「サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜」 (VOD)
2019年・アメリカ 120分
製作:CAVIAR & FLAT7
提供:Amazon studios = Stage6 Films
劇場配給:カルチャヴィル
原題:Sound of Metal
監督:ダリウス・マーダー
原案:ダリウス・マーダー、デレク・シアンフランス
脚本:ダリウス・マーダー、エイブラハム・マーダー
撮影:ダニエル・バウケット
音楽:エイブラハム・マーダー、ニコラス・ベッカー
製作総指揮:リズ・アーメッド、マイケル・サゴル、ダニエル・スブレガ、ディッキー・アビドン、デレク・シアンフランス、カート・ガン、フレデリック・キング
聴覚を失ったドラマーの青年の苦悩と葛藤を描くヒューマン・ストーリー。監督は「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ 宿命」の脚本家であるダリウス・マーダー。主演は「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」のリズ・アーメッド、共演は「レディ・プレイヤー1」のオリビア・クック、テレビシリーズ「ウォーキング・デッド」のローレン・リドロフ、「007 慰めの報酬」のマチュー・アマルリック、舞台、テレビで活躍して来たポール・レイシーなど。第93回アカデミー賞で作品賞、主演男優、助演男優など6部門にノミネートされ、編集賞と音響賞の2部門を受賞した。Amazon PrimeVideo配信作品。
緊急事態宣言は今も継続中で、相変わらず大阪では一部の小規模館を除くほとんどの映画館は休館中。観たい映画が全く観られない状況が続いている。ああ映画が観たい。
そんなわけで今回も、私の主義からは本当は利用したくない、ネット配信映画をやむなく観る事にした。
今回鑑賞するのは、前回の「ザ・ライダー」と同じく、Amazonプライム・ビデオで配信中の話題作「サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜」。
この作品、劇場公開なしのネット配信作品であるにも関わらず、米アカデミー賞で作品賞の他、6部門にノミネートされる等高い評価を得ている。その他にも「シカゴ7裁判」をはじめとするNetflix配信作品が数多くノミネートされるなど、もはやネット配信は映画界の主流にすらなりつつあるようだ。コロナ禍におけるステイ・ホーム推進もあり、この傾向はますます強くなるだろう。
ずっと映画館で映画を観て来た映画ファンとしては、複雑な思いである。
(物語)ドラマーのルーベン(リズ・アーメッド)は、恋人ルー(オリビア・クック)とロックバンドを組み、トレーラーハウスでアメリカ各地を巡りながらライブに明け暮れる日々を送っていた。だがある日、ルーベンの耳がほとんど聞こえなくなってしまう。医師からは人工内耳をインプラントする治療法を勧められるが、高額の手術費用がかかるという。その日暮らしのルーベンたちにはとてもそんな費用は捻出出来る訳がなく、ルーベンは自暴自棄に陥るが、ルーに勧められ、ジョー(ポール・レイシー)という男が主宰するろう者の支援コミュニティへの参加を決意する。だが、手話も出来ないルーベンはコミュニティにも馴染めず、孤立感を深めて行く…。
この映画は、音(サウンド)に対する演出が見事であり、音響効果がとても丁寧になされている。“音”自体がもう一つの主役と言ってもいいくらいだ。アカデミー賞で音響賞を受賞したのも当然である。
(以下ネタバレあり)
冒頭からして暗闇の中、不安をかき立てるかのようなノイズィーな不協和音が聞こえている。やがてそれは、ルーベンの相方であり恋人でもある、ギタリスト兼ボーカルのルーによるギター・アンプの調整音だと判るのだが、この出だしからして、“音”には耳障りな要素もある事が強調され、それがラストの巧妙な伏線にもなっているのが秀逸である。
ルーの歌い方も、ほとんど絶叫に近く、それが延々と続く事で、ますます観客にとって耳障り感が増幅される。それも狙いだろう。
シーンは変り、ルーベンたちが住むトレーラーハウス内の朝が描かれる。早く起きたルーベンが朝食の準備をし、出来上がった所でルーを起こす。
