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2020年1月26日 (日)

「リチャード・ジュエル」

Richard-jewell 2019年・アメリカ/マルパソ・プロダクション
配給:ワーナー・ブラザース映画
原題:Richard Jewell
監督:クリント・イーストウッド
原案:マリー・ブレナー
脚本:ビリー・レイ
製作:クリント・イーストウッド、 ティム・ムーア、ジェシカ・マイヤー、 ケビン・ミッシャー、 レオナルド・ディカプリオ、 ジェニファー・デイビソン、 ジョナ・ヒル

1996年のアトランタ・オリンピック爆破テロ事件の真実に迫ったサスペンスドラマ。監督は「運び屋」の名匠クリント・イーストウッド。出演は「スリー・ビルボード」のサム・ロックウェル、「ブラック・クランズマン」のポール・ウォルター・ハウザー、「ミザリー」のキャシー・ベイツなど。

1996年.アトランタ・オリンピック開催中に爆破テロ事件が発生、公園のベンチ下に不審なバックを発見した警備員リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)の迅速な通報と退避誘導によって多くの人命が救われる。一時は英雄視されたリチャードだったが、その後FBIから第一容疑者として疑惑を掛けられ、それを現地新聞社の女性記者キャシー・スクラッグス(オリビア・ワイルド)が実名でスクープ、テレビ局も加わって過熱報道がエスカレートし、リチャードは窮地に立たされる。リチャードは旧知の弁護士、ワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)に弁護を依頼し、ワトソンはFBIに対しリチャードの無実を立証すべく行動を開始する。

クリント・イーストウッド、今年で89歳。だが創作意欲は衰える事を知らず、昨年の「運び屋」に続いて今年も新作を発表、そしてまたまた感動の傑作を作り上げた。映画を監督し続けるだけでも凄い事なのに、作る映画がすべてベストテン上位を狙う傑作ばかり。ただただ敬服するばかりである。

(以下ネタバレあり)

本作のテーマはズバリ、“冤罪”である。善良な警備員が、現場近くにいた、というだけでFBIから容疑者の一人とみなされ、何の証拠もないのに、新聞が「容疑者か?」と書き立て、テレビ局や他のマスコミも追随して自宅の前に押し寄せ、印象操作で“犯人”に仕立て上げられて行く。怖い話である。これが実際にあった実話だから余計恐ろしい。

主人公リチャード・ジュエルはかなりの肥満体形で、本人の人物像を知らなければ、見た目はオタクっぽい怪しげな人物に映る。結婚もせず母親(キャシー・ベイツ好演)と二人暮らし、という点もマザコンを思わせ印象が悪い。これによってFBIやマスコミがまず疑ってかかる点に説得力を持たせている。
ポール・ウォルター・ハウザーがこの難しい役柄を見事に演じきっている。このキャスティングがまずうまい。

 
映画は、事件から数年前、リチャードが本作のもう一人の主人公である弁護士、ワトソン・ブライアントと出会うエピソードから始まる。

リチャードは警察官になって、正義の為に役立ちたいと思っているが、なかなかその夢は実現せず、警備員や倉庫係のような仕事に甘んじている。ある事務所で備品配備中、ワトソンの電話を聞いてしまい、それを知ったワトソンから盗み聞きだと疑われてしまう。だがリチャードがワトソンの机の引出しに必要な備品をきちんと補充している事、さらにゴミ箱の中身からワトソンが菓子のスニッカーズが好物である事を見抜き、引出しにスニッカーズを補充していた事を知って、ワトソンは一気にリチャードと仲良くなって行く。
この出だしも秀逸。このシークェンスで、リチャードが要領の悪さもあって、疑われ易い人物である事、しかし実は実直で誠実な人柄、観察力が優れていて機転が利いて、時に度を越える程熱心に仕事をする人物である事が簡潔に描かれており、これらがすべて後の事件の伏線となっている。
ワトソンもこの出会いで、リチャードがテロ事件を起こすような人物ではないと認識していたからこそ、後に彼がリチャードの味方となって一緒に戦う事に、十分に説得力を持たせているのである。
見事な導入部であり、脚本が見事。イーストウッドの演出もテキパキ、実に無駄がない。さすがである。

リチャードは前述のように、法の執行官として正義の為に戦いたい、人の役に立ちたいと望んでいる。だから時にその意識が強すぎて他人と軋轢を引き起こしたりもする。学校の警備員時代も、迷惑な行動をする学生に対して厳しい態度を取り、学長からクビを宣告されたりもしている。“正義感は強いが、他人の反感を買い易い”というリチャードの性格がここでも強調される。
こうした“人の役に立つ仕事をしたい”というリチャードの信念は、2年前のイーストウッド作品「15時17分、パリ行き」の主人公、スペンサー・ストーンの行動心理とも共通する。“正義とヒーローに関する考察”はここ数年のイーストウッド作品に一貫して流れるテーマでもある。

