「カセットテープ・ダイアリーズ」
2019年・イギリス 117分
配給:ポニーキャニオン
原題:Blinded by the Light
監督:グリンダ・チャーダ
原作:サルフラズ・マンズール
脚本:サルフラズ・マンズール、 グリンダ・チャーダ、 ポール・マエダ・バージェス
製作:グリンダ・チャーダ、 ジェーン・バークレイ、 ジャマル・ダニエル
パキスタン移民の英国のジャーナリスト、サルフラズ・マンズールの回顧録を映画化した、実話に基づく青春音楽ドラマ。監督は「ベッカムに恋して」のグリンダ・チャーダ。主演はテレビ出身の新人ヴィヴェイク・カルラ。その他の出演者は「キャプテン・アメリカ」シリーズのヘイリー・アトウェル、「1917 命をかけた伝令」のディーン=チャールズ・チャップマン、「グッドライアー 偽りのゲーム」のネル・ウィリアムズなど。
(物語)1987年のイギリスの田舎町ルートン。音楽好きなパキスタン移民の高校生ジャベド(ヴィヴェイク・カルラ)は、閉鎖的な町の中で受ける人種差別や、保守的な父親マリク(クルヴィンダー・ギール)からパキスタンの伝統やルールに基づく価値観を押し付けられる事に鬱屈とした思いを抱えていた。ジャベドは人種差別や経済問題、不安な政情に揺れる時代を彼なりに反映させた詩を書いているが、まだ本当の“自分の言葉”を見つけられないでいた。そんなある日ジャベドは、高校で知り合ったパキスタン系の同級生ループス(アーロン・ファグラ)からブルース・スプリングスティーンの曲が入ったカセットテープを渡され、それを聴くよう勧められる。家に帰りそのカセットを聴いたジャベドは、まるで雷に打たれたような衝撃を受けた。この出会いによってジャベドの人生は大きく変わって行く…。
4月17日公開予定だったがコロナの緊急事態宣言で公開延期となっていた。ようやく3ヵ月遅れで今月3日から公開された。
ビートルズ世代の私にとっては、ブルース・スプリングスティーンは苦手だ。ほとんど曲は聴いた事がないし、歌声もお顔もせいぜいアフリカ難民救済ライブエイド「ウィ・アー・ザ・ワールド」(1985)のMVでやっと知った程度。
その彼の曲が全編に流れると聞いて、あまり触手は動かなかった。出演者もほとんど知らないし。それでも、なんだか評判は良さそうなので一応観ておくか、程度の軽い気持ちだった。
が、なんとこれは凄い傑作だった。若者がある出会いによって人生を見つめ直し、自分の道を切り拓き、成長して行く青春映画の王道パターンであるが、それだけでなく、差別・偏見、格差社会に対する社会的問題提起もあるし、家族の絆、男の友情、初恋などもしっかりと描かれ、そして何より、スプリングスティーンの音楽(特に歌詞)の素晴らしさ。これにはノックアウトされた。「ボヘミアン・ラプソディ」でクイーンの音楽に初めて触れて感動したように、今度はブルース・スプリングスティーンの音楽にやられた。いい音楽は人を感動させる。ラストでは涙が溢れた。
(以下ネタバレあり)
主人公たち一家は、パキスタンからイギリスに渡って来た移民である。どこの国にも、今の時代にもあるが、有色人種に対する差別意識は白人系の国では根強く、ジャベドたちパキスタン人はさまざまな差別に晒される。町を歩いているといきなりツバを吐きかけられたり、ドアごしに家に小便をかけられたり、家の壁一面に「パキは出て行け」と落書きされたり。ジャベドの父はヘイトデモの一団に殴られ服を破られる。
そう言えば「ボヘミアン・ラプソディ」でも、フレディ・マーキュリーが「パキ野郎」と差別的な言葉を浴びせられていた。
また父親は20年近くも真面目に自動車工場で働いていたのに、不況で会社が人員削減を打ち出すと真っ先にリストラされてしまう。収入の道が途絶えた為に、母は必至で内職し、ジャベドもアルバイト先を探さざるを得なくなる。父は毎日仕事を探すもなかなか見つからない。
イギリス映画という事もあるが、イギリスの貧困・格差を描く「わたしは、ダニエル・ブレイク」などのケン・ローチ監督作品を思い出す。
そんなジャベドの楽しみは、音楽を聴く事と、社会問題や政情などについて、日記のように詩を書き綴る事。ソニーの携帯カセット・ウォークマン(懐かしい)で、街を歩きながら音楽を聴いている。
ジャベドを演じた新人、ヴィヴェイク・カルラが初々しい好演。ちょっとジェイク・ギレンホールに似ている(右)。今後の活躍が期待出来そう。
