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2020年12月12日 (土)

「ミセス・ノイズィ」

Mrsnoisy 2019年・日本    106分
製作:ヒコーキ・フィルムズ インターナショナル=メディアプルポ
配給:アークエンタテインメント
監督:天野千尋
脚本:天野千尋、松枝佳紀
脚本監修:加藤正人
撮影監督:田中一成 
エグゼクティブプロデューサー:鍋島壽夫、横山勇人
プロデューサー:高橋正弥

一時テレビやネットでも話題になった“騒音おばさん”をモチーフに、隣人同士の些細な対立が大事件へと発展して行く異色のサスペンスドラマ。脚本・監督は「ハッピーランディング」の天野千尋。主演は「湯を沸かすほどの熱い愛」の篠原ゆき子と「どうしようもない恋の唄」の大高洋子。共演は「駅までの道をおしえて」の新津ちせ、「私は渦の底から」の長尾卓磨、その他田中要次、風祭ゆきらベテランが脇を固める。2019年・第32回東京国際映画祭・日本映画スプラッシュ部門出品作品。

(物語)母親として日々家事をこなし、小説家としても活動する吉岡真紀(篠原ゆき子)は、現在スランプ中。締切が迫っても執筆が進まず、明け方まで原稿を書き上げている時、隣の住人・若田美和子(大高洋子)がけたたましい騒音で布団を叩く音でさらに神経をすり減らされる。その後も布団叩きに加えて大ボリュームでのラジカセ音楽と嫌がらせはエスカレートして行き、真紀のストレスは溜まる一方。その上娘の菜子(新津ちせ)を勝手に連れ出した事もあって美和子に対する不信感は増すばかり。ある時、真紀は美和子を小説のネタにする事を思いつき、連載は評判になるが、やがてそれが予想外の大事件へと発展して行く事となる…。

2005年に、テレビのニュースやワイドショーでも取り上げられた、毎日布団を力一杯ひっぱたく“騒音おばさん”騒動は私もテレビで映像を見た事がある。「はた迷惑な人だな」と思った。多分ほとんどの人がそう思ったに違いない。事実その後このおばさんは傷害容疑で逮捕されている。

だが我々は、実は物事の一面しか見ていないのではないか。本当にこのおばさんは悪人なのか、その背後に別の一面が隠されてはいないだろうか。

本作は、そこに切り込んだ社会派ドラマであり、サスペンスであり、またコメディでもあり、また観る前の先入観をひっくり返される、まさに多面的な要素を持った面白い作品である。

(以下ネタバレあり)

主人公、吉岡真紀は小説家であり、一児の母である。夫はミュージシャン、娘の菜子はやんちゃざかりで親にどこかへ連れて行ってくれる事を楽しみにしている。

だが真紀は、1作目の小説「種と果実」が結構売れたものの、2作目以降はさっぱりで、編集者から急かされ焦っている。明日の締切までに1本仕上げる事になり、夫の裕一(長尾卓磨)もスタジオに篭もっているので菜子の面倒もそこそこに執筆を行っている。菜子との遊びに連れてってあげる約束もすっぽかし。当然菜子は面白くない。

ようやく書き上げかけた明け方6時頃、隣の若田家から聞こえる猛烈に布団を叩く音に気が散ってしまう。静かにしてもらうよう隣に声をかけても無視される。何故朝早くからそんな騒音を立てるのか。真紀には嫌がらせとしか思えない。

さらに不思議な事が続く。執筆に追われてかまってやれなかった菜子の姿が見えなくなったのだ。
慌てて探すが見当たらない。ところがやがて、くだんの騒音おばさん、美和子と一緒に菜子が帰って来る。菜子は美和子と遊んでいたと言うのだ。美和子は「子供をほったらかして、それでも親か」と真紀を詰る。しかし真紀にとっては美和子は我が子を勝手に連れ出した、得体の知れない人間としか思えない。ここから両者の不協和音がジワジワと広がって行く事となる。

ようやく真紀は小説を書き上げるが、編集者からはダメ出しされボツになり、再度書き直す事となる。そして又しても菜子と遊びに行く約束はすっぽかされ、菜子の母に対する不信感が増幅されて行く。追い込み最中の明け方、またも布団叩きの騒音が…。真紀は神経をすり減らされ、精神的にも追い詰められる。

