「ノマドランド」
2020年・アメリカ 108分
製作:Highwayman Films、他
提供:サーチライト・ピクチャーズ
配給:ディズニー
原題:Nomadland
監督:クロエ・ジャオ
原作:ジェシカ・ブルーダー
脚本:クロエ・ジャオ
撮影:ジョシュア・ジェームズ・リチャーズ
音楽:ルドビコ・エイナウディ
製作:フランシス・マクドーマンド、ピーター・スピアーズ、モリー・アッシャー、ダン・ジャンビー、クロエ・ジャオ
ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」をベースに、アメリカ西部の高齢車上生活者たちの生き様を、大自然の映像美とともに描いたロードムービー。監督は前作「ザ・ライダー」が高く評価された中国出身の新鋭クロエ・ジャオ。主演は「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンド。共演は「グッドナイト&グッドラック」のデビッド・ストラザーン、その他実際のノマド(遊牧民)の人たちが共演している。2020年・第77回ベネチア国際映画祭で金獅子賞、第45回トロント国際映画祭で観客賞、第78回ゴールデングローブ賞で作品賞・監督賞をそれぞれ受賞。第93回アカデミー賞でも作品、監督、主演女優など6部門でノミネートされている。
(物語)ネバダ州エンパイアの町で暮らしていた60代の女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)は、リーマンショックによる企業倒産の影響で長年住み慣れた家を失なってしまう。夫とも早くに死に別れた彼女はキャンピングカーに全ての思い出を詰め込み、“現代のノマド(遊牧民)”として、車上生活を送りながら過酷な季節労働の現場を渡り歩く道を選択する。その日その日を懸命に乗り越えながら、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ね、誇りを胸に自由に生きる彼女の旅は続いて行く。
アメリカでは近年、60歳を超えてクビを切られたり企業倒産などで仕事を失い、乏しい年金では生活出来ず、家を手放し、路上生活者となって車で移動しながら季節労働の現場を渡り歩いてなんとか生活しているという老人が増えているのだと言う。そうした実態をつぶさに追ってルポルタージュとしてまとめたのが原作となったジェシカ・ブルーダー著「ノマド 漂流する高齢労働者たち」である。“ノマド”とは「遊牧民」という意味である。
近年、世界的に老人を扱った映画が増えており、当ブログでもそんな老人映画を多く取り上げて来たが、そのほとんどが認知症をテーマとしたり、老々介護の切実な問題を取り上げたり、老人を介護施設に入れるべきかで悩む家族を扱ったりといったものばかりである。中にはクリント・イーストウッドが監督・主演した、頑固で一人暮らしをする老人ものもあったが。
基本的には、自宅にしろ老人施設にしろ、住むところは確保されていた。
そんな中で、本作のテーマは極めてユニークである。“家を失って放浪する老人”というテーマは初めて聞いたし、それがフィクションでなく現実だというのも驚きである。
この原作に触発されたフランシス・マクドーマンドがプロデューサーとして映画化権を獲得し、監督としてまだ2作しか手掛けていない新進の中国系女性監督のクロエ・ジャオを監督に抜擢したというのも凄い。マクドーマンドがジャオ監督の前作「ザ・ライダー」(2017)を観てオファーを決めたのだそうだ。それが見事に成功し、多数の映画賞を受賞して、米アカデミー賞でも本命と言われている。プロデューサーとしてのマクドーマンドの行動力、眼力にも敬服するばかりである。
(以下ネタバレあり)
本作の主人公、マクドーマンド扮するファーンは、夫に先立たれ、折悪しくリーマンショックで勤めていた会社が倒産、失業したばかりか住んでいた社宅も追われ、仕事も家も失ってしまう。
それにしても驚くのが、ファーンが住んでいた地域(ネヴァダ州エンパイア)では大企業が倒産すると、町全体が消え、郵便番号も無くなってしまうという点である。まあ誰も住まなくなればあり得る話かも知れないが。
ファーンは、キャンピングカーを改装し、夫の思い出の品や必要なものを積み込んで一人旅に出る。各地を放浪し、同じような“ノマド”たちと交流を深め、Amazonなどの日雇い労働で生活費を稼ぐ。
面白いのは、ファーンが結構この生活を楽しんでいる点である。アメリカ各地を旅し、荒野や海辺の風景を眺め、森の中では全裸になって水浴している。ノマドたちとも仲良くなり、和気あいあいと交流する。
むしろ、家族や親類との束縛から解放され、自由気ままに生きる喜びすら感じさせる。この点、同じように仕事を失い生活困窮者となり、家族を守る為に必死で仕事を探す人々を描くケン・ローチ監督作品に漂う切羽詰まった悲哀とは対照的である。
