「あのこは貴族」
(物語)東京に生まれ、箱入り娘として何不自由なく育った榛原華子(門脇麦)は、結婚を考えていた恋人に振られてしまい初めて人生の岐路に立つ。気付けば20代後半になっており、同じ名門女子校に通った同級生たちの結婚や出産をした話を聞くたびに焦りを募らせていた。やがて華子は良家の生まれでハンサムな弁護士・青木幸一郎(高良健吾)と出会い結婚が決まる。一方、富山出身の時岡美紀(水原希子)は猛勉強の末に慶應大学に入学したものの、家庭の事情で学費が続かず、夜の世界で働くも中退。恋人はなく、仕事にやりがいを感じているわけでもなく、都会にしがみつく意味を見いだせずにいた。だがある日、大学時代にノートを貸したままだった幸一郎と再会した事から彼と親しくなる。そして華子の親友でバイオリニストの相楽逸子(石橋静河)に美紀が仕事の依頼を申し出た事から、同じ都会で暮らしながらも出会うはずもなかった2人の人生が交差する事となる。
監督の岨手(そで)由貴子という名前は、本作を観るまでまったく頭になかった。ただ経歴を見てみると、あのカルト的ヒット作「カメラを止めるな!」を製作した、ENBUゼミナールの映画監督コース出身だそうで、 2009年には文化庁若手映画作家育成プロジェクトに選出され、ENBUゼミナール製作による30分の短編映画「アンダーウェア・アフェア」を監督している。そして2015年、「グッド・ストライプス」で長編商業映画監督デビューを果たし、これで第7回TAMA映画賞・ 最優秀新進監督賞と、新藤兼人賞の金賞を受賞している。
着実に実績を積み重ねているようで、これはチェックしておかねばと劇場に観に行った。
(以下ネタバレあり)
映画は、章立てになっており、第1章「東京」では主人公・榛原華子の婚活が描かれる。華子は歴代続く開業医の娘で、高級住宅地の松濤に住んでいる、まずまずの家柄の箱入り娘(この言葉、まだ死語になってないのかな?)。20歳代後半になり、早く結婚相手を見つけねばと焦る年ごろ。
冒頭、夜の東京の街を走るタクシーに華子が乗っている。カメラは、意識的にかどうか、工事用車両と建設中のビルや施設を映している。多分2020東京オリンピックに向けての建設ラッシュなのだろう(撮影は2019年に行われたようだ)。こうした風景が、どことなく無機質に見えるのも狙いだろう。コロナで2020年オリンピックが延期された現在から見ると、なんとも皮肉である。
で、華子のタクシーが着いた先は榛原家の正月祝いの膳の席。ここで華子は、結婚を約束していた恋人に振られた事を告白する。列席する一族はあれこれと言い立てる。
この冒頭の数シーンだけで、榛原家という、世間一般よりは一段高いハイソな家柄とその一族を紹介すると同時に、華子の置かれている立場までが即座に観客に伝わる事となる。
なかなか見事な出だしである。最近の日本映画では珍しいほどに、どっしりと腰の据わった演出ぶりにまず感心した(脚本も監督自身)。
その後も華子は家族に勧められ、見合いをするのだが、見合い相手はカメラであちこち撮り巻くってるだけの冴えない男。華子もさすがに呆れてこの話も破談となる。
そんな時、ようやく良家の生まれで、イケメンの弁護士・青木幸一郎と出会う。二人は意気投合し、華子は今度こそ“結婚”という目的を果たす。
この青木家、一族代々世襲で政治家を輩出する由緒正しい家系で、まさに“貴族”のような格式の高い家である。幸一郎もいずれは政界に進出する事になると言われている。
華子にとって順風満帆に思えたが、本当にこれで幸せなのだろうかと、観ている我々はちょっと不安にかられたりもする。
第2章「外部」では、地方都市・富山生まれで猛勉強の末に慶応義塾大学に合格した時岡美紀の、入学から現在までが描かれる。せっかく東京の大学に入学したものの、実家が生活困窮に陥り学資が続かず、結局大学を中退する事となる。そのまま東京に住み、なんとか職を得ているが生き甲斐を見いだせないままである。かと言って田舎に帰る気にもなれない。
ここまでで描かれるのは、上流階級の人たちが多く住み、文化・政治・経済の中心都市である東京と、生活水準が一段低い地方との、抜き難い格差である。大学にいた時も、付属からエスカレーター式に上がって来た良家出身の学生と、美紀のように猛勉強してやっと大学に入れる地方出身学生との格差が厳然として存在する事を思い知る(ちなみにその良家出身学生の中に幸一郎がいて、美紀はこの時彼と出会っている)。
それでも美紀が富山に帰らないのは、地方都市にはない、東京という街の豊かさの魅力に抗えないからである。
