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2020年5月30日 (土)

「淪落の人」

Stillhuman 2018年・香港
配給:武蔵野エンタテインメント
原題:淪落人 (英題:Still Human)
上映時間:112分
監督:オリヴァー・チャン
脚本:オリヴァー・チャン
撮影:デレク・シウ
製作:フルーツ・チャン

事故で半身不随となり人生に絶望した中年男性と、フィリピンからやって来た出稼ぎ家政婦との交流を描いた心温まるヒューマンドラマ。監督はこれが長編デビュー作となるオリヴァー・チャン。「メイド・イン・ホンコン」等の監督フルーツ・チャンが製作に回っている。主演は「インファナル・アフェア」のアンソニー・ウォンと新人のクリセル・コンサンジ。共演は「ピンポン」のサム・リー、「スウォーズマン 剣士列伝」のセシリア・イップなど。第14回大阪アジアン映画祭観客賞、アンソニー・ウォンが第38回香港電影金像奨最優秀主演男優賞など多くの賞を受賞している。

前回も書いたが、緊急事態宣言でほぼすべての映画館が休館となり、長く劇場で映画を観れない日々が続いた。そんなわけで、宣言解除で上映が再開された22日以降は反動でほぼ毎日映画館に通った。
全面再開でなく、まだ休館している劇場も多い上に、上映再開を知らない人も多いのか、最初の頃(22日~25日)は、観客は多くて2~3人、ある劇場では私一人しか客がおらず貸し切り状態で映画を観た。さすがにちょっと先行きが不安になった。
それでも、少しづつ観客も戻りつつあるようで、26日に行ったミニシアターでは、作品の評判もあってか20人くらいの観客がいた。全劇場再開となる6月1日以降はもう少し増えるだろう。頑張って欲しいと祈るばかりである。


さて本作は、東京などでは本年2月に公開済だが、当地では4月初旬公開予定の所、緊急事態宣言で上映が延期され、ようやくこの22日より公開の運びとなった。評判が良かったので楽しみにしていた作品である。

(物語)突然の事故で下半身不随となってしまった中年男、リョン・チョンウィン(アンソニー・ウォン)。妻とは離婚、息子とも離れて暮らし、人生に何の希望も見いだせないまま、ただ日々を過ごしていた。そんなある日、チョンウィンは若いフィリピン人女性エヴリン(クリセル・コンサンジ)を住み込み家政婦として雇う。最初は広東語が話せない彼女に苛立ちを隠せないチョンウィンだったが、それでもひたむきに介護を続けるエヴリンの姿に、チョンウィンの心は次第に解きほぐされ、片言の英語の会話も交え、二人の間には情が芽生えて行く。やがてチョンウィンは、エヴリンが家族の為に写真家への道を諦めた事を知り、彼女の夢を叶える手助けをしようと思い始める…。

(以下ネタバレあり)

設定としては、“車椅子生活の男と、介護役として雇われた人間との心の交流を描くヒューマンドラマ”という内容からして、話題を呼んだ「最強のふたり」を思わせるが、あの作品とは物語、テーマとも少し異なる。

こちらの作品は、主人公の中年男、チョンウィンは事故で胸から下がまったく動かなくなった上に、妻とは離婚、最愛の息子は海外の大学にいる為離れて会えない。妹のジンイン(セシリア・イップ)との間もギクシャクしている。事故の保険金でかろうじて生活を保っているが、これからの人生、何の希望もない。よって心も荒んでいる。唯一の慰みは、元同僚で友人のファイ(サム・リー)との会話くらいである。

一方、チョンウィンの介護係兼家政婦として雇われたエヴリンは、フィリピンから香港に出稼ぎに来ていて、生活は苦しく、稼いだ金はフィリピンの家族に仕送りしなければならない。おまけに、夫との婚姻を無効とする訴訟も抱えている。

チョンウィンはやや気難しく、エヴリンが掃除をしても、隅の方が出来てないとか細かく目くじら立てる。またエヴリンは広東語が解らず英語しか喋れない。意志の疎通はチョンウィンの持つ翻訳機を通して行うだけ。介護にしても、重いチョンウィンの体をベッドから車椅子に移すのはかなりの重労働である。

だがエブリンは懸命に、献身的に介護仕事をこなして行く。チョンウィンを抱え上げるには力をつけなければと、水の入った重いバケツで筋トレをしたりもする。ここは笑える。
そんな彼女の姿を垣間見たチョンウィンは、少しづつ彼女に心を開いて行く。
チョンウィンはエヴリンに英語を教わり、エヴリンも簡単な広東語を覚えたり、少しづつ両者の間にコミュニケーションが深まって行く。チョンウィンはエヴリンに自分の事を「旦那様」でなく「チョンウィン」と呼んでいいとまで言う。

そんなある日、エブリンが生活の為に、夢であった写真家の道を諦めたことを知ったチョンウィンは、エヴリンの誕生日プレゼントとして、カメラを買ってあげる。

だが、フィリピンの母に金を無心されていたエヴリンは、せっかくのカメラを、チョンウィンには無くしたと偽って内緒で金に換えてしまう。それを察知したチョンウィンは一時はエヴリンに辛く当たったりもする。

