「キネマの神様」
(物語)2019年、丸山郷直・通称ゴウ(沢田研二)はギャンブル漬けで借金まみれ。妻の淑子(宮本信子)や娘の歩(寺島しのぶ)からも見放されるダメ親父である。そんな彼がたった一つ愛してやまないのは映画で、昔馴染みの寺林新太郎・通称テラシン(小林稔侍)が経営する映画館・テアトル銀幕に入り浸っては昔の映画を観るのが楽しみだった。ある日ゴウはそこで、自分が助監督を務めた映画「花筏」を観る。スクリーンの中で今も輝く昭和の大女優・桂園子(北川景子)の姿を見るうちにゴウは、50年前、撮影所で助監督修行をしていたあの頃の記憶がよみがえって来て…。
ゴウを演じるはずだった志村けんがコロナ禍で急逝し、その後も緊急事態宣言で撮影が中断したり、さまざまなアクシデントを乗り越えて映画を完成させた、名匠・山田洋次監督の映画に賭ける情熱には心から敬意を表する。
山田監督は現在の日本映画界で私が最も尊敬する映画監督で、ほとんどの作品を観て来たし、このブログでも欠かさず作品評を書いて来た。
その新作が観られるだけでも嬉しいのに、舞台が映画撮影所で、映画作りにまつわる話、と聞いてなおの事期待が膨らんだ。
撮影所が舞台と言えば、松竹大船撮影所50周年記念映画と謳われた「キネマの天地」(1986)を監督したのも山田洋次。あの映画もとても好きな作品である。そして今回は松竹映画100周年記念作品。節目の記念作品に2度も関わるだけでも凄い事だ。封切られて真っ先に映画館に駆け付けた。
(以下ネタバレあり)
うーん.........何と言うか、これは感想を書くのに、何度も筆が止まった。期待し過ぎたのかも知れないが、微妙にいまいちの出来なのである。
設定は悪くない。
昔は映画に情熱を傾けていたはずなのに、今は見る影もを見るなく落ちぶれ、酒浸りとギャンブルの日々。そんな彼が、一念発起して映画脚本を書き上げ、見事最優秀脚本賞を受賞して世間に認められるが、長年の不摂生が祟って命を縮め、スクリーンを見つめながら死んで行く。そして若き頃の回想では映画全盛だった頃の活気溢れる撮影所で、ひた向きに働いていた頃を思い出す…。
こういう梗概を読むだけでも、面白そうでワクワクして来る。絶対に傑作になると確信していたのだが…。
まず良い所を挙げてみる。
ゴウの若き頃、彼は松竹撮影所で助監督修業を積みながら、いつかは映画監督になる夢を見続けている。ここでの、活気にあふれた撮影所風景や、気難しい名匠監督の無理難題に対処したり、撮影現場を走り回ったりするゴウの姿にはちょっと感動させられた。山田監督自身も言っているが、これらは1950年代、山田監督が松竹大船撮影所で助監督修業をしていた頃の実体験も反映しているようだ。
映画ってこうやって作られて行くのだ、今の一流監督も昔はこうやって名匠にシゴかれながら映画作りを学んだのだ、と思うと、映画ファンとしては胸が熱くなって来る。
ゴウが仲間たちに「ウチの会社が作り続けているメロドラマやホームドラマのベタベタしたセンチメンタリズムにうんざりしているんだ」と不満をぶちまけるシーンがあるが、これは松竹入社当時の山田を含む若手助監督たちがまさに思っていた事だったと監督自身も語っている。山田は小津安二郎監督の作品にも反感を覚えていたそうだ。
監督デビュー作の撮影で、ゴウがベテランカメラマンの森田(松尾貴史)に生意気に「俯瞰で撮りたい」と言って、森田に拒絶されるシーンがあるが、山田監督もデビュー作「二階の他人」(1961)でカメラマンに「望遠で撮りたい」と言ってあっさり却下されたそうだ。ちなみに「二階の他人」のカメラを担当したのは松竹のベテラン森田俊保。この事からも、ゴウは山田洋次の分身である事が分かる。
山田監督も若かったのだ。後に若気の至りを反省し、小津監督作品も高く評価するようになる。そして今では松竹のホームドラマの伝統を引き継ぐ名監督になった。
こういう事実を知っていると、菅田将暉演じるゴウが山田監督の若き日の姿に重なり、余計感動を覚えてしまう。
撮影所の映写技師・テラシン(野田洋次郎)との友情、食堂の娘・淑子(永野芽郁)や松竹の名女優・桂園子(北川景子)らとの交流、恋模様も丁寧に描かれて心地良い。淑子はゴウに惹かれているが、テラシンが淑子を好きだと知ると、二人の仲を取り持とうとする。また園子も実はゴウを好きなのだがゴウは気付かない。
ゴウが恋に鈍感すぎる気もするが、この“女性が主人公を好きなのに、本人が気づかなくて、その本心を知ってうろたえる”という展開は、「男はつらいよ」シリーズの中でも寅とヒロインとの間で何度か繰り返されたパターンでもある。
