「街の上で」
(物語)下北沢の古着屋で働く荒川青(若葉竜也)はある日、恋人の雪(穂志もえか)から、好きな男が出来たので別れたいと切り出されるが、それでも青は雪にまだ未練がある。そんな青に、美大に通う女性映画監督・町子(萩原みのり)から、自主映画への出演依頼が舞い込む。だがいざ出演すると緊張でNGを出してばかりで、どうやら出番はカットされる様子。消沈する青に、映画の衣装係の城定イハ(中田青渚)が声をかけ、なぜか彼女の部屋に行く事になるが…。
今泉力哉監督の作品を初めて観たのは、2018年の「パンとバスと2度目のハツコイ」。不思議な味わいの小品佳作で、恋に悩むヒロインの描き方に独特の感性を感じさせ、ちょっと注目した。
その翌年の「愛がなんだ」がスマッシュヒットとなって一躍有名になったが、世間が言うほどの傑作とは私には思えなかった。良作である事は認めるが。
その後今泉監督は、「アイネクライネナハトムジーク」、「mellow」、「his」、「あの頃。」と立て続けに新作を発表しているが、どれもいま一つ。「あの頃。」なんて登場人物たちがキモくて、監督の作風に合ってない気がした。何でも安請け合いせず、もっと作品を選んで欲しいと思った。
そこで本作の登場である。実は昨年5月に公開予定だったのが、新型コロナによる緊急事態宣言のせいで公開延期となり、やっと1年遅れの4月9日に無事公開となった。
なかなか時間が取れず、ようやく先日観る事が出来たが、これは見事な秀作だった。「愛がなんだ」よりもずっといい。今泉監督のこれまでの最高作ではないだろうか。
(以下ネタバレあり)
舞台は東京・下北沢。私は知らない街だが聞くところによると、本作にも出て来る小劇場やライブハウスがある、昔ながらの下町っぽい雰囲気の土地らしい。
登場人物たちも、どことなくゆったりした、トボけた感じの人たちが多い。主人公の荒川青も、古着屋で働いているが、口数少なく目立たない影の薄い存在。行動範囲も狭く、行きつけの古本屋やバー、喫茶店に一人で行くくらい。街からは一度も出ない。
川瀬雪という恋人がいたが、ある日突然、新しい恋人が出来たから青とは別れると宣言される。
この時の青と雪との噛み合わず、互いの考え方にズレがある点を露呈する会話シーンを、長回しワンカットで捕らえた演出が面白い。
青の勤務先である古着屋のシーンも印象的だ。青はカウンター内でいつも所在無げに本を読んでいるが、訪れた客にはきちんと応対する。
Tシャツを買いにやって来た若いカップルが、些細な事で口論を始める。このやり取りが、まるで漫才のボケとツッ込みのような会話で笑える。
以後も、青や彼を取り巻く人たちとの会話がいくつも登場するが、一見取り留めの無いように見えて、実はそれらを通して登場人物たちの生き方、考え方、人間性が徐々に露わになって行くのである。脚本が実によく練られている。
特に面白いのが、青に職務質問する警察官である。最初は青の挙動を質したものの、やがて自分の姪に恋心を抱いているのだが、姪とは結婚出来ないという自分の悩みを青に訥々と語り出すシーンがなんともおかしい。
本筋と関係ないように見えるが、これが実はラストの伏線にもなっているのがうまい。
また、いろんな会話の中に、映画や漫画、文学に関する蘊蓄や小ネタが登場するのも楽しい。
青が訪れた喫茶店での若者たちの会話の中に、ヴィム・ヴェンダース監督の話が出て来て、「ヴェンダースなら、やっぱり『ベルリン』だな」とか、「『アメリカの友達』見てるか」とかのやりとりがある。
映画ファンなら、「ベルリン」とは「ベルリン 天使の詩」の事で、「アメリカの友達」は「アメリカの友人」の間違いだとすぐに気付くはず。彼らが帰った後、喫茶店のマスターがその間違いをきっちり指摘してくれるのも笑える。やはり喫茶店にいた女性とウェイトレスとの会話に、下北沢を舞台にした漫画(魚喃キリコ作品)の話も出て来る。
そのマスターが、「漫画や映画、小説といった文化はずっと残るが、街はどんどん変化して行く」という意味の事を青に話すが、青がそれを受けて「変わって行っても、街がそこにあった事は事実として残る」と言うのも、一つの文化論として傾聴に値すると言える。
こういった具合に、耳に心地良い、時にクスリと笑える会話がなんとも楽しくてホッコリとした気分にさせられる。
映画ネタの会話は、Q・タランティーノの初期の作品(「レザボア・ドッグス」等)を思わせるし、街に暮らす人々の日常を、軽妙な会話を交え描く辺りはウディ・アレン作品を思い起こさせる。その辺りも日本映画では珍しい。
こうした洒落た会話が登場する脚本を書いたのは、監督の今泉自身と大橋裕之の二人。
大橋裕之という名前、確か最近聞いたはずだが思い出せない。帰って調べたら、なんと先日観たばかりの「ゾッキ」の漫画原作者である事が判った。なるほど、あのトボけた味わいの風変わりな漫画を描いた人なら納得である。それにしても、この漫画家が脚本に参加するに至った経緯も是非知りたい所である。
中盤で、青は美大生で自主制作映画を作っている高橋町子から、映画への出演依頼を受ける。青は最初は気乗りしないが、行きつけのバーの知り合いから勧められ出演する事となる。
馴染みの古本屋に勤める冬子(古川琴音)にも手伝ってもらい練習するが、本番では緊張でガチガチになってNGばかり出し、結局他の役者に差し替えられて青の出演シーンはカットされる事となる。ここらも、一人でいる事が多く大勢の中に交われない青の性格がうまく出ている。
