「異端の鳥」
2019年 169分
チェコ=スロバキア=ウクライナ合作
配給:トランスフォーマー
原題:The Painted Bird
監督:バーツラフ・マルホウル
原作:イェジー・コシンスキ
脚本:バーツラフ・マルホウル
撮影:ウラジミール・スムットニー
製作:バーツラフ・マルホウル
ポーランドの作家イェジー・コシンスキが1965年に発表した小説「ペインティッド・バード」を、チェコ出身の「戦場の黙示録」のバーツラフ・マルホウル監督が11年の歳月をかけて映画化した衝撃の問題作。ナチスのホロコーストから逃れるために田舎に疎開した少年が、差別に抗いながら必死に生き抜く姿を描く。主演の少年を演じたのは、監督が発掘した新人ペトル・コラール。その他「アイリッシュマン」のハーヴェイ・カイテル、「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」のステラン・スカルスガルド、「アガサ・クリスティー ねじれた家」のジュリアン・サンズ、「オーバードライヴ」のバリー・ペッパー、「アイアン・スカイ/第三帝国の逆襲」のウド・キアーら錚々たるベテラン俳優陣が脇を固める。第76回ベネチア国際映画祭でユニセフ賞を受賞。第92回アカデミー賞国際長編映画賞チェコ代表作品。
(物語)第二次世界大戦中の東欧のどこか。一人の少年(ペトル・コラール)が、ホロコーストを逃れて1人暮らしの叔母の家に疎開していた。だがある日、叔母が病死し、驚いてランプを落とした為に家も焼失して行き場を失った少年は、たった1人で旅に出ることになる。行く先々で、彼を異物とみなす人間たちから酷い仕打ちを受けながらも、少年はなんとか生き延びようと必死で藻掻きながら旅を続ける…。
最近ではあまり観る機会が少ないチェコ映画。原作はユダヤ系ポーランド人作家のイェジー・コシンスキ。戦後アメリカに亡命し、1965年に発表された原作小説は、ポーランド他の東欧社会主義国家では発禁になったという。
原作者本人も、第二次大戦中の少年時代、ナチスのホロコーストを逃れて生き延びたという経験をしており、原作はフィクションだが幾分かは自身の体験も反映されているようだ。
撮影はデジタルでなく35mmフィルムで行われており、しかも全編モノクロ・シネマスコープ、上映時間は169分と長い。そしてかなり残酷でグロテスク(プラス、エロも)な描写もある。ベネチア国際映画祭で上映された時は途中退場者が続出したそうだ。そうした映像に弱い方は要注意。
(以下ネタバレあり)
映画は、いくつかの章立てになっており、章の冒頭に人名が字幕表示される。いずれも物語の中で、主人公の少年と関わって行く人物の名前である。
冒頭いきなり、少年が小さな動物を懸命に抱え走っているシーンが登場する。何かから逃げている様子。だが横合いから飛び出した数人の悪ガキに組み伏せられて小動物を奪われる。その後、悪ガキたちが小動物に油をふりかけ、火を付けて焼き殺すというショッキングなシーンとなる。動物好きには目を覆いたくなるが、これは以後の物語全般を覆う、“弱い者(少年も含む)に向けられる普通の人間の理不尽な暴力性”を象徴するシーンでもある。この後も何度か、動物が残酷に殺されるシーンが登場する。
ある日疎開先の叔母が病死し、家も焼失して住む所もなくなった少年は故郷を目指し旅を続ける事となるが、その行く先々でさまざまな差別、暴力、虐待に晒される。
最初に着いた村では、“悪魔の使い”と疑われ、殺されそうになる。祈祷師の老婆に助けられるが、その老婆は少年をこき使い、少年が病気になると治療と称して頭だけ出して土に埋められ、カラスに頭を突かれたりもする(これがポスターに使われているシーン)。あげくに村の人たちに追われ、川に落とされ流されてしまう。
その少年を川から助けてくれたのは一組の夫婦。雑用をさせられるが、ある日この家に住む使用人と妻が関係を持ったのではと疑った夫(ウド・キアー)がスプーンで使用人の両目をくり抜いてしまう。ここもショッキング。少年は床に落ちた目玉を拾い、外に放り出された使用人に届けてあげるのだが、これは少年が本来は優しい心を持っている事、同時にこの辺りから少年が人間の残虐性に感覚が麻痺と言うか慣れて来た事も示している。小さなエピソードを積み重ねて、少年の心の変遷を巧みに描く脚本がよく出来ている。
その家も飛び出した少年は、次に数多くの小鳥を飼育している男に拾われる。この男がある時、一羽の小鳥にペンキを塗って(これが原題の意味)空に放つ。小鳥は上空の鳥の群れに入ろうとするが、他の鳥と見かけが異なる小鳥は、無数の鳥たちから突かれ、無残に墜落死してしまう。これもまた、“少数異端者を排除し虐待する集団の暴力性”のメタファーになっている。少年の行く末を暗示しているようでもあり、怖い。
この章では、男と性交する色情女が、村の女たちに凄惨なリンチを受けるシーンもある。ここでもまた、異端者への暴力と虐待が繰り返し顕示されている。
少年の心の優しさは、途中で足を怪我した馬を拾い、可哀想に思って町まで連れて行くシーンにも現れている。その馬も、牧場の人に残虐な方法で殺されてしまう。
また放浪を続けていた少年は、ナチス兵に捕まり、あわや銃殺されそうになるが、銃殺を請け負った老ドイツ兵(ステラン・スカルスガルド)が、少年をこっそり逃してくれる。
ユダヤ人に対するホロコーストという、史上最悪の異端者虐待・抹殺を行ったナチスの一人が、少年を助ける優しい面も持っていたというのが実に皮肉である。
