« 「ANNA アナ」 | トップページ | 「ライブリポート」 »

2020年6月20日 (土)

「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道」

Hananoatosaki 2020年・日本     112分
制作:NHK=NHKエンタープライズ 
配給:NHKエンタープライズ、新日本映画社
監督:百崎満晴
撮影:百崎満晴
プロデューサー:伊藤純
語り:長谷川勝彦

NHKテレビで2002年から放送された人気ドキュメンタリーシリーズ「秩父山中 花のあとさき」を再編集し、オリジナル楽曲と未公開シーンを加えた劇場用ドキュメンタリー作品。監督・撮影はNHKカメラマンの百崎満晴。ナレーションは元NHKアナウンサーの長谷川勝彦。

テレビで放映されたドキュメンタリー番組を編集して劇場公開する事は、このブログでも何度か取り上げた東海テレビ作品などいくつかあるし、NHK製作作品でも、昨年公開された「人生をしまう時間(とき)」などがある。だから特に目新しいわけではない。

だが本作の元となったテレビ番組が凄いのは、2002年に「秩父山中 花のあとさき」のタイトルで最初の放映が行われた後、反響を呼んでシリーズ化され、なんと2019年までの18年間に7本が放映されるという、例を見ない長期シリーズとなった事。
さらにこの、18年間にわたって撮り続けた膨大なビデオ映像を編集し、112分にまとめたのが本作である。

ドキュメンタリー映画は数々あれど、こんなに長期間にわたり撮影されたドキュメンタリーは珍しいのではないだろうか。


さて、その本作であるが、舞台となるのは、埼玉県秩父市吉田太田部楢尾。秩父山地の北の端にある山あいの小さな集落である。資料によると、かつては養蚕や炭焼きが盛んで、100人以上の人たちが住んでいたが、若い人は次々と出て行って過疎化が進み、取材を始めた2001年には、戸数5戸・住人9人・平均年齢73歳となっていた。
いわゆる限界集落である。

作品の中心となるのは、タイトルにもあるムツばあさんこと小林ムツさん。撮影開始当時は77歳。2歳年下のご主人・公一さんと共に畑仕事で生活を支えて来た。だが高齢になって仕事がきつくなり、畑を閉じる事にした。
ただ、先祖代々守って来た畑を閉じたままにしたら荒れ果てて行くだろう。それでは忍びないと考え、夫婦で花の種樹を植え、一面花を咲かせて山に還す事にしたのだと言う。
毎日コツコツと花を植え続け、その数は1万本以上にも及んだ。

二人が心掛けたのは、いつか誰も世話する人がいなくなっても咲き続ける、丈夫な花を育てる事だそうである。
おそらくこの村は、いずれ誰もいなくなってしまうだろうが、それでも、「いつか人が戻って来た時、花が咲いていたら、どんなに嬉しいだろう」その思いで、ムツばあさんは花を植え続ける。カメラは、その姿を追い続ける。

監督・撮影の百崎満晴さんは、NHKのカメラマン。1999年、たまたま別番組の撮影でムツさんと出会った。以来、休日に時折村を訪ねては縁側でお茶を飲んだり、木々の説明を受けたりするうちに、ムツさんらの無理のない生き方に引きつけられ、やがてこの人たちの生活をカメラに収める事を思いつき、企画書を書き上げた。
そして2001年、番組制作が決定。2002年5月の第1回放映に至るわけである。

ムツさんたちの、1万本もの花を植え続ける作業も大変だが、その姿を18年にもわたって、ほとんど単独作業で自分でカメラを担ぎ、村人たちにインタビューし、撮り続けた百崎さんの根気と粘り強さも敬服に値する。

ムツさんの笑顔が、とても素敵だ。高齢になって、花を植え続けるのは大変な苦労だろう、それでも、いつも笑顔を絶やさず自然と共に暮らす、その姿に癒される。

Hananoatosaki2

その他、杉山を守りながら畑仕事や養蚕仕事を続けて来た新井武さんという方も登場する。「杉の木は枝を伐採しないと荒れてしまう」と、80歳を越えても足取り軽く山に入り、杉の木にスイスイと登り伐採する。この方も素敵だ。

やがてムツさんの夫・公一さんが亡くなるが、その後もムツさんは、夫を失った悲しみを胸に秘め、一人暮らしを続けながら、笑顔を絶やさず、花を植え続ける。

そのムツさんも、2009年、85歳で亡くなるのだが、カメラはその後も、残った村人たちを追い続ける。
最後まで残った新井武さんも2017年、88歳で亡くなり、とうとうこの集落の住人は一人もいなくなってしまう。そこで、このシリーズも終了するわけである。

だが、ムツさんが亡くなった後も、何度かムツさんの姿は映像の中に登場する。まるでそれが、ムツさんが精霊となってこの村を守り続けているように思えて、何度か涙が溢れた。

私が一番印象的だったのは、冒頭とラストに登場する、ムツさんが山道を、腰に手を当てながらしっかりとした足取りで歩いて行く後ろ姿を捉えた映像である(下)。

Hananoatosaki3

特にラストは、ムツさんがやがて道の向こうを曲がり、その姿が消えて行くまでをずっとワンカットで追っている。
もうこれで、ムツばあさんは本当にいなくなってしまったのだとの実感が沸いて来て、ポロポロ泣いてしまった。

ラストは、ドローンで撮影された、ムツさんが植えた色とりどりの花が段々畑を満開に染めている映像で締めくくられる。このシーンでも泣けた。


観終わって、心が洗われるような、清々しい気分になった。とても素敵な、感動の秀作である。

人は誰でも、いずれはその人生を終える。その時、自分がこの世に生きた証をどんな形で残すべきか、後世に何を伝えるべきか、その一つの答がこの映画の中に詰まっている。
私は何を残せるだろうか。そんな事まで考えてしまった。黒澤明監督「生きる」でも描かれた、人間にとっての永遠のテーマでもある。

音楽もいい。ピアノや弦楽器の素朴な音もこの作品にマッチしている。

観た人の評判もとてもいい。瀬戸内寂聴さんをはじめ、多くの著名人が賛辞を寄せている。是非多くの人に観て欲しい。

私が観たテアトル梅田では、コロナ対策で市松模様指定席で半数しか座れないのに、その座席がほぼ8割くらい埋まっていた。口コミで評判が伝わっているのだろう。この調子で、コロナ禍を乗り越え、観客が以前のように戻って来て、映画館が再び活況を取り戻す事を切に期待したい。 (採点=★★★★☆

 ランキングに投票ください → にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 

 

 

|

« 「ANNA アナ」 | トップページ | 「ライブリポート」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「ANNA アナ」 | トップページ | 「ライブリポート」 »