑福亭松之助氏 享年93歳
本職は落語家ですが、映画にも多く出演。1952年から67年にかけて東映の時代劇によく出ていましたが、67年の「一心太助 江戸っ子祭り」を最後に、本業が忙しくなったせいか、映画から遠ざかっていました。それから22年後の89年、阪本順治監督のデビュー作「どついたるねん」で主人公赤井英和の父親役を好演。以後阪本監督作品の常連となって「王手」(91)、「BOXER JOE」(95)、「ビリケン」(96)、「ぼくんち」(2003)等の阪本作品に出演しています。その他では井筒和幸監督の2本、「岸和田少年愚連隊」(96)、「パッチギ!」(2004)にも出演。顔が長くて人のいい、あるいはちょっと弱気のおっさん役を演じさせたら絶品でしたね。

2月28日 花柳幻舟さん 享年77歳
舞踊家、女優、作家といろんな顔を持つ、マルチタレントの奔りでしょうか。18歳で日本舞踊花柳流に入門。花柳流名取となりますが、打倒家元制度を提唱し、過激な行動で話題を振りまきます。なにしろ花柳流家元に包丁で斬りつけ、傷害罪で服役したり、1989年の天皇即位礼の祝賀パレードでは爆竹を投げたりと、まるで「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三です(笑)。その間さまざまなエッセイ、小説を刊行。また映画にも多く出演します。映画初出演は1968年の松竹映画「怪談残酷物語」。続いて同年の日活配給の成人映画「秘帳 女浮世草紙」、以後東映で石井輝男監督「異常性愛記録 ハレンチ」などに出演。72年以降は日活ロマンポルノに連続出演。…と、フィルモグラフィのほとんどが成人映画です。中でも、本人の最高作とも言えるのが田中登監督の傑作「㊙色情めす市場」(74)でしょうね。主演の芹明香の母親役を怪演しておりました。89年にはなんと、イギリスの女性作家たちによる、幻舟の軌跡とその生き方を追ったドキュメンタリー「幻舟」も公開されました。それくらい、海外でもインパクトを与える強烈な個性を持った女性であったと言えるでしょう。
今年2月、群馬県で橋の上から墜落死したそうです。破天荒で波乱に満ちた人生だったようですね。

3月17日 内田裕也氏 享年79歳
Uchidayuya 世間一般的には、ロック・ミュージシャンで、沢田研二たちの・ザ・タイガースを発掘した事や、樹木希林さんの旦那として知られていますが、映画の世界でも多大な貢献をされた方です。
1960年代から、クレージー・キャッツや加山雄三主演の映画で助演しておりました。この頃はコミカルで他愛ない役が多く、中でも谷啓主演の「クレージーだよ奇想天外」(66)ではミュージシャン役ですが、間違って下剤を飲んだ為、舞台上でお尻押えて七転八倒する姿に大笑いしました。しかし77年に曽根中生監督「不連続殺人事件」に出演した事で、本人曰く「映画に目覚め」、やがて日活ロマン・ポルノに積極的に出演するようになります。この頃の代表作は藤田敏八監督「実録不良少女 姦」(77)、長谷部安春監督「エロチックな関係」(78)、神代辰巳監督「嗚呼!おんなたち 猥歌」(81)など。その他では若松孝二監督「水のないプール」(82)、大島渚監督「戦場のメリークリスマス」(83)と、実に錚々たる監督の作品があります。こうして個性的な監督の映画に出るうち、映画製作の意欲にも目覚めたようで、やがて自分で企画し、脚本も書いた「十階のモスキート」(83)を、当時助監督だった崔洋一に監督を任せて製作、ATG系で公開されたこの作品はキネ旬ベストテン9位に入選、崔監督もスポニチ映画賞で新人監督賞を受賞、以後一流監督の道を歩みます。さらに続いてこれも自分で企画・脚本を手掛けた「コミック雑誌なんかいらない!」(86)では、それまでピンク映画ばかり撮っていた滝田洋二郎を監督に抜擢、映画は話題を呼び、キネ旬ベストテン2位、内田さんは同主演男優賞を受賞します。滝田監督はこの作品で初めて一般映画に進出、以後日本を代表する名監督となります。崔洋一といい滝田監督といい、無名の新人監督の才能を見抜く内田さんの眼力には感服します。もし本格的に映画プロデューサーに専心していたら、日本映画界の流れを大きく変えたかも知れません。
2014年に内田さんが著した「ありがとうございます」(幻冬社・刊)を読むと、その人脈の広さに驚きます。松岡功、徳間康快、勝新太郎(60年の「不知火検校」の頃から親交があったとか)、小泉純一郎、音楽界ではジョン・レノン、ヨーコ・オノ、ミック・ジャガーと多士済々。トラブルもよく起こしましたが、それでも多くの方に好かれていた事が分かります。改めて、凄い人だったんだなと実感いたします。

3月18日 織本順吉氏 享年92歳
名バイプレイヤーでしたね。劇団出身で、1954年に岡田英次らと劇団青俳を結成する一方、多くの映画に出演します。最初の映画出演は52年の「山びこ学校」。以後独立プロ作品や、松竹、東映作品に多く出演。56年の今井正監督「真昼の暗黒」「米」「純愛物語」、小林正樹監督「あなた買います」「人間の條件」などの話題作もありますが、多くはプログラム・ピクチャー。そんな中、目を引いたのが深作欣二監督「新仁義なき戦い 組長の首」における井関組長役ですね。凄んで見せるけど実際は気の弱い親分を絶妙に好演しておりました。鈴木則文監督「トラック野郎・爆走一番星」(75)での、桃次郎にパトカーを振り切りながら故郷まで送り届けてもらう親父役もいい味を出しておりましたね。
そして何と言っても、倉本聰脚本のテレビドラマ「やすらぎの郷」(2017)で終盤をさらう、やすらぎの郷創設者の加納英吉役ですね。詳しくは拙ブログを参照いただきたいですが、ベッドの上で「『大笑い三十年の馬鹿騒ぎ』、石川力夫という若い極道の辞世の句だ」とつぶやいて大往生を遂げる入魂の演技には圧倒されました。脇役一筋ですが、いぶし銀の名優と言えるでしょう。映画の遺作は昨年の齊藤工監督の「blank13」でした。

