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2021年6月12日 (土)

「映画大好きポンポさん」

Pompothecinephil 2021年・日本    90分
制作:CLAP
配給:角川ANIMATION
監督:平尾隆之
原作:杉谷庄吾【人間プラモ】
脚本:平尾隆之
キャラクターデザイン:足立慎吾
演出:居村健治
制作プロデューサー:松尾亮一郎

杉谷庄吾【人間プラモ】原作の人気漫画を劇場アニメ化。監督・脚本は「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」の平尾隆之。声の出演は「ホットギミック ガールミーツボーイ」の清水尋也、「スター☆トゥインクルプリキュア」の小原好美、「犬鳴村」の大谷凜香など。

(物語)大物映画プロデューサーの孫で、敏腕映画プロデューサーのポンポさん(声:小原好美)の下で製作アシスタントを務める青年ジーン(声:清水尋也)は、観た映画をすべて記憶している映画通。映画監督になる事にも憧れていたが、自分には無理だと諦めかけていた。そんな折ジーンは、ポンポさんに15秒CMを任される。これに懸命に取り組んだジーンはポンポさんに認められ、ポンポさんが脚本を書き、伝説の俳優マーティン・ブラドッグ(声:大塚明夫)の復帰作として制作する映画「MEISTER」の監督に抜擢される。天にも登る気持ちのジーンだったが、撮影に入るや、失敗できないという強いプレッシャーがジーンの心を苛んで…。

原作コミックの事は全然知らないし、ポスターの絵柄、特に主人公ポンポさんの目が大きいアニメ顔からして子供向けアニメを想像してたし、映画館が長期休業だった事もあって観たい映画はいっぱいあり、それやこれやで最初はまったく食指は動かなかった。
しかし、題名の「映画大好き…」に少しだけ興味が湧いたし、観た人の評判が良さそうなので、あまり期待しないで観る事にした。

ところが、なんと予想をはるかに上回る秀作だった。映画愛、映画作りへの情熱が全編に躍動し、画面から目を離せなくなり、最後は感動してしまった。映画はやはり観てみないと分からない。映画ファンなら必見である。“子供向けアニメかと思ったら、大人が感動出来る秀作だった”と言う点ではあの「若おかみは小学生」を思い起こさせる。

(以下ネタバレあり)

タイトルロールのポンポさんとは、ある大物映画プロデューサーの孫で、自身も敏腕映画プロデューサーとして多くの映画を製作して来た女性。…が、これまで作って来た映画は、タコやカニの巨大怪獣が暴れたり、ムチムチ美女が活躍するアクション映画などで、どちらかと言えばロジャー・コーマンのようなB級映画専門(笑)プロデューサーのようだ。
Pompothecinephile3 略歴を聞くと、相当の年齢になっているように思えるが、画面に登場するポンポさん(フルネームはジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネットと長い)はどう見てもアイドル系アニメに登場するような少女(子供?)である。

伝説の大物映画プロデューサーである祖父の威光、あるいは血筋を受け継いだにしても、それで若い少女がこの業界で成功するほど甘くない。
もしかしたら名探偵コナンのように、姿は子供でも、中身はある程度の年齢の大人かも?自分で脚本も書くそうだし。まあアニメだからこそ許される範囲だろう。

Pompothecinephil4 ただし、物語の主人公はポンポさんではなく、その下で製作アシスタントを務める若者ジーン・フィニである。彼は映画が大好きで(タイトルはむしろ「映画大好きジーンくん」の方が合ってる気がする)、観た映画を全部記憶に留め、かつ撮影現場で学んだ技術や手法をノートに記録している。そしていつかは自分も映画を作りたいと思っている。
しかし性格的には気弱で、自分には無理だとも自覚している。まあ顔からして気弱そうだ。

そんなジーンに何かを感じ取ったポンポさんは、彼に15秒CM(映画の特報のようなものか)制作を任せる。そして出来上がったCMを見て、自分で脚本を書き上げた新作「MEISTER」の監督にジーンを抜擢する。
ストーリーも、これまで作って来たB級娯楽映画ではなく、“挫折した名指揮者が、休養先で出会った少女との交流を経て立ち直り、再び第一線に帰り咲くまで”を描く、シリアスな感動作である。
名指揮者役には、10年前に映画界を引退していた伝説の名優マーティン・ブラドッグを、そして相手役の少女には無名の新人女優、ナタリー・ウッドワード(声:大谷凜香)を抜擢する。

監督を任されたジーンは、映画監督になりたいという自分の夢が叶った事に半信半疑だったが、ポンポさんの映画に賭ける熱い情熱に突き動かされ、自分が学んだすべての映画制作ノウハウを注ぎ込んでこの映画を完成させようと意気込む。

