「朝が来る」
(物語)栗原清和(井浦新)と佐都子(永作博美)の夫婦は、夫の体の問題で子供が出来ず、一度は子供を持つことを諦めかけたが、“特別養子縁組”という制度の存在を知り、男の子を養子として迎え入れる。それから6年。夫婦は“朝斗”と名付けた息子(佐藤令旺)の成長を見守る幸せな日々を送っていた。ところがある日、朝斗の産みの母“片倉ひかり”を名乗る女性から、「子どもを返して欲しい、それが駄目ならお金をください」と電話がかかって来る。そして栗原家を訪ねて来た若い女は、6年前のひかりの面影は微塵もなかった。一体、彼女は何者なのか、そして、その目的とは…。
河瀬直美監督は、オリジナル脚本の「殯の森」(2007)、「2つ目の窓」(2014)等がどうも観念性が先行して取っ付き難く、あまり好きな作家ではなかったのだが、初の原作もの「あん」(2015)が心温まる素晴らしい出来で(その年の私のベストワン)、一気に好きな作家になった。
その後の「光」(2017)もまずまず、ところが次の「Vision」(2018)がまたも難解な作品で面白くなかった。海外では高く評価されているが、個人的には当たり外れの落差が激しい作家という印象である。ただ自然光を生かしたドキュメンタルな映像は魅力的ではあるが。
そんな河瀬監督の新作は、「あん」に続く原作もの。これがなんと、前作「Vision」と同じ監督とは思えないほど、脚本もしっかり構築され、どっしりと腰の据わった感動の人間ドラマの秀作だった。本作は“当たり”である。
(以下ネタバレあり)
本作のテーマは“養子縁組制度”である。“子供が欲しいのに子宝に恵まれない夫婦”と、一方で“望まない子供を産んでしまった母親”を結びつけ、子供を養子に迎える事で、両者とも幸せになる制度である。現実にどちらも深刻な社会問題であり、これを題材にさまざまな人間模様が絡む優れたドラマに仕立てた作者の目の付けどころがいい。
原作者はミステリー作家なので、本作も、6年後に栗原家を訪れた朝斗の産みの母と名乗る女性は果たして本人なのか別人か、という謎を孕んでミステリアスな展開となる。
映画冒頭も、幸せそうな3人家族の様子を描きつつ、出がけに子の朝斗が「なんでパパおうちにいるの?」と疑問を呈したり、家族が出て行った後、鳴り続ける電話のベル、といった具合にいくつかの謎が示され、それらが後の物語の重要な伏線になっているのがうまい。
またある日、幼稚園で園児が遊具から転落し怪我をする事件が起き、その子が「朝斗に突き落とされた」と証言した事から、その子の母親が佐都子に「治療費を払え」と要求してくる。だが朝斗は「やっていない」と言う。息子を信じたい佐都子は相手の要求を拒絶し、双方は険悪となる。結果として、相手の子が嘘を言っていた事が後に判るのだが。
一見本筋とは関係ないように見えるが、実はここにも本筋に絡むポイントがいくつか提示されている。
まず一つは、“相手と言い分が食い違った時、母としてはどこまで我が子を信じ、守る事が出来るのか”という母親としての子供を思う気持ちであり、もう一つは、純真なはずの子供でも自分を守る為に嘘をつく事がある、という点である。何が真実で、何が嘘なのか、それをじっくりと見極める判断力も重要であり、それらも後の伏線となっている。
物語は、こうした家族の日常を点描しながら、やがて回想で、夫婦が子供を得る為にさまざまな努力を積み重ね、方策を練り、そしてベビー・バトンという養子縁組を斡旋するNPO団体を知り、そこで実の親とも面談し、子供を譲り受けるまでが描かれる。
子供の親は、まだ14歳の中学生、片倉ひかり(蒔田彩珠)だった。ひかりは泣きながら、生まれた子供への手紙を佐都子に託す。その態度からは心優しさが窺える。
そして現在、ある日自宅に電話がかかって来て、朝斗の実の母ひかりだと名乗り、「子供を返して欲しいんです。それが駄目ならお金をください」と要求して来る。
時間を打ち合わせ、夫も在宅させて、訪れたその女性と会う事になるのだが、長い茶髪に派手なマニキュア、ラフな服装と、6年前のひかりの面影はまったく感じられなかった。
佐都子は彼女に「あなたは誰なんですか」と詰問する。一体この女性は本当のひかりなのか、金が目的の別人なのか。映像では顔が見えないような撮り方なので、観客もどちらなのか判断出来ない。
(以下完全ネタバレ。未見の方は注意)
「駄目なら学校にも事実を伝えます」と女性は言うが、朝斗はまだ幼稚園児だ。「本当の親なら子供の年齢を知らないはずがない」と佐都子は言う。これで観客は、この女はにせ者だと思ってしまう。巧みなミスディレクションである(実際は遅生まれなら6歳で小学生の可能性はある)。前述の嘘をつく子供の話で、佐都子が疑り深くなっている事が伏線としてここで生きて来る。うまい。
その数日後、警察が栗原家を訪れ、「片倉ひかりと名乗る女性が来ませんでしたか」と訊く。これでますますあの女は怪しい、と誰もが思い込んでしまう。河瀬監督、ミステリー・タッチの演出もなかなか達者なものである。
映画はここから時間を戻して、ひかりの中学生時代の話となり、ひかりが同級生の男子と仲良くなり、やがて愛し合うようになり、体を重ね妊娠、親がそれを知った時には中絶できない体になっており、中学生では結婚・子育ても無理だと判断した両親がベビー・バトンに頼るまでを丁寧に描いて行く。