3月26日 萩原健一氏 享年68歳
今さら言うまでもないですが、グループ・サウンズ、ザ・テンプターズのリードボーカルを経て、バンド解散後、役者に転身します。そして72年の斎藤耕一監督の傑作「約束」で岸惠子の相手役を演じて絶賛され、以後本格的に俳優の道を歩みます。同年のテレビドラマ「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事役も新鮮で良かったですね。個人的にベスト出演作を挙げると、神代辰巳監督「青春の蹉跌」(キネマ旬報最優秀主演男優賞を受賞)、伊藤俊也監督「誘拐報道」、深作欣二監督「いつかギラギラする日」、後年で割と好きなのが渡邊孝好監督「居酒屋ゆうれい」(94)ですね。演技してます感が見えない自然さで、どの作品でも見事な存在感を示していました。テレビ「傷だらけの天使」も好きですね。黒澤明監督「影武者」にも出演していますが、個人的には前記のような時代の空気感を体ごと表現する青春像を演じさせては天下一品だったと思います。大河ドラマの高橋是清、なんてのは観たくないですね。それにしても68歳での死は若過ぎます。

5月12日 京マチ子さん 享年95歳
Kyoumachiko 戦後日本を代表する名女優ですね。戦前から大阪松竹少女歌劇団で活躍し、1949年に大映に入社。数本の映画に出演の後、「痴人の愛」(49)で宇野重吉を相手に、天衣無縫で男を狂わせるヴァンプ役を好演し注目されます。そして翌年、黒澤明監督「羅生門」で、強姦されても男たちを翻弄する真砂役を演じ、これがヴェネチア映画祭グランプリを受賞して京さんは一躍世界に名を知られます。これが本格女優デビューしてからまだ2年目だったのですから驚きですね。以後も溝口健二監督「雨月物語」(53)、衣笠貞之助監督「地獄門」(53)と海外での受賞作品が相次ぎ、「グランプリ女優」と呼ばれるまでになります。以後の活躍は書くまでもありませんね。代表作を挙げて行けばキリがありませんが、個人的に好きな作品を挙げると、吉村公三郎監督「偽れる盛装」(51)での菅井一郎に追われ斬られる芸者役、成瀬巳喜男監督「あにいもうと」(53)で、森雅之と取っ組み合いの大喧嘩をする妹役、市川崑監督「鍵」(59)における老人中村鴈治郎の後妻役、、小津安二郎監督「浮草」(59)の、土砂降りの雨の軒先でこれまた鴈治郎と口論する旅役者、それと変わった所では江戸川乱歩原作・三島由紀夫の戯曲の映画化「黒蜥蜴」(62・井上梅次監督)での妖艶な女賊役、と言った所でしょうか。
妖艶さ、気品を兼ね備え、悪女からコミカルな役まで、その芸域の広さには感服します。後年は舞台、テレビ出演も多くなりますが、やはり映画、特に大映を支えた名女優として映画史に残る方だったと言えるでしょう。

5月15日 杉葉子さん 享年90歳
1947年、東宝の第2期ニューフェイスに合格し、東宝に入社します。そして49年の今井正監督「青い山脈」で、主演の女学生、寺沢新子役を溌溂と演じ、これで一気に有名になりました。以後も多くの東宝作品に出演します。もう1本代表作を挙げるなら、53年の成瀬巳喜男監督「夫婦」における上原謙の妻役ですね。倦怠期の人妻役を好演しました。しかしそれ以降、助演に回ることが多くなり、かつ安易なプログラム・ピクチャーへの出演が増えて行ったのが残念です。61年には映画界を引退し、アメリカ人と結婚してアメリカに移住しました。それでも、「青い山脈」という映画史に残る代表作で、映画ファンの心に今も強い印象を残しているのは俳優冥利に尽きるのではないでしょうか。

6月26日 高島忠夫氏 享年88歳
1951年に新東宝のニューフェイス第1期生として映画界に入り、以後新東宝の青春スターとして活躍します。同社の「坊ちゃん」シリーズは当たり役になりました。1956年には助演も入れて年間16本もの映画に出演しています。その後60年、菊田一夫の勧めで東宝に移籍、舞台の東宝ミュージカルや東宝映画作品に出演します。映画では特撮映画「キングコング対ゴジラ」(62)のテレビ取材班員、「にっぽん実話時代」(63)での実話雑誌編集長役などが印象に残りますね。そして舞台の「マイ・フェア・レディ」(63~)でのヒギンズ教授役や、映画でも64年の数少ない日本製の本格的ミュージカル映画として知られる「君も出世ができる」(須川栄三監督)などで、日本を代表するミュージカル・スターとしての地位を確保します。
一般的にはテレビの司会者、料理番組の案内役で知られていますが、映画ファンとしては'60年代の映画、舞台のミュージカルで活躍し一時代を築いたスターとして忘れられない方ですね。

10月12日 中山仁氏 享年77歳
Sasayakinojoe3 舞台出身ですが、65年頃からテレビに出演、66年の成瀬巳喜男監督「ひき逃げ」から映画にも出演。67年の五所平之助監督「宴」の主役で注目を集めます。同年の山田洋次監督「愛の讃歌」では倍賞千恵子の恋人役、そしてやはり同年の斎藤耕一監督のデビュー作「囁きのジョー」での印象的な好演、さらに同年末公開の「花の宴」で主演の滝廉太郎役と、この年大ブレイク、日本映画製作者協会(エランドール賞)新人賞を受賞、甘いルックスにスラリとした身長で人気スターとなります。
残念ながら、翌年以降はなぜか役に恵まれず、助演が多くなって行きます。69年以降はテレビ出演が多くなり、中でもスポ根ドラマ「サインはV」(69~)での牧コーチ役が大当たり、映画出演はぐんと少なくなり、かつ助演ばかりになってしまったのは残念ですね。奇しくもつい先日「囁きのジョー」を観たばかり。こんないい役者を生かせなかった日本映画はダメですね。