思えば、アメリカ映画には、生活の為だったり、自由を求めたりと理由は違えど、あてどなく国内を旅する人々を描いた映画が数多くある。それは新天地を求めて広い荒野を旅する西部劇の伝統もあるのだろう。「シェーン」に代表される、旅するさすらいのガンマンは西部劇の定番である。
その他、何千頭もの牛を引き連れて西部を旅するキャトル・ドライヴものは、ジョン・ウェイン主演「赤い河」や同じウェイン主演「11人のカウボーイ」、ゲーリー・グライムズ主演「男の出発」、テレビの「ローハイド」など枚挙に暇がないし、ピーター・フォンダ監督・主演のそのまんまのタイトル「さすらいのカウボーイ」というのもあった。この作品で主人公は家族を捨てて放浪の旅に出るのである。
ピーター・フォンダと言えば、アメリカン・ニュー・シネマの代表的傑作「イージー・ライダー」がある。この作品でフォンダと相棒のデニス・ホッパーは、アメリカが自由の国である事を信じてあてのない旅に出るのだが、実は排他的差別と偏見に満ちた国であった事を思い知らされる。
そう言えば、クロエ・ジャオ監督の前作の題名は「ザ・ライダー」だったし、中身は現代版西部劇と言われている。もしかしたらジャオ監督の頭には、元々こうしたアメリカを流離う西部劇やニュー・シネマへの思い入れがあったのかも知れない。本作を監督するに至った事に、ある意味運命的なものを感じてしまう。
ファーンは「私たちはホームレスじゃない、ハウスレスだ」と語るが、これは原作にも登場する言葉である。
ホームレスは、家も家族も失った、人生の敗残者的ニュアンスがあるが、ノマドの言うハウスレスとは、単に家がないだけで、主体性を持って胸を張って前向きに生きているという思いが込められている。
ある意味、高齢化が進み社会的格差が広がる現代と言う時代において、ノマドとは老人たちが見つけ出した、新しい生き方なのだろう。高齢化社会に突入した我々日本人も大いに考えさせられる。
終盤でファーンは親しくなった老人ディヴから、「私と一緒に暮らさないか」と誘われる。いつしか愛が生まれていたのだろう。それはノマドをやめて、家庭に入る事を示す。
だがファーンはその申し出を断り、これまで通りノマドとして生きて行く道を選択する。この強い決意に胸うたれる。
映画は、アメリカの広大な大自然を背景に、ファーンらノマドたちの生き方、人生観を淡々と、しかし静謐に描いて深い感動を与えてくれる。撮影監督ジョシュア・ジェームズ・リチャーズによる、夕陽の沈むシーンや夕暮れ時の映像が特に記憶に残る。
ラストシーンも感動的だ。ファーンは以前住んでいたネヴァダ州の社宅を訪れる。
家の中は何もないが、その裏口の向こうには広大な西部の荒野がどこまでも広がっている。実は中盤でファーンがノマドの人に、昔住んでいた家の裏は何もない荒野だと語るシーンがあるが、それがこのラストの伏線になっている。
カメラはその荒野をじっと見つめて、映画は終わる。アメリカ大陸の自然の中で、これからもノマドとして生きて行くファーンの思いを示す、いいシーンである(後記注)。
観終わって心が洗われた。素晴らしい秀作である。私にとってもこれからの、老後の人生について大いに考えさせられた。もしかしたらこの映画を観て、私と同じような思いにさせられる老人が増えるかも知れない。
後で聞いて驚いたのは、出演者たちのうち、マクドーマンドとディヴ役を演じたデビッド・ストラザーン以外のノマドを演じた人たちは、すべて実際のノマドの人たちなのだそうだ。なのに、観ていて素人くささはまったく感じなかった。マクドーマンドらのプロの役者とごく普通に共演していて違和感が全然ない。役名も本人たちの名前をそのまま使っている。
これは、出演したノマドの人たちの演技がうまいと言うより、マクドーマンドらがノマドの人たちの中に自然に溶け込んでいると見るべきだろう。
そう考えると本作は劇映画と言うよりは、ノマドの人たちの生活ぶりをカメラで追った、ドキュメンタリー作品に近いと言えるだろう。しかし物語はフィクションである。
この作品はその意味で、フィクションとドキュメンタリーの境い目を軽々と乗り越えた、新しいタイプの映画と言えるかも知れない。
今のところ、私の今年度のベスト3(あるいはベストワン)に入る傑作である。必見。 (採点=★★★★★)
(注)
このラストの、裏口のドアの向こうに西部の荒野が映し出されるシーンで、1本の映画を思い出した。
それはジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の名作「捜索者」である。この映画の冒頭とエンディングで、いずれもカメラが屋内からドア越しに、彼方に広がる西部の荒野を捕えた印象的なシーンが登場する。本作のラストシーンとそっくりである。
映画「捜索者」も、主人公のジョン・ウェインが攫われた娘を探して西部をあてどなく流離うという物語である。前作「ザ・ライダー」の西部劇テイストを考えても、クロエ・ジャオ監督、あるいはフロンティア・スピリット精神に満ちたアメリカ西部劇をこよなく愛しているのかも知れない。