美紀の友人・平田里英(山下リオ)がいみじくも美紀に言う「私たちって東京に搾取されてる養分みたいだね」がその核心を突いている。
第3章「邂逅」で、その美紀と、本来は交わらないはずの華子が出会うまでが描かれる。
美紀は偶然幸一郎と再会し、二人はズルズル関係を続ける事となる。実は大学で二人が知り合ったのも、幸一郎が厚かましくも美紀に講義ノートを借り、そのまま返さないでいたからである。これからしても、幸一郎という人間はやや自分勝手でズルい性格である事が分かる。
そしてある日、華子の親友でバイオリニストの相楽逸子の演奏会で、美紀が仕事で逸子にコンタクトを取った時、たまたま名刺を切らして幸一郎の名刺を借り自分の連絡先を書いた事から、逸子が二人の関係を怪しみ、その名刺写真を華子に送り、やがて華子と美紀が会って話し合う事となる。
ここまでで想像出来るのは、華子が属するセレブ階級と、美紀が置かれている庶民階級との間に横たわる格差が生み出す抜き難い断絶であろう。
これで思い出すのは、大島渚監督のデビュー作「愛と希望の街」(59)である。
この作品で描かれるのは、会社重役の娘・京子と、生活が貧しい故に鳩を売る少年・正夫との心の交流である。京子は正夫の境遇に同情し、なんとか一流企業に就職させてあげたいと骨を折る。両者の間には明らかに格差があるけれど、人間である以上、格差を越えて繋がり合えると京子は思っている。だが最後に、正夫が鳩の帰巣本能を利用して何度も鳩を売っていた事が詐欺とみなされ、正夫の就職は取り消され、二人は別れ、それぞれ元の生活に戻る事となる。
上流階級の人間と貧しい人の間には、決して相いれない絶対的な断絶がある現実を厳しく見つめた、大島渚の傑作であり大好きな作品である。ラストの鳩を射殺するシーンはショックだった。
この作品を思い出したから、私はきっと華子と美紀は対立し、両者間の溝は埋まらないままで終わるものと思っていた。
ところが二人は対立する事もなく、自然と心が打ち解け合って行く。それは華子自身も、幸一郎が属する貴族的階級の生活にどことなく馴染めないものを感じていたからだろう。
自力で大学に入り、自力で精一杯働き生きている美紀を見て、華子の心に変化が生じて行く。今の生活に満足してていいのか、本当に生きるとはどういう事なのか、華子は初めて、自分の生き方を見直すようになる。
そして華子は大きな決断をする。幸一郎と別れ、親友逸子のマネージャーという仕事を見つけ、自立して、前を向いて歩いて行く。
階級の格差を越えて、華子と美紀は両者が共存し合える新しい世界を目指すのである。この結末に私は唸った。大島渚が描いた断絶の世界をも、この作品は乗り越えようとしている。その事に私は深く感動した。
自転車を漕ぐ美紀と里英の姿を見つけた華子が、向かい側の橋の上から手を振るラストもいい。二つの橋は離れているけれど、きっとどこかで交わる道に出会う、その事を象徴しているのだろう。
素敵な秀作だった。役者がみんな自然な演技でとてもいい。特に門脇麦。出だしの現状に流されているおっとりしたお嬢様が、終盤で自分の道を見つけ輝きだす変化を見事に演じ切っている。
そして監督の岨手由貴子、これが商業長編2作目の新人とは思えない、堂々たる演出ぶりに目を瞠った。
無駄なシーンやセリフを極力排した簡潔で的確な描写に、一人一人の人物像をしっかり見据え、現実に生きている人間そのままのリアルな感性を見事に画面に映し出している。
アイドル系の薄っぺらい若者映画が蔓延る日本映画の中で、本作のような人間をきめ細かく描く映画の登場は実に新鮮で見ごたえがある。これぞ大人が観るべき映画である。
それにしてもここ最近の、女性監督の活躍ぶりは目を瞠るものがある。「朝が来る」の河瀬直美、「すばらしき世界」の西川美和、「私をくいとめて」の大九明子、「37セカンズ」のHIKARI、少し前の「そこのみにて光輝く」の呉美保、「幼な子われらに生まれ」の三島有紀子と多士済々。そしてどれもきっちり、人間の内面を深く描いた秀作ばかりである。そこに岨手由貴子も加わった。
そう言えば韓国でも「はちどり」のキム・ボラ監督など、女性監督が次々誕生している。この流れは今後も加速して行くだろう。
昔は、女性監督はなかなか現れにくかった。それも見えない格差だったと言える。近年の女性監督の目覚ましい進出と活躍ぶりは、格差の壁を乗り越えて行く女性たちを描いた本作のテーマとも期せずしてリンクしていると言えるだろう。岨手監督の今後の活躍を見守って行きたい。 (採点=★★★★☆)