10月24日 八千草薫さん 享年88歳
宝塚歌劇団出身で、可憐な役で人気スターになります。また51年の「宝塚夫人」で脇役ながら映画デビューを果たし、以後宝塚在団のまま多くの映画に出演します。やがて宝塚を退団、映画に専念する事となります。そして54年の稲垣浩監督、三船敏郎主演の「宮本武蔵」三部作でお通役を好演、これは翌年の米アカデミー賞で最優秀外国語映画賞を受賞し、また55年の日本・イタリア合作「蝶々夫人」でも主演の蝶々夫人を演じ、国際的にも知られる人気スターとなります。
個人的に大好きなのは、60年の東宝特撮映画「ガス人間第一号」(本多猪四郎監督)における、能の家元・春日藤千代役ですね。ガス人間(土屋嘉男)が無償の愛を捧げる美しい人で、特に冒頭、犯人を追った三橋達也の刑事が屋敷の中で八千草さんと出会うシーンでは、この世の者と思えないほど幽玄さでゾッとしたほどです。最後にガス人間と無理心中の形で死んで行くシーンでは涙が溢れました。66年の市川雷蔵主演「大殺陣・雄呂血」での、雷蔵の婚約者で、雷蔵に愛されながらも残酷な運命に翻弄される波江役も良かったです。72年の山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎夢枕」における寅の幼馴染役も忘れ難いですね。なんとシリーズ始めて、寅さんと結婚したいと告白するのです。寅の方がビビってしまうのがおかしかったですね。
代表作は映画、テレビも含めてたくさんありますが、晩年は何と言っても前掲の織本順吉さんの項でも書いた、「やすらぎの郷」での姫こと九条摂子役は素敵でしたね。織本さん扮する加納英吉に終生愛され、やがて亡くなった時の葬儀シーンではつい泣いてしまいました。続編の「やすらぎの刻~道」でもがんの病を押して出演、その役者根性には頭が下がります。ドラマの中で印象的な臨終を演じた織本さんと八千草さんが、今年相次いで亡くなられたのは、まだドラマの続きを見ているようで今も信じられません。本当に素晴らしい名女優でした。

10月31日 山谷初男氏 享年85歳
1953年頃より舞台で活躍され、64年、松竹映画「ケチまるだし」(不破三雄監督)で映画デビューしています(題名はその3ヵ月前公開されヒットした山田洋次監督の「馬鹿まるだし」にあやかってますね。監督も山田監督の助監督だった不破三雄です)。以後映画、テレビ、舞台で幅広く活躍されましたが、この方が凄いのは、当時ピンク映画を撮りまくっていた若松孝二監督の依頼で「胎児が密猟する時」(66)に出演し、以後若松プロが製作するピンク映画に立て続けに出演している事です。確認されている分だけでも「性の放浪」「狂走情死考」他の若松監督作品、「裏切りの季節」「荒野のダッチワイフ」(以上大和屋竺監督)、「避妊革命」(足立正生監督)等12本に出ています。しかもこれらはいずれも、ピンク映画の中でも政治性やアヴァンギャルドな内容を持った極めて異色の問題作ばかりです。この間テレビや舞台出演は少なくなっています。よほど若松監督の製作志向に共鳴したのでしょうか。
そして70年代以降は一般映画にも出るようになりましたが、それでも「女地獄・森は濡れた」(73)「四畳半襖の裏張り」(73) 、「赫い髪の女」(79)といった日活ロマン・ポルノに出演しています。しかも3本とも神代辰巳監督作品。若松孝二にしろ、きちんと優れた作家を選んでいる所が素晴らしいですね。独自の感性を持たれていたのかも知れません。この点は特に強調しておきたいと思います。

11月17日 松本ちえ子さん 享年60歳
資生堂「バスボン」石鹸のCMで有名ですが、映画もわずかながら出演。特に好きなのが曽根中生監督「博多っ子純情」(78)における、主人公六平(光石研)の幼馴染で恋人の小柳類子役ですね。同じ曽根監督の「元祖大四畳半大物語」(80)でも主人公に好意を抱く娘役を好演。84年にはなんと日活ロマン・ポルノ「夕ぐれ族」(これも曽根中生監督)に出演。なかなかいい存在感を見せてましたが、映画出演はこれが最後となりました。もっと映画に出て欲しかったですね。60歳は若過ぎます。

12月12日 梅宮辰夫氏 享年81歳
Tekihagenshisenkoutei 1958年、東映ニューフェイス5期生として東映入社。翌年「少年探偵団 敵は原子潜航挺」でいきなり主役の明智小五郎!を演じて映画デビュー。同年、テレビでヒットしていた「遊星王子」の映画版でこれまた主役の遊星王子役、と、デビュー当時は少年向け映画のヒーロー役だったというのが今では信じられませんね(笑)。その後は東映東京撮影所製作のギャングもの、アクションものでの助演が続きます。63年の東映任侠映画第1作として知られる「人生劇場・飛車角」では本来の主人公・青成瓢吉を演じてます。
65年頃からは、岡田茂撮影所長の発案で「ひも」に始まる“夜の青春シリーズ”に主演、プレイボーイ、女たらし役が当たり役となります。でも私が好きなのは、68年から始まる「不良番長」(野田幸男監督)シリーズですね。最初の頃はマーロン・ブランド主演「乱暴者」「地獄の天使」などにヒントを得た不良バイク野郎路線でしたが、内藤誠が監督に参加した「送り狼」(69)辺りからコメディ色が強くなり、野田監督も負けじとコメディ路線に転換、やがては日本映画では珍しいシュールなまでのナンセンス・ギャグコメディの快(怪?)作シリーズに発展して行きます。梅宮自身も「不良番長」シリーズを自分の代表作だと語っています。一方では「夜の歌謡シリーズ」「夜遊びの帝王」に始まる「帝王」シリーズも順調に展開、京都に比べてヒット作の少ない東京撮影所で活躍して行きます。中ではやはり内藤誠監督とのコンビ作が面白いですね。特に72年の「ポルノの帝王 失神トルコ風呂」はエロティックな爆笑ギャグが満載で大笑いした記憶があります。これらのコメディ作品には、共演の盟友山城新伍の存在も大きいでしょうね。73年以降は、「仁義なき戦い」シリーズ、他の実録路線でも活躍しました。

 

さて、ここからは映画監督の部です。まず外国勢から。

1月22日 ジェームズ・フローリー氏 享年82歳
アメリカの、主にテレビドラマで監督を担当しました。まずモンキーズ主演の「ザ・モンキーズ」(1966~1967)を手掛け、その後「刑事コロンボ」シリーズを新シリーズも含め6本監督しています。そのうちの「死者のメッセージ」「秒読みの殺人」はいずれも昨年NHKが視聴者アンケートによる人気投票で選んだベスト20位に入っています。あと「攻撃命令」も面白かったです。「刑事コロンボ」を面白くした功労者の一人と言えるでしょう。劇場映画は2,3本しか撮ってませんが、76年公開の「弾丸特急 ジェット・バス」はなかなかの拾い物。当時流行りのパニックものの1本で、プールやボウリング場までついた(笑)巨大な原子力エンジン・バスに爆弾が仕掛けられ暴走するというお話。大物スターは出ていませんが、サスペンスと笑いがうまくブレンドされた佳作でした。同作のプロデューサーが「スティング」「未知との遭遇」のマイケル&ジュリア・フィリップス。こんなのも作ってたのですね。

