「花嫁会議」 (1956)
緊急事態宣言発令中の大阪では、現在も新作を上映する映画館はほとんど休館中。映画館で映画を観たい私としては、これまで第七芸術劇場、シアターセブン、新世界国際劇場と、上映を続けているマイナーな劇場でなんとか映画を観て来た。
で、今回は、こうした状況でもユニークな番組を組んでいる九条のシネ・ヌーヴォを訪れた。
現在ここでは、「おちょやん」公開記念として「浪花の名女優 浪花千栄子」と題する特集上映を開催中。今回はその1本、昭和31年公開の「花嫁会議」を観る事にした。

(物語)神田で鳶職の組頭をしている生粋の江戸っ子・中西元吉(柳家金語楼)と、サラリーマンの次郎(千秋実)の兄弟はいずれも妻に先立たれ、十年来の男やもめ。ある日元吉は、知り合いの紹介で、大阪からやって来た千代子(浪花千栄子)という女性と見合いをすることになった。だが見合いの席で千代子は大阪の良い所ばかりを語り、東京の事を思いつくまま貶す有様。江戸っ子の元吉はすっかりヘソを曲げるし、千代子の方は元吉が二階に住まわせている訳ありの女・ 由利子(越路吹雪)を元吉の妾と勘違いし、この見合い話は破談寸前となる。一方次郎の家には突然、丹羽為五郎(池部良)という不精ひげの男が現われた。実は次郎の会社の 山ノ内専務(森繁久彌)からしばらく預かるようにと頼まれての事だったが、丹羽は好き勝手に傍若無人の行動を繰り返し、次郎一家は振り回されるばかり。そこに次郎の見合い話や、元吉の娘・雪江(雪村いづみ)や 次郎の娘・ その子(司葉子)らの恋模様も重なって…。
昭和31年の東宝作品で、日本映画が全盛に差し掛かったこの頃は、大手だけでも映画会社が6社あり、どこの社も毎週!2本立て(つまり1社だけで月に8~10本公開)で夥しい数の映画が量産されていた。
この作品もそうしたプログラム・ピクチャーの1本で、併映は名匠・成瀬巳喜男監督の「驟雨」。つまりこちらがメインで本作は添え物。
にも関わらず、この豪華配役陣はどうだ。主演は柳家金語楼、浪花千栄子だが、助演陣にも男優で森繁久彌、小林桂樹、小泉博、池部良、女優では司葉子、岡田茉莉子といずれも主演級の役者が揃い、その他にも上に挙げた千秋実、三木のり平、雪村いづみ、越路吹雪といった人たち以外にも、藤原釜足、久慈あさみ、清川虹子と錚々たる顔ぶれ。そしてラストにはある大物俳優がワンシーン、カメオ出演といった具合に、なんとも贅沢なキャスティングである。
こんな準オールスターと言っていい俳優が揃った作品が、上映時間が90分にも満たない添え物のB級映画扱いなのだから、いかに当時の日本映画が、時代を謳歌する活況ぶりを呈していたかが窺い知れるだろう。
お話は他愛ない。金語楼扮する江戸っ子の鳶職組頭の男・元吉と、浪花千栄子扮する大阪からやって来た女・千代子との見合い話をメインに、元吉の弟でやはり男やもめの次郎の縁談、元吉の娘・雪江と元吉の弟子・米太郎(小林桂樹)、次郎の娘・その子と放送局のアナウンサー・横山(小泉博)らのそれぞれの恋模様が絡み、紆余曲折の末にそれぞれの結婚話がまとまるというハッピー・エンドで物語は終わる。
雪村いずみと越路吹雪は劇中でそれぞれ2~3曲ほど歌う。これもプログラム・ピクチャーらしいサービス。元アナウンサーだった小泉博が放送局のアナウンサー役だったり(豚の子が15匹産まれたというニュースを読み上げてるのがおかしい)、髭モジャ、ボサボサ頭の丹羽(池部良)が三木のり平扮する床屋に、どんな髪型が希望かと聞かれて指差したモデルの写真が池部良だったりといった楽屋落ちギャグが楽しい。
しかし何と言っても楽しいのが、チャキチャキの江戸っ子の元吉と、生粋の浪花女・千代子とのやり取りである。二人とも芸達者だけに、元吉の江戸っ子らしい闊達な話しぶりと、千代子のおっとりとした関西弁との会話の間合い、テンポのズレがなんともおかしいし、千代子が、生まれは曽根崎心中でお馴染みの曽根崎という所から始まって、天神祭りの華やかさ等、大阪の良さを延々と喋り、それに引き換え東京は騒々しいとかどことのうセワしないとか欠点ばかり述べ立てるので、元吉がだんだんと不機嫌になって行く辺りも笑える。
そして圧巻が、千代子が帰った後、元吉が次郎に、「何が天神祭りだ、こっちには神田祭りがあらあ」とまくし立て、ピーヒャラ、ドンドンツクツクとお囃子を口真似で延々とぶつ所。
