「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」
3年前に公開された「この世界の片隅に」は、今更言うまでもなく素晴らしい傑作で、観客、評論家の批評共に絶賛の嵐。無論私も大感動し、当ブログで詳しく批評を行った。
ただ前作は、それはそれで見事な出来なのだが、上映時間の制約で、原作にあったいくつかのシーンがカットされており、片渕監督自身も納得出来る仕上がりではなかったと聞いていた。
あれだけ完璧な作品だと思っていたのに、監督はまだ満足していなかったわけで、大ヒットを受けて、原作からカットされたシーンを含めて3年がかりで42分ものシーンを追加し、公開に至ったというわけである。
海外では編集でカットされたフィルムを、後に監督自身が意図した通りに復元したり再編集を行った、いわゆる“ディレクターズ・カット版”とか“完全版”とか言われる作品が存在するが、日本映画でこうしたディレクターズ・カット版が後に作られ、公開されたケースは極めて稀である。思いつくのは相米慎二監督の「セーラー服と機関銃・完璧版」くらいだろうか。
片渕須直監督の大ファンで、無論前作の大ファンであり、前作を劇場、テレビ放映も含め何度も見ている私は、本作の公開を待ち望んでいた。ただ不安も少々あって、間延びした冗長な作品になってはいないだろうかという危惧も多少はあった。
(以下ネタバレあり)
映画を観終わって、またまた感動した。追加シーンを入れた事で、前作では舌足らずだったり描き込みが不足していた部分の整合性が満たされ、作品自体の奥行きがさらに深まった、新たなる傑作が誕生した。まさしく、完璧版である。
追加されたのは、小学校時代、同級生の水島哲のせいで鉛筆をなくしてしまうエピソード、そして一番時間が増やされたのは、遊郭の白木リンとの交流シーン、さらに前作では登場しなかったリンの同僚・テルのエピソードである。
鉛筆のくだりについては、前作ではすずが短くなった鉛筆の削りカスを教室の床の丸い穴に捨てるシーンがあり、その後海を見下ろす丘の上で写生していた哲が通りかかったすずに長い鉛筆を渡すシーンがあるのだが、なぜ哲が唐突にすずに鉛筆を渡すのかピンとこなかった。
本作では、実は哲がすずに意地悪か何かをした為に、スズのなけなしの短い鉛筆を床の穴に落としてしまうシーンがある。
これに責任を感じた哲が、事故死した兄の鉛筆をすずにプレゼントするわけである。
これで哲が鉛筆を渡す理由がはっきり判るし、また哲が以前からすずに好意を抱いていただろう事も判明するわけである。
リンのエピソードについては、原作でもかなり枚数を割いて描かれており、映画を観た原作ファンから、リンのエピソードがカットされた事に不満を抱く声も多かったと聞く。
この、リンとの交流シーンを大幅に増やしたことによって、実は白木リンも、この物語のもう一人の主役であったという事が判る。これは重大なポイントである。
さらに、リンは以前、すずの夫・周作と深い仲であった事も明らかにされている。
実は前作で、周作に頼まれ、すずが周作のノートを仕事先に届けるエピソードがあったのだが、そのノートの裏表紙がなぜか約10センチ四方ほど切り取られていた。
これが何度も意味ありげに出て来るので、何か意味があるのだろうとは思ったが、以後このノートの話は消えてしまう。
で本作では、リンがすずに、自分の名前と住所がふりがな付で書かれたノートの切れ端を見せるシーンが出て来る(右参照)。リンはすずに、「ええお客さんが書いてくれんさった、これ写しゃええんよ」と笑って言う。リンは小学校も満足に出ておらず字が書けないのである。いつも「ぼーっとしとる」すずには、それでもピンと来なかったようだが、カンのいい観客はこれで、周作のノートの10センチ四方で切り取られた部分は、これだったのだと気が付くわけである。やっと前作のモヤモヤ感が晴れてすっきりした。
またすずがリンとの会話の中で「周作さん」と言った時、リンがかすかに驚いたような表情を見せる。これでリンが以前愛していた周作が、すずと結婚した事も知ってしまうのだ。
周作は以前、リンと結婚を望んでいたが、周囲の猛反対でそれは叶わぬ事となり、その入れ替わりですずと結婚する事となる。
もし周作が駆け落ちしてでもリンと結ばれていたら、すずは周作とではなく、水島哲と結婚していたかも知れないのだ。人間の運命とはどこでどうなるか、分からないものである。
リンは周作との結婚を諦め、一人で生きて行く道を選ぶのだが、過酷な人生、悲しい運命を背負いながらも明るく気丈に、それこそ凛とした生き様を見せている。
そのリンの姿を見ていたからこそ、すずは腕を失い、原爆で家族を失いながらも、強く生きて行こうとするのである。そう思うとまた涙が出て来る。