2月21日 スタンリー・ドーネン氏 享年94歳
この方は何と言っても、ジーン・ケリーと組んだMGMミュージカル映画での活躍が忘れられないですね。特にジーン・ケリーとの共同監督「雨に唄えば」(52)は、MGMミュージカルのみならず、ミュージカル映画の金字塔として多くのファンに愛されています。私も大ファン。映画館でテレビでビデオでDVDで、もう何度見たか数え切れません。映画史上最高のミュージカル映画と思います。
大学中退後、ブロードウェイの舞台でコーラスを務めていた所、主演のジーン・ケリーと意気投合し、ケリーの助手を務め、やがてケリーと共にMGMに入社し、振付師・ダンサーとして活躍。やがて監督になります。まずケリーと共同監督の「踊る大紐育(ニューヨーク)」(49)で評価され、続いてフレッド・アステア主演「恋愛準決勝戦」(51)もヒット。この中でアステアに床から壁、天井へと踊らせた名シーンは語り草ですね。そして「雨に唄えば」に至るわけです。ケリーと別れた後も「掠奪された七人の花嫁」「パリの恋人」「パジャマゲーム」「くたばれ!ヤンキース」とミュージカルの快作を連打。押しも押されもせぬミュージカル映画の第一人者監督となります。
その後は一般映画にも進出。「パリの恋人」でも組んだオードリー・ヘップバーン主演「シャレード」(63)はサスペンス映画の快作で、主題歌(ヘンリー・マンシーニ)ともども大ヒットしました。ヘップバーンとは「いつも二人で」(67)でも組んでいます。その後もいくつか監督作がありますが、晩年はこれといった作品がないのが残念です。また「雨に唄えば」が観たくなって来ました。

3月23日 ラリー・コーエン氏 享年77歳
アメリカの映画監督・脚本家。74年に監督したホラー映画「悪魔の赤ちゃん」がスマッシュヒット。その後続編が2本作られる人気シリーズとなります。他にも「ディーモン 悪魔の受精卵(ディーモン)」(76)等低予算ながら異色のホラー映画を監督しています。82年には怪獣映画「空の大怪獣Q」(日本未公開)を監督。SFにオカルトホラーの要素もブレンドされた、一部でカルト的人気のある異色作です。その後はこれといった作品は監督していませんが、この人の評価はむしろ脚本家、ストーリー作家としての功績が大であったと言えます。映画ではユル・ブリナー主演の西部劇「続・荒野の七人」、ハードボイルド「探偵マイク・ハマー 俺が掟だ!」等がありますが、テレビでは「刑事コロンボ」シリーズの中でも秀作「別れのワイン」(前掲のコロンボ・ベスト20の堂々第1位)他2本の原案を書いています。
そして何と言っても、2003年公開のコリン・ファレル主演のサスペンスの傑作「フォーン・ブース」(2003・ジョエル・シュマーカー監督)の脚本が光ります。電話ボックス内だけを舞台にした、いわゆる一人芝居サスペンスものの嚆矢です。翌年のこちらは携帯電話がキーとなるサスペンス「セルラー」の原案も担当しています。ちょっと変わった、捨て難い味の小品佳作を作った作家でしたね。

3月28日 アニエス・ヴァルダさん 享年90歳
ベルギー生まれで、第二次世界大戦を逃れてフランスに渡り、写真家として活躍の後、映画監督に転身します。61年の監督作「5時から7時までのクレオ」で注目され、65年の「幸福」でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞し、一流監督の仲間入りを果たします。これは私も好きな作品です。62年に「シェルブールの雨傘」で知られるジャック・ドゥミと結婚、おしどり夫婦ぶりを発揮します。ドゥミ死去後は、ドゥミの少年時代を、彼の代表作の名場面、死の直前のドゥミ自身の映像も交えて再現した異色のセミ・ドキュメンタリー「ジャック・ドゥミの少年期」(91)を監督、これも素敵な作品でした。女性らしい、繊細な描写が光る、いい作品を多く監督しましたね。

6月15日 フランコ・ゼフィレッリ氏 享年96歳
イタリア映画界の名匠ですね。代表作は無論、68年の「ロミオとジュリエット」。レナード・ホワイティングとオリビア・ハッセーという10代の若手を主演に据え、シェークスピア戯曲を鮮烈で痛ましい青春映画の傑作に仕上げて世界中で大ヒットしました。ニーノ・ロータが書いた主題歌(What is a Youth)も名曲ですね。72年の「ブラザー・サン シスター・ムーン」も、実在した聖フランチェスコの物語をこれまた清々しい青春映画に仕上げています。79年の「チャンプ」は珍しくハリウッドに乗り込み、往年の名作をリメイク。ジョン・ボイト、リッキー・シュローダー少年の親子愛で涙を誘い、これもスマッシュヒットとなりました。その他では「じゃじゃ馬ならし」(67)、「ハムレット」(90)など、シェークスピア原作が多いですね。近年ではオペラの演出にも力を注いでいました。素敵な秀作を多く残した、素晴らしい監督さんでした。



さて、日本の監督に移ります。

1月29日 上垣保朗氏 享年70歳
日活ロマン・ポルノで活躍しました。1982年に監督デビュー。翌年の美保純主演「ピンクのカーテン」がヒットし、シリーズ化され4本が作られました。その他では元松竹の中村晃子を主演に据えた「待ち濡れた女」(87)がまあまあ良かったですね。もっとも、荒井晴彦の脚本の出来が良かったせいもありますが。日活がロマン・ポルノ撤退後はあまり名前を見なくなりました。