そしてまた、執筆に集中している間に、菜子の姿が消える。また美和子の家にいるのかと呼び鈴を押しても返答はない。夕方になっても子供は帰って来ない。とうとう警察に捜索願を出し、実家の真紀の母にも連絡したりと大変な騒動になって行く。
だが、夜になって、美和子が菜子を連れて来て、やはり隣家にいた事が分かる。無事の喜びも早々に、なぜこんな時間まで我が子を返さなかったのか問い詰めるが、今度も、娘をほったらかしにしている親の代わりに面倒見ただけ、構ってあげないそっちが悪いと言うばかり。しかも菜子の腕にはアザがあるし、美和子の夫に風呂に入れてもらったと菜子は喜んでいる。真紀の美和子に対する不信感、恐怖心は増すばかりとなる。

ここまでで、謎がいくつも提示される。美和子はなぜ朝早くから布団を大音量で叩くのか。なぜ呼び鈴を押しても若田家は誰も出て来なかったのか(留守ではなく家に居た事は判明している)。美和子の夫がなぜ他人の幼い娘と風呂に入ったのか(悪戯はされなかったのかと疑ってしまう)。そして菜子の腕のアザは…。

Mrsnoisy2 真紀だけでなく、観客もこの二人は怪しいと思ってしまう。更に加えて、隣家の若田夫婦の見た目が、美和子の顔は見るからにモンスター(右)で、夫は無口で貧相な顔で気味悪く見える。顔だけで判断してはいけないのだけれど。そんなお顔の夫婦役、宮崎太一と大高洋子の起用がまず成功の一因である。よく探したものだ。


だが、映画はそこから1ヶ月前に遡り、今度は若田家の側から現在に至るまでを描いて行く。そして、上記に挙げたいくつもの疑問に対する真相が次々と明かされて行き、これによって、これまで抱いていた先入観が丸ごとひっくり返される事となる。これにはアッと驚かされてしまう。

一昨年話題になった「カメラを止めるな!」を思わせるという声もある。確かに、前半で描かれたいくつもの疑問が、時間を巻き戻して別の角度から描かれる真相編で見事に解明され、そこからまったく違う一面が見えて来る、という構成はよく似ていると言えなくもない。

ただし本作が面白いのは、この真相部分は観客だけに知らされたもので、真紀たちはまだそれを知らない、という点である。だから両家のバトルはその後もさらにエスカレートして行き、物語は新たな局面を迎える事となる。

真紀はやがて反撃を開始する。この隣家とのバトルをそのまま小説にするのである。連載されたモデル小説「ミセス・ノイズィ」は面白いと評判になる。これで元気づいた真紀は美和子にもやり返す。布団叩きに対抗してモップでつついたり布団を取り上げ階下に落としたり、美和子はそれならとラジカセでクラシックを大ボリュームで流したり(まるで子供の喧嘩だ(笑))。
さらに真紀の従姉弟がこれらの様子を録画してSNSで公開する。動画は再生回数がどんどん増えて、スマホで見ては多くの人たちが笑い転げ、小説と連動してどちらも話題が拡散して行く。
まさに、今のSNS時代ならではの物語である。笑えるけれど、考えさせられる。

(以下完全ネタバレ。映画を観た方のみお読みください)

 

 

実は、美和子夫妻は以前幼い我が子を事故か何かで失っており、その事もあって夫は精神を病み、明け方に虫の幻覚を見るようになる。美和子は夫を落ち着かせる為、虫を追い出しているからねと言って布団を叩くのである。夫妻が菜子を可愛がるのも、菜子といる事で、我が子を失った喪失感が癒されるからである。

だが、ベランダ越しに菜子を見つめる夫の姿が「幼児愛好の変態親父」としてSNSで拡散され、それをパソコンで見てしまった夫はショックを受け、衝動的にベランダから飛び降りてしまう。
かろうじて一命は取り止めるが、これによって真紀は一転、隣人を自殺に追い込んだ加害者としてマスコミに晒されてしまう事となる。連日マスコミが家の前に張り込んで「ひと言お願いします」と執拗に食い下がる。菜子を抱いたまま、真紀は必死に逃げ回る事となる。

悪いのは、プライバシーをSNSに公開した真紀の従姉弟やそれを拡散するネット住民なのだが、ゴシップに禿鷹のように群がるマスコミのえげつなさも容赦なく描かれる。

最後は、美和子の真意を知って、真紀は美和子に謝り、両者は和解する。そして1年後、真紀は美和子からの視点も加えて書き改めた「ミセス・ノイズィ」を刊行、それを若田家にもプレゼントして、映画もまた感動のエンディングを迎える事となる。


