「浅田家!」
(物語)浅田家の父(平田満)、母(風吹ジュン)、兄・幸宏(妻夫木聡)ら4人家族の次男として育った政志(二宮和也)は、写真好きの父の影響を受け、幼い頃から写真を撮ることが好きだった。写真専門学校に進学した政志は、卒業制作の被写体に迷わず家族を選び、浅田家の思い出のシーンを本人たちがコスプレして再現する写真を撮影。その作品は見事、学校長賞を受賞する。だが卒業後は地元に戻るも、定職には就かずにパチスロ三昧のまま3年が過ぎる。ようやくもう一度写真と向き合おうとした政志が被写体に選んだのは、やはり家族だった。家族それぞれがなりたかった職業も含め、いろんなバリエーションの家族コスプレ写真を撮り続けるが、それを見た幼馴染で居候先の若奈(黒木華)は、自費で政志の個展を開催してくれた。その個展で写真を気に入った出版社が写真集「浅田家」を出版、それが第34回木村伊兵衛写真賞を受賞した事で、政志はプロの写真家として活動を始める事となる…。
長編デビュー作「チチを撮りに」以来、「湯を沸かすほどの熱い愛」、「長いお別れ」と、一貫して“家族の物語”をテーマにして来た中野量太監督。本作もまた家族の物語である。しかも今回は実話の映画化。どんな映画になったか、ファンとしては興味深かった。
(以下ネタバレあり)
主人公の写真家、浅田政志は、なんともユニークな人物であるが、家族も又変わっている。政志は写真学校を卒業してもブラブラと定職に就かず、実家に戻って来た時にはなんと上半身にイレズミを入れていた。普通の家庭なら両親は激怒し、家に入れないくらいの対応を取ると思うのだが、浅田家の家族は何とも大らかで気にしない。写真集に掲載されているインタビューによると、政志のイレズミを父は「理解できる」、母は「金、時間、痛みをかけた自己表現」と答えている。面白い両親だ。
さらに政志が写真家として再活動しようと思い立った時に選んだテーマが、“家族のコスプレ写真”。最初は、家族それぞれがなりたかった職業という事で、父の「消防士」、兄の「オートレーサー」がテーマに選ばれる。そうすると政志は兄に、消防署で消防車、消防服を借りて来るようにとか、サーキットコースで写真が撮れるようにと無理難題を依頼する。兄の幸宏もしぶしぶながらもあちこちに頭を下げてこれらの難題をクリアし、家族が消防士やサーキットチームに扮したコスプレ写真を撮る事に成功する。
まあここまでなら分からなくもないが、家族コスプレ写真のテーマはどんどん広がり、なんとまあ「極道一家」(笑)や「大食い選手権」、さらには「戦隊ヒーローショー」、「忍者」まで登場するのには笑ってしまった。フィクションでこんなストーリーを考えたらプロデューサーから却下されそうなお話だが、これらがすべて実話だというから凄い。しかもそれら奇抜なコスプレ写真に家族全員嬉々として参加しているのだから、なんとも変わった一家である。原一男監督なら大いに興味を示してドキュメンタリー映画を作りそうだ(笑)。ほとんどコメディ映画のノリである。
その政志を側面から支援する人たちもユニークだ。政志の幼馴染の若奈は、住む所がなくて転がり込んで来た政志をごく自然に居候させる。それも同棲と言うより、頼りない弟を叱咤し尻を叩く姉さんのような感じである。そして売れないままの政志に業を煮やし、自腹を切って個展を開かせる。
その個展にやって来た出版社・赤々舎代表の姫野希美さん(実名)が、写真を気に入り、なんと「浅田家」と題する写真集を出版してくれる。
普通、家族だけが被写体の、それもコスプレ写真集など売れるはずがない。案の定写真集はまったく売れない。それでも姫野さんは気にしない。「売れないねぇヘッヘッヘ」と笑ってる。この人もユニークだ。
ところがなんと、その写真集が、写真界の芥川賞とも呼ばれる第34回木村伊兵衛写真賞を受賞してしまう。ウソみたいな話がこれらはすべて実話である。まさに事実は小説より奇なり。
写真集「浅田家」は少しづつ売れ始め、また政志は写真集の巻末に「あなたの家族写真(どこでも)撮りに行きます」と記して連絡先を書き、家族写真の出張撮影を職業として始める事とする(これも実話)。
これに数組の家族が依頼して来る。みんな、一生残る家族の想い出として家族写真を残したいと望んでいる。
その中でも印象的なのが、難病と戦う小さな子供がいる佐伯家からの依頼である。政志がこの家族に「これまでとても楽しかった出来事は」と聞くと、家族は「虹を見た時」と答える。それを聞いた政志は、家族全員にTシャツに虹の絵を書かせ、それを着て家族みんなで並んで寝転がってる姿を上から撮る事とする。