2月9日 佐藤純彌氏 享年86歳
1956年東映に入社。63年の「陸軍残虐物語」で監督デビューを果たします。これは戦争中の日本軍隊の愚かさを痛烈に批判した力作でした。その後女性映画を2本撮った後、暴力団と対決する丹波哲郎扮する警部の捜査活動を描いたハードボイルド・タッチの「組織暴力」で注目されます。以後も現代暴力団の抗争と警察側との攻防を描く作品が続き、後の実録路線の先駆的な力作を連打しました。71年の鶴田浩二主演の2本「暴力団再武装」「博徒斬り込み隊」もそうした流れの秀作ですね。73年「仁義なき戦い」が大ヒットしてからは佐藤さんも実録路線作品を連打しますが、既に手慣れた分野だけにかえって平凡な出来になっていました。そして75年、洋画のパニックもののヒットにあやかった「新幹線大爆破」を監督しますが、これがよく出来た名シナリオ(小野竜之助と佐藤監督の共作)のおかげもあって素晴らしい作品に仕上がりました(キネ旬読者のベストテン第1位)。しかし興行的にはコケてしまいます。ところがフランスに輸出した所、これがあちらで爆発的大ヒットとなりました。また翌年、フリーになって永田プロで作った高倉健主演「君よ憤怒の河を渉れ」がこちらは中国で大ヒット、と日本でより海外で大ヒットする作品を連発したのも、佐藤監督のダイナミックな演出力あっての事でしょう。
後年は「人間の証明」「植村直己物語」(86)、「敦煌」(88)、「おろしや国酔夢譚」(92)、「男たちの大和/YAMATO」(2005)とすっかり大作専門監督になりましたが、個人的には初期のハードボイルド、あるいはフィルム・ノワール・タッチ(69年の「日本暴力団 組長と刺客」はそのタッチの隠れた秀作だと思います)の暴力団ものの方が愛着がありますね。

5月20日 降旗康男氏 享年84歳
まさか…佐藤純彌氏と共に東映でいくつものアクションの佳作を監督し、後年は共に良質の話題作を作って来られた日本映画界の重鎮とも言えるお二人が相次いで亡くなられようとは。言葉もありません。ショックです。
佐藤氏とは1年遅れで東映東京撮影所に入社。なんと佐藤監督のデビュー作「陸軍残虐物語」では助監督を務めています。66年、緑魔子主演の「非行少女ヨーコ」で監督デビュー。そして同年、高倉健主演の「地獄の掟に明日はない」を監督します。これが後に多くの作品でコンビを組む事になる高倉健との最初の作品です。健さんは原爆症に悩むヤクザという変わった役柄を演じました。以後も多くのギャング、ヤクザ映画を監督します。69年からは健さん主演の「新網走番外地」シリーズの、最終作までの6本を監督します。
転機が訪れたのは、倉本聰脚本による「冬の華」(78)から。これ以降、降旗監督・高倉健主演のコンビによる良質作品の連打が始まります。81年のこれも倉本脚本「駅 STATION」は素晴らしい出来で、キネ旬ベスト4位、同読者ベストテンでは第1位を獲得します。以後もコンビ作は「居酒屋兆治」(83)、「あ・うん」(89)、「鉄道員(ぽっぽや)」(99)、「ホタル」(2001)と続き、そして健さん最後の作品「あなたへ」(2012)へと至るわけです。どれも心にジンと沁みる力作でした。これらの作品、健さんにとっても、降旗監督にとっても、幸福な出会いだったと言えるかも知れませんね。

 


さて、ここからはその他の方々です。

1月20日 アンドリュー・G・ヴァイナ氏 (映画プロデューサー) 享年74歳
ハンガリー・ブダペスト出身で、1956年にアメリカに移住、76年、プロデューサーのマリオ・カサールと共にカロルコ・ピクチャーズを設立し、まずシルベスター・スタローン主演の「勝利への脱出」(81)を製作。これはまあまあでしたが、翌年のスタローン主演「ランボー」が大ヒット、以後シリーズ化されます。88年にはアーノルド・シュワルツェネッガー主演「レッドブル」を製作、90年にはこれもシュワ主演作品「トータル・リコール」(ポール・ヴァーホーヴェン監督)が大ヒット、その縁か91年の「ターミネーター2」にもカロルコが出資、これも世界的大ヒットとなります。カロルコは95年に倒産しますが、2002にはカサールと共にC2ピクチャーズを設立し、ジェームズ・キャメロンが放棄した「ターミネーター」の権利を譲り受けて「ターミネーター3」(2003)、テレビの「ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ 」 (2008-2009) 、映画「ターミネーター4」 (2009)とシリーズを続けて行きます。残念ながら出来は芳しくありませんでしたが。まあスタローン、シュワルツェネッガー、2人の筋肉スターを起用して、東欧移民でありながらハリウッドに一時代を築いた辣腕プロデューサーである事は間違いないでしょう。

1月26日 ミシェル・ルグラン氏 (作曲家) 享年86歳
この方も大好きな映画音楽作曲家の一人でした。何と言ってもジャック・ドゥミ監督「シェルブールの雨傘」(63)が最高ですね。全編すべてのセリフを歌だけで構成した、オペラ風ミュージカルです。映画もサントラ盤CDも何度も鑑賞しました。同じドゥミ監督のミュージカル「ロシュフォールの恋人たち」(67)も手がけました。その他では初期のJ・L・ゴダール監督作品「女は女である」(61)、「女と男のいる舗道」(62)、アメリカに渡ってスティーヴ・マックィーン主演「華麗なる賭け」(68・主題歌「風のささやき」も大ヒット)、ロバート・マリガン監督「おもいでの夏」(71)など、数え切れないくらい多くの映画で音楽を担当しました。また日本映画「ベルサイユのばら」(79・監督はジャック・ドゥミ)のスコアも書きました。音楽を聴く度に、映画の名シーンが思い出されて来ますね。素晴らしい作曲家でした。

2月28日 アンドレ・プレヴィン氏 (作曲家・編曲家・指揮者) 享年89歳
この方も映画音楽の第一人者ですね。10代の頃からピアニストとして活躍、天才少年と言われておりました。その後もジャズ・ピアニストとして多くのレコードを発表する一方で、47年頃からは映画の作曲・音楽監督も手掛けます。50年のフレッド・アステア主演「土曜は貴方に」、53年の「キス・ミー・ケイト」、55年のジーン・ケリー主演「いつも上天気」、57年のこれもアステア主演「絹の靴下」といった、ブロードウェイ・ミュージカルの映画版の音楽監督・監修を担当します。一般映画の音楽も「日本人の勲章」(55)、「バラの刺青」(57)、ビリー・ワイルダー監督「あなただけ今晩は」(63)、同「ねえ!キスしてよ」(64)、同「恋人よ帰れ!わが胸に」(66)など多数ありますが、やはりミュージカルの音楽監督・編曲が大きな仕事でしょうね。以下題名を挙げるだけでも「マイ・フェア・レディ」(64)、「モダン・ミリー」(67)、「ペンチャー・ワゴン」(69)、「ジーザス・クライスト・スーパースター」(73)と錚々たる名作が並びます。アメリカ・ミュージカル映画の発展に多大な貢献をされた、素晴らしい方でした。