やがてジャベドは、同じパキスタン系の同級生ループスと同郷という事もあって仲良くなり、彼から「これを聴いてみろ」とブルース・スプリングスティーンのカセットを渡される。
ジャベドは音楽でもイギリス系のペット・ショップ・ボーイズなどのファンで、アメリカ人のブルース・スプリングスティーンの曲は知らなかったのだが、ループスが強く勧めるので、その夜聴いてみる事にした。
だが、聴いた途端、ジャベドの体に電流が走る。メロディーも素晴らしいが、何より、その歌詞に衝撃と感銘を受ける。差別や暴力、戦争に対する激しい怒り、命の大切さ、等を切実に訴えかけている。ジャベド自身も同じようなテーマを訴える詩を書いていたので、余計心に突き刺さったのである。
このシークェンス、曲の歌詞がジャベドの周りを回ったり、壁にプロジェクションマッピングのように投影されたりといったケレン味のある演出が面白い。
この演出テクニックは大根仁監督「バクマン。」(2015)でも使われていたのを思い出す。また主人公が音楽を聴いて雷に打たれたような電気ショックを受けるのは大林宣彦監督「青春デンデケデケデケ」と似ている。
好きな事に邁進する若者たちを描く青春映画は、技巧的に洋の東西を問わず同じような演出になるのだなと思った。
それにしても、ブルース・スプリングスティーンの曲の歌詞があんなに、時代に対する怒りや強烈な社会的メッセージ性を持っていたとはまったく知らなかった。己の不明を恥じると同時に、スプリングスティーンを見直した。
以後、ジャベドはスプリングスティーンの曲に夢中になる。曲の内容を深く理解し、遂には幼馴染で親友のマット(ディーン=チャールズ・チャップマン)が、「ボーン・イン・ザ・USA」はアメリカ万歳の歌じゃないかと言うのに対し、「あの詞にはベトナム帰還兵の苦悩が込められている」と反論するまでになる。
楽しいのは、マットの所でアルバイトをしながらヘッドホンでスプリングスティーンを聴いていると、なんとマットの父もスプリングスティーンの大ファンで、二人で歌いだしたり、やがてその曲を街中の人々がみんな歌い、踊り出すシーンへと繋がる。まるで「ウエストサイド物語」とかジャック・ドゥミ監督「ロシュフォールの恋人たち」等のミュージカル映画のワンシーンのような高揚感に溢れた素敵なシーンで、ミュージカル大好きな私にはもう大満足。
だがそんな楽しいシーンがある一方で、さまざまな困難がジャベドを襲う。差別や偏見に晒され、父の失職で生活も苦くなるし、詩を書く事を将来の仕事にしたいというジャベドの夢も父に拒否される。苛立ちを募らせたジャベドはやがて親友マットと仲違いしたり、恋仲になったイライザ(ネル・ウィリアムズ)とも気まずくなったりと辛い試練は続く。
それでも、悪い事ばかりではない。高校の国語教師、クレイ先生(ヘイリー・アトウェル)は、ジャベドの詩を読んでその才能を見抜き、書き続ける事を勧めたり、彼の作品をコンクールに出したりとさまざまな支援を行う。また隣の老人エヴァンス氏(デヴィッド・ヘイマン)も嵐の日拾ったジャベドの詩を読んで、優しく励ましの言葉をかけてくれる。
そうした周囲の温かい励ましに支えられ、ジャベドは少しづつ夢に向かって歩みだす。そしてクレイ先生やエヴァンス氏らの温かい眼差しに、父や世の中に反発していたジャベドの心にも変化が訪れる。家族や友人、先生たち、多くの人たちに支えられてこそ、今の自分もあるのだと理解し、厳格さの裏にある、父の思いも受け止めようとする。マットとも、自分で彼の家を訪れ、これまでの事を詫び和解する。無論、スプリングスティーンの曲も、彼の心の支えになっていたに違いない。
そして終盤のクライマックス、全校生徒を前にしての高校の表彰式においてジャベドは受賞スピーチをする事になる。
最初は原稿を読んでいたジャベドだが、そこに、父も含めたジャベドの家族もやって来る。それを見たジャベドは、やがて原稿ではなく、自分の言葉で、父、家族、支えてくれた多くの人たちに対する感謝の思いを切々と語りかける。父もそのスピーチに初めて息子と心が通い合い、二人は固く抱擁する。
このシーンは圧巻で感動的である。泣けた。涙がボロボロ溢れた。
ラスト、大学入学の為に旅立つジャベドに父は車のキーを渡し、自分は助手席に座る。立派に成長した息子を誇らしげに眺める、父親の慈愛の眼がそこにあった。
観終わって、深い感動に包まれた。
