« 2020年度・鑑賞作品一覧 | トップページ | 「パラサイト 半地下の家族」 »

2020年1月12日 (日)

「男はつらいよ お帰り 寅さん」

Otokohaturaiyookaeritorasan 2019年・日本
配給:松竹
監督:山田洋次
原作:山田洋次
脚本:山田洋次、朝原雄三
プロデューサー:深澤宏
音楽:山本直純、山本純ノ介 

故・渥美清主演で49作作られた「男はつらいよ」シリーズの、97年の「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」以来22年ぶり、第50作目の新作。第1作公開以来50周年となる記念作品でもある。監督はシリーズ生みの親の山田洋次。出演は倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆、佐藤蛾次郎らレギュラー陣に加え、準レギュラーとも言える浅丘ルリ子、後藤久美子、夏木マリも出演。

長い間サラリーマンをしていた諏訪満男(吉岡秀隆)は、その合間に書いた小説が認められ小説家になった。結婚し、中学3年生の娘ユリ(桜田ひより)もいるが妻は7年前に他界した。そして妻の七回忌の法要で満男は柴又の実家を訪れる。法事のあと、母・さくら(倍賞千恵子)、父・博(前田吟)たちと語らううち、いつしか満男の伯父・寅次郎(渥美清)との思い出話に花が咲いていた。ある日出版社の要請でサイン会を行うことになった満男は、その列に並ぶ客の中に、かつての恋人・イズミ(後藤久美子)の姿を見て呆然となる…。

まさかの「男はつらいよ」新作公開である。
私は「男はつらいよ」の大ファン(と言うよりは山田洋次監督の大ファン)。第1作以来、シリーズ全作品をリアルタイムで観ている。テレビ放映時には全作録画し、それでも物足りなくて何本かはDVDも購入した。今でも時々DVD引っ張り出して鑑賞している。何度見ても面白いし、感動する。

なので、渥美清が亡くなった時は愕然となった。渥美清という稀代の天才俳優が逝去された事の悲しみよりも、「もうこれで『男はつらいよ』の新作は見られないのか」という落胆の方が大きかった。

それほど、毎年「男はつらいよ」の新作公開が楽しみだった。特にお正月。最初に正月映画としてシリーズが公開されたのは1970年の第3作「男はつらいよ フーテンの寅」(但し監督は山田洋次でなく森﨑東)(注1)。以来、1996年正月公開の最終作「寅次郎紅の花」まで26年間、1年も欠かさず寅さん映画が正月に封切られた。毎年お正月には「男はつらいよ」を観るのが年中行事になった。「これを観なきゃ正月を迎える気がしない」という気分だった。多分「男はつらいよ」ファンのほとんどがそう思っているに違いない。
つまり今年は正月に寅さん映画を観るパターンが始まってから50年目という節目の年でもある。

その50年目の今年正月に、「男はつらいよ」の新作が公開される。“寅さんがいない正月”の喪失感が24年ぶりに癒される。嬉しい。夢を見ているようだった。
タイトルの「お帰り」とは、柴又の人たちの気持ちと言うよりも、映画を観に来た寅さんファンの気持ちを代弁しているのだろう。本当に、帰ってきてくれて、ありがとう。

(以下ネタバレあり)

冒頭から、寅ならぬ満男の夢のシーンから始まるし、それが終わってメイン・タイトルの書体も昔と変わらぬ毛筆書体。タイトル最後の「原作・監督 山田洋次」もその背景も昔のまま。懐かしくて、ここでもう涙が出て来た。ただ桑田佳祐の歌は余計、と言うよりせっかくの気分ぶち壊し(笑)。いらない。

渥美清最後の作品となる48作目から24年、その空白の間に柴又の街も登場人物もみんな様変わりした。柴又駅は自動改札になり、おいちゃんたちの団子屋、くるまやは今はカフェとなり、以前店員だった三平くん(北山雅康)は店長になってるし、おいちゃん(下條正巳)もおばちゃん(三崎千恵子)も鬼籍に入り(仏壇に遺影が飾られている)、タコ社長(太宰久雄)も亡くなったようで隣の印刷工場も今はアパートになっている。何より、さくらも夫の博もすっかり老けた。博は畳に胡坐もかけないようで居間でも椅子に座ってるし、上がり框には手摺りが設置されている。時の流れを感じざるを得ない。ちなみに御前様も2代目になっている(演じているのがシリーズで毎回違った役で出ていた笹野高史(笑)(注2))。

