« 「ゴジラvsコング」 | トップページ | 「SEOBOK ソボク」 »

2021年7月18日 (日)

「1秒先の彼女」

Mymissingvalentine 2020年・台湾    119分
製作:Mandarinvision
配給:ビターズ・エンド
原題:消失的情人節 (英題: My Missing Valentine)
監督:チェン・ユーシュン
脚本:チェン・ユーシュン
撮影:チョウ・イーシェン
製作総指揮:イェ・ルーフェン、リー・リエ

一人の女性の身に起きた、消えた1日をめぐるファンタジックなラブストーリー。監督は「熱帯魚」「ラブゴーゴー」で“台湾ニューシネマの異端児”として注目を集めたチェン・ユーシュン。出演は「海人魚」のリー・ペイユー、Netflix「同級生マイナス」のリウ・グァンティン、「靴に恋する人魚」のダンカン・チョウなど。第57回金馬奨(台湾のアカデミー賞)で作品賞、脚本賞、監督賞を含む5部門を受賞。

(物語)郵便局で働くヤン・シャオチー(リー・ペイユー)は、仕事も恋もパッとしないアラサー女子。彼女は子供の頃から、何をするにもワンテンポ早い性格。そんな彼女がある日、思いを寄せるハンサムなダンス講師のリウ・ウェンセン(ダンカン・チョウ)から、七夕バレンタインのデートに誘われる。念願叶ったシャオチーだったが、目が覚めるとなぜかバレンタインの翌日に。約束の1日が消えてしまった……!?シャオチーは失くした大切な1日の記憶を取り戻すべく奔走するが…。

チェン・ユーシュン監督は、台湾映画界ではよく知られた存在だそうで、長編2作目「ラブゴーゴー」は日本でも公開されているが、残念ながら見逃しており、これが初見参。

あまり情報もなく、ほとんど白紙の状態で観たのだが…。

なんと、面白い!時間をめぐるさまざまな謎が仕掛けられていて、後半に至って前半に仕込まれたいろんな伏線が見事に回収され、最後にこれはピュアなラブ・ストーリーだった事が判明する。見事な脚本。結末ではつい涙してしまった。

(以下ネタバレあり)

主人公シャオチーは何をやるにしても他人よりワンテンポ早い。競争ではいつもフライングで早く飛び出すし、写真撮影ではいつも目をつぶってしまう。いわゆるせっかちな性格である。その割に恋についてはなかなか相手に恵まれない。

ある日街の広場でダンス講師をしているウェンセンと親しくなり、七夕バレンタインの日(注)にデートする約束をする。今度こそ恋が実る、と心ウキウキ。

だが、シャオチーがバスに乗っている時、突然意識が飛び、目覚めると何故か約束のバレンタインの翌日の朝だった。その間の記憶がまったくない。バレンタインの日はどこに消えてしまったのか。しかも彼女の肌は真っ赤に日焼けしていた。
さらに、通りかかった写真館のウインドウには、どこか知らない土地で撮られたらしいシャオチーのパネル写真が飾られていた。これもまったく覚えがない。

これはどういう事なのか。手掛かりはヤモリの精が教えてくれた、家の引き出しにあった“38番”の番号が刻印された鍵。どうやら郵便局の私書箱の鍵らしいが、これも彼女には心当たりがない。謎だらけである。
主人公にとってもだが、観客にとっても、これは謎だらけの物語である。

シャオチーは、この鍵こそが文字通り“謎を解くカギ”だと判断し、どこの郵便局か分からないまま、各地の郵便局を尋ね歩く旅に出発する。
シャオチーは苦労の末、ついに鍵が合う私書箱を見つける事に成功する。そして、そこから程近い場所で、あの写真が撮られた海岸を発見する。

そして映画の後半は、もう一人の主人公の回想による、謎の解明の物語となる。

(以下完全ネタバレ、未見の方は鑑賞後にお読みください)

実は前半でも、シャオチーが勤める郵便局に、いつも彼女の窓口で切手を買う男が登場している。そして彼は毎回、その切手を手紙に貼って彼女に託している。

そして消えたバレンタインの翌日、郵便局に来たその男は何故か左目を腫らしており、シャオチーに「さよなら」と言って出て行く。これも謎である。

目立たない存在なのでつい見逃してしまいそうだが、本職はバス運転手のこの男、グアタイ(リウ・グァンティン)が物語後半では重要な役柄となり、グアタイの視点からもう一度、時間の経過を追いかけて行き、そのプロセスですべての謎が解き明かされて行くのである。この物語設定と脚本が実に見事。
内田けんじ監督の「運命じゃない人」を思い出した。