5月18日 坂上順氏 (映画プロデューサー) 享年79歳
東映のプロデューサーで、特に前掲の佐藤純彌監督と組んで、いくつもの名作を企画・製作して来ました。今年のキネ旬4月下旬号の佐藤純彌追悼特集では、佐藤監督とのお仕事の思い出を語っておられましたが、まさかその坂上さんが佐藤さん逝去のの3ヶ月後に亡くなられるとは。愕然となりました。
1962年に東映入社。製作進行を経て73年、高倉健主演、佐藤純彌監督の「ゴルゴ13」でプロデューサーとして一本立ち。以後数多くの東映作品でプロデューサーを務めました。中でも大きな仕事はやはり佐藤監督の「新幹線大爆破」。坂上さんは企画立ち上げから原案も担当。クレジットに「原案・加藤阿礼」とありますが、実はこれ坂上さんのペンネームなのです。この作品が映画ファンに熱く支持されたのは前述の通り。その他では石井輝男監督の「直撃!地獄拳」シリーズ、「大脱獄」「実録三億円事件 事項成立」、小平裕監督「爆発!750CC族」、内藤誠監督「地獄の天使 紅い爆音」とプログラム・ピクチャーながらちょっと毛色の変わった作品を手掛けています。大林宣彦監督「天国にいちばん近い島」とか浦山桐郎監督「夢千代日記」とかの東映らしからぬ異色作もあります。
そしてもう一つの大きな仕事は、前掲の降旗康男監督・高倉健主演の「鉄道員(ぽっぽや)」の企画でしょうね。久しぶりに東映に健さんを迎え入れたこの作品が実現したのも、坂上さんの尽力の賜物でしょう。この作品で坂上さんは藤本賞を受賞しました。続いて同じ降旗・健さんコンビの「「ホタル」も手掛けます。この作品では再び加藤阿礼名義で脚本にも参加しています。こんなマルチ・プレイヤーのプロデューサーなんて坂上さん以外にいないでしょうね。佐藤監督の「男たちの大和/YAMATO」にも企画者として名を連ねています。
こうして見てみると、特に佐藤純彌、降旗康男両監督の力作、名作の誕生に大きな貢献をされた事が分かりますね。このお三方が、同じ年に相次いで亡くなられるとは…。寂しいです。今頃は天国で再会されておられるのでしょうか。

5月20日 渡邊亮徳氏 (映画プロデューサー) 享年89歳
この方も東映で長くプロデューサーを務めて来られました。1952年に東映入社。78年には鈴木則文監督「多羅尾伴内」、同年の深作欣二監督「宇宙からのメッセージ」などいくつかの映画作品を製作。そして80年頃からはテレビ映画部門に移り、「仮面ライダー」「電子戦隊デンジマン」「宇宙刑事シャイダー」等の企画に携わる一方でこれらの劇場版の製作にもタッチ。実写劇場部門がやや低迷する中で、こうした子供向けドラマの劇場版はある程度の興行的成果を収めました。その間劇場映画でも「ラブ・ストーリーを君」(88)、「動天」(91)、「BE-BOP HIGHSCHOOL ビー・バップ・ハイスクール」(94)などの製作総指揮を務めています。また89年には東映ビデオ社長に就任、「東映Vシネマ」の名称で多くのオリジナル・ビデオを企画製作、こちらの方でもヒット作を生み出しました。94年には東映の副社長に昇格しました。
ここまでは順調でしたが、95年に交際費の不正支出問題が発覚、責任を取る形で96年に副社長を辞任し、東映を離れる事となったのは残念でしたね。置き土産と言いましょうか、96年の松田聖子主演、ハリウッドとの合作「サロゲート・マザー」に製作総指揮としてクレジットされています。いろいろ言われているようですが、東映の製作部門で大きな貢献があったのは間違いない事実だと思います。

10月5日 川又昂氏 (映画撮影監督) 享年93歳
1945年松竹に入社。 小津安二郎作品の撮影助手として、「晩春」「麦秋」「東京物語」などの映画史に残る名作に参加しているというのがまず凄いですね。60年に撮影監督に昇格、大島渚監督の「青春残酷物語」 (60)、「太陽の墓場」 (60)、「日本の夜と霧」(60)の撮影監督を務めます。大島監督が松竹を退社後は、主に野村芳太郎監督作品に参加、「ゼロの焦点」(61)、「拝啓天皇陛下様」(63)、「影の車」(70)、「砂の器」(74)、「八つ墓村」 (77)、「事件」(78)、「鬼畜」 (78)と、多くの野村監督の秀作で撮影を担当しました。その他では深作欣二監督「道頓堀川」 (82)、今村昌平監督「黒い雨」(89・日本アカデミー賞最優秀撮影賞)等があります。私が特に印象深いのは、「影の車」の回想シーンにおける、二重焼きのようなザラザラした幻想的な映像効果ですね。これは実際には凄く手間がかかっており、川又さんが何度も実験を重ねた苦労の産物だそうです。そうした点でも川又さんは、銀残しという技法を使った宮川一夫さんと並んで、日本を代表する名カメラマンだったと思います。

10月7日 和田誠氏 (イラストレーター、映画監督) 享年83歳
追悼記事掲載済。

10月11日 西岡善信氏 (美術監督) 享年97歳
1948年、大映京都撮影所に入社。美術部に配属されます。52年に美術監督に昇格、以後大映を中心に数多くの映画で美術を担当します。大映時代の代表作は「地獄門」 (53)、「炎上」(58)、「ぼんち」 (60)、「好色一代男」(61)、「雁の寺」(62)、「雪之丞変化」(63)、「越前竹人形」(63)、「華岡青洲の妻」(67)等多数。その他勝新の「座頭市」シリーズ、雷蔵の「眠狂四郎」シリーズなども。
大映倒産後は旧大映社員と共に「映像京都」を設立し、代表取締役社長を務める傍ら、美術監督、プロデューサーとして活躍します。手始めはテレビの市川崑監修「木枯し紋次郎」(72)、映画でも市川崑監督「股旅」(73)、「吾輩は猫である」(75)など。なお大映時代でも市川監督の作品のほとんどを担当しています。そして高林陽一監督「本陣殺人事件」(75)、「金閣寺」(76)、さらに「雲霧仁左衛門」(78)以降の五社英雄監督監督作品のほとんどを手掛け、81年の同監督「鬼龍院花子の生涯」(81)、「陽暉楼」 (83)でそれぞれ日本アカデミー賞最優秀美術賞を受賞しています。その他の監督では岡本喜八、篠田正浩監督作品も多いですね。篠田監督は「炎上」を観て、監督になったら西岡さんと仕事をするのが夢だったそうです。映画の美術は88歳になられた2010年の「最後の忠臣蔵」が最後でしたが、その後もテレビでのお仕事は続けておられました。
その隅々にまで緻密に設計された丁寧な仕事ぶりは、他の追随を許さないといった所でしょうか。本当にお疲れさまでした。