ワンカット長回し撮影によるこの金語楼の名調子はなかなかの聴きものである。「もういい加減に」と言う次郎に、「なにがいい加減だ、風呂の湯かげんじゃあるまいし」と返す、まるでフーテンの寅さんを思わせるような元吉の立て板に水のマシンガントークもおかしい。
浪花千栄子の関西弁の話しぶりも絶品だ。大阪に住む人間としては、聞いているだけで心が安らぐ。本当にうまい役者だ。
こういう、芸達者な名優たちの演技合戦は、まるで人間国宝級の噺家の落語を聞いているような至福感、味わいがある。そんな名人級の役者、芸能人もほとんどいなくなった。
お話は後半、あの髭モジャ、傍若無人男の丹羽が、実は有能な設計技師で、彼の設計が建設省のダム建設事業に採用された事が分かると、それまでなんとか追い出そうとしていた次郎一家が手のひら返しでご機嫌を窺い出す辺りも笑えるし、そんな事情を知らない次郎の妹・由子(久慈あさみ)が丹羽に文句を言おうとするのをその子たちが押し留める、行き違いのズレもおかしい。
結局スッタモンダの末に、元吉と千代子の結婚もまとまり、丹羽と由子のカップルも含めた5組の縁談が一度に決まってしまうオチとなる。
その全員の記念写真の場で、カメラマンの助手を演じているのが上原謙。クレジットにもないカメオ出演である。
当時、娯楽の王様と言われた日本映画の好調ぶりを示す、楽しくて観た後いい気分になれるウエルメイドなプログラム・ピクチャーの良作である。
こんな楽しい映画が、1つの映画会社だけでも1週間に2本のハイペースで次々と量産されていたのだから凄い。
監督の青柳信雄はB級映画専門の職人監督だが、フィルモグラフィーを見てみると、なんとこの年、15本!もの作品の監督を勤めている。一度に前後編の2本を纏めて撮っているものもあるが、それにしても信じられない超人ぶりである。ギネス級である。多分監督もスタッフも、連日徹夜続きなのだろう。それが当時の日本映画の実態だったのである。
それにしても驚いたのが、観客の入りが、残りの空席があと数人分しかない、ほぼ満席状態だった事である。密を避ける為に、中心部分に1席ごとに空ける箇所があったにせよである。私は遅く入ったので席が残り僅か、やっと最前列に座ったが、その列でも空席は2、3くらいだった。
やはり、映画館で映画を観たいと思う人がこんなにいるという事の表れだろう。
その上、笑えるシーンになると観客の笑い声が場内に響く。そう言えば昔の観客はよく笑ったり拍手していたものだ。映画館で笑い声を聞くのも何年ぶりだろうか。
コロナ禍だからこそ、みんな心から楽しめる娯楽に飢えているのだろう。そう思うと、なんか胸が熱くなった。
6月1日からは、もしかしたら土日祝日を除いて、一般映画館の上映が再開されるかも知れないと聞く。早く新作を劇場で見れる日が来る事を、切に望みたい。 (採点=★★★★)
(付記)
観終わってからしばらく経って、よく思い返してみると、元吉と次郎の元妻は、いずれも10年前に亡くなっているという話だった。
二人の愛妻が、同じ頃に亡くなっているというのはどうしてだろうと思ったが、考えれば本作の製作は1955年(公開は1956年の正月)。
つまり10年前の1945年は、太平洋戦争が終戦を迎えた年なのである。そう考えると、二人の妻は、東京の空襲で亡くなったと考えるのが自然である。
そう言えば終盤になって、元吉の家の二階に間借りしている越路吹雪扮する由利子には夫がおり、戦後もずっと抑留(おそらくシベリア)されていて、やっと帰国し、再会する事が出来たという話が出て来る。
つまりは本作は、単なるコメディに留まらず、背景には、10年前の戦争の爪痕が深い影を落としているのである。そこに思い至って、悄然となった。
思えば、あのSF映画にして、痛切な戦争への怒りも込められた「ゴジラ」が公開されたのは、本作公開のわずか1年ちょっと前なのである。
他愛ないB級コメディと笑ってばかりはいられない。多分公開当時は、笑いながらもそうした戦争の影を感じながら観ていた人も多かったのではと思う。
今、この映画を観る人は、そういった事も頭に入れながら鑑賞して欲しいと思う。映画は、“時代を映す鏡”なのである。
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