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2020年9月 5日 (土)

「ソワレ」

Soware 2020年・日本    111分
制作:新世界合同会社
配給:東京テアトル
監督:外山文治
脚本:外山文治
プロデューサー:豊原功補
共同プロデューサー:前田和紀
アソシエイトプロデューサー:小泉今日子
撮影:池田直矢

若い男女の切ない逃避行を描いた異色の青春ドラマ。豊原功補、小泉今日子らが立ち上げた映画制作会社・新世界合同会社の第1回プロデュース作品。監督は「燦燦-さんさん-の外山文治。主演は「ディストラクション・ベイビーズ」の村上虹郎、「37セカンズ」の芋生悠(いもうはるか)、共演は「君が世界のはじまり」の江口のりこ、他。

(物語)俳優を目指して上京した岩松翔太(村上虹郎)は、俳優では芽が出ず、オレオレ詐欺に加担してなんとか食い扶持をつないでいた。ある夏、翔太は劇団仲間と共に、故郷の和歌山にある高齢者施設で演劇を教える事になり、その施設で働く山下タカラ(芋生悠)と出会う。数日後、祭りに誘うためにタカラの家を訪れた翔太は、そこで刑務所帰りの父親から激しい暴行を受けるタカラの姿を見てしまう。翔太がとっさに止めに入ろうとした時、タカラは父を刺してしまう。呆然と立ちすくむタカラの手を取り、祥太は走り出す。そうして二人はあてもなく逃避行の旅を続ける事となる…。

本作の成り立ちが面白い。俳優の豊原功補と小泉今日子が、外山文治監督が2010年に撮った30分の短編「此の岸のこと」に感銘を受け、二人が外山監督に、一緒に映画を作らないかと声をかけ、豊原と小泉はその為に映画制作会社、新世界合同会社を立ち上げ、その第1回作品として完成したのが本作である。

俳優がプロデューサーとなって映画を作るケースは、映画史を振り返れば昔は多数あった。戦前は阪妻プロ、片岡千恵蔵の千恵プロ、嵐寛寿郎の寛プロと時の大スターがこぞって自分のプロダクションを興し映画を作っていた時代があったし、戦後の1960~70年代にも石原裕次郎、三船敏郎、勝新太郎、中村錦之助らがやはり自前のプロダクションを作り、自らの製作で映画を作っていた。これらはみなその時代の伝説的トップスターで、出演すれば客が押し寄せた時代。だから自分たちの作りたい映画を好きなように作れた時代でもあった。
しかしやがて日本映画に斜陽の波が押し寄せ、石原や勝らのスター・プロダクションですら赤字を出すようになり、倒産した所もあった。また“大スター”そのものがいなくなって俳優が看板のスター・プロダクションも生まれなくなった。その後は俳優がプロデュースするケースもほとんどなくなり、かろうじて成功例として記憶に残るのは、内田裕也がプロデュースした「十階のモスキート」「コミック雑誌なんかいらない」があるくらい。

それらに共通するのは、内田裕也の例も含め、俳優が自分で主演すること。まあ一部には、三船プロ製作なのに三船自身は主演しないものもあったが、それらは例外中の例外。基本はスター主演がウリであった。

ところが本作は、豊原も小泉も主演どころか出演すらしていない。主演も、監督も著名ではない。純粋に、新進監督に作りたい映画を作らせるのが目的である。だから興行的にも一部のミニシアター公開で大きな興収は望めない。一種のボランティア的活動とも言える。

 そうして完成した映画は、本年度の日本映画を代表する、見事な秀作映画になっていた。素晴らしい事である。地道な努力が報われたと言えるだろう。外山監督の才能を見抜いた豊原、小泉、お二人の慧眼には敬服せざるを得ない。

(以下ネタバレあり)

冒頭の、広い海を望む波打ち際に2人の人物が佇む姿を超ロングで捉えた映像が印象的。このシーンは以後も何度かインサートされる。

そして物語は、主人公翔太(村上虹郎)がオレオレ詐欺で老人から大金を騙し取るシーンから始まる。翔太は小さな劇団に所属し、俳優を目指しているのだが、なかなか芽が出ず、食べて行けないのでオレオレ詐欺の受け子でなんとか生活費を捻出している。人生はドン詰まりだと言えよう。