10月15日 植村伴次郎氏 (東北新社創業者、プロデューサー) 享年90歳
東北新社の創業者で、初代社長を長らく務めていました。当初は外国の映像作品の翻訳や日本語版の吹き替え制作を行っていましたが、やがて洋画の配給や映画製作も手掛けるようになりました。そんなわけで東北新社が製作に関わった作品で製作総指揮としてクレジットされています。主な製作作品は「宇宙からのメッセージ」(78)、「北京原人 Who are you?」(97)、「長崎ぶらぶら節」(2000)、「陰陽師」(2001)、「竜二 Forever」(2002)などがあります。ただ、85年の恩地日出夫監督「生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件」は製作会社が“ヴァンフィル”となっています。もしかしたら会社名からして植村さんが単独で製作したのかも知れません(ヴァンは名前のから取った?)。一方でCS放送の解禁やケーブルテレビの普及にも尽力したそうです。映像文化の発展に多大な貢献をされた方なのですね。

10月26日 ロバート・エヴァンス氏 (映画プロデューサー) 享年89歳
20世紀フォックス社長、ダリル・F・ザナックにスカウトされ、俳優としていくつかの作品に出演しますが芽が出ず、その後映画プロデューサーに転向します。70年代に、経営危機に瀕していたパラマウント映画のプロデューサー兼重役としてスカウトされ、メディアミックス戦略を取って、「ローズマリーの赤ちゃん」「ある愛の詩」「ゴッドファーザー」といった大ヒット作を連発、パラマウント映画を一気に立て直す事に成功します。ただ、私生活は奔放で女優のアリ・マッグローを含め7回の結婚と離婚を繰り返し、ドラッグに溺れてコカイン所持で有罪になるなど、破天荒な人生を歩みます。“頂点から底辺へ劇的に落ちた映画人”とも言われたそうです。その波乱の人生を綴った「くたばれ!ハリウッド」を出版、これは2002年に同名のドキュメンタリー映画にもなり、話題となりました。

10月下旬 岡 正氏 (元フジテレビプロデューサー) 享年不明
どういうわけか、どこを検索しても亡くなった日と享年が不明なのです。フジテレビに大きな貢献をした方なのに、理不尽ですね。
1980年代のフジテレビは、「面白くなければテレビじゃない」のキャッチコピーで面白い作品を連発して年間視聴率三冠王を10年以上続けており(今の凋落ぶりからは想像出来ない(笑))、その一翼を担って多くのヒットドラマ、アニメをプロデュースしていたのが岡プロデューサーだったのです。
この方、とてもユニークな方で、最初はフジテレビにアナウンサーとして入社したのですが、漫画が大好きを公言し、これからは漫画原作をプロデュースしたい、ついてはその勉強の為と称して77年にフジテレビ在籍のまま、小池一夫主宰の「劇画村塾」の第一期生として入塾してしまうのです。同期には高橋留美子、狩撫麻礼(後に「ア・ホーマンス」等原作者)がいました。そして修行が終わると同時に、念願の漫画原作のドラマ化を企画、80年代に実写「翔んだカップル」「スケバン刑事」、アニメ「うる星やつら」「めぞん一刻」「タッチ」「北斗の拳」と次々とヒット作をプロデュース、いずれも高視聴率を叩き出します。特にぶっ飛んでるのが「スケバン刑事」で、1作目(斎藤由貴主演)は原作に近い内容でしたが、パート2(南野陽子主演)は「少女鉄仮面伝説」とサブタイトルを付け、原作からはまったく離れて、子供の時から鉄仮面を被っていた少女(笑)が特命刑事になるというお話。敵も怪しげな怪人が登場します。そしてパート3(浅香唯主演)では「少女忍法帖伝奇」のサブタイトルで、主人公3姉妹は忍者の末裔、敵も忍者軍団(笑)、そして後半はさらに「魔界決戦編」と題して主人公たちは魔界に入り込み、フードを被り指先から電磁波ビームを発するラスボス!と最後の闘いを繰り広げるのです。「スケバン」も「刑事」もどこかへ行ってしまってます(笑)。それどころかラスボスの風体から超能力まで「スター・ウォーズ」のパルパティーンそっくり、おまけにダースベイダーそっくりの敵の武将も出てきて、実は主人公たちの父だったと判る、といった具合に、全編「スター・ウォーズ」のパロディになってるのです。これには私、大笑いして次に感動しました。面白過ぎる!「うる星やつら」も押井守監督に好きなように作らせてこちらも傑作でした。私はこれで岡プロデューサーのファンになりました。
そんな面白かったフジテレビも、岡さんが現場を離れた頃から面白い作品が減り、今の凋落に至っている気がします。こんな破天荒なプロデューサーが、もっと出て来て欲しいと思います。それにしても岡プロデューサー、その後どうなったのかが気がかりですね。

11月28日 矢島信男氏 (特撮監督) 享年91歳
東映で、多くの作品で特殊撮影、SFXを担当した方です。「宇宙からのメッセージ」のSFXで有名ですね。
最初は松竹に入社しましたが、後に東映に移籍。円谷英二がいる東宝とは比べ物にならないくらい予算もスタッフも少なかったのですが、苦労しながら多くの作品で特殊効果を担当、次第に認められて予算も増え、いろいろな作品で実力を発揮して行きます。65年には新しい技術を研究したい目的から、特撮研究所を設立します。67年頃から「キャプテンウルトラ」「ジャイアントロボ」「仮面の忍者 赤影」等のテレビドラマの特撮を担当、そして「宇宙からのメッセージ」に至るわけです。この作品で初めて単独で「特撮監督 矢島信男」がクレジットされました。以後もテレビ、映画で数多くの作品で特撮を担当しました。映画では深作欣二監督作品が多く、「魔界転生」「里見八犬伝」「上海バンスキング」などを手掛けています。

