「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」
太平洋戦争末期、日本で唯一の地上戦が行われた沖縄の悲劇については、NHKを中心としたテレビ・ドキュメンタリーがいくつかあるし、映画でも岡本喜八監督の力作「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971)、4度も映画化された「ひめゆりの塔」(うち今井正監督が2作)など、劇映画も数本作られている。しかし本作を観れば、それらの映像作品では、まだまだ沖縄戦の実態は描き切れていなかった事を実感した。
本作は、アメリカ軍が撮影した膨大な記録フィルムを中心に、存命する当時の沖縄戦を経験した12人の人たちの生々しい証言、8人の歴史研究の専門家による解説などを集め、米軍の沖縄上陸作戦から、昭和20年6月の戦闘終了までをほぼ余す所なく描いたドキュメンタリーの労作である。
沖縄戦では、実に20万656人もの戦死者を出し、うち沖縄出身者だけで12万2228人の戦死者、そのうち非戦闘の住民の死者は9万4,000人、全島民の3人に1人が死亡したと言われている。
なぜそんな多くの犠牲を出したのか。本作によると、敗色濃い戦況において、大本営は本土決戦(=アメリカ軍の本土上陸)を想定し、少しでも本土決戦を先送りする為の時間稼ぎをする目的で、沖縄を捨て石にしたという事である。
アメリカ軍は、沖縄を本土上陸の拠点にしたいから、何としてもまず沖縄を制圧したかった。米軍が沖縄につぎ込んだ兵力は54万8,000名。その数からも沖縄占領を重要な戦略と考えていた事が分かる。
映画は、その沖縄戦を経験し、かろうじて生き延びた、当時5〜13歳くらいだった方々にインタビューしている。その口から語られる証言の生々しさには声も出ない。
当時の日本では、徹底した“皇民化教育”が行われ、国民はお国の為、天皇陛下の為に命を捧げよという教育(と言うよりは洗脳)が行われていた。「生きて虜囚の辱を受けず」の戦陣訓が徹底的に叩き込まれ、敵に捕まれば自決すべし、と教え込まれていた。
兵士たちがそれ故に、“玉砕”と呼ぶ無謀な自殺的突撃を繰り返したわけだが、沖縄では女子から子供、老人に至るまで全住民を戦闘員に仕立て上げ、“鬼畜米英”を合言葉に、お国の為に最後の一人まで戦う事を強制させられた。住民にも手榴弾を、それも2個持たせ、1個は敵に投げ、もう1個は自決用にと言われた。
そうして多くの住民が、“集団自決”に追い込まれて行く。自決と追うよりは、集団強制死である。全島民の3分の1もの人が亡くなったのは、そうした事が原因していた。
歴史の本やドキュメンタリーなどで、そういう事実は部分的に知っていたが、実際に生き延びた人たちの口からそうした事実が語られると、重みが違う。暗澹たる気持ちにさせられる。
そうした沖縄戦と別に、昭和19年8月22日に起きた、対馬丸事件も悲しい出来事である。これについても、生存者の一人、平良啓子さんがその地獄図の様を生々しく語っている。
対馬丸事件は、子供たちを本土に疎開させる為、那覇港から出港した疎開船・対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃を受け、1,800人の乗客のうち1,484人が命を落とした悲しい事件で、犠牲者のほとんどは子供たちだった。
平良さんは海に投げ出され、辛うじて浮いていた樽につかまる。近くを漂っていた従妹の女の子も樽につかまらせるが、波にさらわれ、その子は海に沈んでしまったという。その事を平良さんは今も悔いている。この語りには涙を誘われた。
それにしても、非戦闘員の、子供が多く乗っている船を撃沈させた米軍の非情さにも憤りを感じる。
それら語りの合間に挿入される記録フィルムにも、かなり凄惨で目をそむけたくなる映像が多く含まれている。特にショッキングなのは、死体の映像である。身体が損壊し、腐敗し、中には無数の蠅がたかっているものまである。テレビではとても放映出来ないだろう。気の弱い人は要注意である。