グアタイは、シャオチーとは反対に、子供の頃から何をやってもワンテンポ遅い。損な性格である。だから郵便局の窓口で会うシャオチーに仄かな恋心を抱くも、打ち明けられない。

実は前半でも、バレンタインの前日、映画館でデートしたシャオチーとウェンセンが映画館を出た後、バスに乗るシーンがあるが、そのバスを運転していたのがグアタイだった。
後半ではこの後、バスに残ったウェンセンにあるトラブルがあり、ウェンセンが実は彼女を騙していた事を知ったグアタイは怒りのあまり彼と取っ組み合いの乱闘をする、左目の腫れはそれが原因である。

そしてバレンタインの朝、グエタイの周囲の人たちがすべて静止してしまうという奇跡が起こる。
まるで手塚治虫原作の「ふしぎな少年」の主人公が「時間よ止まれ!」と言った時みたいである。となれば、これは時間を自由に操るタイムパラレルSFなのか、と思ってしまう。

が、それにしては、バスの電光掲示が動いている。時間が止まったら動くはずがない。一瞬、撮影ミスかと思ってしまった。

だがこれも周到な演出である事がやがて判る。実は人々が静止しても、時間は流れているのだ。風も吹いているし、海の波も動いている。そして時間は進み、夕方になり、夜になり、朝さえ来てしまうのである。

SF的に考えればこれはおかしいし、もし全世界の人が同じように静止して、しかも時間だけは進んで、世界中でこの一日が消えてしまったなら大パニックになるはずだが、どうやら静止したのはグエタイのいた周囲の一部の人たちだけだったようだ。

ツッ込もうとすればいくらでもツッ込めるが、これはSFではなく、奇跡のファンタジーなのである。ツッ込むのは野暮というものである。

これについては、後段に登場する、かつて消息不明となったシャオチーの父の口から語られる、“時間の利息”の概念が説明してくれる。

人よりワンテンポ遅いグアタイは、その分“時間の利息”が付いて、七夕バレンタインという運命の日に、他の人より余分な一日が与えられたのである。

それに対し、人よりワンテンポ早いシャオチーは、その分時間を先食いしてるわけで、グアタイとは反対に運命の日一日を失ってしまったという訳である。
(じゃあシャオチーと同様静止してしまった人たちはみんな一日を失ったわけだが、みんなワンテンポ早い人たちなのか?という疑問は残るが、まあツッ込まないでおこう(笑))。

グアタイはこの奇跡の一日を利用して、シャオチーの乗ったバスを運転し、海に向かい、そして静止したままのシャオチーと二人だけの一日を過ごす。

一歩間違えればほとんどストーカーだが、グアタイのシャオチーに寄せる、ピュアな片思い、一途な愛ゆえの行動である事がこちらに伝わり、その切ない思いについ涙してしまった。

これはSF的なタイムリープもの、と言うよりは、恋した女性を思い続ける一人の誠実な男に対して、神様が一日だけの夢を叶えてくれたファンタジー、と考えた方がいいだろう。

そう考えれば、ほとんどの人が静止した世界で、シャオチーの父親だけが動いているのも理解出来る。
私の想像では、父親はもう死んでいて、天使になって娘を見守り、グアタイの切ない思いを知って、シャオチーとのかけがえのない時間を彼に与えたのだと思う。
父親がグアタイの元を去って行く時、僧侶の姿をした人が迎えに来るのだが、この僧侶も天使だと考えれば納得である。

ラストも感動的だ。グアタイが不慮の事故に遭った、と思わせておいて、1年後、再会するシーン。グアタイが投函し続けた手紙を読んで、彼の思いを知ったシャオチーと、グアタイの思いが交錯する爽やかな幕切れに、ホロッとさせられた。


よく出来た、ラブ・ファンタジーの秀作である。何より、前半でさまざまな謎と伏線をばら撒き、後半でそれらを巧みに回収して行く、謎解きミステリー的なストーリーと、恋に不器用な男女のピュアなラブ・ストーリーを、きめ細かく周到に撚り合わせて行く脚本と演出の巧みさには唸らされた。

