« 「異端の鳥」 | トップページ | 「朝が来る」 »

2020年10月25日 (日)

「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」

Josemujica 2020年・日本   98分
製作:フジテレビ=ネツゲン=関西テレビ
配給:KADOKAWA
監督:田部井一真
企画・プロデュース:濱 潤
プロデューサー:大島 新、堀 治樹 
撮影:中島大樹
ナレーション:安藤サクラ 

質素な暮らしぶりで「世界でいちばん貧しい大統領」と言われた第40代ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカについて、日本からの視点で迫ったドキュメンタリー。監督はフジテレビのディレクター田部井一真。ナレーションは「万引き家族」の安藤サクラ。なお製作に「なぜ君は総理大臣になれないのか」の監督大島新が参加している。

2010年から5年間、ウルグアイの大統領を務めたホセ・ムヒカは、収入の9割を国民の為に寄付。公邸に住むことを拒み、愛妻と愛犬と共に小さな農場で質素な暮らしを続けた。そんな姿から、いつしか“世界でいちばん貧しい大統領”と呼ばれるようになった。フジテレビのディレクター・田部井一真は、当時自分が担当していたTV番組「Mr.サンデー」で彼を取り上げる事になり、ムヒカにインタビューすべくウルグアイに飛ぶ。一度も行った事のない日本の歴史や文化にも詳しく、気さくながらも、人類にとっての幸せを真摯に語りかけるムヒカの言葉に心を動かされた田部井は、その後も何度もウルグアイへと渡り、大統領退任後のムヒカへの取材を重ねて行く。そして田部井は多くの日本人にムヒカの言葉を聞いてほしいと願うようになり、ムヒカも訪日を熱望。絵本の出版社の協力を得て、彼の来日が実現する…。

つい先日も「れいわ一揆」の記事で、今年は政治と政治家に関するドキュメンタリーの秀作が相次いでいると書いたばかりだが、またもそんな作品の登場である。しかも今回の主役は海外の政治家、世界的にも有名な清貧の元ウルグアイ大統領、ホセ・ムヒカである。“本当の政治家、国を率いるトップリーダーはどうあるべきか”を問いかける、まさに真打ちとも言うべき作品の登場である。

もっとも、今年3月にも同じくホセ・ムヒカにインタビューしたドキュメンタリーが公開されている。監督は「アンダーグラウンド」「黒猫・白猫」等で知られる名匠エミール・クストリッツァで、タイトルも「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」(2018)と本作とよく似ていて紛らわしい。
元々は公開日もクストリッツァ作品の2週間後の4月10日が予定されていたのだが、新型コロナによる緊急事態宣言で公開が延期になり、ようやく半年遅れの10月2日公開となった。
予定通り4月10日に公開されていたらクストリッツァ作品と時期がダブる事になり、間違って違う方の劇場に入ってしまう観客が出てトラブルも起きたかも知れない。公開が遅れた事でそうした混乱も起きなかった事は幸いだが、何も同じ時期に似た作品をぶつける事はなかったのにと思う。

クストリッツァ作品は、監督自身がインタビュアーになってムヒカと対談しつつ、ムヒカの人生を辿る形式だが、本作もやはり監督の田部井一真自身がインタビュアーとなってムヒカから話を聞くシーンが多く、そしてニュース・ドキュメンタリー・フィルムを使ってムヒカの波乱の人生を紹介する部分もある。この点でも両作品はスタイル的にもよく似ていると言える。

ただし本作がクストリッツァ作品と大きく異なるのは日本との関りで、なぜムヒカが日本の歴史や文化に詳しいのか、その理由を解き明かし、また大統領退任後の2016年に来日し、東京外国語大学で3,000人の学生を前に講演した内容や、広島の原爆資料館を訪れた様子もきちんと描かれている。

そういう点で本作は、クストリッツァ作品では描かれなかった、“ムヒカと日本との関わりに焦点を絞った、もう一つのムヒカに関するドキュメンタリー”と位置付けられる作品と言えるだろう。

Josemujica2

映画は冒頭、田部井ディレクターが番組の取材で、大統領退任直前の2015年にウルグアイを訪れ、アポなしでムヒカにインタビューするシーンから始まる。なんと大統領なのに、警護もなしで小さな村を訪れ、寄って来る子供たちの頭を撫でたりしている。田部井が突然マイクを近づけても警戒する様子もなく拒否もせず、気軽に応じてくれる。そして田部井は、ムヒカが日本の歴史や文化にとても詳しく、日本を尊敬している事を知って驚き、尊敬の念を抱いて行く。
ムヒカの人柄に惚れ込んだ田部井は、その後も何度かウルグアイを訪れ、ムヒカへのインタビューを重ね、彼の生き方や言葉に触れながら、ムヒカとの親交を深めて行く。その熱意はやがて、ムヒカが希望する日本への訪問の実現へと繋がって行く。

本分の冒頭にも書いたが、ムヒカという人物が凄いのは、大統領になった後も、収入の大半を国民の為に寄付し、質素な生活を続け、任期中には教育や治安の改善に取り組み、学校を建て、貧しい人たちの為に自ら指揮して住宅を建設する等、真に国民の為に尽くした点である。公邸に住むのを嫌い、在任中も畑の脇の小さな平屋を住居とし、職務の合間にはトラクターに乗って農業に勤しみ、なんと自分でトラクターの修理もする。乗っている車は中古のフォルクスワーゲンだ。“世界で最も貧しい大統領”と呼ばれたのも納得である。