面白かった。
ある方向からだけ描いて行った物語を、時間を遡及して別の角度から描く事で、違う一面が見えて来る、という映画は、これまでも「運命じゃない人」(内田けんじ監督)とか、最近ではリュック・ベッソン監督「ANNA アナ」とかいくつか作られている。前半に伏線をいくつか配置し、後で巧みにそれらを回収して行くという作り方も共通している。
本作はそのバリエーションに沿った作品の1本と言えるが、それだけに留まらず、物事を、一面だけ、表層だけを見て判断してはいけない、という警鐘も盛り込んでいる所が優れている。世間を騒がせた実話に基づいて、こうした物語を考案し映画に仕上げた天野千尋監督(脚本も)、なかなか大したものである。

それに加えて、いかにも現代を象徴する近所同士のギスギスしたトラブルだとか、SNSやYoutubeによって情報が拡散したり炎上したりのネット社会、くだらないネタでもワイドショーで面白可笑しく騒ぎ立てるテレビ局、話題になれば個人のプライバシーなどお構いなしに追いかけまわすマスコミ…といった、現代社会の病弊に対する鋭い批判が巧みに盛り込まれている点も大いに評価したい。

また、真紀の従姉弟が通うキャバクラの女の子が、真紀のデビュー小説はよく出来ているが、2作目以降はレベルが落ちてると言ったり、世間で話題の「ミセス・ノイズィ」もバッサリ批判したりと、誰よりも鋭い観察眼を持っているのも皮肉である。これもまた、職業や表面的に見える物だけで人物を評価するのは間違いだという、本作のテーマとも共通するアイロニーである。

ただツッ込みどころもあって、後半では美和子があまりにもいい人に描かれているのは少し違和感がある。前半の他人迷惑な言動(特にブチ切れて隣との隔壁までぶっ壊すのは器物損壊罪になる)とは一致しないからである。他人に迷惑をかける人騒がせな性格はそのままに、ちょっとはいい所もある、程度にしても良かったのではと思う。

SNSで、真紀と美和子のバトル動画を、顔も隠さず実名でアップするのもどうかと思う。また一応名の通った出版社が、それを小説の宣伝に利用したりは普通しないと思うが。

…とまあ難点はあるものの、全般的にはよく出来ていて、笑わされ、まんまと騙され、最後はほっこりとした気持ちにさせられる、良質の社会派ドラマであり、ヒューマン・ドラマの秀作である。天野千尋監督、これまで知らなかったが、今後は注目して行きたいと思う。

出演者では、最近よくテレビでも拝見する篠原ゆき子もいいが、菜子を演じた新津ちせちゃんが自然な演技で好演。そして何と言っても美和子を演じた大高洋子が快(怪?)演。助演賞ものだろう。

監督も出演者も馴染みがない為、興行的には苦戦するだろうが、是非多くの人に観て欲しいと思う。 (採点=★★★★☆

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コメント

私の今年の日本映画のベストテンのかなり上位に来ますね。脚本監修に加藤正人が付いているからか、脚本が良くできてます。やはりプロの脚本家が関わると違います。

ところで全然関係の無い話ですが、私が在籍するキネマ旬報東京友の会はベストテンが昨年12月〜今年11月公開作品が対象なんで先日出したんですが、あれ?「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が無いぞと思いました。
キネマ旬報は、あれを「新バージョン」扱いにしたんですかね?あれって「新バージョン」なんでしょうか?
私は仕方なく外しましたが、会の幹事に聞くと、やはりあれだけクオリティが高いと、構わず入れて送ってくる人がいるそうで、まあそれはそれで良いやとしてるそうです。
基準がよくわからないですねえ。でも「一週間公開された映画なら何でもオーケー」にしちゃうと、それこそ「パラサイト 半地下の家族のモノクロバージョンもオーケー」みたいになって、際限が無くなっちゃいますなあ。難しい話です。

投稿: タニプロ | 2020年12月16日 (水) 23:55

◆タニプロさん
確かに、キネ旬最新号の「ベストテン選出用作品リスト」一覧を見たら、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」がありませんね。となると、いわゆる“ディレクターズ・カット版”扱いとみなしてベストテン対象から外したという事なんでしょうね。
まあ分からなくもないですが。これを認めるとリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」や「エイリアン」の、追加映像を入れて編集し直したディレクターズ・カット版やファイナル・カット版も、その公開年度のベストテン対象にしないといけなくなりますからね。難しい所ではあります。

ちなみにヨコハマ映画祭では、「この世界の(さらに-」は選考対象に入ってましたが、結果としてテンに入れてたのは私ともう一人の2人だけで、37位という結果でした。まあ公開後1年も経つと記憶が薄れてしまいますしね。特に今年は邦画に秀作が揃ってましたから、余計これをテンから外した人も多かったのかも知れません。残念ですが、私個人としてはこれを昨年度のベストワンにした事で十分満足です。

投稿: Kei(管理人 ) | 2020年12月18日 (金) 23:25

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