撮影クルーはロケ先のスイスに飛び、ジーンは現場スタッフやナタリーらの意見、アドバイスも採用する等して撮影は順調に進み、やがてすべての撮影は終了する。

ここまでなら、これまでにもあった、例えばフランソワ・トリュフォー監督「アメリカの夜」、山田洋次監督「キネマの天地」、深作欣二監督「蒲田行進曲」といった、“映画撮影の現場を描いた映画”と同工異曲であり、新味はない。どの映画も、クランクアップでほぼ映画は終わっていた

ところが、この映画が素晴らしいのはここからである。数十時間にも及ぶ膨大な撮影済カットを元に、ジーンは編集作業を開始するのだが、ここでジーンは壁に突き当たってしまう。

ポンポさんは、「映画は90分以内でないとつまらない」が口ぐせで、それは祖父に「ニュー・シネマ・パラダイス」などの長時間映画を嫌と言うほど見せられて、それ以来自分の作る映画は90分以内と決めている。B級映画ばかり作って来たのもその主義に基づくのだろう。

それを聞いていたジーンは、なんとかこの映画を90分に収めようと悪戦苦闘する。せっかく思いを込めて撮影した重要なシーンも、泣く泣くカットする。
この編集シーンが、マルチ分割スクリーンを多用したり、ジーンが大きな刃物を持ってフィルムをぶった切るシーンがあったりと、ケレン味のある演出で面白い。

ジーンは次第に追い詰められて行く。心身をすり減らし、精も魂も尽き果てて行く。それでも寝る間も惜しんで編集作業に没頭する。

最初は自分が懸命に演技した大事なシーンもばっさりカットされて不満を抱いていたナタリーも、ジーンの必死の作業ぶりに心を打たれ、迷っているジーンの横で決然と「DELETE」ボタンを押す所では感動してしまった。

そして編集の過程で、どうしても脚本にないシーンが必要と考えるに至ったジーンは、ポンポさんに追加撮影をしたいと願い出る。
だがポンポさんは、既に撮影スタッフは解散して別の撮影に従事しているし、セットの組み直し、出演俳優の呼び戻し、そして予算も大幅に増加するといった諸問題が発生するので追加撮影は出来ないと言う。プロデューサーとしては当然だろう。

そうしているうちに完成は遅れ、スポンサーも手を引いて製作資金は底を尽き、ポンポさんのプロダクションの存在すら危うくなってしまう。

そんな時、ジーンの友人で今は銀行に勤めるアランが、ジーンの窮地を救うべく、融資会議でプレゼンを行って、奇策を使って映画の製作資金融資を認めさせ、そのおかげでジーンの映画は遂に完成する。そして映画は絶賛を浴び、アカデミー賞ならぬニャカデミー賞で作品賞、監督賞を受賞してジーンは一流映画監督として認められる事となる。

このくだり、ややご都合主義的に見えなくもないが、まあ絶体絶命のピンチから大逆転は娯楽映画の王道だし、映画全体はよく出来ているので大目に見よう。


それにしても、“編集の大事さ”をこれほど時間をかけて丁寧に、真摯に描いた映画は初めてではないだろうか。それが実写映画ではなく、アニメーションに登場するのだから前代未聞である。トリュフォーでも、山田洋次ですらもそこまでは描かなかった。

そもそもアニメは、まず絵コンテを仕上げ、そのコンテ通りにアニメートして行くのだから、何十時間もの撮影済カットが存在するはずがない。

実写映画は、複数台のカメラで同時撮影を行ったり、違うアングルから何度も撮り直したりするので撮影済カットはどうしても多くなる。それを編集作業で、無駄なシーンは捨て、一番いいカットを選んだり、冗長になりそうなシーンは細かくカットを割って切り詰めたりし、それでも時間が長くなると更に何カットか削除する事もある。それほど、編集は映画の命をも左右する重要な作業なのである。
本作の脚本・監督の平尾隆之は、その事がよく分かっているのだろう。アニメ作家なのにそれを熟知しているのが凄い。
ちなみに、この編集作業シークェンスは原作にはなく、映画オリジナルだそうである。


映画は、単に映画を作りたい人(特に監督)を中心に、脚本を作り、俳優を集め、監督が演出し、カメラマンが撮影して終りではない。プロデューサーが全体を統括し、製作資金を調達し、撮影後の編集作業も重要である。
本作は、前半で撮影プロセスを描き、中盤で編集作業の難しさ、そして終盤では製作資金集めの困難さといった具合に、映画製作の上での重要なポイントを一つづつ丁寧に描いている。映画作りに携わる人であるなら感銘を覚えるであろう。