その時、ファインダーを覗く政志の目から涙が溢れる。このシーンは感動的である。二宮の演技集中力はすごい。
子供はそれからしばらくして亡くなる。だが政志の撮った家族の写真は永久に残る。この写真は佐伯家にとってかけがえのない宝物になるわけである。“写真が持つ力”の強さをまざまざと実感させられる。
ここまでが前半で、これだけでも笑いあり、涙あり、感動ありの素敵なドラマになっている。何より、浅田家の家族が、深い絆で結ばれているのが素晴らしい。政志がどんな奇天烈な事をやろうとも、息子を信じ好きなようにさせる両親の寛容さが、政志の人間的な成長を促し、その政志が今度は写真を通じて、家族同士が強い絆で結ばれる事の大切さを多くの家族に伝えて行く。なんと素晴らしい事か。ここまでで私はとても感動し泣けた。
後半は、あの東北大震災が起きた時、写真を撮ってあげたある家族が岩手在住だったので、その安否が心配になって政志は東北へ向かう。
そこで政志は、津波で泥だらけになったアルバムの写真を丁寧に洗浄して、家族に返すボランティアをやっている若者、小野(菅田将暉)と出会う。それを見た政志はすぐに小野に協力を申し出、一緒に泥だらけの写真を洗浄するボランティア活動に力を注いで行く。
ここでも、前半と同様、写真が持つ力が大きなテーマとなっている。家族を失った人たちにとっては、写真だけがかつては家族だった事の想い出の記録であり、記憶を呼び覚ます道具となるのである。写真が戻って来る事で、どれだけ多くの人たちが亡き家族と再会し、それで慰められる事か。
ここで描かれるいくつかのエピソードも泣ける。これらも政志が出版した「アルバムのチカラ」という本に書かれている実話である。
中でも、津波で父親を失った少女のエピソードが感動的である。少女は父の写真を探しているのだが、いくら探しても見つからず途方に暮れている。政志が家族写真を撮る写真家である事を「浅田家」の写真集で知った少女は、「私たち家族の写真を撮って」と政志に依頼する。しかし写真を撮る事に迷いが生じていた政志はその依頼に応える事が出来ない。
ところが久しぶりに実家に帰った時、政志は、父が撮ってくれた写真に父が写っていない事に気付き、それで、何故あの少女の父の写真がいくら探しても見つからなかったか、その答を知るのである。その後政志は少女の要望に応じ、家族写真を撮る事となる。そのシークェンスも感動的だ。
中野監督の演出は、冒頭の浅田家の父の臨終シーンからして、悲しいシーンのはずなのにどこかトボけており、全体にユーモラスなタッチで、しかし要所で泣かせるシーンも配置しながら、無理に泣かせるあざとさもなく、爽やかな仕上がりとなっているのがいい。
終盤の、若奈の政志に対する結婚宣言も笑える。個展費用その他で20万円立て替えたのだから、10倍返しで200万円払うか結婚するかどっちか決めよと政志に迫る。タイミングよく「半沢直樹」の放映が終わった直後だから余計笑える。
それにしても、実話に基づくとは言え、浅田家をはじめ、写真集を出版した赤々舎と、代表の姫野希美さんなど、実名が多く使われているのも日本映画としては珍しい(これまでは実話をベースにした映画では、仮名、あるいは一部名前を変えるのが普通だった)。これもいい事である。洋画では当たり前の実名使用を、邦画でも極力やって欲しいと思う。
(以下完全ネタバレ。映画を観た方のみお読みください)
ラストは冒頭の臨終シーンに戻るのだが、ここでアッと驚くオチが用意されている。何とも人を食ったシーンで、全くのフィクションのコメディなら笑えるが、実話に基づくドラマとしてはやり過ぎではないかとの批判的なレビューも多い。
ところが、写真集「浅田家」を見ると、このシーンもちゃんとコスプレ写真の中にある(その写真はこちらをクリックすれば見られます)。つまりあのラストも実話というわけである。本当に変わった家族だ(笑)。
エンドロールにも、劇中でも使われた二宮らが扮したコスプレ写真が登場し、最後に実物の浅田家の写真で締めくくられるのだが、欲を言えばここではすべて、写真集「浅田家」に掲載の、実際の浅田家コスプレ写真を、それも劇中には出て来なかった別のコスプレ写真を使って欲しかった。実話に基づく外国映画ではラストにモデルとなった本人の写真をインサートするのはよくある手法だし。ここが唯一不満。