むしろここまでに描かれて来たのは、普段は普通の生活をしているであろう人たちの内面にこそ、異端者に向かうおぞましき暴力性、残虐性が潜んでいるという辛辣な批判である。これこそが本作のテーマなのである。
こうした過酷な体験を経て、少年は一方的に虐げられるだけでなく、少しづつ大人たちに反抗心、復讐心を抱くようになって来る。
雪の原野を彷徨っていた少年を助けてくれた女は、やがて少年を性の奴隷のように扱うようになるが、それに怒りを覚えた少年は、ある夜女が可愛がっていた山羊の首を切り落とし、女の部屋に投げ込む。
少年に同情していた観客の中には、これで留飲を下げる人もいるかも知れないが、見方を変えれば、“この少年ですらも、(どんな人間でも潜在的に持つ)暴力性を顕在化させてしまった”という事でもある。後々、それが正しい事が証明されて行く事となる。
ある村で司祭(ハーヴェイ・カイテル)に拾われた少年は、教会の仕事をするようになるが、司祭は病に犯されており、余命は長くない。少年の行く末を案じた司祭は信仰深いと思われた男ガルボス(ジュリアン・サンズ)に少年を預けるが、実はこの男は少年をいたぶる異常性癖者だった。ガルボスに脅され、司祭に事実を打ち明ける事も出来ない。
その少年が、この男を残虐な方法で死に至らしめ復讐を果たすシーンもショッキングだ。
またある村では、突然コサック兵が襲って来て、村人を次々残虐に殺して行く。このシークェンスは、騎兵隊がネイティヴ・アメリカンの居住地を襲い、彼らを無差別に大量虐殺するシーンがクライマックスとなる米映画「ソルジャー・ブルー」(ラルフ・ネルソン監督)を思い起こさせる。ナチス以外にも、少数弱者を虐殺する集団は歴史上いくらでも存在したという事が、ここでさらに強調される。
ソ連兵の一団と出会った少年は、そのうちの一人、ミートカ(バリー・ペッパー)と仲良くなる。彼はある日少年を連れて部隊とは単独で行動し、仲間を殺した村人たちを望遠照準付ライフルで殺しまくる。その姿を少年は無表情で見ている。
ミートカは少年に「眼には眼、歯には歯をだ」と言い、やられたらやり返せ(どこかで聞いた(笑))と教える。別れ際、少年はミートカから拳銃をプレゼントされるのだが、少年はこの拳銃で、少年を盗っ人と罵った商人を平然と射殺してしまう。
最初の頃は大人しく、無抵抗だった少年が、最後には暴力的衝動に目覚め、大人たちに復讐して行く殺人者に変貌する。可哀想な少年に感情移入していた観客は、ここで突き放される事となる。
地獄巡りのごとき過酷な体験は、少年の人間性そのものをも変え、獣性を剥き出しにさせてしまう。人間とは何と言う生き物なのだろうか。考えさせられる。
だが最後は少し救われる。ようやく父と再会した少年は、故里に向かう列車の窓ガラスに、自分の名前、JOSKA(ヨスカ)を書く。これは、少年が自分自身を取り戻した(即ち、人間性を取り戻した)と考えていいだろう。そうあって欲しい、という願望も込められていると見た。
観終わって打ちのめされた。凄い力作である。今年最大の問題作と言えるかも知れない。
フィルム撮影という事もあるだろうが、モノクロの映像は端正で美しい。ある種の崇高ささえも感じられた。カラーだと、どぎつさが勝ってグロテスクさが際立った事だろう。
本作を観て、ロシア映画「神々のたそがれ」(アレクセイ・ゲルマン監督)を思い出した。この作品も目をそむけたくなる人間の暴力性、残虐性が強調される問題作だった。しかも3時間近い上映時間に、モノクロ映像と、本作と共通する点も多い。
主人公を演じたペトル・コラールは、監督が見つけたズブの素人だそうだが見事な熱演である。川を流されたり汚物まみれのドブに落とされたり、撮影も過酷だったろうがよく頑張った。
撮影に2年かけたそうだが、そのおかげで、最初の頃はまだウブで子供っぽかったペトル少年が、徐々に逞しく、大人っぽくなって行くのが見ていても分かる。順撮りしたのだろう。2年かけた成果が見事に出ている。
原作が発表されて55年経つが、原作者が提起した人間はなぜ異質な存在を排除しようとするのか、というテーマは、21世紀となった現代にも鋭く問いかけられている。今も続くチベット、新疆ウイグル地区、ミャンマーで行われている少数民族虐待に、近年ではトランプ大統領によるメキシコ移民排除、そして今年はアメリカで黒人虐待殺害が発生する等、まさに本作のテーマそのままの事件が起き続けている。マルホウル監督が製作を開始した12年前にはこんな時代になるとは想像していなかっただろう。優れた映画は時代を予見するのである。
そういう意味でも本作は、今の時代にこそ多くの人が観ておくべき必見の問題作だと言えるだろう。 (採点=★★★★★)
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コメント
見終わった後は、打ちのめされるが、また、見たくなるから不思議です。
投稿: 自称歴史家 | 2020年10月19日 (月) 08:50
◆自称歴史家さん、ようこそ。
私も同感です。少年の成長ぶり、ハーヴェイ・カイテルはじめ名優たちの演技、映像の美しさ、等々、もう一度、じっくり見直したくなります。今年のベストを争うのは間違いないでしょうね。
またお越しください。これからもよろしく。
投稿: Kei(管理人 ) | 2020年10月20日 (火) 21:23