こんな政治家が、フィクションでなく実際にいたのだ。それだけで私は泣けてしまった。観ている間、何度も涙が溢れた。

クストリッツァ監督は作品中で彼を「世界でただ一人腐敗していない政治家」と呼んだ。まあこれはややオーバーだが、気持ちは分かる。政治家の理想の姿である事は間違いない。

そしてムヒカが世界的に有名になったのは、2012年にブラジル・リオデジャネイロで開かれた「国連持続可能な開発会議」でのスピーチである。先進国の大量消費が環境破壊をもたらしたと優しい口調ながら痛烈に批判し、人間が人間らしく生きる為にどうあるべきかを静かに訴えた。
映画ではスピーチはサワリだけだったが、それでも泣けた。

このスピーチは世界的な注目を集め、各国で翻訳され、日本では「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」(汐文社刊)という絵本にもなった。ノーベル平和賞にも2回ノミネートされたそうだ。

彼が発する言葉の一つ一つに重み、含蓄がある。「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りない欲望を持ち、もっともっとと欲しがることである」  「モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違う。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているのだ」  「生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけないちゃんと生きることが大切なのだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もない。簡素に生きていれば人は自由なのだ」  「私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」 …。

なんと素晴らしい言葉の数々だろう。聞いているだけで心うたれ、涙が出て来る。

“貧しい”という言葉は、「心が貧しい」とか否定的な意味を含んでいる。だから彼を“世界でいちばん貧しい大統領”と言うべきではなく、“世界でいちばん心の豊かな大統領”と言うべきだろう。


映画の後半では、2016年に来日を果たしたムヒカの、東京外国語大学での講演の様子もかなり時間をかけて採録されている。これもいい。会場に入りきれず、外でモニターを通して見ている学生たちの目からも大粒の涙が溢れている。その姿もカメラは捕えている。

広島を訪れ、原爆資料館で彼がノートに書いた文章も素晴らしい。“倫理を伴わない科学は、想像もできない邪悪なものに利用されかねない。地球上で人間だけが同じ過ちを繰り返す。私たちは過去の過ちから学んだだろうか”。軍事力を競う世界の大国指導者に聞かせたい。


彼が若い頃は過激派ゲリラとして活動し、何度も逮捕された経験を持ち、1972年に逮捕された際には、軍事政権が終わるまで13年近く収監されたという話も興味深い。銀行を襲った事もあるという(その辺りはクストリッツァ作品に詳しい)。
そう言えば田部井がムヒカの家を訪れた時、膨大な書物があり、その中にチェ・ゲバラの本があった。彼は過激派ゲリラ時代、ゲバラとも親交があったそうだ。そういった負の部分も本作ではきちんと描いているのもいい。

そんな過激かつ波瀾万丈の人生を歩んだ男が晩年に至って大統領になった。なんともドラマチックで数奇な人生だと言えよう。

日本をよく知るようになった理由も映画の中で明かされる。彼が刑務所から出てきた時、近所の日本人から菊の苗を貰い、妻と共に育てて花を売って生計を立てる事が出来た。それで日本と日本人に興味を持ったのだそうだ。彼は今も菊を大事に育てているという。

ムヒカは語る。「日本には日本人らしい暮らし方、独自の文化があり、かつてはそれを大事にして来たはずなのだ。ところが明治維新以降、西洋文明を多く取り入れ、それによって日本古来の伝統や文化や心を失って行ったのではないか」 。
耳の痛い話である。これほど、日本を知り、日本の未来を案じてくれる外国政治家もいないだろう。ムヒカから学ぶ事は多いと心から思う。

本作の製作に、「なぜ君は総理大臣になれないのか」の監督、大島新(と大島の会社ネツゲン)が加わっている。理想の政治家像、という点で同作とも関連したテーマを持つ本作にも関わったという事だろうか。この2本、併せて鑑賞する事をお勧めする。特に今の政治家、これから政治家を目指す人には是非とも観ていただきたい。

丁度この映画を観た日(10月21日)に、ムヒカが上院議員を辞任し、政界から引退すると発表したとのニュースが流れた。免疫系の持病があり、新型コロナウイルス蔓延もあって決断したようだ。偶然にしても感慨深い日となった。


素晴らしいドキュメンタリーの秀作であり、多くの人に薦めたいが、ちょっとだけ不満がある。映画の冒頭、赤ん坊誕生の場面があり、なんとそれは田部井監督の息子なのだそうだ。
なんで自分の息子を映画に登場させたかというと、田部井監督がムヒカに心酔するあまり、息子に「歩世」(ホセ)と名付けたのだそうだ。

気持ちは分かるが、それはプライベートな話であり、舞台挨拶など映画の外で語るとか、私家版DVDだけに入れるくらいならまだしも、映画本編に入れるのはどうかと思う。せっかくのムヒカへの感動に水を差す事にもなる。プロデューサーか誰か止めて欲しかった。

そういうわけで、この部分をカットしていれば90点与えても良かったが、その点をマイナスして。(採点=★★★★

 ランキングに投票ください → にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 

|

« 「異端の鳥」 | トップページ | 「朝が来る」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「異端の鳥」 | トップページ | 「朝が来る」 »