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2021年6月 5日 (土)

「ファーザー」

The-father 2020年・イギリス・フランス合作   97分
製作:F Comme Film=Cine@=FILM4
配給:ショウゲート
原題:The Father
監督:フロリアン・ゼレール
原作:フロリアン・ゼレール
脚本:クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール
撮影:ベン・スミサード
音楽:ルドビコ・エイナウディ 
製作:デビッド・パーフィット、ジャン=ルイ・リビ、クリストフ・スパドーヌ、サイモン・フレンド

世界30カ国以上で上演された、認知症をテーマとした舞台劇「Le Pere 父」を、原作戯曲を手がけたフロリアン・ゼレールが自ら長編初監督作として完成させた人間ドラマ。主演は「羊たちの沈黙」以来、2度目のアカデミー主演男優賞を受賞した名優アンソニー・ホプキンス。共演は「女王陛下のお気に入り」のオリビア・コールマン、「ビバリウム」のイモージェン・プーツ。第93回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞、助演女優賞など計6部門にノミネート、ホプキンスの主演男優賞のほか、脚色賞を受賞した。

緊急事態宣言は延長されたが、6月1日からは制限緩和により、これまで休業を続けていた映画館がすべて営業を再開する事となった。
映画館主義の私としては本当にホッとした。ただし平日は午後8時まで、土日祝日は休業と、完全な形での再開はまだ先になるが。

で、早速前から観たかった「ファーザー」を鑑賞する事に。

(物語)ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、認知症によって記憶が薄れかけていたが、自分では症状を認識しておらず、娘のアン(オリヴィア・コールマン)が手配した介護人を拒否していた。そんなある日、アンソニーはアンから、新しい恋人とパリで暮らすと告げられ、動揺する。ところが別の日、アンと結婚して10年以上になると語る見知らぬ男がアンソニーの自宅に突然現れ、ここが自分とアンの家だと主張する。アンソニーにはもうひとつ気がかりなことがあった。もう一人の娘、ルーシーの姿がどこにも見当たらない。現実と幻想の境界が曖昧になって行く中、アンソニーはついにある“真実”にたどり着く…。

“認知症”ものというジャンルはすっかり映画の世界に定着し、いろんなバリエーションも増えているが、本作はこれまでにない、なんともユニークな作品に仕上がっている。

これまでの認知症ものは、ほとんどが家族や第三者の眼から、認知症老人を客観的に捉えた作品が多かった。「愛、アムール」のように老夫婦二人の生活ぶりに焦点を当てた作品でも、カメラは二人を客観的に見つめるだけである。

だが本作では、アンソニー・ホプキンス演じる認知症老人の主観映像がかなりの部分を占めている。よって、どこまでが現実で、どこからがアンソニーの妄想なのか判別がつかない。
よって観客自身も、アンソニー同様、混乱させられる事となる。

(以下ネタバレあり)

認知症老人の目から見た主観映像、という描写はこれまでにも、例えば日本映画でも「恍惚の人」(1973・豊田四郎監督)の終盤で、森繁久彌扮するボケ老人(当時は認知症と言う言葉はなかった)の主観で、雨の中、目の前の風景がボヤけたり歪んだりして主人公が混乱する様が描かれていたし、ジュリアン・ムーア主演「アリスのままで」(2014)にも、老人ではないが若年性アルツハイマーを患った女性の主観映像が登場していた。
しかし本作のように、物語の最初から最後まで、主人公の主観映像(それも混乱した記憶に基づくフェイク映像が混じる)が大半を占める映画は初めてではないだろうか。

そしてもう一つのユニークな点は、現実とアンソニーの脳内の妄想とが判別がつかない事によって、謎めいた不条理的な状況が生まれ、それが物語に一種のサスペンス的な雰囲気をもたらしている点である。

例えばある朝起きてみると、家の中にポールと名乗る男がおり、自分はアンの夫だと言う。だがアンソニーの知っているポールとは違う、知らない男である。
さらに、買い物から帰ったアンの顔も、アンソニーが知るアン(オリヴィア・コールマン)とは違っていた。そしてポールの姿もいつの間にか消えていた。

主人公が認知症であるという情報を知っている観客なら、これはアンソニーの混乱した記憶が生み出した妄想であろう事は察しが付くが、予備知識なしで本作を観たなら、これは不可解な謎であり、ミステリーである。
私はあるサスペンス映画の秀作を思い出した。これについては後述する。

以後も、アンソニーが自分のフラット(マンションのようなものか)だと思っていたこの部屋の家具等の配置がいつの間にか変っていたり、自分が可愛がっていた次女のルーシーが描いた大切な絵画が消えていたりと、アンソニーにとってこれも不可解な事が次々と起こる。誰かが-もしかしたら娘夫婦が-自分が大事にして来たものを知らないうちに処分したのではないかと疑心暗鬼になる。

主人公の周囲で不可解な事が次々と起こり、家族さえも疑いだしたりして精神的にナーヴァスになり、追い詰められて行く…という展開もサスペンス映画ではよくあるパターン(例えば「ローズマリーの赤ちゃん」等)である。
こうして見ると、本作は過去のミステリーやサスペンス映画の手法を巧みに応用しているフシが窺える。

他にも、アンソニーの主観で、いくつもの謎が呈示されて行く。愛すべき次女のルーシーは何故現れないのか、新しい介護士のローラがルーシーと似ているのは何故なのか。そして時々現れるもう一人のポールは何故アンソニーに辛く当り、時に平手打ち等の暴力を振るうのか…。