打ち上げの席に出るものの、監督に「なぜあんな素人を呼んだ」と不満をぶつける映画スタッフの言葉を遠くから聞いていたたまれなくなる。
それを見ていた、衣装スタッフの城定イハが気の毒に思ったか、青を自宅に誘う。
このイハという変わった名前の女性のキャラクターもユニークだ。「映画監督の城定秀夫と同じ名前」と自己紹介する。これも城定秀夫監督を知っていればクスリと笑える。ちなみに今泉監督と城定監督は個人的にも親しいそうだ。
普通なら、一人住まいの女性の家に男を誘い込んだなら性的関係になりそうだが、二人ともその気はまるでない。今泉監督は男と女でなく、人間というおかしな生き物をじっと観察しているかのようである。
二人の取り留めもない会話を、ワンカット9分間の長回しで捕らえたシーンは、この作品の白眉とも言える名シーンである。
恋愛論、好きな相手を思う心、妙に心に響く。これも脚本の良さだろう。イハの言葉が関西弁なのも、温もりが感じられて成功している。
翌朝、何事もなかった二人が家を出ようとした時に、イハの恋人が帰って来て、二人の仲を誤解するシーンから、二人が家を出て歩いていた時、雪とバーのマスターの二人連れと鉢合わせし、そこに自転車に乗ったイハの恋人もやって来て、5人による誤解と本音が微妙にズレて絡み合うトークバトルに至るシークェンスが最高に面白い。笑った。
実は雪の新しい相手は、あの自主映画にも出演していた連ドラ俳優の間宮(成田凌)だったのだが、間宮と暮らすうちに雪は、どこか頼りないけれど、一緒にいると心が落ち着く青がやはり自分の求める男ではないかと思うようになっていた。だがイハと一緒にいた青を見てまた口論になってしまう。女心は複雑だ。
その場から逃げ出した雪だが、前半に登場した警察官に呼び止められ、この警察官がまた雪に、青に言ったのと同じ、姪が好きなのに結婚できない云々を語り出すのがなんともおかしい。
この警察官が、「本当に好きならやはり言うべきではないかな」という意味の言葉を言い、それを聞いた雪が青の元に走る展開も面白い。
そしてラスト、青と雪がヨリを戻して、この風変わりな人々と街の物語は終わる事となる。
登場人物は皆どこかズレていたり、風変わりだったりするが、そうした人物を巧みに交錯させて、人間って愛おしい存在と思わせ、観終わればジンワリと心に沁みる、これは素敵なハートフル・コメディの秀作であった。
小道具の使い方もうまい。最初の青と雪の別れ際に食べ残し、そのまま青が冷蔵庫にしまっていた誕生日祝いのケーキを、ラストでは愛を確かめ合う道具としてうまく使っているし、青がいつも読んでいる赤い表紙の「金沢の女の子」という題の本も随所でうまく使われている。
古書店に置かれた、亡くなった店主の留守録音声が今も消されず残っている固定電話機の使い方も秀逸。
イハと青が夜向かい合って語るシーンで、二人の前にあるコップの位置も面白い。近づきそうで近づかない二人の距離も示しているようだ。
青が町子の映画に出演するくだりで、イハが用意した衣装が、青が来ている服と靴下以外まったく同じなのも笑える。随所に、こうした笑えるネタを配置する脚本・演出が実に秀逸だ。
思えば「パンとバスと2度目のハツコイ」も、風変わりな人間が登場するハートフルな人間ドラマだった。今泉監督は、こうしたオリジナル脚本による人間ドラマで一番実力を発揮出来るのかも知れない。
本作はそういう意味で、1作ごとに着実に力をつけて来た今泉監督の集大成的作品と言えるだろう。監督の今後が楽しみだ。
それにしても、昨年5月の公開予定がコロナ禍で1年延ばされ、ようやく公開されて評判を呼び、興行が順調な所にまたまた緊急事態宣言で上映館が25日から休館になってしまった。なんとも不運な映画である。
それでも、休館になる前に観る事が出来て良かった。もう少し遅かったら見逃す所だった。早く緊急事態が解除され、上映が再開される事を心から望みたい。
緊急事態宣言が出された東京と関西3府県以外では、多分上映が続けられていると思うので、上映されていれば是非観ていただきたいと願う。
(採点=★★★★☆)
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コメント
下北沢という街を反映したものなのか、ゆったりした流れが心地いい。ドラマ的な出来事はほとんど起きないのに、最後まで飽きさせない。ラスト間近、五人のドタバタに笑わせてもらった。ほっこりする映画でした。
投稿: 自称歴史家 | 2021年4月29日 (木) 17:54
おもしろいんですが、いくらなんでも城定秀夫だなんてマニアック過ぎますよ(笑)一年前に公開されてたら「アルプススタンドのはしの方」より前になるんでしょうか。さらに誰もわからない。私なんかは城定秀夫がVシネマ撮ってた時代から知ってますけど。
ちなみに普段映画館なんかちっとも行かない友人の若い女性は、「静かな映画です。こんな人いるよねみたいに感じました」だけでした(笑)
その点、やはり押井守とか今村夏子だけに留まらず、大量にカルチャーのネタをぶち込みながら絶妙な盛り上げ方をする「花束みたいな恋をした」が一枚上手かなと、私は思いました。大ヒットするだけあります。
投稿: タニプロ | 2021年5月 4日 (火) 02:03