そして1996年、オリンピック開催中のアトランタ。リチャードは前夜祭のコンサート会場で警備員をやっている。舞台の上では当時人気のケニー・ロジャースのコンサートが行われている。舞台上の大スクリーンではそのケニー・ロジャースの実物画像が映されており、本当にロジャースがそこにいるかのようである(舞台上の豆粒のようなロジャースは別の俳優が演じている)。これもドキュメンタルな雰囲気を醸し出す事に成功している。

リチャードはベンチの下に不審なリュックを見つけ通報する。それが爆弾だと判り、リチャードは周辺を走り回り、観客やスタッフに現場からの退避を呼びかける。そのおかげで爆弾は破裂するが、被害者は最小限に留まり、多くの人の命を救ったとしてリチャードは一躍ヒーローとなる。

だがFBIは第一発見者だったリチャードを爆弾犯ではないかと疑う。「第一発見者を疑え」というのは犯人像の一つの通説とは言われている。しかしあくまで仮説の一つに過ぎない。
ところが、地元新聞社アトランタ・ジャーナルの女性記者キャシー・スクラッグスが、FBI捜査官トム・ショー(ジョン・ハム)から容疑者としてリチャードの名前を聞き出し、これをスクープとして記事にした事からリチャードの運命が狂いだす。
映画ではキャシーが色仕掛けでトムに迫り情報を仕入れたように描かれているが、アトランタ・ジャーナルは事実と違うとして抗議しているようだ。これは多分、マスコミの卑劣さを強調する為の映画的脚色だろう。

そしてリチャードの自宅に押し寄せる、マスコミの狂的な報道ぶり。これは日本でも思い当たる事だろう。犯人である事実が確認されていないのに、捜査当局がそれらしくリークし、マスコミが寄ってたかって犯人扱いにする…。三浦和義事件しかり、本作との類似性も指摘されている松本サリン事件の河野義行さんしかり。何の落ち度もない人の人生を狂わせてしまうかも知れない権力機関の怖さ、マスコミの影響力と責任の重要性を改めて考えさせられる。

リチャードは幸い、旧知のワトソンに連絡を取る事が出来、ワトソンも人柄を良く知っていたリチャードを支援し、彼の無罪を立証すべく奔走する。
たまたまワトソンという有能な弁護士と知り合いだったからリチャードは結局有罪にはならなかったけれど、もしそんな弁護士がいなかったら、もしかしたら強引に犯人にさせられていたかも知れないと思うとゾッとする。これは人ごとではない。私も、あなたも、そんな風に無実の罪を着せられないとは絶対に言えないのである。

リチャードは、それまでは警察機構というのは正義の為にあると信じ、だから警察官になりたい、と願望していたのだが、FBI側の何が何でもリチャードを犯人に仕立てようとするさまざまな策謀、圧力に、遂にそれまで信じていた、法権力の正義に疑問を持つようになる。
ここも決して感情を露わにする事なく、静かにその怒りを目覚めさせて行くリチャードの表情がいい。

リチャードの母を演じたキャシー・ベイツがいい。声高に泣いたりわめいたりもせず、じっと静かに、息子の無実を祈っている。
そして終盤のクライマックス、記者会見での母ボビの、切々と息子の無罪を訴えるシーンには泣けた。キャシー・ベイツの名演技が光る。アカデミー助演女優賞ノミネートも納得である。

この会見の効果もあってか、結局リチャードは容疑者として検挙される事はなかった。それでもFBIのトム捜査官は「自分はおまえをクロだと思っている」と言う。これも怖い。一旦犯人だと決めつけた捜査機関は、その思い込みをなかなか覆せないのである。トム捜査官(=警察権力機構)の、これが“正義”なのである。

その後、リチャードは郡保安官補など、法執行官の職に就いている。一時は警察の正義に疑問を持ったけれど、それでもまだ“警察機構とは、正義を全うする為にあるのだ”というリチャードの信念に揺るぎはなかったのだろう。実直で正義感が強いリチャードの性格がここにも表れている。

ラストは事件から7年後、リチャードが勤務する警察にワトソンが訪れ、真犯人が逮捕され、リチャードへの無実が公式に証明されたと伝える。
静かに勝利を噛みしめ、見つめ合うリチャードとワトソンの姿が印象的だ。

 
この事件は今から23年も前の話だが、情報の暴走が確たる根拠もないまま、無実の人間を犯人に仕立ててしまう構図は、特にSNSが異様なまでに発達した現在、より顕著になっている。
例えば最近では、常磐自動車道で起きたあおり運転の車に同乗していた、ガラケー女と言われた女性だとして、特定の人物の名前がネットで晒され誹謗中傷されたが、後に誤りだったとされている。これも立派な、間違ったニュースの暴走・加熱による冤罪事件である。アメリカ大統領選挙でも、どこまで事実か分からない誹謗中傷のフェイクニュースが飛び交っている。

