「一度も撃ってません」
(物語)74歳の市川進(石橋蓮司)は、かつては本名で純文学小説を発表した事もあったが、今ではハードボイルドを気取った売れない小説家。細部のリアリティに異様にこだわる小説を出版社に持ち込むものの、担当編集者児玉(佐藤浩市)からも相手にされず、妻・弥生(大楠道代)の年金でなんとか暮らしている。そんな彼の唯一の楽しみは場末の小さなバー“Y”で旧友のヤメ検エリート・石田(岸部一徳)や元ミュージカル界の歌姫・ひかる(桃井かおり)らと共に夜な夜な酒を交わす事。だが市川には、実は“伝説のヒットマン”と噂されるもう一つの顔があった。
石橋蓮司、久しぶりの単独主演作である。脇役一筋の今の姿からは想像出来ないかも知れないが、昔は主演作も結構あった。なにしろ13歳の時から映画に出ているのだ。今年で78歳になるので、芸歴65年になる大ベテランだ。1971年にはATG映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」に主演し、当時デビューしたての桃井かおりと共演、尖った饒舌な若者を好演していた。ちなみに同作の監督はなんと!田原総一朗だった(清水邦夫と共同)。1989年にも原田芳雄と共演した主演作「出張」(沖島勲監督)がある。
原田芳雄や桃井かおりらとは'70年代から共演作も多く、同年代の大楠道代、岸部一徳とも共演作を通じて仲がよかったようだ。
本作の発端は、阪本順治監督作「大鹿村騒動記」(2011)完成後、主演の原田芳雄宅で行われた飲み会で、「蓮司さんの映画を作ろう」と盛り上がり、その場にいた仲間たちが賛同、今回の企画に至ったわけである。なお「大鹿村騒動記」には本作の出演者、大楠道代、岸部一徳、石橋蓮司、佐藤浩市、小野武彦などが揃って出演していた。
さて、そういった経緯で出来上がった本作は、70歳を超えた老人が、若かった頃に夢想したであろうハードボイルドの世界に今もこだわり続け、売れるあてもないハードボイルド小説を書き続ける姿を通して、“老人になっても、青春時代の夢を追い続ける事は、カッコいいのか、カッコ悪いのか”を問う、ユニークな老人ハードボイルド・コメディになっているのである。
(以下ネタバレあり)
市川が朝、妻に作ってもらった食事を食べるシーンでは、つい猫背になって、その都度妻に「背中曲がってる」と注意されたり、クシャミした途端に尿を漏らしてしまったり、頭の禿げ具合も含めて、どう見ても後期高齢者の老人である。
ところがそんな市川が夜の街にでる時は、トレンチコートにソフト帽、サングラス姿で決め、家での情けない老人とは別人のような、ダンディでハードボイルドな姿に変身する(右)。
これがなかなかカッコいい。威厳さえ感じさせられる。こうした硬軟を自在に演じ分けられるのが石橋蓮司という役者の強みである。
そして市川にはある噂がついて回っている。それは“伝説のヒットマン”。実際、冒頭で顔を隠した正体不明の殺し屋が一人の男をあっさりと射殺するシーンがあるし、旧友の石田が市川に殺しを依頼するのを匂わせるシーンもある。そして市川が出版社に持ち込んだ「サイレント・キラー」と題する小説原稿には、前述の殺人のプロセスをまるで見ていたかのような詳しい記述がある。ちなみにハードボイルド小説を書く時のペンネームは御前零児(笑)。
ここまで見て来ると、おお、ひょっとしたら市川は昼間は冴えない昼行燈、夜は殺しの請負人というテレビドラマ「必殺仕事人」の中村主水(藤田まこと)のような男なのかとつい思ってしまう。
しかし物語が進むにつれ、実態が明らかになって来る。市川は自分では殺人を実行せず、鉄工所を営む本物のヒットマン・今西(妻夫木聡)に仕事を頼み、その状況を取材していたのだ。市川が書く小説が細部までリアルなのもそのせいだった。「一度も撃ってません」というタイトルの意味もそれで分かる。
実際に自分で殺人を実行する勇気はなく、それでも闇社会の中で殺しを行うハードボイルドな世界に傾倒し、いつの間にか“伝説のヒットマン”と噂されるようになった。
伝説の中ではカッコいい、しかし実態はあまりカッコよくはない。それであっても、老い先もあまり長くない老人にとって、ハードボイルドの世界を追求し続ける事が、自分がこの世に生きている事の証しなのかも知れない。