ポンポさんのアニメキャラから受けるイメージからは想像もつかない、実にハードな物語であった。


そしてもっと重要なのは、ここには人間の人生においても重要な教訓、メッセージも込められている。

編集とは、何を残し、何を捨てるかの選択である。何かを残そうとすれば、何かを、大切な物でも思い切って捨てなければならない。それは人生においても言える。

映画愛は人一倍あるが、他人とのコミュニケーションが苦手で暗い表情をしていたジーンが、映画製作の過程でさまざまな人たちと触れ合い、助けられ、また悩み、苦闘しながら人間的に成長して行く。それは作中で作られる映画「MEISTER」の孤高のアーティストである主人公の苦悩ともオーバーラップしている。
人は誰も、一人では生きられない。大勢の人の、陰ながらの助力があってこそ成長し、生きて行けるのである。

ポンポさんの語る言葉も、どれも重みがある。ポスターにもある「幸福は創造の敵」は、満たされている人間には本当にいいものは作れない、ハングリーな状況、追い詰められ、絶望の淵にあってこそ、いい物が生まれる、という意味だろう。
「感動的なもので泣かすよりも、馬鹿らしいもので泣かす方がカッコいい」というセリフも、わが敬愛するB級映画の帝王、鈴木則文監督が言いそうだ(笑)。

平尾隆之監督の演出は、前述のように分割スクリーンや時間巻き戻しといった技巧を駆使して早いテンポで進み、かなり込み入った話なのに、ポンポさんの主義通りわずか90分の上映時間に収めているのが見事。今後の活躍が期待出来そうだ。

アニメだからと言って侮るなかれ。映画ファンには絶対お奨めの、映画愛に満ちた感動の秀作である。 (採点=★★★★☆

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(付記)
新人女優ナタリーのフルネームは、ナタリー・ウッドワード。映画ファンなら、「ウエスト・サイド物語」「草原の輝き」等の主演女優、ナタリー・ウッドを思い出すだろう。

映画ファンらしい原作者の杉谷庄吾氏。もしかしたらナタリー・ウッドのファンなのかも知れない。

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コメント

タイトルと絵柄を裏切り、内容が深い。映画好きには見逃せない仕上がり。劇中劇の映画も見てみたいと思わせますね。

投稿: 自称歴史家 | 2021年6月20日 (日) 17:06

これは面白かったです。
見る予定には入れていなかったのですが、こちらのブログも含めて評判がいいのと近くのシネコンで上映しているので見てきました。
映画製作というと撮影や脚本がテーマに取り上げられる事が多いですが、おっしゃる通り、前半は撮影、後半は編集と資金集めがテーマとなるのがユニークです。
資金集めに関しての主人公の友人アランの活躍には胸が熱くなりました。
アランは映画オリジナルキャラクターだそうです。

投稿: きさ | 2021年6月20日 (日) 21:56

◆自称歴史家さん
劇中劇「MEISTER」本当に見たいですね。撮影シーンやラッシュで部分的に登場するシーンだけ見ても、大体のお話は掴めますが(笑)。DVD発売時に特典で付けてくれたら嬉しいのですがね。


◆きささん
面白かったですか。お奨めした甲斐がありましたね。
アラン、いい奴でしたね。銀行を辞めようと思っていたアランが、ジーンの頑張る姿を見て思い直し、この仕事に生きがいを見い出すという展開も泣かせますね。編集シーンも含めて原作にはない部分もかなりあるようで、原作コミックよりもずっと奥行きのある作品に仕上がってると思われます。
こういった、まったく注目していなかったが見たら驚きの隠れた秀作に出会える事があるから、映画ファンはやめられないのですね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2021年6月22日 (火) 14:27

実は、原作はネットで読めるので読みました。
ジーンが編集に悩むシーンはあるものの、編集が終わるとすぐにニャカデミー賞の受賞式になります。
つまり映画で一番感動した編集に悩んだあげくの再撮影、資金集めは全くありません。
という事で平尾監督の脚本は後半オリジナルに近く、高く評価できると思います。
原作読んで、えっ、これで終わりと思いましたから。

投稿: きさ | 2021年6月23日 (水) 20:50

◆きささん
原作に関する情報ありがとうございます。
やはり後半はほぼオリジナルでしたか。
この、原作と映画との違いはおそらく、原作者が漫画作家で実際の映画作りの経験はないのに対し、脚本・監督の平尾隆之が、アニメとは言え実際の映画作りの現場を経験しているからでしょう。きっと自身の体験も物語に反映させているのかも知れませんね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2021年7月 8日 (木) 12:36

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