そんなある日、翔太の故郷・和歌山の老人介護施設で、老人たちの認知症防止の為と思われるが、劇団員たちが演劇を教える事となる。どうやら何日かそこで寝泊まりする事になるようだ。
多分ボランティアだろう。報酬が出るわけでもなさそうで、寝床と食事位は用意してくれるようだ。

全体的に説明的シーンもほとんどなく、セリフも少ない。翔太が、施設で働くタカラに洗濯機の使用方法を教えてもらい、二人が親しくなるシーンもロングで捉えられ、セリフはまったくない。

こんな具合に、説明描写やセリフをギリギリまで削ぎ落しているので、観客によっては不親切に思えるかも知れない。
だがその分、映像、俳優たちの演技とも、張り詰めた空気感が漂っている。観客は画面を食い入るように観て、描写不足部分を自分の想像で補う事によって、観客も映画に没入して行く事となる。これにノレるか、ノレないかで、映画の見方は全く変わってしまうだろう。
新人監督ながら、大胆な挑戦をしているのである。私は引き込まれた。

そして夏祭りの日、劇団仲間たちも夏祭りに行く事になり、タカラも誘おうという話になって、翔太がタカラの家に誘いに行く。
だがその家で翔太は、刑務所から出たらしいタカラの父親が、タカラを暴力で犯している所を目撃する。どうやらこの父親はずっと以前からタカラにDV、性暴力を加えていたようだ。
止めに入ろうとして父親をタカラから引き剥がした時、その隙を突いてタカラはハサミで父親を刺してしまう。
翔太は119番に電話しようとするが、タカラはそれを止め、ここから連れ出して、と翔太に懇願する。翔太もその意を汲んで、タカラの手を取って走り出す。

Soware3

夜の駅で、翔太は電車に乗ろうとするが、タカラにはまだ迷いがあり、戻りかけたりもする。だが翔太はタカラを無理やり電車に乗せる。もう後戻りは出来ないのだ。
おそらく、祥太自身にも、今のドン詰まりで鬱屈した状況から脱出したい願望があったのかも知れない。
二人を乗せた電車がゆっくり走り出す。その遠ざかる電車の後部をずっと撮り続けるカメラが印象的。

こうして二人は、警察の追っ手を逃れ、逃避行の旅に出る事となるのである。
冒頭の海岸シーンが再度登場し、ここでやっと、タイトル「ソワレ」が出る。ここまで36分だ。


逃避行中のエピソードも印象的だ。夫婦二人で梅干しを生産している農家で、二人は働かせて欲しいという。夫婦は特に咎める事もなく、家に泊まらせ食事も提供する。
だが翔太は夜中、家の中を物色し、金を盗もうとするが、夫に見つかってしまう。ところが夫は金を取り戻すと、見逃してくれる。
映画の中で説明はないが、おそらくはこの夫婦も若い時、祥太たちのような(駆け落ちのような)過去があったのだろう。妻を演じた江口のりこが印象的好演。

警察は二人を追って来る。翔太とタカラは時に喧嘩もしたり、タカラはスナックで働いたり、二人は次第に別々に行動するようにもなる。

ある夜の公園で、タカラは一人ぼっちで彷徨う。そこに翔太がやって来て、やがて二人は施設でも演じた「安珍と清姫」のセリフを交わし合う。
だが、しばらくして気が付くと、翔太の姿は消えている。つかの間の淡い夢だった。
これはタカラの、もう一度祥太に会いたいという願望が込められているのだろう。この幻想的なシークェンスがとてもいい。
タイトルの「ソワレ」とは、「夜会」という意味である。この公園のシーンは、まさに二人だけの“夜会”である。

その後再会した翔太とタカラは、モーテルで体を重ねようとするが、タカラは拒絶してしまう。祥太と心が繋がっても、父親から受けた心の傷は深く、体が拒否してしまうのだろう。なんともやり切れない。

やがて逃避行の旅は終わりを迎える。二人はフェリーに乗ろうとするが、警察が駆けつけ、タカラはもう逃げるのをやめ、警察に捕まる。この時、タカラは祥太に向かって「笑うときはこうするの」と言って指で頬を撫でるしぐさをする。これの意味はラストに明らかになる。

そして何年か後、精肉店で働く翔太の姿がある。二人があれからどんな人生を歩んだか、映画では一切描かれない。おそらく、祥太は逃亡幇助の罪、それにオレオレ詐欺の罪でも罰せられたと思われる。捕まる直前、ニュースでさりげなくオレオレ詐欺犯が捕まったと流れていたし。