それはともかくも、これは実話でありながらも、前半の浅田家が醸し出すユルい笑いと、後半における涙と感動が程よくブレンドされた、ウエルメイドなヒューマン・ドラマの秀作であった。
出演者はみんな好演だが、中でもこれまでと違った役柄を見事こなした黒木華、それに眼鏡をかけているとは言え、オーラを消してボランティアの若者になり切った菅田将暉が特にいい。
中野量太監督は、緩急自在のテンポいい演出が冴え、もはや日本を代表する一流監督と言えるのではないか。今後が増々楽しみである。
(採点=★★★★☆)
(付記)
中野監督の長編デビュー作「チチを撮りに」は、二人の娘が母に頼まれ、死期の迫った父の写真を撮りに行くが、着いた時には父の葬儀が執り行われていた、という物語で、家族に子供が二人いる点や、“写真を撮る”事がテーマになっている点など、本作と共通する要素がいくつかある。本作の冒頭が父の臨終シーンだったのは、この作品へのセルフオマージュだと思ったのだが、それがラストで我々をまんまとだますミスディレクション効果を結果としてもたらしている。そうだとしたら中野監督も人が悪い(笑)。
写真集「浅田家」
「アルバムのチカラ」増補版
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コメント
この監督は私は「湯を沸かすほどの熱い愛」「長いお別れ」とこの映画の三作品を観てますが、ずっと「家族と死による別れ」を描いてますね。
構成が非常に巧いと感じました。震災前と震災が起こった後で、全く別の映画のような雰囲気になります。上映時間的にどのくらいの時間で震災が起こったかが気になります。
東日本大震災からもうすぐ10年、それをやっとこのクオリティとこの規模感で描けるようになったかという感慨があります。まだ日本映画界にとっては通過点だとは思いますが、ひとつの分岐点的な映画と思います。あとは東京電力福島原発事故を高いクオリティで描ける映画に現れてほしい。
投稿: タニプロ | 2020年10月11日 (日) 20:46
映画の話ではないのですが、ここを訪問したきっけになった作家の堀晃さんのWEB日記が9月30日以来更新されていません。
何かご存じであれば教えて下さい。
投稿: きさ | 2020年10月12日 (月) 09:08
◆タニプロさん
>この監督は…ずっと「家族と死による別れ」を描いてますね。
冒頭の臨終シーンについて。中野監督自身によるノベライズ本を読むと、この冒頭シーンは本当に父が亡くなったという事になってるようです。終幕もそのまま父を看取って終わっています。この本の通り映画化してたら、まさに本作も「家族と死による別れ」の映画になったでしょうね。
それをあのラストに変えたのは、あの明るい浅田家を見ているうちに中野監督が、これはシンミリした終わり方では不釣り合いじゃないか、明るく笑って終わるべきじゃないかと考え方を変えたんじゃないかと私は思ってます。どちらが良かったかは人によるとは思いますが。私はあれでいいと思います。
福島原発事故については今年「Fukushima50」が公開されましたが、単に周知の事実をなぞっただけの凡作でした。きちんと国の政策、東電の責任と問題点を鋭く抉った作品が出て来て欲しいと私も思います。
投稿: Kei(管理人 ) | 2020年10月12日 (月) 23:32
◆きささん
確かに、堀さんの日記、更新がストップしてますね。以前にも何日か休んだ事はありましたが、「しばらく休みます」とのコメントを入れるくらい律儀な方ですから、今回は少し気になりますね。私にも情報は入ってません。何か判ればお知らせいたします。
投稿: Kei(管理人 ) | 2020年10月12日 (月) 23:51
明確に堀晃さんと書かれている訳ではないですが、堀さんの親しい方がブログの更新がされていないのでメールを出した所、返事がありお元気そうと書かれていたので大丈夫かな。
投稿: きさ | 2020年10月14日 (水) 09:36
堀晃さんの日記が更新。転倒し入院、手術で土曜に退院されたとか。大事に至らずに良かった。
投稿: きさ | 2020年10月19日 (月) 07:56
◆きささん
堀晃さん、自宅で転倒骨折だったようですね。まあ大事に至らなかったようで何よりです。日記も以前のペースに戻ってますね。よかったよかった。
投稿: Kei(管理人 ) | 2020年10月20日 (火) 20:50