市川や石田が通いつめるバー“Y”には、古い仲間の、かつてはミュージカル界の歌姫だったひかるもやって来る。
リクエストに応えて「サマータイム」を熱唱するひかる。演じる桃井かおりがとてもいい雰囲気を出していて、このシーンは本作中の白眉。
物語は後半に至り、市川は中国系の闇組織が、石田の動きから伝説のヒットマン・市川の存在を知り、彼の命を狙おうとしている事を知る。
市川は今西に仕事を頼もうとするが、今西はいつしか家庭の幸福を求めるようになり、ヒットマンの仕事からは足を洗ったと知らされる。
市川は仕方なく、今西の工場で拳銃を入手し、自分で決着をつけるべく、ヒットマンが待ち受ける“Y”に向かい、ヒットマンと対決する事となる。
このクライマックスの対決シーンは、市川とヒットマンが互いに拳銃を向け合い、クロス状態で対峙する、まるでジョン・ウー監督の香港製ハードボイルド映画を思わせ、スタイリッシュでカッコいい。
その先どうなったかはここでは書かないが、それまでほとんど目立たなかった、ポパイと呼ばれる“Y”のマスターが意外な活躍を見せる。ここで「一度も撃ってません」のタイトルの意味がもう一度再認識させられるのが面白い。
ポパイを演じた新崎人生、坊主頭で体格が良く、さりげないしぐさの中に、昔は修羅場をくぐって来たのではと思わせる存在感を示し好演。
ラスト、未明の街を弥生も含めた4人が歩くシーンは、若い頃からおそらくは半世紀近くも付き合って来たであろう彼らの、青春の残滓を感じさせ、ちょっとジンとなった。
弥生を先にタクシーで帰らせ、一人街を歩いて去って行く市川の姿をとらえて映画は終わる。ここでも市川は自分なりのハードボイルドを気取っているのがいい。
本作を観て、1990年に原田芳雄主演で作られた、若松孝二監督「われに撃つ用意あり」を思い出した。題名も本作と対になっているが、共演者が桃井かおり、石橋蓮司で、内容的にも、新宿・歌舞伎町でスナックを経営するマスターが原田で、ここで20年間続いたこの店の閉店パーティが行なわれて、かつての全共闘仲間である桃井、石橋らが集まって来る、といった具合に、本作との類似点もいくつかある。
そう言えば本作のバーの名前“Y”と、その裏にある“Z”の文字は原田芳雄のデザインだとエンドロールに出て来た。その点でも本作と「われに撃つ用意あり」は根底の所で繋がっていると言える。
考えれば、74歳の市川を筆頭に、彼らはみんな70歳代前半、いわゆる“団塊の世代”である。この世代の人たちは50年前の20歳代の時には、全共闘に代表される、'70年安保の政治闘争を経験しているし、新宿の劇場やテントなどで行われたアングラ芝居などの反体制的カルチャーにも嵌っていた世代である。おそらくひかるも新宿のアングラ劇場で歌を歌っていただろう。
それらは当時の、まさに青春であった。
そうした世代が、年輪を数えてみんな老人になった。それでも高揚していた、そしてやがては政治闘争に挫折して行ったあの時代への思いは今も忘れられないだろう。映画「われに撃つ用意あり」にはまさしく、そうした空気感が充満していた。
そういった意味でも、本作はコメディ仕立てではあるものの、今や老人となった世代にとってはほろ苦い、自身の青春時代を思い出し、ちょっぴりジンとさせられる作品だと言えるだろう。
人によって評価は分かれるだろう。若い世代の人には共感しにくい作品だろうが、60歳代後半以上の世代、もしくは「われに撃つ用意あり」や「あらかじめ失われた恋人たちよ」を気に入っている方にはお奨めである。
(採点=★★★★☆)
(付記)
ちなみにラストで市川と対決するヒットマン、誰だか最後まで分からなかったが、実は豊川悦司だった(右)。クレジットにあるのに、どこに出ていたのだろうかと思っていた。逃げる時のセリフには笑った。
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コメント
私も見ました。
石橋蓮司さんの18年ぶりの主演映画となるとやはり見たくなりますね。
まあ、お話は割とゆるい感じですが、キャストが豪華でした。
大楠道代、岸部一徳、桃井かおりと石橋さんと縁の深い役者さんが顔を揃えます。
佐藤浩市、寛一郎と柄本明、柄本佑の親子共演も。
江口洋介のシーンで地元の大宮駅西口の教会が登場したのにはちょっと驚きました。
投稿: きさ | 2020年7月 6日 (月) 10:30