本作のストーリーの要は、シリーズ42作目の「ぼくの伯父さん」(1989)からスタートした、寅の甥、諏訪満男(吉岡秀隆)と彼の初恋の相手、及川泉(後藤久美子)との淡い恋物語シリーズの、24年ぶりのその後の物語である。
泉は日本を離れ、欧州の外国人と結婚してイズミ・ブルーナと名前も変わって、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の上級渉外官として忙しく活動している。一方満男は、寅さんの血を引いているせいか(笑)、仕事も人生も中途半端、長年サラリーマンをやっていたが小説家に転身し、なんとか売れてはいるようだが、次も売れるとは限らない。1作だけ売れたがその後は鳴かず飛ばずという小説家の方が大半である。妻に先立たれ、再婚話ものらりくらり、15歳の娘ユリの方がしっかりしてて父の世話を焼いている。
まるで寅と妹さくらの関係そっくりだ(笑)。

そんなある日、満男の本のサイン会で、久しぶりに日本に帰っていた泉と再会する。だが今はそれぞれに家庭を持ち、別の人生を歩んでいる。今更やり直す事も出来ない。それでも満男は今も泉を愛している。この微妙な心と心の繋がりが物語を最後まで牽引して行く。さすが山田洋次、物語作りに手抜きはない。

映画は、満男やさくら、そして満男が今も交流しているリリーさん(浅丘ルリ子)らが寅さんの思い出話を語る度に、過去のシリーズの名シーンが挿入されるという構成になっている。
驚くのは、その旧作部分の質感が、現在の映像とほとんど違和感がない点である。古いフィルムは退色があったりしてデジタル時代となった現在のクリアな映像とはかなり違うはずなのだが、デジタル加工して過去の映像をクリアにする一方、現在の映像もデジタル撮影ではあるものの、極力フィルムの質感に近づけた柔らかな色調で過去のシーンとシームレスに繋がっている。これは凄い。技術スタッフの苦労が偲ばれる。
その懐かしい過去映像の中で、寅さんは元気いっぱい躍動している。その姿を見る度に、昔観た感動が蘇って涙が溢れた。

泉が日本に帰って来たのは、仕事でもあるが、泉の母と離婚し、今は養護施設に入っている父一男に会う為でもある。43作目に登場する一男を演じていたのは寺尾聰だったが、本作では橋爪功が演じている。他の登場人物を演じているのがほとんど過去作と同じ俳優なのに、これだけ違うのは寺尾が出れない事情でもあるのかも知れないが、寺尾が演じた一男はとても優しそうな男だったので、本作で満男にずうずうしく金をせびる食えない一男という男の役柄は、むしろ橋爪が適任だろう。

泉は立派な仕事を選んで成功しているが、その両親は酒浸りの母と、女を作って家族を捨てた父。家庭は破綻している。車の中で泉と今後について口論した母は車を飛び出すが、満男がなんとかとりなして収まる。なんとも困った母である。そんな母に泉は愛想を尽かしかけても、やはり母子の絆は断ち切れない。家族とは、難しくやっかいなものである。
これまでも日本の家族の物語を描いて来た山田洋次監督、単なる寅さんの思い出だけの映画にしたくなかったのだろう。
また泉の仕事、UNHCRの活動を通して、今も地球に溢れる難民問題、それに比べ平和だが何か大切なものを失いかけている日本人というものを凝視する山田監督の社会的な視線は相変わらず厳しい。泉に同行するUNHCRの上司(スザンネ・シェアマン)が銀座を走る車の中で「みんな、幸せなのかしら?」とつぶやくシーンはそれ故重く心に響く。ここも見逃してはいけない。


そして何よりシリーズ50作全体を通して感じるのは、このシリーズは寅さんが巻き起こす騒動を描くコメディだけに留まらず、諏訪満男という男の成長の物語でもあったという事である。
過去のシリーズ48作(49作目は番外編)の登場人物は、最初から最後まで同じキャラクターで、ほとんど顔も変わらず、年を取ってるようにも(物語上は)見えない。
無論、1作目と48作目を見比べたらさすがに少し老けた事は分かるが、毎年1作づつ観ていたら、そんな変化はほとんど気が付かない。

