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2020年6月 7日 (日)

書籍「原節子の真実」

Harasetsukonoshinjitsu  石井妙子・著

 新潮社・刊 2016年3月

 ¥1,600+税

今年は、伝説の名女優、原節子の生誕100年に当るそうで、あと10日ほどでその100歳の誕生日を迎えます(誕生日:1920年6月17日)。

という事で、今回はその原節子に関するノンフィクション書籍をご紹介。

その前に、実はこの本を読むきっかけとなったある事について書いておきます。


先月になりますが、DVD鑑賞した川島雄三監督「昨日と明日の間」について感想を書きました。
その際、本文には書きませんでしたが、ちょっと気になる点に目が行きました。それは脚本家の名前です。

この映画の脚本を書いたのは、椎名利夫。川島作品では、その前の「真実一路」の脚本も書いています。

一見普通にあるような名前ですが、じっと眺めていると、面白い事に気が付きます。
“利夫”を「りお」と読み替えると、“しいな・りお”…つまり自分の職業である“シナリオ”を捩ったペンネームなのです。
それに気が付いて、思わずニンマリしました。

それで気になって、この椎名利夫について調べました。

やはりこれはペンネームで、本名は清島長利。戦前に東宝に助監督として入社。やがて脚本を書くようになり、戦後は松竹を中心に数多くの脚本を書いています。
その中には、美空ひばり主演の「悲しき口笛」(1949・家城巳代治監督)といった話題作もありますが、多くは無数に作られ、今では忘れられてしまったプログラム・ピクチャーばかりです。
なんとかソフト化され、今でも見る事が出来るのは、前述の「悲しき口笛」と川島雄三監督作2本、それに中村登監督「集金旅行」(1957)くらいでしょうか。

さらに検索しているうち、この人の名前が意外な所に出て来ました。それが今回取り上げる「原節子の真実」というわけです。後述しますが、この椎名利夫こと清島長利さんは、原節子の人生において、重要な位置を占める方でした。その事を知ったのが、本書を読むきっかけとなったわけです。


本書は、ノンフィクション・ライターの石井妙子さんが、現存する原節子出演作をDVD等ですべて見て、あらゆる参考図書を読み漁り、原節子ゆかりの方々にもインタビューし、3年あまりの取材の末に作り上げたという、文字通りの労作です。
原節子本人にも取材を試みましたが、亡くなられるまで、とうとう取材に応じて頂けなかったそうです。

そうした丹念な取材を重ねた結果、これまで明るみに出ていなかった、原節子に関する新たな事実が本書で初めて描かれています。まさに「真実」に肉薄した話題作と言えるでしょう。

一番驚いたのが、“原節子は一生に一度の、熱烈な本当の恋をしていた”こと。その相手が、清島長利さんだった、という事です。

以下本分より引用します。
「それは淡い恋ではなく、結婚を意識した熱烈な恋だったと映画関係者の間では密かに語り継がれてきた。昭和15年頃、節子は20歳だった。相手は東宝の同僚で、脚本を書きながら助監督をしていた青年だった。名は清島長利。戦後は椎名利夫のペンネームも用いて著名な脚本家となるが、当時はまったく無名で、地位もなく目立たぬ存在であったという。映画界にはめずらしく東大で美学を学んだという経歴を持ち、地味で誠実な人柄に節子が惹かれ、やがて相思相愛になったといわれる。(中略)
相手はなんといってもスター中のスター、会社にとっては大事な商品でもある。名もない青年がうかつに近づくことなど決して許されなかった。(中略)それでもふたりは姉夫婦と暮らす清島の下宿先で、ひと目をしのび逢瀬を重ねていたという。清島の姉はふたりが真剣に思い合っていることを知り、密かに応援していた。ところが、やはり噂は広まり、熊谷の知るところとなった。熊谷は『助監督風情が』と激怒し、節子には諄々と『女優としてこれからではないか』と説いて聞かせたといわれる」。

ここで出て来る熊谷とは、映画監督の熊谷久虎。節子の姉の夫で、節子にとっては義兄です。節子に、女優になる事を勧めたのも熊谷です。この為節子も、熊谷の言う事には逆らえなかったようです。熊谷はそれまでも、節子に近づこうとした若い男たちを徹底して排除していたそうです。東宝の名プロデューサー、藤本真澄も「原節子に惚れて、結婚したいと思ったが、熊谷がいるから諦めた」と晩年に語っています。

熊谷によって節子と清島長利の仲は裂かれ、さらに「身のほどをわきまえずスターと付き合った事に対する懲罰」の意味合いもあって、清島は東宝から追放(つまり馘首)されてしまいます。
「清島との別離を節子はたいそう嘆き、『こんなに苦しいのなら、もう二度と恋はしない』と語ったと言われる。自分が愛したばかりに、男は会社を追われる事になってしまった。その責任を重く受け止めてもいたのだろう。節子は『一生に一度の恋だった』と、晩年になっても友人にもらしている」。

原節子が生涯独身を通したのは、実はそんな理由があったのですね。

これには本当に驚きました。この事実は映画関係者の何人かは知っていたようですが、これまでマスコミでもほとんど伝えられてはいません。それは「清島本人が節子の立場を慮って、戦後も長く、『どうして、私と原節子さんの間にそんな噂が立つのかわからない』と言い張ったこともあり、公に語られることはあまりなかった」という事のようです。

もし、この恋が実っていたら、原節子の、あるいは清島長利の、その後の人生はどうなっていたでしょうか。人間の運命とは、分からないものですね。

本書にはこの他にも、初めて知った事がいくつかあります。黒澤明監督の「羅生門」の、多襄丸に強姦される妻・真砂役を、黒澤は原節子を強く要望し、節子も出演を望みましたが、ここでも熊谷久虎に反対され、結局出演は叶わず京マチ子が演じる事になりました。どこでも熊谷が邪魔ばかりしてますね(笑)。

また小津安二郎監督の「晩春」「麦秋」「東京物語」の、いわゆる紀子三部作についても、原節子本人は「好きな作品ではない」と言い、「小津映画で与えられた紀子のような役は、もうやりたくない」「婚期に遅れたオールドミスをやるのも、余り好きではないわ」とまで言っているようです。
一時ゴシップ記事で書かれた、原節子と小津安二郎が恋愛関係にあったという噂も、こうした発言や清島長利との秘めた恋のエピソードを総合すれば、まったくのデマだったという事になります。

こんな具合に、本書はこれまで語られて来た原節子に関するデマや噂の信憑性、そして語られて来なかった事実を、多数の文献や新たな証言で明らかにした、まさに「原節子の真実」に迫った本であると言えます。

…ただ、素晴らしいノンフィクション・ルポルタージュの力作である事は認めますが、私は個人的には、原節子のプライベートな部分はずっと謎のままで、伝説の映画女優・原節子としてスクリーンの中だけで永遠に輝いていて欲しい、という思いがあります。それが読み終えて、少し引っ掛かった所でもあります。
原節子ファンの方は、そのつもりでお読みになる事をお奨めします。

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(付記)
参考までに、清島長利さんが脚本家としての名前を椎名利夫と改名したのは、1952年10月公開の「母は叫び泣く」(松竹大船作品)からです。1947年から松竹を中心に脚本家として活躍を始めて5年目の節目という事もありますが、ひょっとしたら「清島長利は原節子の元恋人」と噂されるのを避けたかったのかも知れません。

椎名利夫としてはその後、1970年までに50本近い脚本を書いています。

 

 

単行本「原節子の真実」
文庫版「原節子の真実」

 

 

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