12月11日 柴田 駿(しばた・はやお)氏 享年78歳
最後はこの方です。1968年に輸入配給会社・フランス映画社を創設、社長に就任し、以後永年にわたって、日本では他の配給会社が二の足を踏む、世界のアート系名作映画の輸入・公開に尽力されて来られました。76年からは「BOWシリーズ」と称して、それまで日本公開は不可能と言われていた「旅芸人の記録」(テオ・アンゲロプロス監督)、「ミツバチのささやき」(ヴィクトル・エリセ監督)、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(ジム・ジャームッシュ監督)、「ベルリン・天使の詩」(ヴィム・ヴェンダース監督)などの秀作を輸入、ミニシアターで公開し、いずれも大ヒットを記録します。後に多くの独立系配給会社もその影響を受けて地味な秀作を輸入、ミニシアターで公開するようになり、ミニシアター・ブームが起きる事になるのですが、その先鞭をつけたのがフランス映画社だったのは間違いありません。まさにパイオニアと言えましょう。また73年には「ハロー・キートン」と題してバスター・キートンの代表作を連続公開、これもヒットに繋げました。残念ながらその後フランス映画社は業績が低迷、2014年に破産、柴田さんも一線から退いてしまいます。それでも、映画界に残した功績は色あせる事はないでしょう。永い間お疲れさまでした。

 
その他にも惜しい方が亡くなられていますが、本稿では映画関係に絞って取り上げましたので割愛させていただきました。以下お名前だけ挙げさせていただきます。(敬称略)

1月29日 橋本治 (小説家) 享年70歳
1月31日 岡留安則 (元「噂の眞相」編集長・発行人) 享年71歳
3月 6日 森山加代子 (歌手)  享年78歳
3月25日 スコット・ウォーカー (元ウォーカー・ブラザースのメンバー) 享年76歳
4月11日 モンキー・パンチ (漫画家。「ルパン三世」原作者) 享年81歳
4月17日 小池一夫 (漫画原作者、小説家) 享年82歳
6月 6日 田辺聖子 (小説家・エッセイスト) 享年91歳
7月 6日 ジョアン・ジルベルト (ボサノバ歌手) 享年88歳
7月 9日 ジャニー喜多川 (ジャニーズ事務所創業者) 享年87歳
7月31日 ハロルド・プリンス (演出家、演劇プロデューサー) 享年91歳
9月 2日 安部譲二  (小説家) 享年82歳
9月14日 ジーン・バッキー (元阪神タイガース投手) 享年82歳
10月 6日 金田正一 (元国鉄・巨人投手) 享年86歳
10月12日 ジェリー・マギー (ザ・ベンチャーズのギタリスト)  享年81歳
11月 3日 眉村卓 (SF小説家) 享年85歳

 
今年も、長年に亘り映画界に大きな足跡を残された方々が多く亡くなられています。尊敬し、大好きだった方も数人おられます。慎んで哀悼の意を表したいと思います。

今年1年、おつき合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしく、良いお年をお迎えください。

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(12/31追記)
その後死去が判明した方を追加で簡単に列記する事とします。

12月18日 クローディーヌ・オージェさん 享年78歳
1958年に準ミス・フランス、ミス・ワールド・フランス代表に選ばれて女優デビュー。1965年の「007/サンダーボール作戦」でボンドガールを演じて世界的に知られるようになる。 
日本の東宝映画「パリの哀愁」(76)にも出演。沢田研二と共演した。 

12月26日 スー・リオンさん 享年73歳
スタンリー・キューブリック監督の「ロリータ」で少女ドロレス・ヘイズ役に抜擢される。「ロリータ」に出演した時スーは15歳だった。映画が公開されると、小悪魔的で妖しい魅力を持ったスーの噂がたちまち評判になった。主人公の名前は「ロリータ・コンプレックス(ロリコン)」の語源となった。

12月30日 シド・ミード氏 (工業デザイナー) 享年86歳
世界的に知られる工業デザイナー。SF映画「ブレードランナー」「エイリアン2」などで、映画に登場する近未来社会の乗り物や装置などのデザインを手掛けた。
ロサンゼルスの芸術学校を卒業後、自動車などのデザインに関わり、ハリウッド関係者の目に留まって映画界へ。その他の作品は「スター・トレック」「トロン」「M I:3」「トゥモローランド」など。日本のアニメ、「∀ガンダム」のデザインも担当した。

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コメント

明けましておめでとうございます。本年も、何卒宜しく御願い致します。

中山仁氏、正統派の男前でしたね。彼のルックスなら、主役を充分張れただろうに・・・。世の中、中々上手く行かない物です。

花柳幻舟さん、正に波乱万丈な人生でした。実はもう20年以上前になりますでしょうか、電車の車内で彼女を見掛けた事が在ります。周りの方は気付いていなかった様ですが、メディアから伝わって来る“エキセントリックさ”とは乖離した、非常に物静かな雰囲気が印象的でした。

投稿: giants-55 | 2020年1月 1日 (水) 02:29

◆giants-55さん
あけましておめでとうございます。

中山仁さんについては、週刊新潮の追悼記事に、三島由紀夫も一目置いていて「青春の凛々しさと含羞と、強さとはかなさと、絶対の若者らしさが備わっている」と褒めていたという事が書かれています。ちょうど「囁きのジョー」が公開された1967年頃です。なのに映画界はこの賛辞に耳を傾けなかったのでしょうかね。中山さんにとっても映画界にとっても、もったいない事です。

というわけで、今年も時々そちらにお邪魔いたします。本年もよろしく。

投稿: Kei(管理人) | 2020年1月 1日 (水) 21:49

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
昨年は入院されて追悼記事も遅れて掲載されたので心配しました。
今年は年末に掲載されたので何より。
じっくり読ませていただきました。
ルトガー・ハウアーはファンで東京ファンタスティック映画祭で来日した時でステージで見ています。75歳は若いな。
ジャン=マイケル・ヴィンセント亡くなっていましたね。
織本順吉さんはキャリアの長い方ですが、やはり個人的には東映実録路線での人間味のある役が印象に残っています。
ロバート・エヴァンスも亡くなっていましたか。
「くたばれ!ハリウッド」は本もドキュメンタリーも見ました。
でもやはり一番ショックだったのは和田誠さんですかね。

投稿: きさ | 2020年1月 3日 (金) 16:24

◆きささん
昨年はご心配をおかけしました。今回は体調も万全で、予定より早めに仕上げる事が出来ました。
昨年は本当に、いい俳優が多く亡くなられましたね。ドリス・デイ、マリーラフォレ、京マチ子、八千草薫…みんな大好きな方でした。ルトガー・ハウアー、織本順吉さんも好きな俳優でした。寂しいですね。

という事で、今年もよろしくお願いいたします。

投稿: Kei(管理人) | 2020年1月 3日 (金) 17:33

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