「茜色に焼かれる」
(物語)7年前、理不尽な交通事故で夫・陽一(オダギリジョー)を亡くした田中良子(尾野真千子)は、一人で中学生の息子・純平(和田庵)を育て、夫への賠償金は受け取らず、施設に入院している義父の面倒もみている。だがコロナ禍により経営していたカフェが破綻し、花屋のバイトと夜の仕事の掛け持ちでなんとか生計を立てていたが、それでも家計は苦しく、その上母が風俗で働いている事が同級生に知られて純平は酷い苛めに会っている。哀しみと怒りを心に秘めながらも、良子はわが子に溢れんばかりの愛を注ぎ、強い信念を持って生きて行く…。
石井裕也監督は、出世作「川の底からこんにちは」(2009)以来、自らの脚本で、困難な状況にあっても、力強く、逞しく生きる人々に焦点を当てた作品を作り続けている。
最果タヒの詩集を元にした「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」でもその姿勢はブレない。
本作もまたそんな作品である。
だが異色なのは、本作には新型コロナウイルスが蔓延し、人々の生活様式が一変してしまった今の時代の状況がつぶさに取り入れられている。
映画が時代の状況を取り入れるというのは珍しい事ではない。東日本大震災の直後には、それをテーマにした作品や、ドラマの中に震災被害に遭った人を登場させたりした作品も多くあった。
だがこれまでは、コロナ禍の生活状況を物語に取り入れた作品はほとんどなかった。登場人物がマスクをしている事もまったくと言っていいほどない。
まあフィクションであるドラマの世界に、これをどう取り入れていいか迷っているのかも知れない。先が読めないからである。
特に映画の場合、撮影されてから公開までに1~2年くらいの時間があるのが当たり前で、公開された頃にはコロナが収まってるかも知れない。事実、昨年の今頃は、1年後には終息しているだろうとも言われていた。だからコロナを映画で描く事はかなりの冒険である。
撮影が行われたのは昨年の8月末から9月末にかけて。それで公開が今年5月だから完成までにかなりの早さである。
幸か不幸か、ちょうど公開時期が3度目の緊急事態宣言の真っ只中(5月21日封切)。そして6月1日には宣言地域でも平日の上映が可能になった。
公開予定がもう少し早かったら上映延期に見舞われていたかも知れない。まさにコロナ禍真っ只中での絶妙のタイミングである。
(以下ネタバレあり)
映画の中では、道行く人はほとんど皆マスクをしているし、会話に「コロナ」という言葉が頻繁に登場するし、飲食店ではアクリル板が設置され、学校での教師と親との懇談でもソーシャル・ディスタンスが取られている。まさに、今のコロナ禍の状況がリアルに描かれている。
しかし、コロナは単なる物語の点景だけに終わってはいない。良子が経営していた小さなカフェは、コロナの影響で潰れてしまうし、非正規雇用の女性たちはモロに影響を受けて働く場所がなくなっている。
コロナ禍はそうした、低所得層、貧困層がますます困難な立場に追いやられるこの国の社会基盤の弱さ、政策の貧困さを炙り出したと言えるだろう。本作はそこをかなり痛烈に描いている。
そして映画が描くのは、コロナだけではない。良子の夫・陽一は2年前に池袋で起きた暴走事故を想起させる、老人が運転する車によって轢き殺されてしまい、しかも運転していた元高級官僚の老人は認知症だった事で罪にも問われなかった。理不尽である。
さらに良子の息子の純平は学校で執拗な苛めに会っているし、良子が夜働く風俗店では、男性客があからさまに女性を性の道具として奴隷のように扱っている。女性を一段下に見る風潮は今の時代も根強く残っている。彼女が昼間働くホームセンターでは、あからさまな雇い止めが行われ、良子は失職する事となる。
映画は、こうした政治の貧困、差別、格差、弱い者を痛めつける人間の愚かしさといったさまざまな社会の歪みを描き、問題を提起している。やや盛り沢山すぎる気がしないでもないが、こうした理不尽な状況が、コロナ禍を契機にさらに増大していると言われる今の時代風潮に対する、これは石井監督なりの怒りの表現なのだろう。
しかし、そんな中にあっても良子は風俗店の同僚・ケイ(片山友希)や純平に対して、いつも明るく「まあ頑張りましょう」と言う。
不幸な環境にあっても、前を向いて歩こうとする良子の生き方に、ちょっと救われる。
この、良子という人物のキャラクターが面白い。変り者と言えるかも知れない。
夫を死なせた加害者が支払おうとした賠償金を、「謝罪の言葉が一言もなかった」という理由で受け取りを拒否してしまう。しかしその加害者が亡くなると、その葬儀に平然と出席しようとする。先方も真意を計りかねている。
また、義父(つまり陽一の父)の老人ホームの入居費(月額16万5000円)や、陽一が浮気して別の女性との間に作った娘の養育費(月7万円)まで面倒を見ている。そこまでする必要はないと思えるのに。それほど金が入用なのに賠償金は受け取らない。変っている。