無論、それらは認知症であるアンソニーの記憶の混乱、あるいは潜在意識がもたらした妄想がほとんどなのだが、そうしたいくつもの謎が伏線となって、やがて最後に、アンソニーが今いる場所、妄想に登場する人物の本当の姿、等の真実が明らかになるという結末も、最後に至ってすべての真相が明かされる、謎解きミステリーを思わせる。


本作は勿論、ミステリー・ドラマではないが、原作者であり監督のフロリアン・ゼレールは、こうしたミステリーの手法を巧みに応用する事によって、認知症患者の頭の中は、不可解で不条理な出来事に翻弄され、絶望的な孤独を抱えているであろう事を十分我々に納得させると共に、主観映像を多用する事によって、その脳内の混乱の状況を、我々観客にも体験させようとしているのだろう。それは見事に成功している。

アカデミー賞俳優の共演はさすがに見応えがあるが、とりわけアンソニー・ホプキンスの演技は素晴らしい。鬼気迫る名演と言える。特にラストの、「ママに会いたい」と言って介護士のキャサリンの膝で泣き崩れるシーンには圧倒された。アカデミー主演男優賞を獲得したのも納得である。

私事になるが、私の両親も、二人ともそれぞれ認知症、アルツハイマーを患っていて、介護にクタクタになった事もあった。特に父は頑固な性格で、アンソニーと同様に「まだ他人の世話にはならん」とケースワーカーの世話を断ったりしていた。なのでアンソニーに父の姿が重なって見え、余計泣けた。

我々だって、いつ認知症になるかも知れない。もしなってしまったら、その心の中はどんなに不安に苛まれているか、それは本人にしか分からないだろう。年老いた両親を持つ人、既に認知症になった親を持つ人はこの映画を観て、少しでも当人の心の内を推し量り、優しい心を持って介護に当って欲しいと願う。

認知症映画に、また新しい傑作が誕生した。本年度のマイ・ベスト3に入る秀作である。お奨め。(採点=★★★★★

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なお、私が観た劇場では、1つ置きに席を空ける方式であるとは言え、渋い内容の作品であるにも関わらず、場内は9割がた席が埋まっていた。やはり劇場で映画を観たい人が大勢いる証しだろう。
本当に、劇場で映画を観られないという悲しい状況は、今度こそ絶対に起こさないで欲しいと強く要望しておきたい。

 

(さて、お楽しみはココからだ)

前述の、見知らぬ男がアンソニーの家に突然現れ、彼の身内(妻の夫ポール)だと言って居座る、というエピソード。

これとよく似たお話のサスペンス映画がある。

Chaseacrookedshadow 「生きていた男」(1958・マイケル・アンダーソン監督) という邦題の映画で、川本三郎さんが著書「サスペンス映画ここにあり」で紹介している他、多くのサスペンス映画ファンがこぞって褒めている秀作である。
私も前から観たかった映画だが、最近TSUTAYAの復刻シネマライブラリーでレンタル・リリースされ、早速レンタルして観たばかり。面白かった。いずれ機会があれば紹介したい。

この映画も、冒頭、主人公キム(アン・バクスター)の家に見知らぬ男が現れ、キムが「あなたは誰?」と問うと、「俺だよ、ワードさ、お前の兄貴だ」と言う。
キムは「兄は昨年死んだはず。あなたはワードじゃない」と言って追い返そうとするが、男は家の中に入り込み、出て行こうとしない。

キムは警察を呼ぶが、男が持っている身分証はワード本人である事を証明しており、その後も、兄である証拠が次々と出て来る。
遂には、キムの叔父さんまでもが男を、自分の甥だと言う。

ここまで来ると、観客は、もしかしたらキムの方が精神的な病で兄を忘れてしまったのかも知れないと疑ってしまうだろう。

ラストにあっと驚く結末が待っているが、ミステリーなのでここでは書かない。とにかくよく出来ている。

フロリアン・ゼレール監督、ひょっとしたらこの作品を見ていてヒントにしたのかも知れない。

 

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コメント

「ファーザー」私も好きですが、私とは観方が全然違いますね(^◇^;)私のブログでのレビューです。noteからブログに引っ越して、Facebookに書いたのをベタベタとコピペしてるのですが、トラックバックのやり方がまだわかりません。URL貼らさせてください。

なお、別件ですが、発売中のキネマ旬報に、首相官邸前デモに行った後に応じた取材コメントが少しだけ載ってます。良かったらご一読ください。名前、間違ってますけどね。わざわざ名前間違えて申し訳ありませんとメールが来ました。

https://tanipro.exblog.jp/28609235/

投稿: タニプロ | 2021年6月 7日 (月) 02:06

◆タニプロさん
ブログまた始められたのですね。やっぱりブログの方が読みやすいです。よければリンク集に登録させてください。
私これまでも書いてますが、映画の感想は人それぞれ、いろんな見方があっていいと思いますし、私の場合、特に違った視点から見るようにしてますので。
特にこの作品、人によっていろんな見方が出来る作品のようですね。私と同じように“サスペンス映画”的見方をする人も結構います。「密室心理サスペンス」とか、「ホラー」だと言ってる人までいます(笑)。そういう、多面的な要素を持っている所も、この作品の優れた点だと思いますね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2021年6月 8日 (火) 14:29

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