(付記)
本作の配給はディズニーとなっているが、冒頭の会社ロゴを見れば判る通り、マクドーマンド主演の「スリー・ビルボード」も配給したサーチライト・ピクチャーズ提供作品である。
以前は20世紀フォックス社の子会社だったので「フォックス・サーチライト・ピクチャーズ」という名称だったのだが、20世紀フォックスがディズニーに吸収された為、フォックスが取れてしまった。
それでも、あのお馴染み20世紀フォックス映画のファンファーレはそのまま残ってるし、「フォックス」が取れた以外は会社ロゴもほぼそのまま。何より、相変わらず完成度の高い、渋い傑作映画を提供してくれているのが嬉しい。この製作姿勢は、これからも守って欲しいとお願いしておこう。
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コメント
本日見てきました。静謐で素敵な映画でした。音楽よかったです。
ホームセンターで代用教員のとき知り合った家族と出会ったシーンで、ファーンが教え子に私が教えた言葉覚えてる? と尋ねると「明日、明日、明日。昨日は死と同じ(うろ覚えで意味的にはこんな感じだったように思います)」と女の子が答えたところにも、ファーンの前向きな姿勢が感じられました。
それとうがった見方かもしれませんが、すんなり家庭(家)に戻ったデイヴとノマドを続ける決意をしたファーンを比べると、孤独もしくは一人で生きていくことに対する男女の耐性の差を感じました。一般的に男はそのあたりちょっと弱いかもしれませんね。
本当にドキュメンタリーみたいでしたが、物語としての強さはまさに映画の王道だと思いました。
いつもよい映画を教えていただきありがとうございます。
投稿: 周太 | 2021年4月 1日 (木) 20:20
◆周太さん
コメントありがとうございます。
本文には書きませんでしたが、柔らかい音色のピアノを基調とした音楽も良かったですね。音楽担当のルドヴィコ・エイナウディ、確か是枝裕和監督の「三度目の殺人」の音楽も手掛けていたと思います。
一人になった時、女は強い、というのは感じますね。少しズレるかも知れませんが、一般的な統計で、夫婦のどちらかが亡くなった時、妻はその後も長生きするのに対して、夫の方は気力を失ってか、早く死ぬケースが多いそうです。映画を見て、男たる私も頑張って、生き方を考えねば、と改めて思いました。
>いつもよい映画を教えていただきありがとうございます。
いやぁそう言っていただける事が何よりの励みになります。今後も、いい映画を見つけて紹介させていただきます。これからもよろしく。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年4月 2日 (金) 20:44
これも良い映画でした。厳しい話ではありますが、アメリカの雄大な自然に癒され部分もあり、心に残ります。
投稿: 自称歴史家 | 2021年4月 3日 (土) 20:53
アカデミー賞取りましたね。
普段はそういう映画の観方しないんですが、私は日本共産党の一員で大の資本主義嫌いなんでどうしてもこういう観方になります。
これ、明らかに「ポスト資本主義社会」を描いてると思います。資本主義的なものへの挑戦。主人公が何の疑いもなく大企業アマゾンで日銭を稼ぐじゃないですか。それでいて資本主義から離れた生活をする。これは、資本主義からの移行ですよ。
そんな映画をアメリカが評価した。これは画期的です。
思えば前回のアカデミー賞は格差社会を描いた「パラサイト」でした。あれは、貧困一家が富裕家庭に侵入します。どっちもアジア系監督。素晴らしい。
キネマ旬報友の会で一緒の方が、映画作りとしてやってることは今村昌平「人間蒸発」と言ってました。私は「パラサイト」にイマヘイ的重喜劇の匂いを感じました。現代になって、イマヘイを思います。
投稿: タニプロ | 2021年5月 4日 (火) 04:15
◆タニプロさん
私は映画の感想は、観た人それぞれがいろんな考え方があり、どんなふうに感じようと自由だという主義ですので、面白い視点だと思うし、こういうコメントも歓迎ですよ。
今村監督の「人間蒸発」は確かに素人の方がプロの俳優(露口茂)と共演していますし、ドキュメンタリーとフィクションの境界が限りなく曖昧な点で「ノマドランド」との共通性も確かに感じますね。映画としては今村作品の方がかなり意地悪な作りですが。
それにしても今村監督はカンヌ映画祭で2度もパルムドールを受賞していますし、今の時代に生きて映画を撮っていたなら、米アカデミー賞作品賞も狙えたかも知れませんね。惜しいです。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年5月 5日 (水) 17:49