夢に向かって突き進む若者の奮闘を描く青春・成長ストーリーとしても良く出来ているが、冒頭にも書いたように、随所にさまざまな社会問題をテーマとして盛り込み、家族、友情、愛といった普遍的な要素もちりばめ、さらに素晴らしい音楽は人の心を揺り動かす力も持っている事まで描き切って、それらをすべて絶妙に配分して、笑いと涙の感動のエンタティンメントとしても、社会派的映画としても共に完璧に成立しているのである。見事である。
特に、1987年が舞台であるのに、この映画で描かれた白人優位、移民排斥、人種差別問題、不況による底辺労働者へのしわ寄せ、サッチャー政権による強権支配政治は、そのまま今の時代で起こっている諸問題にリンクする。本作は昨年に作られているが、今年になってアメリカでの白人警官による黒人虐待殺人、香港での中国強権支配など、ますます不寛容と混迷の度は増している。
本作はそういう意味でも、今の時代にこそ観るべき作品であると言える。ブルース・スプリングスティーンのファンなら必見だが、私のようにスプリングスティーンを知らなくても楽しめる。公開規模は小さいけれど、是非多くの人に観て欲しい傑作である。見逃すなかれ。 (採点=★★★★★)
(付記)
厳格で、パキスタン人としての古い慣習を振りかざす父に夢を閉ざされそうになる辺りは、インド映画「シークレット・スーパースター」を思い出す。あの作品でも厳格で権威的な父の猛反対に、主人公は一時は歌手の夢を諦めかける。
本作の監督、グリンダ・チャーダはケニア出身のインド系女性監督だそうで、そう言えば「ボヘミアン・ラプソディ」のフレディ・マーキュリーもペルシャ系インド人。
“インド”と“音楽を題材にした映画”の2つのキーワードで、本作と「シークレット・スーパースター」と「ボヘミアン・ラプソディ」の3本の作品は繋がっていると言えるだろう。どれも泣ける感動作でもあるし。
なお本作の原作は、イギリスで活躍するジャーナリスト、サルフラズ・マンズールの自伝回想録で、実話に基づくとのふれ込みだが、原作者によると映画は幾分フィクションが混じってるそうで、16歳の頃はガールフレンドはいなかったし、父が怖くてジャベドのように反抗する勇気もなかったそうだ(笑)。
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コメント
私も今日見ました。これはとてもいい映画でした。
見る映画のリストには上げていなかったのですが、評判がいいので見てみました。
素晴らしい。今の所、今年一番好きな映画かも。
イギリスの町で暮らすパキスタン移民の高校生がブルース・スプリングスティーンの音楽と出会って人生が変わります。
俳優陣が魅力的で主人公役のヴィヴェイク・カルラの繊細な演技がいいし、ヒロインのネル・ウィリアムズもとてもいい。
演出も好調。ブルース・スプリングスティーン全面協力の音楽ももちろん素晴らしい。
ラストは涙滂沱。こんな時だからこそ心に沁みました。私もおススメです。傑作。
投稿: きさ | 2020年7月12日 (日) 00:34
◆きささん
前週の「一度も撃ってません」に続いて、好みが一致しましたね(笑)。
これは私もベストの上位に入れたいと思ってます。1位は暫定「パラサイト」ですが。
コロナで休館となった事もあって公開作品がかなり減ってるようですが、それでもベストテンに入れたい秀作が今年は結構あったように思います。
さて日本映画は、7月31日に公開が決定した大林宣彦監督の遺作「海辺の映画館」が待ち遠しいです。楽しみですね。
投稿: Kei(管理人) | 2020年7月19日 (日) 23:03
ウォークマン世代でスプリングスティーンファンだったからとても面白く見ました。
原題はスプリングスティーンのファーストアルバムからとってましたね。画面に歌詞が飛び回る演出は変わってました。
英国でも当時はB・スプリングスティーンの音楽はチョッと浮いていた(うざい?)感覚なのがわかってクスッと笑いました。
政治が好きなガールフレンドがキュートで可愛かったな-。
コロナの影響か?映画館の客が僕入れて3人でした(汗)
投稿: moondreams | 2020年8月10日 (月) 18:21
◆moondreamsさん
ようこそ当ブログへ。
スプリングスティーン・ファンですか。それなら本作十分楽しめたでしょうね。
本文には書きませんでしたが、政治活動に熱心な彼女、なかなかいいですね。ちょっとシンディー・ローパーに似てました(笑)。
これからも当ブログ、ご贔屓に。よろしくお願いいたします。
投稿: Kei(管理人) | 2020年8月12日 (水) 22:02