この4角関係の恋模様の顛末も悪くない。監督の夢破れ、郷里に帰るゴウを淑子が追いかける、と聞いた園子が、車に淑子を乗せて駅に向かうシーンで、園子が愛用の腕時計を淑子に餞別として渡すシーンも感動的だ。本当はゴウを好きなのに、淑子の強い意志にほだされ、潔くゴウを淑子に譲る園子の心意気には泣けてしまう。
この、ゴウの若き日の、日本映画界が黄金期だった時代の恋と青春の物語だけで全編を構成していたなら、35年前の山田作品「キネマの天地」に並ぶ、映画にまつわる素晴らしい感動の秀作になっただろう。
だが、現代パートのゴウの物語が、過去のキラキラ輝いていた青春時代と比べて、あまりに落差があり過ぎる。アルコール依存症で、ギャンブル依存症で、闇金から金を借りまくり、妻や娘にまで迷惑をかける、ダラシなくてどうしようもないダメ親父ぶりからは、あれだけ映画作りに情熱を燃やしていた若い頃の姿と、どう考えても結びつかない。まるで別人である。そして、何故あのゴウがここまで落ちぶれ、ある意味人格まで変ってしまったのか、そのプロセスもまったく描かれていない。映画界を去って、どうやって生活していたのかも描かれない(注1)。
現代パートは原田マハの原作通りだが、過去パートは山田監督のまったくの創作である。この創作部分が原作とうまく噛み合っていない。原作に、無理に自身の青春時代に重なる撮影所の物語をくっつけた為に違和感が生じてしまっているのである。
以前の山田監督なら、こうした原作にないエピソードを追加しても、違和感なく巧みに纏め上げていたはずだ。
やはり、89歳と言う年齢から来る衰えを感じさせてしまう。
もう一つ問題点を指摘しておきたいのが、ゴウが書いた「キネマの神様」の脚本が見事木戸賞の大賞を受賞するエピソードである。
これは50年前にゴウが監督デビュー作として書き上げた脚本で、ゴウが怪我して映画化は幻となり、そのまま保存していたものである。
これを孫の勇太(前田旺志郎)が読んで感動し、勇太がパソコンで一部を現代風にアレンジして作り直し、木戸賞に応募するわけだが、
いくら未映画化のままとは言え、一度映画化が決定してクランクインまでした作品の脚本(表紙に「松竹作品」と印刷されている)を一部修正しただけで、タイトルも昔のままの「キネマの神様」として応募するのは問題である。応募要項は「未発表のオリジナルに限る」となっているはずだから、これは厳密には応募要項に反する。
そもそも、自分が昔書いたものを、勇太にケツを叩かれ、勇太が手直ししただけだから、ゴウ本人は応募に当りほとんど何もしていないに等しい。これで目出度しとするには無理がある。
「木戸賞」と一字変えてはいるが、シナリオ作家の登竜門である「城戸賞」は松竹の社長だった城戸四郎を称えて創設されたもので、若手無名作家の発掘が目的である。松竹に在籍経験のある元プロが当時書いたものを埃払って出して来るのも、城戸賞の精神とは相容れない気がする。
私の案だが、ゴウがもう忘れていた「キネマの神様」の脚本を見つけて、それを読むうちに、映画に情熱を傾けていたあの頃を思い出し、一念発起して酒もギャンブルも絶って脚本作りに没頭し、現代と言う時代に向き合ったまったく新しいオリジナルの物語を書き上げ、ただしラストだけは元の脚本にあった、スクリーンからスターが飛び出して来るエピソードを入れる、という話であれば十分納得出来ると思う。ただ、酒と不摂生で身体がボロボロのゴウにそこまでの体力・気力があるかは疑問だが。
また終盤で、2020年のコロナ禍のエピソードが出て来るが、これも大いに問題あり。
山田監督はこれまでも、その時代に起きた悲惨な事件、災害などを映画の中に盛り込んだ事は幾度もあった。「男はつらいよ」最終作「寅次郎紅の花」では阪神淡路大震災の映像と、寅が神戸でボランティする様子も登場したし、「東京家族」では東日本大震災に関するエピソードも登場した。
「東京家族」は、老夫婦の老後問題、薄れゆく家族の絆といった、時代が抱える社会問題がテーマとなっていたので、さほど違和感はなかったが、本作は夢の工場・撮影所が主な舞台だし、スクリーンからスターが飛び出して来るという、一種のファンタジーであり、夢の世界の物語でもある。
観客は映画に、現実にはあり得ない夢を求めてやって来るのである。映画を観ている間くらいは、現実を忘れて夢のような世界に浸りたいのである。本作は紛れもなくそうしたタイプの作品である。
観客がせっかく夢の世界に浸っている時に、今も人々が恐怖に怯える災厄を描いて、一気に現実に引き戻されてしまうのは興覚めである。コロナをやりたければ、初めからそういう社会派的テーマを持った作品の中でやればいいのである。