幸せそうな二人の様子だが、よく見るとルーの左腕に、無数のリストカットの跡がある。二人がここまで来る道は、決して平たんではなかった事が窺える。
だがある日、ルーベンの聴覚に異常が発生する。周囲の音が聞こえ辛くなり、やがてほとんど聞こえなくなってしまう。
このシーンでは、実際にくぐもった、ほとんど聴き取れない小さな音量が画面から発せられ、まるで観客自身がルーベンの耳の状態を体験しているかのようである。
配信で視聴している時、イヤホンで聴いていたのだが、自分自身が本当に聞こえなくなったのかと錯覚してしまいそうになった。配信作品ならではである。監督がそこまで計算していたなら感服する。
医者の診察を受けると、回復の見込みはないという。しかしインプラント手術を受ければ聞こえるようになるが、手術費用は4万ドルから8万ドル、しかも保険適用外であると聞かされる。とても二人の蓄えでは無理である。
ルーベンは悩み葛藤するが、ルーの強い勧めもあって、聴覚障碍者の支援コミュニティに参加する事を決意する。
コミュニティのリーダーは、かなり年配で自身もろう者のジョー。ジョーはルーベンに、まずスマホを預けるように言う。外部との接触を禁じる為だ。外出も禁止。ルーとメールでの連絡をしたかったルーベンには、これも辛い事だが仕方がない。
こうしてルーベンは、コミュニティでジョーの指導の下、他のろう者との共同生活を始めて行く事となる。
興味深いのは、ここで暮らすの多くのろう者たちは、“聞こえない生活”を不自由とは感じてなくて、この生活を肯定的に受け入れているように見える点である。
食事の時も、手話で楽しそうに会話したり、とても朗らかである。聞こえない事で悩んでいる様子はほとんど感じられない。ここで一生過ごしたって構わないとさえ思っているようだ。
これが本作の重要なポイントである事は、物語が進むにつれて次第に明らかになって行く。
ルーベンは、手話も知らない事もあって、最初の頃は彼らの会話にも入って行けず、コミュニティに馴染めず孤立感を味わう。
だが、ジョーの指導もあって少しづつではあるが手話も覚え、次第にコミュニティ生活にも溶け込んで行く。学校で、子供たちにドラムの叩き方を教えたりもするようになる。ジョーも彼の働きぶりを賞賛する。
だがルーベンは、なんとか手術をしてでも、元の“聞こえる生活”を取り戻したい、ルーと再びライブ活動を行いたいと強く望んでいる。
ジョーや、コミュニティの人たちとの考え方のズレも、少しづつ露わになって行く。
そしてルーベンは遂に、トレーラーも音響機材もすべて売り払って金を作り、インプラント手術を受ける事にする。ルーとの、元の幸福な生活に戻る事を願って。
手術は成功するのだが、インプラント手術とは脳にチップを埋め込み、超小型マイクで拾った音を振動で脳に伝えるといった方式のようだ。決して元の自然な音が聞こえる状態に戻るわけではない。
最初に機材をセットした時には、高い音量で歪んだような不安定な音が聞こえる。むしろ騒音に近いと言っていい。
医者は少しづつボリュームを絞ったり、音量調節を行って、なんとか不快に感じない程度にはなるが、それでも“無機質な機械音”といった感じは否めない。
映画では、耳が聞こえなくなった時と同様、観客もこのルーベンが感じる嫌な機械音を自分の耳で体感出来るようになっている。見事な音響設計である。
この後も、ルーベンがインプラント機材を通して聞く音が、観客の耳にもずっと聞こえる事となる。従って、ルーベンが感じる苛立ちを観客も同体験するわけである。
機械によってとりあえずは聴力を取り戻したルーベンだったが、次第に、これでよかったのだろうかと自問するようになる。
久しぶりにルーと再会しても、彼女の父親(マチュー・アマルリック)から娘を助けてくれたと労いの言葉をかけられても、心は晴れない。
そして、ラスト・シークェンスが特に素晴らしい。街を歩くルーベンの耳に聞こえる音は、ほとんどノイズに近くなっている。ルーベンは苛立つ。
近くの教会からは、鐘の音が聞こえて来るが、ルーベンには、その音がすごく耳障りで不快な音に聞こえている。無論彼と同じ音を聞く我々観客にも。
ルーベンはたまらず、耳につけた装置を外してしまう。次の瞬間、画面からはすべての音が消えてしまい静寂が訪れる。
