「空白」
(物語)女子中学生の添田花音(伊東蒼)はスーパーで万引しようとしたところを店長の青柳直人(松坂桃李)に見つかり、必死で逃走した末に車に轢かれて死んでしまう。娘に無関心だった花音の父・充(古田新太)は、「娘が万引きをするわけがない」と信じ、事故に関わった人々を厳しく追及するうちに恐ろしいモンスターと化して行く。さらに加熱するマスコミやSNSによる誹謗中傷の拡散によって青柳や加害者の女性は追い詰められ、やがて事態は思いもよらない展開を迎える。
吉田恵輔監督作品は、「純喫茶磯辺」(2008)辺りから、ちょっと面白い作家だなと興味を持っていた。そして「ヒメアノ~ル」と「愛しのアイリーン」という人間の心の闇を暴いた異色作で一気に注目するようになった。そして本作の登場である。しかも企画・製作は今年も「ヤクザと家族 The Family」という秀作を送り出したスターサンズ代表の河村光庸氏。これは期待したくなる。
観終わって唸った。いやあ、これは凄い傑作である。吉田恵輔監督、そして河村プロデューサー、またやってくれた。
(以下ネタバレあり注意)
舞台は、地方の漁港がある田舎町。冒頭、漁師・添田充(古田新太)が、弟子の野木龍馬(藤原季節)と共に漁をするシーンが描かれる。充は短気で人使いが荒く、ちょっとした事で龍馬を怒鳴りつける。陸に上がった龍馬は漁仲間に「もう辞めたい」と洩らすほど。車を運転してて、交通規制している道にぶつかると、迂回してくださいと言う整理員を無視して龍馬にコーンポストを退けさせ、無理やり突っ切ってしまう。
もうこれだけで、充という男が傍若無人、猪突猛進の怖い男である事が観客に伝わって来る。出だしの主人公紹介としては申し分ない。古田新太怪演。
家では一人娘の花音と同居しているが、ここでもワンマン体質丸出しで、買い与えた覚えのないスマホが鳴っているのを知るや、「中学生にスマホなんかいらない」と庭に放り出してしまう。
その前、花音が父に「相談がある」と言っても電話で取引先を怒鳴りつけるのに夢中で、その剣幕に娘は何も言い出せなくなってしまう。
そしてある日、青柳が経営するスーパーで、花音は化粧品を万引きしようとして青柳に見つかり、事務所に連れて行かれるが、隙をみて花音は逃げ出す。その後を青柳が追いかける。
交通量の多い道に飛び出した花音は女性の運転する車に轢かれ、トラックに引きずられて死んでしまう。
この事故シーンはスタントやCGも交えているのだろうが、ショッキングで息を吞む。
警察に駆け付けた充や元妻で花音の母(田畑智子)は、無残に潰された花音の死体を見て泣き崩れる。
ここから充の暴走が始まる。万引きを咎めたら逃げ出したと言う青柳に「娘は万引きなどしない。お前が悪戯したんじゃないか?」と迫り、青柳がいくら謝罪しても許そうとせず、ジリジリと青柳を追い詰める。最初に撥ねた車の女性が母親と共に何度も謝罪に訪れても許す気にはなれない。マスコミのカメラの前でも怒鳴り散らす。
充の怒りの矛先は学校にも向かう。花音が父に相談があると言ってたのは、学校でいじめにあってたのではないかと疑い、生徒全員から聞き取れと迫る。
まさにモンスター・ペアレントである。
だが、こんな自分勝手なクレーマー、モンスター・ペアレントは実際に世の中に大勢いる。また、万引きする中高生も多いし、万引きに悩む小売店、スーパーも現実にある。悲惨な交通事故も無数にあるし、加害者になって苦しむドライバーも数多くいる。
この映画は、ほとんどの登場人物が実際にどこにでもいる人たちであり、我々自身も、いつそうした加害者、被害者になるかも知れないし、マスコミや大衆の好奇の目に晒されるかも知れないという現実を直視した、きわめて社会的リアリティに満ちた作品なのである。
充の暴走はさらにエスカレートする。気持ちが収まらない充は、青柳にストーカーのように付きまとい、青柳が土下座しても、「土下座くらい俺にだって出来る。そんなんで謝った気か」と撥ねつける。精神的に追い詰められた青柳は衝動的に車道に飛び出し、自殺まがいの行動に出る。さすがに充は引き戻すが。
その後も青柳の神経は消耗して行き、驚く事に注文と違う弁当を売った弁当屋に電話で不穏当な暴言を吐いてしまう。
それまでは内気で気弱な人間だと思われていた青柳の意外な一面がここで覗く。
この映画が素晴らしいのは、登場人物それぞれに複雑な二面性を持たせ、善人と思われていた人物が時に裏の顔を見せたり、逆に充のような暴走モンスター男も、決して根っからの悪人ではない事などをきちんとリアリティ豊かに描いている点である。
例えば青柳のスーパーで働く草加部(寺島しのぶ)は、最初の頃は青柳を励ましたり、スーパー存続の為に粉骨砕身するいい人ぶりを見せるのだが、やがて自分の正義を押し付ける偽善者であることが暴かれて行く。これもコワい。