さらに上記の関連で現代を2019年にした事で、おかしな矛盾も起きている。ゴウは現在78歳、助監督時代は50年前とされているから、計算すると過去パートは1969年(注2)、ゴウは28歳だから、やや早い気もするがギリギリ監督に昇格出来る年齢ではある(当時監督に昇格出来る年齢は早くて30歳。山田洋次も30歳で監督デビューしている)。
だが、1969年と言えば、日本映画界はテレビに圧されて凋落期にあり、この2年後、大映は倒産、日活は一般映画から撤退して恥も外聞もなくロマンポルノに舵を切る、というどん底状態であった。松竹も、この年から始まる山田監督の「男はつらいよ」の大ヒットがなかったら危なかったという話もある。
そんな時代では、名匠が好き放題に予算や時間をかけた映画などとても作れず、あの黒澤明監督ですら、「赤ひげ」(1965)を最後に東宝では大作映画を作れなくなっていた。1971年には思うように映画が作れず、自殺を図ったくらいである。
山田洋次が松竹で助監督修業をしていたのは1954年から1961年まで。その頃は確かに映画界は活気があった。小津安二郎監督も悠々と映画を撮っていた。
従って、過去パートの時代は本作よりもう10年くらい前、1960年辺りに設定されるべきである(注3)。(前述したが、山田洋次の監督デビューは1961年)。
とすると、現代パートの時代は50年後の2010年辺りである事が望ましい。実際、2010年には山田監督は79歳であった。それなら違和感はなかった。当然コロナなんて関係ない。
2020年のコロナ禍を無理に物語に組み込んでしまった為に、いろんな物語設定が破綻してしまった。ゴウを演じるはずだった志村けんがコロナで急逝した無念の思いがあったにせよ、映画の流れと時代設定からも、コロナは入れるべきではなかったと思う。
ついでに言っておくが、ゴウが映画監督の夢もあきらめて、撮影所を去るエピソードもよく解らない。転落して腕を折ったくらいで、なんで簡単に夢をあきらめてしまうのか。怪我が治ったら撮影を再開すればいいだけではないか。撮影所の人たちもみんなゴウを励ましていたくらいだし。
ここはやはり、本人の意志に反して撮影所を去らざるを得ない理由を設けるべきではないか。例えば、ゴウが何かとんでもない不始末をしたとか、誰かをかばう為に身を引かざるを得なくなったとか。
これも私の案だが、ゴウが園子との間にあらぬ噂を立てられてスキャンダルとなり、それで「たかが助監督の分際で大事な看板女優と付き合う等もってのほか!」と撮影所長の逆鱗に触れて出て行かざるを得なくなるとか(注4)。それだと園子がゴウとの恋をあきらめる理由もはっきりするし。
以前の山田洋次監督なら、上に挙げたような問題点を、きめ細かい周到なシナリオ作りでことごとくクリアし、万全の作品に仕上げたはずである。やはり年齢による衰えは隠せないという事か。あるいはこれまで山田監督の多くの秀作に助監督並びに共同脚本家として参加していた平松恵美子の不在が大きいのかも知れない(今回の脚本共作者は朝原雄三)。
厳しい事を書いて来たが、山田監督を敬愛し、いつまでも映画を撮っていただきたいと心から願う故の激励、と受け取っていただきたい。
ラストの、スクリーンから抜け出して来た園子が、ゴウを連れてスクリーンの中に帰って行く幻想的なシーンはとても良かった。感動した。そのシーンに続く、映画「東京の物語」の撮影風景、小田監督の元でカチンコを叩く若き日のゴウの姿。このラストシーンには泣けた。それまでの不満も幾分か解消した。
役者では沢田研二がいい。志村けんのゴウも見たかったが、役者としては何本も主演作のある沢田研二はさすがうまい。所どころ志村けんを思わせる場面もあれば、寅さんを思わせる所もあった(勇太に、「夢に白蛇が出て来てな」と勇太に金をせびる場面の軽妙な喋り方など)。
そして北川景子がいい。原節子を思わせる、昭和の気品ある女優の雰囲気がうまく出ていた。
今年90歳になる山田洋次監督、今回は少し残念だったが、まだまだ映画を作り続けて欲しい。新藤兼人監督のように、100歳までとは言わないが、体力、気力の続く限り頑張っていただきたいと心から願う。 (採点=★★★☆)
(注1)
原作者の原田マハ自身が本作をノベライズした小説には、淑子と結婚した後、現在に至るまでのゴウの仕事や暮らしぶりも簡潔ではあるがきちんと描かれている。まあ映画では説明過多になり過ぎる事もあるので難しいが。
なお映画では描かれなかった桂園子のその後も、このノベライズの中で記されている。40歳で引退、5年前に亡くなったとある。
(注2)