そんな中、満男だけは1作目で赤ん坊として登場し、1作ごとに幼児からやがて小学生、高校生、浪人、大学生、社会人とどんどん成長して行く
41作目まではそれでもサブキャラクターとして、さくらの側にいるだけの目立たない存在だった。それが、吉岡秀隆という俳優の成長を見つめるうちに、この満男という若者の物語をもっと掘り下げて描いてみようという気になったのかも知れない(注3)
これが成功して、以後満男と泉の初恋物語とその行方は48作目の「寅次郎紅の花」まで続くのだが、渥美の死でこの二人の物語もまた、突然の中断を余儀なくされる。

本作はそういう意味で、実に50年という時間をかけて、若い頃に青春を謳歌し、さまざまに悩み、歩むべき道を模索し、結婚し妻に死に別れ、中高年になってようやく作家と言う道を選び、24年の空白を経て昔愛した女と再会するまでの、満男という男の人生を描く壮大な人間ドラマの最終章にもなっているのである。
山田監督自身、このシリーズは「50年かけて1本の映画を作ったような気がする」とも言っている(注4)

そういうわけで、本作は満男が実質主人公の物語ではあるのだが、やはり過去のありし日の寅さんの姿、名シーンを観ているだけでも懐かしい。そして笑いつつも、自然に涙が溢れて来た。寅さんの言動には笑えるが、有名なメロン騒動を例に出すまでもなく、一般庶民の中では浮いた存在で、いつしか疎外されるアウトロー的存在である寅さんの哀しみが炙り出されて来る山田洋次監督の熟練の脚本・演出のうまさに泣かされるのである。
以前聞いた話だが、「男はつらいよ」を劇場で観ていた若いカップルが寅さんを見てて笑い出すと、一人のオッサンが「バカタレ!ここは笑う所じゃないんじゃ!あいつが一生懸命なのに笑う奴があるかい!」と怒り出したそうだ。そのオッサンは泣いていたと言う。
これが、寅さん映画が長く愛される理由の一端ではないかと思う。そこが山田洋次監督の天才的な手腕である。「男はつらいよ」シリーズとは、渥美清と山田洋次という二人の天才が幸福な出会いをした、奇跡のような作品と言えるかも知れない。

満男が自分の部屋で、「こんな時、寅さんがいてくれたら」と思っていると、背後に寅さんの姿がぼんやり浮かぶシーンが何度か登場する。CG処理なのだが、ここはウディ・アレンが脚本・主演を務めた「ボギー、俺も男だ!」を思い出す。あの作品でも優柔不断な主人公が悩む都度、ボギー(「カサブランカ」のハンフリー・ボガート)の幻影が現れ、主人公を励ますのである。

そしてラスト、過去のマドンナたちの映像が、それこそ「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストのように次々と登場するシーンでは涙腺決壊、涙でスクリーンが霞んでしまった。これにはやられた。特に、昨年亡くなられたばかりの八千草薫や京マチ子の、在りし日の美しい姿には余計泣けた。

エンドロールで、シリーズのレギュラーで今はこの世にいない、森川信(初代おいちゃん)、松村達雄(2代目おいちゃん)、下條正巳、三崎千恵子、笠智衆、といった方々への献辞にもまた泣けた。

場内が明るくなっても、しばらくは立てなかった。さまざまな過去作品の思い出が頭を駆け巡り、そして、これで寅さんとは永遠のお別れだなと実感した。山田監督も、そういう思いでこの映画を作ったのだろう。本当に長い間、渥美さん、山田監督、お疲れさまでした。
(採点=★★★★☆

 ランキングに投票ください → にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 

(注1)
正確には、「男はつらいよ フーテンの寅」の封切日は1月15日で正月第2弾。翌年も同様で、暮れの12月最終週に封切る正月第1弾パターンは1971年末の第8作「男はつらいよ 寅次郎恋歌」からである。

(注2)
現在NHKで放映されているドラマ「贋作 男はつらいよ」でも笹野高史はやはり本作と同じく寺の住職(関西ではおじゅっさんと言う)を演じていて、本作と同様法要の時間に遅れて来るのが、本作との連動のようでおかしい。ちなみにドラマは…、寅さんファンなら見ない方がいいと思う。

(注3)
山田監督がそんな具合にシリーズの方向を変えた理由はもう一つあって、実は「ぼくの伯父さん」が作られた1989年辺りから渥美清の体調が優れなくなり、渥美の出番を極力減らさざるを得なくなったという事情がある。事実それまで(山田監督が別の新作で多忙な年を除いて)盆と正月の年2本作られていたシリーズが、この作品以降年1作、正月のみの公開となっている。