それでも、エヴリンに夢を叶えて欲しいと思う気持ちが勝ったチョンウィンは、またカメラを買ってやり、「夢を実現しろ」とエヴリンを説得する。
その気持ちに圧されてエヴリンは、そのカメラでさまざまな風景、人物を撮り、やがて写真コンテストに応募、見事入賞する。

その腕前を見込んだプロの女性カメラマンが、エヴリンを助手として雇いたいと申し出る。

こうしてエヴリンは遂に夢を実現し、ラストはチョンウィン見送られ、新しい人生に向かって旅立って行く所で物語は終わる。


…観ている間中、特に後半、何度も涙が出た。エンドロールでは涙でスクリーンが霞んだ。

いい映画だ。決して感動を押し売りしておらず、抑制の効いた演出なのに、それでも泣ける。脚本がとてもいい(オリヴァー・チャン監督自身のオリジナル)。

人は誰だって、夢を持つ事は出来る。夢が実現することを願ってもいる。
それでも、さまざまな事情で夢を諦める事もある。むしろその方が多いかも知れない。

この映画は、“どんな不自由な、過酷な環境にあろうとも、決して夢を諦めないで”というメッセージが強く打ち出されている。

本作のエヴリンのように、外国から出稼ぎに来て、しかも家政婦という低い地位の仕事をしていては、普通なら夢など叶えられるわけもない。チョンウィンの妹のジンインは、「家政婦ごときが」とあからさまに彼女を見下している。
だがチョンウィンは、エヴリンの夢を実現させるべく力強い手を差し伸べる。人生に希望を失っていたチョンウィンは、彼女の夢を実現するという援助自体が、彼の人生の新たな希望であり、生き甲斐ともなったのである。チョンウィン自身も、彼女によって救われたとも言える。

そんなチョンウィンに、エヴリンが仄かな恋心を抱いている事を思わせるシーンもあるが、二人の年齢差からみて、むしろチョンウィンのエヴリンに対しての思いは、娘に寄せる父親の愛情に近いものと思われる。
だからラストで、エヴリンが新しい人生に向かって旅立つのを、チョンウィンは娘を送り出す父親のような気持ちで見送ったのだろう。

この映画が泣けるのは、どんな境遇の人にも、誰でも夢を持つ権利はある、夢を持っていいのだ、と強く訴え掛けると共に、そんな人たちに寄せる、人間の心の温かさ、思いやりの気持ちが世の中を明るくし、希望を持てる世界を作り上げて行く、その事を強く感じさせるからである。


オリヴァー・チャンの演出は、随所に笑えるシーンや、ユーモラスなシーンを取り混ぜ、深刻になりがちな話を努めて明るい雰囲気に保っているのがいい。例えばチョンウィンとファイがエヴリンの留守中にアダルトヴィデオを連続鑑賞してたりとか、エヴリンの出稼ぎ仲間の友人たちが集まって雇い主を肴にお喋りして盛り上がったりとか。
その仲間4人が、カラフルな衣装を着て街を歩くシーンが「ラ・ラ・ランド」を思わせ、ニヤリとさせられたり。
最初の方でエヴリンが出稼ぎ家政婦と知って野菜を高値で売りつけた市場の意地悪なオバサンに、終盤できっちり仕返しをしたり。
新人監督の第1作とは思えないほどの緩急自在の演出が楽しい。

主演のアンソニー・ウォンは、これまで「エグザイル/絆」「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」など、スタイリッシュなアクション映画で知られているが、本作では一転、動かない風格のある名演技を見せている。
本作の製作費が乏しいと知って、ノーギャラで出演を快諾したというエピソードも泣かせる。

また「メイド・イン・ホンコン」で知られる監督のフルーツ・チャンが、オリヴァー監督の為にプロデューサーを買って出て、演出にも助言を与えたというエピソードもある。

いろんな人々の温かい援助で、オリヴァー・チャンが念願の監督デビューを果たしたわけで、これはまるまる、本作のエヴリンがチョンウィンらの援助で夢を実現した物語と重なる。映画を地で行くドリーム・ストーリーである。

偶然だが、香港では今、中国の国家安全法によって自由が脅かされている。
そんな不自由な空気が広がりつつある中で戦う香港の若者たちに対して、この映画は、それでも決して、夢を、希望を失わないで、とエールを送っているようにも思えて来る。
本作が製作されたのは2018年、こんな危機的な状況になろうとは思えなかった頃である。不思議な巡り合せを感じる。

また今回の新型コロナウイルス禍の自粛要請で、仕事を失ったり、バイトが出来ず大学卒業を諦める人が多くいる。そんな人たちにも、この映画を観る事を強く薦めたい。きっと勇気づけられるだろう。

そういう意味でも、本作は是非多くの人に観ていただきたい。シネコンでは新作が配給されず、旧作の再映が多いそうだが、この機会に本作を上映してはどうだろうか。観た人の評判がとてもいいから、口コミでロングラン・ヒットになる可能性もある。是非検討いただきたい。採点は今後のヒットも祈願して。 (採点=★★★★☆

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