しかし、戦争の真実を伝える為には、こうした映像からも目を背けるべきではない。これらの映像は、すべて実際に起きた事なのだから。それが戦争の実態なのだから。
ナレーションを担当しているのは宝田明さん。前半は淡々とした語りだったが、終盤ではほとんど涙交じり、絶叫に近いほどで、これには多分引いてしまう人もいるかも知れない。
しかし、自らも終戦間際の満州から引き上げる途中、九死に一生の過酷な体験をしている宝田さんだけに、沖縄戦の凄惨な絵に自らの体験を重ね、思いが溢れ出て冷静でいられなかったのだろう。賛否はあるかも知れないが、私はその気持ちを受け止めてあげたいと思う。
監督の太田隆文は2013年に、原発事故を題材にした社会派の劇映画「朝日のあたる家」を監督している。それを観たスポンサーから沖縄戦のドキュメンタリーを作って欲しいとの依頼が舞い込むが、太田自身は沖縄戦の事をほとんど知らなかったので、ほぼゼロから手探りでスタートし、3年がかりでインタビューを重ね、完成にこぎ着けたのだそうだ。
やや硬い所、まだ言い足りない所(例えばひめゆり部隊についての言及なし)もあって傑作とまでは言えないが、それでも沖縄戦をここまで掘り下げて追及したドキュメンタリーはこれまでなかったし、ご高齢になった戦争体験者の生の声が聴けるのも難しくなりつつある今、貴重な作品である。
そして戦争中は本土の為に捨て石にされ、戦後も長く占領下に置かれ、現在に至るまで在日米軍基地の75パーセントが集中と、常に犠牲と忍従を強いられて来た沖縄の歴史を考える上での、これは格好の教材と言える。是非多くの人に観て欲しい。
ちなみに本日は、対馬丸事件からちょうど76年目の日である。 (採点=★★★★)
(付記1)
撮影を担当した三本木久城は、「この空の花 長岡花火物語」以来、「野のなななのか」「花筐 HANAGATAMI」と続く戦争三部作、そして遺作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」まで、近年の大林宣彦監督の反戦的作品をずっと手掛けた来た方で、まさに戦争の愚かしさ、悲しさを鋭く追及した本作にふさわしいカメラマンである。
大林監督の遺作と同じ年の、同じ時期に本作が公開されたのも何かの縁と言えようか。
(付記2)
沖縄の戦争に関する記録映画は、これまで「沖縄 うりずんの雨」(2015・ジャン・ユンカーマン監督)、「沖縄スパイ戦史」(2018・三上智恵、大矢英代監督)と優れた作品がいくつかある(いずれも当ブログで紹介済)。本作と併せてご覧になる事をお奨めする。
(追記)
太田隆文監督作品はこれまで全然観ていなかったのだが、ちょっと興味を持ってフィルモグラフィを調べたら、本作の前に「明日にかける橋 1989年の想い出」(2018)という映画を監督していて、eiga.comでは「日本最大級の規模を誇る静岡県の袋井花火大会を舞台に、バブル最盛期にタイムスリップして家族の幸せを取り戻すべく奔走する女性を描いたヒューマンドラマ」と紹介されている。物語も、過去の世界に行って、若き頃の両親や、死んだ弟に再会するというもの。
“日本最大級の花火大会”と言えば、大林宣彦監督の「この空の花 長岡花火物語」と同テーマだし、タイムスリップも大林監督の「時をかける少女」や遺作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」等で扱われた題材。死んだ家族に再会する話も「異人たちとの夏」や「あした」等、大林監督作では何度も扱われている。
つまりこの映画は、かなり大林監督の過去作品にインスパイアされているようである。ちなみに撮影を担当したのも付記1で紹介した「この空の花 長岡花火物語」 等の三本木久城。
太田監督、どうやら大林宣彦監督の大ファンなのかも知れない。この作品俄然観たくなった。探してみよう。
※ちなみに、この作品にも宝田明さんが出演されている。
太田隆文監督作品
DVD 「朝日のあたる家」 |
DVD 「明日にかける橋」 |
DVD 「沖縄 うりずんの雨」 |
DVD 「沖縄スパイ戦史」 |
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