脇の、本筋には絡まないと思われる人物にすら、こうしたきめ細かいキャラクター設定がなされているのがいい。人間とは、なんと複雑でやっかいな生き物である事か。
そして後半、物語は意外な展開を見せる。花音を撥ねた女性が充に許してもらえない事で精神的に耐えられなくなり、自殺してしまう(注1)。
その通夜に訪れた充に、その女性の母親(片岡礼子)が涙ながらに言うセリフが素晴らしい。
充に怒りをぶつけると思いきや、「娘は心が弱かったので、貴方にきちんとお詫びも出来なくて申し訳ありませんでした。この子の罪はこれからも私が背負って行きますので、どうか娘を許してください」
こんな意味の言葉だったと思う。これは感動的だった。片岡礼子、入魂の名演技である。素晴らしい。
この母親の言葉に充は衝撃を受ける。憎しみを相手にぶつけるだけでは何も解決しない事を思い知る。何よりも、この母親は自分と違って、娘を本当に理解していた。
ここから充は、今まで知らなかった、いや理解しようとしなかった、娘の本当の心の中を知ろうとする行動を開始するのである。
それはまさに題名通り、“娘との間にあった、「空白」を埋めて行く”作業なのである。
まず花音の部屋にあるものを見て行く。そして縫いぐるみの中に、(おそらくスーパーで万引きした)化粧品を見つけてしまう。やはり娘は万引きしていたのだ。
絵画部に所属していた花音は、いくつかの絵を残していた。花音の遺品である絵具を使って、充はヘタクソな絵を描いて行く。絵を描く事で、娘の心も少しは判るような気がして。
そこに事件以来、別の船に乗っていた龍馬が、もう一度充の船に乗せて欲しいと言って来る。
充の乱暴な言動に嫌気が差していた龍馬だが、離れてみると、厳しく指導してくれた充はやはりいい師匠だったと思い知ったのである。
こうして、モンスターと思われていた充の隠れた、良い一面が少しづつ露わになって行く。ここらも脚本が見事。
そして、学校から返されて来た花音の絵を見て、充は愕然となる。
そこには、充が書いたヘタな絵、“青空に浮かぶイルカのような白い雲”とそっくりな絵(注2)があったのだ。無論絵はずっと花音の方が上手だが。
まるで心が離れていたかのような父と娘だが、実はどこかで心が繋がっていた事を示す、感動的なシーンである。
その後充は、売り上げが落ちたスーパーを閉店し、今は道路整理員の職に就いていた青柳と再会する。
まだモヤモヤは晴れないながらも、もはや青柳に対する憎しみの心も消えた充。二人は海を見つめ続ける。そぶりには見せなくても、二人は和解したであろうことを示している。
その後、弁当を食べている青柳に一人の若者が近寄り、”スーパーの店長さんじゃないですか。あそこの焼き鳥弁当、美味かったすよ。またあの焼き鳥弁当、作ってくださいよ”と声を掛けられる。
自分のやっていた仕事を褒めてくれる人がいた事で、青柳の心も幾分かは救われる。もしかしたら青柳は、将来は弁当屋を立ち上げ再起するかも知れないとも思わせる。
こうしたいくつかの感動的なエピソードを終盤に積み重ねる事で、我々観客も、とても温かい気持ちにさせられる。爽やかな幕切れである。
涙が出た。素晴らしい傑作である。
さまざまな人間模様、ふとした事で狂い始める運命の怖さをリアルに描きながらも、“人間って、どこかで間違いを犯す事もあるけれど、それでも何か良い面も持っている。この世には悪意が満ちているかも知れないけれど、それでもどこかに善意の芽はあり、希望はある”
そうしたテーマを強く感じさせた。
隅々の人物に至るまで、どの登場人物にもリアルな人間性を感じさせる脚本と、それを完璧に映像化した演出も見事。吉田恵輔監督の集大成であり、これまでの最高作と言えるだろう。
もしかしたら、本年度のマイ・ベストワンになるかも知れない。お奨めである。必見。 (採点=★★★★★)
(注1)
このシーンの前に、青柳がタオルをドアノブに引っ掛け、自殺しようとするシーンがあり、その直後、充の携帯に着信があり、「え、死んだ」と充が返すシーンが続く。そして遺体安置所には首に擦過痕のある死体がある。
これで観客はてっきり青柳が自殺して死んだ、と思い込んで暗然たる気分になってしまうのだが、実はこの死体、花音を撥ねた加害者の自殺死体であった事が後で判る。青柳の自殺は未遂だった。
吉田監督、こんなミスリードさせて観客を嵌めるなんて、人が悪い(笑)。
(注2)
このイルカ雲の絵、青空に白い雲で、もしかしたら題名の「空白」に引っ掛けているのかも知れない。
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コメント
つまんなくは無いけど私は今ひとつでした。
私のレビューです。
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投稿: タニプロ | 2021年10月10日 (日) 00:58