しかしそんな良子の生き方から見えて来るのは、時流に流されまい、自分がこうと決めたやり方を意地でも通し続けようとする、強い意志である。
コロナ禍で失職したり、生活苦に追いやられたり、仕事をしていても営業自粛や休業要請で収入が激減したりで、心が折れ、生きる意欲も失いかけている人が世の中には多くいる。
そんな人たちに対して石井監督は、“どんなに生活が苦しくても、過酷な状況に追い詰められても、それでも常に前を向いて明るく、「まあ頑張りましょう」と周囲の人たちに声をかけ、強く生きようとする良子の姿を見て、元気を取り戻して欲しい”という祈りにも似た思いを、この作品に込めたのではないかと思う。
良子も内心では、深い絶望と悲しみを抱えているのかも知れない。表に見える明るくポジティヴな振る舞いは、実は演技なのかも知れない。
そこで冒頭の字幕「田中良子は芝居が得意だ」という言葉が生きて来る。元々舞台女優だった良子は、自分の内面を偽る事にも長けていたのだろう。
演技でもいい、自分が強く生きようとする姿を見せる事で、少しでも多くの人がポジティヴな気持ちを持ってくれたらそれでいいと思っているのかも知れない。
ラストで、良子が一人芝居で鬼気迫る演技を見せるのは、それまで抑えていた心の叫び、内心の怒りを思い切りぶつけているのだろう。そう考えると十分納得出来る終わり方である。
確かな演技力を持つ尾野真千子の作品歴の中でも、これはベストに入る名演であろう。本年度の主演女優賞は当確である。
ケイを演じた片山友希もいい。インシュリンを打ち続けなければ生きられない身体であるのに、彼女もまた精一杯生きようとする。総じて女たちの生きる意欲、生命力の強さに感動させられる。
それに対して、登場する男たちは永瀬正敏演じる風俗店店長を除いて、ことごとくゲスで卑怯でいいかげんである(笑)。それによって余計女たちが輝いて見えるのも計算の上だろう。
石井監督の、コロナ禍を大胆に取り入れたチャレンジは見事成功している。製作を開始した頃は、公開される時期にコロナ禍が続いているかどうか分からなかったはずなのに、これ以上ない絶妙のタイミングでの公開となった。石井監督にとってはまことに幸運だったと言えるだろう。
本当は今頃はコロナが収まっていて欲しかったのだが。
私が観た日は6月に入って早々という事もあって、映画を劇場で観たいという観客が押し寄せたのだろう、座席が半分使用禁止という事もあるが、なんとほぼ満席だった。
しかも観客は全員マスクをしている。映画の中の登場人物も、客席も、みんなマスク姿というのは、なんとも不思議な光景である(笑)。
コロナ禍の今こそ観るべき、素敵な秀作である。
(採点=★★★★☆)
(付記)
本作にゼネラルプロデューサーとして製作に関わったのが、スターサンズの代表、河村光庸氏である。共同配給も行っている。
河村氏と言えば、「かぞくのくに」、「新聞記者」、「宮本から君へ」、「MOTHER マザー」、そして本年の秀作「ヤクザと家族 The Family」と、常に優れた話題作、問題作を製作して来た名プロデューサーである。
本作もまた素晴らしい秀作となった。河村氏の製作意欲、作品を選ぶ眼力には敬服するばかりである。スターサンズ配給作品にハズレはないと断言しておきたい。
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コメント
尾野真千子をあて書きしたかのように、はまり役でした。辛さの中、彼女が主役で救われる部分が大きい。上映館が少ないのが残念です。
投稿: 自称歴史家 | 2021年6月21日 (月) 11:41
いや、大変な傑作ですよ。「ヤクザと家族」なんか、遥かに超えてます。時代を捉えた重要作です。いまのところ日本映画では「すばらしき世界」とこれが突出してます。
東日本大震災の後、園子温がさっそく関連映画を二作品、金子修介もやってましたが、あれらより遥かに完成度が高いです。
キネマ旬報読者の映画評に出しました。載るかな。
すみません。Twitterへのリンクは覚えましたが、相変わらずトラックバックがわかりません。
私のレビューです。
https://tanipro.exblog.jp/28659017/
投稿: タニプロ | 2021年6月22日 (火) 06:05
◆自称歴史家さん
大阪ではもう上映が終わってしまいました。よく観客が入っていたのに残念ですね。是非どこか小さな劇場でもいいですから、上映続けて欲しいと思います。
◆タニプロさん
「読者の映画評」掲載されたら是非読ませていただきます。それより先に、全文読みたいですね(笑)。
それと貴ブログのUR、リンク集に掲載させていただきました。よろしく。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年6月22日 (火) 19:03