(さて、お楽しみはココからだ)
本作の、中流より上の家の娘の結婚話、というテーマは、小津安二郎監督の「晩春」あるいは「彼岸花」など、小津作品ではお馴染みの題材である。小津監督作品の、特に大きな事件も起こらない物語の中で、人物を丁寧に描く演出手法も、本作と共通するものがあるようだ、
また小津監督の「麦秋」では、北鎌倉に住む裕福な家の娘・紀子(原節子)が、親が進める名家の息子の結婚を断って、自分の決めた男との結婚を決意する物語が描かれる。
これも、物語展開としては本作とかなり重なっていると言える。
本作の中では、夜の東京タワーが何度も登場するが、実は小津監督の、やはり娘の結婚話を描いた「秋日和」でも、冒頭に東京タワーが大きく映し出されている。
これは偶然とは思えない。岨手監督、もしかしたら小津監督を敬愛して密かにオマージュを捧げているのかも知れない。
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コメント
女性陣が素晴らしい。高良健吾の何を考えているか分からない男も印象に残る。地方在住のこちらにも、響く映画でした。
投稿: 自称歴史家 | 2021年3月 8日 (月) 06:47
◆自称歴史家さん
コメントありがとうございます。
>地方在住のこちらにも、響く映画でした。
実は私も地方出身で、関西の大学を出てそのまま大阪で暮らしております。
なので美紀の気持ちはよく解ります。地方に住む人、地方に住んでいた人には特に心に響く作品ですね。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年3月14日 (日) 17:53
全くどうでもいい話かもしれませんが、私は映画に点数付けないから見てるだけなんですが、映画館で観てる人の反応は参考になると思ってキネマ旬報社のアプリkinenoteの最新採点ランキングはチェックしてます。一定人数の採点が付いた作品が表示の条件で、封切り一カ月以内のベストテンが表示されます。
例年ならだいたい外国映画が上位に来るんですが、今年になってから日本映画ばかりという珍しい現象が起きてます。
現在のベスト3は「エヴァ」「まともじゃないのは君も一緒」「あのこは貴族」と全部日本映画。ちなみに4位も「痛くない死に方」。
これ以外も「花束みたいな恋をした」「ヤクザと家族」「すばらしき世界」と、ずーっと日本映画が上位を占めてます。
外国映画で上位に来たのは「ある人質」くらいでしょうか。それ以外だとそれこそ昨年末の「燃ゆる女の肖像」くらいまで遡るかもしれません。
投稿: タニプロ | 2021年3月22日 (月) 12:30
◆タニプロさん
まあこれはタイミングという事もあると思います。
なんせ1月末から2月末にかけて日本映画は、「花束みたいな恋をした」「ヤクザと家族」「すばらしき世界」「あのこは貴族」と、おそらく本年度のベストテン上位を席巻する傑作が揃いましたからね。
それ以前だと、12月末に「この世界に残されて」が77.1点、1月前半に「ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画」が78.8点、「聖なる犯罪者」が76.3点と洋画の高得点作品がありました。ランキングでご覧になった3月初旬頃はこれらが1カ月経過でランキングから外れ、これといった外国映画が公開されていなかったからでしょう。
現在のkinenoteランキングを見ると、1位から4位までは上に挙げたベスト4の日本映画がそのまま残ってますが、5位以下は「ラーヤと龍の王国」「ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実」「ミナリ」「ステージ・マザー」「アウトポスト」「野球少女」とすべて外国映画が占めています。まあそれでも上位4本とも日本映画というのは快挙ですね。
コロナの影響で「007」など話題作が公開延期になったり、「ムーラン」など配信のみで劇場公開されなかったりと、洋画のいくつかが公開されていない事もありますが、それにしても先週3月14日の興行成績ランキングを見ると、ベストテンの内洋画は「ラーヤと龍の王国」1本のみで残り9本すべてが日本映画です。まあうち5本がアニメですが。ともかくコロナにも負けず日本映画がよく頑張っているのは間違いないと言えるでしょうね。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年3月22日 (月) 22:07