思えば、前作を観ていた時には、意地の悪い女性だなと思っていた周作の姉・径子も、本作で改めて見てみると、嫁ぎ先との折り合いが悪く、夫は病死、家も失い実家に帰り、という過酷な運命に弄ばれる中で、娘の晴美と共に必死に生きようとする故の、気丈な振舞いであった事も判って来る。最後にはこれまでの事をすずに謝ってもいる。
そう考えれば、前作はすず一人が主人公のドラマであったのに対し、本作はすずとリンと径子の、3人の女性たちの群像ドラマであるとも言える。
(もう一人、遊郭のリンの同僚で結核を患うテルも入れれば4人になるが。外に一歩も出た事のないテルの為、すずが雪の上に南国の風景を描くシーンには泣かされた)
なんとまあ、追加シーンを入れた事によって、物語の性格自体も変わってしまった事になる。
こうした、過酷な運命を背負って戦中、戦後の激動の時代を生きる女たちの姿を、さまざまなエピソードを多面的、重層的に積み重ねて描いた本作は、秀作であった前作をもさらに上回る素晴らしい傑作になった。満点だった前作より、さらにもう一つ★を付けたいくらいである。
タイトルで追加された「(さらにいくつもの)」とは、まさしく片隅で生きる、いくつもの女たちの人生のドラマを指しているのだろう。
前作でリンのエピソードをカットしたのは、これを子供にも見せたいという事もあったのだろう。極力性を匂わす部分や、残酷描写を抑えた作りにしていたと思う。おかげで幅広い層の観客を呼び込み、大ヒットに繋がった。
その点本作は、リンも含め遊郭の女性たちを登場させたり、すずと周作のベッドシーンではすずの艶めかしい描写もある。
そういうわけで、本作は小さな子供にはあまり見せられない、大人向けの仕上がりになっている。よって前作より小規模の公開になっているが、やむを得ないだろう。子供に見せるのなら、前作がお薦めである。
本作についてはまだまだ書き足りないが、年末恒例の記事を書いていてそっちに手を取られている事もあり、この辺で筆を置く事とする。
今年の日本映画は低調で、ベストワンにしたい作品がなく困っていたが、本作の登場でやっとベストワンが決まった。やれやれである。映画評としてはこれが本年最後となる。来年もよろしくお願いいたします。 (採点=★★★★★+)
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コメント
日本映画が低調というか、「単純によくできた娯楽」があまりにも少ないです。
そういう意味では私は「カツベン!」は褒めてます。まあ、不入りと聞きましたけど。
投稿: タニプロ | 2019年12月29日 (日) 23:59
私も見ました。こちらも素晴らしい。
大筋は同じですが、かなり印象が違いました。
前の版を見て感動した人は可能ならこちらも見た方がいいと思いました。
投稿: きさ | 2019年12月30日 (月) 08:17
どうしても感想が具体的に書けません。でも大傑作です、としか言いようがありません。期待していた原恵一監督の「バースデーワンダーランド」もイマイチだったし、本格ミュージカルという触れ込みの「ダンスウイズミー」も、かつての「矢島美容室」や「愛と誠」の方がよっぽどそれらしかったし、という一年でしたが、片渕須直監督は裏切りませんでした。「マイマイ新子と千年の魔法」の十周年を監督と共に祝えた年に、諦めずに六年プラス三年かけて執念で作られた作品を見ることができて良かったです。
投稿: オサムシ | 2019年12月30日 (月) 23:34
◆タニプロさん
>「単純によくできた娯楽」があまりにも少ないです。
私も同感です。インド映画なんか、楽しくて笑えて、そして最後に感動するウエルメイドな作品がたくさんあるのにね。刺激を受けて見習って欲しいです。「カツベン!」も面白かったですが、もう一押し何か足らない気がします。「ダンス・ウイズ・ミー」も面白かったですが、オサムシさん言われる通り、過去の矢口監督作に比べたら物足りませんね。
まあ来年に期待したいと思います。
◆きささん
今年一年、いろいろと書き込みありがとうございました。
まったくその通り、前作は本作の巨大な予告編だった…とまでは言いませんが(笑)、見るべきですね。特に原作を読んでいた方なら、前作の不満が一気に解消する事と思います。
◆オサムシさん
ああ、そう言えば。「マイマイ新子-」からもう10年になるのですね。片渕監督の執念がまさしく最高の形で完成を見たと言えるでしょう。1年の締めくくりに、本作に出会えて本当に良かったです。
昨年は年末に大病して寂しい大晦日でしたが、今年は体調も万全。いい気分でお正月を迎えられそうです。
来年もいい年でありますように、皆様のご多幸をお祈りいたします。 m(_ _)m
投稿: Kei(管理人) | 2019年12月31日 (火) 11:31