イーストウッドは、そうした権力を持った捜査機関の暴走の怖さ、マスコミやSNSによる誤った情報が拡散し、一人の無辜の人間を追い込んで行く、現代と言う時代そのものの恐ろしさに警鐘を鳴らしているのである。
そう言えばイーストウッド監督は以前「J・エドガー」(2011)でも、当時の正義の代名詞であったFBIの長官J・エドガー・フーバーが、国家の安定を守る為と称して違法手段を用いてまでも権力の座に居座る姿を厳しく糾弾していた。“FBIは決して正義を守る機関ではなく、権力の横暴を象徴する存在だ”とするイーストウッドの異議申し立て姿勢は本作まで一貫してブレない。まったく凄い監督である。

 
ただ本作の唯一の難点は、キャシー記者が予告電話したとされる公衆電話と現場までの距離から、時間的に犯行は不可能だと判断し、彼は冤罪ではないかと考え出したり、記者会見でのリチャードの母の訴えに涙を流したりするくだり。
そんな良心的な人間性と、スクープの為にはトム捜査官に体を与えるほどの卑劣な性格とがどうもマッチしないのだ。この反省はとって付けたようにも見えてしまう。
まあモデルもいるし、アトランタ・ジャーナルも実名だし、キャシーを一方的に悪者にはしたくないという思いもあったのだろうが、やや不自然であった。

そんな難点もご愛敬。映画としては実に見応えある、イーストウッドらしい、時代を映す社会派ドラマでありながら、純朴で誠実な一人の男の生きざまを描いた人間ドラマとしてもよく出来た、見事な秀作である。うーむ、またしても年末にはベストテン選考でポン・ジュノ作品(「パラサイト」)とどっちを上にするか悩みそうだ(笑)。
(採点=★★★★☆

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(付記)
ところで、本作のプロデューサーとして、レオナルド・ディカプリオの名前が挙がっている。
ディカプリオと言えば上にも挙げた「J・エドガー」で主人公のFBI長官J・エドガー・フーバーを演じた人である。
FBI繋がりで本作に関わる事になったのかな。トム・ショーFBI捜査官の事務室にフーバー元長官の肖像写真があって、それがディカプリオだったら大笑いしたのですがね(笑)。

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コメント

私も見ました。
さすがはイーストウッド。スキのない演出で見せます。
ジュエル役のポール・ウォルター・ハウザー、弁護士ワトソン役のサム・ロックウェル、ジュエルの母役のキャシー・ベイツがうまいですね。
冤罪を生む側のオリヴィア・ワイルド、ジョン・ハムも良かったです。
メディア・テロというテーマは今こそアクチュアルですね。
やはりイーストウッド作品に外れなしでした。
キャシー役の立ち位置がちょっとブレているのは私も気になりました。
ディカプリオは元々弁護士役で出演予定だったそうで、それでプロデューサーに名前が上がっているみたいです。

投稿: きさ | 2020年1月26日 (日) 22:21

◆きささん
情報ありがとうございます。ワトソン役は当初はディカプリオがオファーされていたようですね。
別情報によると、こちらもプロデューサーとして名前が挙がっているジョナ・ヒルが最初はリチャードを演じる予定だったらしいです。
映画を見ると、サム・ロックウエルのどこか飄々としたキャラクターがワトソン役としてはピッタリですね。ジョナ・ヒル→ポール・ウォルター・ハウザーの交代も含めて、本作のキャスティングは大正解だと思います。

投稿: Kei(管理人) | 2020年2月13日 (木) 20:24

10年代ベストへのご投稿ありがとうございました
集計までもう少しお待ち下さい
「この世界の片隅に」と「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」がトップ争いしていますw

リチャードジュエル私もかなりしびれました
10年代イーストウッドではもしかしたら一番くらいに
書いておられるような私も女性記者の描写は欠点だと思います。
ステラタイプな感じが
とはいえもともとポリコレガン無視のイーストウッドですからね

すでにコメントされてますが、もともとはポールグリーングラス監督で、ジョナヒルとディカプリオ主演で映画化する計画だったようです。
企画が変わって主演予定の人がプロデューサーに残るってあるあるですよね。多分名前だけなんでしょうね
ディパーテッドのブラッドピットとか
もしかしてアルゴのジョージクルーニーもそんな感じだったのかもですね

投稿: しん | 2020年2月13日 (木) 21:09

◆しんさん
2010年代ベストテン集計楽しみにしております。
イーストウッドは2020年代でもまだまだ活躍しそうな気がします。「リチャード・ジュエル」がまず1番手。ポン・ジュノ(「パラサイト」)も。…て10年先の話なのに気が早すぎましたね(笑)。
主演を降りたら名前だけプロデューサーとしてクレジットするという話はあり得るでしょうね。もっとも、ブラッド・ピットは自らの製作会社プランBエンターテインメントを立ち上げ、「それでも夜は明ける」などでプロデューサーとしても活躍してます。「ディパーティッド」もプランBの製作作品のはずです。

投稿: Kei(管理人) | 2020年2月16日 (日) 17:43

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