その無音状態はかなり長く続くのだが、やがてルーベンの表情が次第に穏やかに、むしろ安らぎを得たかのように変って行く。そこで映画は唐突に終わる。
その後ルーベンやルーがどうなったかは描かれないが、おそらくルーベンは、聞こえる事よりも、聞こえない人生を生きる事を選択したのに違いないだろう。
そこで思い出すのが、ルーベンが手術を受け、コミュニティを出て行くとジョーに伝えた時のジョーの言葉である。
「ここの人たちは、耳が聞こえない事を障害だとは思っていない。治す必要もないと思っている。そういう人たちを理解出来ないのなら、すぐにここから出て行ってくれ」。
聞こえる事が幸福だとは限らない。むしろ、聞こえない事で心の平穏を得られる場合だってある。ジョーのコミュニティの人たちは、そうした人生観を得て、今はこの生活を享受いるのだろう。これは考えさせられるテーマである。
そういう意味で、邦題に付け加えられた、「聞こえるということ」というサブタイトルが秀逸である。まさにこの映画は、「聞こえるという事の意味」を問いかけているのである。
ルーベンのラストの表情は、その時のジョーの言った言葉の意味を、改めて理解した故だろう。
素晴らしい、見事な秀作である。感動した。
ルーベンを演じたリズ・アーメッドの演技が見事である。アカデミー主演賞は逃したが、選ばれていてもおかしくはない名演だった。
またジョーを演じた ポール・レイシー(右)もいぶし銀の好演。これまでまったく知らなかったが、舞台、テレビでの芸歴も長いベテラン俳優だそうだ。そして後で知った事だが、レイシーの両親は共に聴覚障碍者であり、物心ついた時から「話す言葉」より先に「手話」を覚えたそうだ。どうりで手話の演技が上手だったわけだ。
本作のダリウス・マーダー監督は、ジョー役のキャスティングで、知名度のある俳優の候補者も挙がる中、本物の手話を使える俳優を求めたという。それが見事に成功している。レイシーもアカデミー賞助演賞にノミネートされたが受賞は逃した。この人も受賞して欲しかった。
さらに、コミュニティのろう者を演じた人たちも、実際のろう者なのだそうだ。
そう考えれば、本作は先般アカデミー作品賞・監督賞を獲った「ノマドランド」との共通性も感じられる。
どちらも、作品の登場人物と同じ境遇にある、実際の人物を俳優として起用している事、登場人物たちが、他人からは不幸に見える生活を、自分たちは不幸と思っておらず、その生活に溶け込んで悠然と生きている点である。
こうした考えさせられる、秀逸なテーマを持った2本の作品が同じ年に登場し、共にアカデミー作品賞や主演賞他、いくつもの賞でノミネートされた事も不思議な縁を感じる。
配信でも、観る事が出来たのは本当に良かった。是非多くの人に観て欲しい秀作である。
なお本作は日本語吹替版だが、オリジナルの音声を十分想起させる、微かに聞こえるセリフ、ノイズのような機械音を巧みに表現している。吹替版を作成した音響スタッフの緻密な仕事ぶりも賞賛に値するだろう。
ただエンディングの、何も聞こえない静寂のシーンは、やはり劇場で体感すべきだろう。自宅で、周囲の雑音が耳に入って来る環境では問題がある。「マンク/Mank」と同様、劇場での公開も是非お願いしたいと要望しておこう。
(採点=★★★★☆)
(追記)
その後本作は、10月1日に無事劇場公開された。
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コメント
(他のノミネート者の映画全部観たわけじゃありませんが)私はアカデミー賞主演男優賞は「ファーザー」のアンソニー・ホプキンスで納得ですかね。
「ペコロスの母に会いにいく」や「長いお別れ」のような日本映画がやるハートウォーミングなのが好みではありますが、「ファーザー」のアンソニー・ホプキンスは確かに素晴らしい。
投稿: タニプロ | 2021年5月23日 (日) 03:30
◆タニプロさん
認知症ものに関心があるので、「ファーザー」是非観たいのですが、大阪では映画館が休館で、どこでも上映してないのですね。早く観たいです。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年5月27日 (木) 21:32