Mymissingvalentine2 シャオチーを演じたリー・ペイユーが好演。美人ではないのだが、キュートで物語が進むごとに可愛らしくなって行くのが見事。金馬奨では主演女優賞にノミネートされたが惜しくも受賞は逃した。

演出的にも、注釈風字幕を多用したり、空想するシャオチーの背後の窓に、モザイクで顔を隠したDJが登場したり、洋服ダンスの中にヤモリの精と称する老人が現れたりといった才気煥発で洒落た演出は、ジャン・ピエール・ジュネ監督の「アメリ」を思わせたりもする。

時間と記憶と切ない愛をめぐる映画は、これまでもいくつかの秀作があるが(例を挙げれば大林宣彦監督「時をかける少女」やリチャード・マシスン原作、ジャノー・シュワーク監督「ある日どこかで」、リチャード・カーティス監督「アバウト・タイム 愛おしい時間について」等)、本作もその1本に入れていいだろう。

お話が雑で、ツッ込みどころが多い作品には腹が立つが、多少の粗や矛盾点があっても、物語がしっかりしていて感動させてくれる作品は歓迎である。

期待していなかった分、これは思わぬ収穫であった。チェン・ユーシュン監督の過去の作品も観たくなった。 (採点=★★★★☆

 ランキングに投票ください → にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ


(注)
日本や多くの国ではバレンタインは2月14日だが、台湾には年2回のバレンタインデーがあり、2月14日よりも、旧暦7月7日の「七夕情人節(チャイニーズバレンタインデー)」が重要なイベントとされている。
織姫と彦星が年に一度だけ逢うという七夕の伝説に引っかけた、愛のデートの日という訳である。我が国でもやればウケるかも(笑)。

 

|

« 「ゴジラvsコング」 | トップページ | 「SEOBOK ソボク」 »

コメント

Keiさんの記事を読み遅まきながら見ようと思っていました。
ところが一時期は近くのシネコンでも上映していたのですが、今では都内でしか上映していません。
今日、ちょっと別件もあったので都内に出て見ました。面白かったです。深謝。

さて、感想ですが、前半はまあ伏線を張るパートなのでちょっとたるい感じも。
そこをコミカルな演出の冴えで見せますね。
前半のリー・ペイユーのコメディエンヌぶりもいいですね。
前半の伏線が後半鮮やかに解決される展開はまさに私も「運命じゃない人」を連想しました。
あと構造はちょっと違いますが伏線の改修という点では「カメラを止めるな」も。
さて、後半ですが、まず人がみな止まった映像に驚きます。
CGだとお金さえかければ可能なんでしょうが。
でも俳優が静止し髪だけが揺れていたりするシーンもあるので、俳優の演技は大変だったでしょうね。

後半、バスが水没した道路を走るシーンは嘉義県・東石村でロケされたのだそうですが、私はこのシーンで宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」を連想しました。
今検索すると本作と「千と千尋の神隠し」との類似を指摘するブログはいくつかありますね。
「千と千尋の神隠し」の水没した線路を電車が走る向こうの世界は、評で死後の世界と指摘されています。
そうするとKeiさんのシャオチーの父はもう死んでいるという指摘には納得です。
グアタイの時間が止まらないのも精神的には死んでいたという事ではないでしょうか。
精神的に死んでいたグアタイが一度生と死の境界の世界に行き、さらに戻ってきた現世でまた死にかけ、甦えるというのがこの物語の構造ではないかと思いました。
ラスト、シャオチーとグアタイが再会するシーンで私も涙しましたが、なぜ泣けるかには脚本に実はこういう秘密があると思いました。

あやうく見逃す所だった傑作を見る事ができて改めてありがとうと言いたいです。

投稿: きさ | 2021年8月 4日 (水) 21:48

◆きささん
面白かったですか。私の記事が参考になったのなら何よりです。
海の中の道路をバスが走るシーンは私も「千と千尋の神隠し」を連想しました。そう言えばあの映画でも、千尋の両親がブタにされてた間、両親にとっては時間がほぼ止まっていたのに、外の世界では車が枯葉だらけになる程進んでいると言うタイムラグ描写がありましたね。チェン・ユーシュン監督、案外あの映画のファンなのかも。
シャオチーの父親がもう死んでいるという説は私の勝手な独断ですが、賛同いただいて感謝です。いろんな解釈や想像が出来るのも、この映画の魅力と言えるかも知れませんね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2021年8月 5日 (木) 22:51

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「ゴジラvsコング」 | トップページ | 「SEOBOK ソボク」 »