中学生だから子供を育てられない、と親は一方的に決めつけるが、ひかり自身は、我が子を思う心情を綴った手紙を佐都子に託したように、親が思う以上に大人である。そのひかりの心を、親は理解していない。
さらに、親類にもその事が知られていた事が分かって、ひかりは両親に決定的な不信感を抱き、家を飛び出してしまう。
ひかりはベビー・バトンを訪れ、そこの代表だった浅見静恵(浅田美代子)に、ここで働かせてくれるよう願い出るが、すでに閉所する事が決まっていると知らされる。こういうボランティア的な活動は、資金的に長続きするのは難しいだろう。考えさせられる。浅見を演じた浅田美代子が好演。
実はここで子供引き渡し先の資料を見つけたひかりが、栗原家の住所と連絡先をこっそり盗み見るくだりがある。これも後の伏線となる。
やがてひかりは住込みの新聞配達の職を得てなんとか真面目に働く事となる。そこでひかりは同僚の女の子と親しくなるのだが、その子はある日黙っていなくなったうえに勝手にサラ金の借金の保証人にさせられていて、ひかりはその借金を肩代わりする羽目になる。次々と不運に見舞われるひかり。
借金を背負い、切羽詰まったひかりは、ベビー・バトンで得た情報を元に栗原家に電話をする。ここで冒頭の電話の音に繋がるわけである。
つまり謎の女性は本物のひかりだった事がやっとここで判明するのである。
まだ20歳になったばかりなのに、この6年間、親と離れ、誰よりも過酷な人生を歩んで来たひかりは、心も荒み、栗原家を訪れた時には6年前とは別人のような容貌に変わり果てていた。佐都子も見分けられなかったはずである。ひかりを演じた蒔田彩珠、新人離れした素晴らしい巧演である。
警察が帰った後、佐都子は6年前にひかりが託した手紙を見る。その手紙にうっすらと筆圧の跡を見つけた佐都子は、これを読み取り、ひかりの心を知る事となる。
ひかりが、我が子と対面するラストはちょっと感動的である。
この後、ひかりと朝斗、そして栗原家とはどんな関係を続けて行くのかは映画は描かない。それは観客の想像に任せるという事なのだろう。ここは、やはり実の親と育ての親の問題を描いた是枝裕和監督「そして父になる」のラストとも共通するものがある。偶然だが「そして父になる」の子供も6歳であった。
河瀬監督の演出は、テーマをじっくりと見据え、そこから子供を産む事、養子として得た子供を愛情をもって育てる事、それぞれの覚悟と強い信念の大事さを、丁寧なエピソードの積み重ねで見事に描き切り、深い感動を与える事に成功している。自然光を生かした撮影、ドキュメンタルな自然描写、周囲の音も拾う録音等、河瀬作品のトレードマークとも言える撮影手法はここでも健在である。その演出手腕は、家族に関する物語を描いて来た日本映画の名匠たちにも匹敵するほどの貫禄さえ感じさせられる。完成度としては、傑作「あん」をも上回っているのではないかとさえ思う。
河瀬監督、「あん」と本作と、2本撮った原作ものがいずれも傑作(しかも解り易い)になったのだから、今後は原作もの一本で行ってはどうだろうか(笑)。
ところで丁度、今月発売の文藝春秋11月号に、河瀬監督とアナウンサーの有働由美子さんとの対談が掲載されているので読んだのだが、これによると、河瀬監督自身も実は養女だったのだそうだ。生まれたばかりの頃に両親が離婚し、母方の祖母の姉に育てられ、養女となっている。デビュー当時の中編ドキュメンタリー「につつまれて」(92)では幼い頃に生き別れた実父を捜す過程が描かれ、同じく中編「かたつもり」(97)では、その養母との日常を綴っているという。これらの作品は観ていないので知らなかったが、KINENOTEの略歴にもちゃんと書かれていた。うーん勉強不足だった。
そういう意味では、本作は監督自身の出自とも関連し、デビュー当時の中編作品にも繋がるテーマを持った作品であると言える。原作ものでありながら、しっかり監督独自の作品になっているのが素晴らしい。
そう思えば、ラストで佐都子がひかりと対面した朝斗に「これがあなたのお母さんよ」と伝えるくだりは、まさに実の親に会えなかった河瀬自身の思いが込められているわけで、それを思うと涙が出て来てしまった。
エンドロールに流れる主題歌のタイトルは「アサトヒカリ」。これも子供と実母の名前に由来している。なおエンドロールの最後にサプライズ的な歌声が登場するので、途中で席を立たず、最後まで観る事をお奨めする。 (採点=★★★★★)
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コメント
河瀬監督の作品は、光に続いて2本目です。蒔田あじゅが見せます。若い女優20歳前後の有望株何人かに、入ったのは間違いなさそうです。
投稿: 自称歴史家 | 2020年11月16日 (月) 20:00
◆自称歴史家さん
私も蒔田彩珠、注目しています。今後もっと伸びて来るでしょうね。
河瀬監督、「あん」でも樹木希林の孫娘・内田伽羅にいい演技をさせていましたし、若手女優の使い方がうまいですね。
「あん」、是非ご覧になってください。
投稿: Kei(管理人 ) | 2020年11月24日 (火) 23:13