どうやら、俳優の夢も捨て、罪を償い、地道に正業に就いて生きて行く事にしたようだ。
逃避行という経験を経て、多くの人と触れ合い、いろんな人たちの人生を見て、逃げてばかりいても駄目だと気付いたのかも知れない。

そんなある日、高校時代の演劇活動のDVDを見ていた時、自分が指で頬を撫でるシーンがあった。「笑うときはこうするんだ」のセリフと共に。それを、高校中退の手続きをした後、廊下を歩いていたタカラが偶然見ていたのだ。タカラはそれを覚えていた。
翔太は気が付く。自分の何気ない仕草が、父に性的暴力を受け、絶望的な気持ちになっていたタカラに、少しだけでも生きる勇気を与えていたのかも知れない。
このラストは感動的である。

観終わって、ズシリと心に響いた。やや粗削りで、欠点もあるが、それらを差し引いても、演出のパワー、主演二人の存在感ある演技に圧倒された。


全編にテーマとして流れているのは、“生きる事の意味”を問い続ける姿勢である。

前半の老人介護施設で、一人の老婆が突然倒れるシーンがある。心臓が止まったようだ。職員の一人がAEDを持って来て蘇生を試みようとするが、主任の人が、「この方は延命治療を望んでいない」と言い、それで蘇生は見送られる。
命は大切だけれど、無理に延命させる事がその人にとって幸福かどうかは、人間の人生にとって永遠のテーマである。

翔太は、自分の生き方が見つけられず悩んでいる。タカラは父にずっと苦しめられ続け、生きる意欲も失いかけている。
二人の当てのない逃避行は、若い二人が、それぞれの生き方を見つける旅でもある。

辛いことがあろうとも、絶望的な状況に置かれようとも、生きる道を見つけられずに悩もうとも、それでも人は生きなければならない。老いて、人生の終盤を迎えるまで、生き続けるべきなのである。

Soware2 なお外山監督の作品は、前述の「此の岸のこと」では老々介護、長編デビュー作「燦燦-さんさん-」では夫を亡くした老婦人の婚活と、共に老人の生き方をテーマとしているのが興味深い。これが本作のテーマにも繋がっているようだ。

それにしても、本作にも老人介護施設が登場するし、外山監督、まだ39歳と若いのに、老人問題に関わり続けているのが興味深い。


豊原功補さんと小泉今日子さんには、今後も新世界合同会社を拠点に、優れた新人監督の発掘に努めていただきたい。外山監督の次回作にも大いに期待したい。   (採点=★★★★☆

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(付記)
親を殺した若者が男女連れだって逃避行を続ける、という話で思い出すのが、長谷川和彦監督の傑作「青春の殺人者」(1976)。
あの作品も、長谷川監督の異様なまでにテンションの高い演出と、水谷豊と原田美枝子の素晴らしい熱演で感動させられたが、本作にも同じ熱気を感じる。

翔太を演じる村上虹郎と、タカラを演じる芋生悠の二人も、水谷、原田コンビに負けず劣らず見事な熱演。特に芋生は、原田と同じく大胆なヌードも見せている。

ちなみに、「青春の殺人者」の原作者、中上健次氏は和歌山出身。この点でも本作とは縁がある。

犯罪を犯した若い男女が逃避行を続ける、もう1本の秀作が、神代辰巳監督のロマンポルノ1作目(監督作としては2作目)「濡れた唇」。これも鮮烈な青春映画の傑作だった。こちらの主演は谷本一と絵沢萠子。

洋画にも、テレンス・マリック監督のデビュー作にして秀作「地獄の逃避行」(1973)がある。こちらも親殺しが絡んでいる。

外山監督の本作も長編第2作。新人監督による犯罪を犯した若い男女の刹那的逃避行ムービーは傑作となるジンクスがあるようだ。

 

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コメント

観ている間、ずっと「青春の殺人者」が頭から離れませんでした。

投稿: タニプロ | 2020年9月12日 (土) 02:06

◆タニプロさん
「青春の殺人者」を見ている方なら、みんなそう思うかも知れませんね。
芋生悠さん、原田美枝子二世を狙う実力十分だと思います。今後の活躍に期待したいですね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2020年9月17日 (木) 00:52

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