(注4)
それで思いつくのが、リチャード・リンクレイター監督の「6才のボクが、大人になるまで。」(2014)。エラー・コルトレーンという撮影開始当時6歳だった少年が18才の大人になるまで、12年間という時間をかけて撮った労作で、映画の中でエラーは子供から大人までの12年間を一人で演じている。吉岡が最初にシリーズに出演したのが1981年の27作目「浪花の恋の寅次郎」。当時吉岡は11歳。実に39年かけて「11才の満男が50才になるまで」を描いた事になる(笑)。ちなみに吉岡が生まれたのが1970年。なんと本人も50歳なのだ(笑)。

リンクレイター監督と言えば、イーサン・ホークとジュリー・デルピーの男女が出会い、9年後に再会し、そのまた9年後をシリーズで描いた「 恋人までの距離(ディスタンス)」(1995。原題は" Before Sunrise")、「 ビフォア・サンセット」(2004)、「 ビフォア・ミッドナイト」(2013)の「ビフォア」シリーズがある。これもまた長い時間をかけた1本の映画と言えるかも知れない。
なお二人の職業はホークは小説家、デルピーは環境活動家と、本作の満男と泉と酷似しているのも興味深い。

 

|

« 2020年度・鑑賞作品一覧 | トップページ | 「パラサイト 半地下の家族」 »

コメント

12月31日に見てこれが昨年最後の映画となりました。
基本的には吉岡秀隆の満男と後藤久美子のイズミの再会の話ですが、過去のシリーズの名場面が登場します。
浅丘ルリ子のリリーら存命の人々も登場します。
シリーズの前半は結構見ていますが、満男が登場するシリーズの後半はあまり見ていなかったので色々と新鮮でした。
ラストは、、泣けました。

投稿: きさ | 2020年1月20日 (月) 10:47

◆きささん
「男はつらいよ」シリーズは全部観ていますが、さすがに35~6作目辺りからマンネリになって、三船が出てた「知床慕情」を除いてどれもあまり良い出来ではありませんでした。サブタイトルからして「サラダ記念日」「心の旅路」と、どこかで聞いたような(笑)…。
それが満男がメインとなった「ぼくの伯父さん」からまた面白くなって来ました。渥美清が体調不良でという事でやむを得ず方向転換したのが怪我の功名とでも言いましょうか。
この辺はあまりご覧になってないそうですが、この機会に是非レンタルしてでもご覧になってください。「お帰り 寅さん」がより感動的な作品になると思いますよ。

投稿: Kei(管理人) | 2020年1月20日 (月) 23:46

私の生まれた年に第一作公開なので
待望の50作目もご縁を感じます。
(偶然にもサザエさん放送50年、
ドラえもんも連載50年)

小さい頃から過去作観ていて
いつの間にか世界観が浸透していました。
よって22年振りの本作、題名が
出ただけですぐに感涙…。

歳を重ねた現在の登場人物も良いですが、
若い頃の映像も懐かしく素敵でした…。

少々記憶が曖昧ですが「男はつらいよ」って
エンドロール無しだった印象ありましたが、
本作は渥美清さんの歌と共に流れましたね。
更にジーンと来てまた感涙…。
贅沢な映画体験をしました…。

★遅くなりましたが本年も宜しくお願い致します。

投稿: ぱたた | 2020年1月21日 (火) 14:41

◆ぱたたさん
今年もよろしくお願いいたします。
1作目公開の年にお生まれになったのですか。それじゃ満男とほぼ同い年ですね(笑)。
>少々記憶が曖昧ですが「男はつらいよ」って エンドロール無しだった印象ありましたが…
間違いありません。最終作「紅の花」まで全作エンドロールなしで、寅さんのタンカバイとか旅先での出会いの後にテーマ曲が重なって「終」のエンドマークが出てすぐに場内が明るくなっておりました。このシリーズ、こういう昔ながらのエンディング・パターンの、最後の映画でしょうね。考えればいつ頃から「終」マークが無くなったのか…。
でも私のように、本作のラストで涙で顔がクシャクシャになった観客にとっては、すぐに場内が明るくなるよりエンドロールがある方が、涙を拭く時間があって助かります(笑)。

投稿: Kei(管理人) | 2020年1月24日 (金) 22:44

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 2020年度・鑑賞作品一覧 | トップページ | 「パラサイト 半地下の家族」 »