上記ノベライズでは、ゴウの若き助監督時代は1969年とはっきり書かれている。
(注3)
そもそも出水宏監督(リリー・フランキー)のモデルとなった清水宏監督が、松竹大船で本作に登場する「花筏」のようなメロドラマを撮っていたのは1935年頃までだった(戦後は独立プロで「蜂の巣の子供達」等のセミドキュメンタルな映画を作っている)。
小津安二郎監督が、本作のラストで引用されている「東京物語」を撮ったのは1953年。
つまりは過去パートは、時代が限定されておらず、1930年代から50年代までの幅広い時代における松竹撮影所のエピソードを総花的に散りばめた、一種のパラレルワールドと考えるべきで、それなら現代も、年代は限定されていない、あるどこかの時代と見るべきだ。
だから現代を2019年~20年という特定の時代に限定したのは、余計失敗だと思えるのである。
(注4)
桂園子は、ラストに登場する、小津監督の「東京物語」を模した「東京の物語」でヒロインを演じている事からも分かるように、明らかに原節子がモデルであるが、原節子に関しては、石井妙子著の「原節子の真実」にこんなエピソードが出て来る。上記の私の案の参考にさせていただいた。
原節子が20歳の頃、所属する映画会社(東宝)の同僚で、脚本を書きながら助監督をしていた青年と相思相愛の仲となり結婚も考えたが、会社や義兄が猛反対して二人の仲は裂かれ、さらに青年は「身のほどをわきまえずスターと付き合った事に対する懲罰」の形で東宝を追われてしまう事となる(詳細は拙書評参照)。
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コメント
本筋と全く関係ありませんが、キネマ旬報編集部を模した映画雑誌編集部で働く寺島しのぶの描かれ方は、キネマ旬報的にはあれで良いんでしょうか?長年の読者で友の会会員の私は失笑しました。キネマ旬報編集部にいつもお世話になっている方がいるので、あれで良いのか聞きたいです。
沢田研二が前田旺志郎に「オマエこんな小難しい映画批評誌読んでんのか?映画はそんなんじゃねえ」みたいに言うシーンはさらに失笑しました。
投稿: タニプロ | 2021年8月20日 (金) 12:44
特別山田洋次のファンじゃない私が書いたレビューです。
https://tanipro.exblog.jp/amp/28827078/?__twitter_impression=true
InstagramとFacebookからのコピペのブログなんですが、何かInstagramの反応が多いなと、思ったら、菅田将暉のファン達でした。
投稿: タニプロ | 2021年8月22日 (日) 05:01
◆タニプロさん
原作は、ゴウの娘歩は大手映画供給会社のキャリアウーマンで、理不尽な扱いを受けた事から退職し、やがて落ちぶれかけた映画雑誌のコラムニストとして働くことになるというお話で、映画とはまるで違いますね。ゴウも世界的に著名な映画評論家と映画評論についてやり合うという具合に、活字で読むには問題ないですが映画にはなりにくいですね。
これは原作とは別に、映画オリジナルで、過去パートのみの物語にした方が良かったと私も思います。
>「オマエこんな小難しい映画批評誌読んでんのか?」
の所は、私はキネ旬じゃなくて「映画芸術」誌の事だと思いました(笑)。
ブログ読ませていただきました。ほぼ同意見です。私の場合は逆に、褒めた後で批判してますが(笑)。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年8月22日 (日) 11:34
「私が山田洋次ならキネマの神様をこうした」
若き日のゴウ(菅田将暉)は、桂園子(北川景子)をキャスティングして、たった一本だけ映画を作っていた。
しかしそれは時代に埋もれ、当時は全く評価もされなかった。
孫(前田旺志郎)は、キネマ旬報を模したキネマの友でその映画をたまたま知る。
配信で観て、「これはおじいちゃん(沢田研二)が作った映画じゃないか!」と驚く。
映画館のスクリーンで観たいと思った孫は、テラシン(小林稔侍)に頼んでテアトル銀幕で上映してもらう。
コロナ禍の名画座、ゴウと淑子(宮本信子)は孫と一緒にテアトル銀幕でその映画を観る。
若き日のゴウが作った映画は、未来のゴウと淑子を勇気づけるドラマだった。
ゴウはそれを観て、酒もギャンブルも止め、淑子のために地道に生きようと決心する。
その特集上映は大反響。テラシンの友情で、売り上げがゴウの借金返済に充てられた。
投稿: タニプロ | 2021年9月10日 (金) 16:23