「ドライブ・マイ・カー」
(物語)舞台俳優・演出家の家福悠介(西島秀俊)は、脚本家の妻・音(霧島れいか)と満ち足りた日々を送っていた。しかし、妻がある秘密を残したまま突然この世を去ってしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた悠介は、広島で開催される演劇祭で演出を担当する事になり、愛車のサーブで広島へと向かう。そこで彼は、演劇祭実行委のルールで車は実行委が用意した専属ドライバーが運転することになっていると告げられる。担当する事となったドライバー・渡利みさき(三浦透子)の運転は正確で悠介は彼女に運転を任せる事にする。喪失感を抱えたまま生きる悠介は、みさきと過ごすうちに、それまで目を背けていたあることに気づかされて行く。
濱口竜介監督の作品では、2015年の「ハッピー・アワー」にまず圧倒された。上映時間5時間17分に及ぶ、ものすごく長い作品だが、ほとんどダレる所もなく、その緻密な構成、きめ細かく描き分けられた登場人物たちのキャラクターに魅せられ、観終わった時には「これは凄い新人監督が登場した」と心の中で快哉を叫んだ。
その次の商業映画デビュー作「寝ても覚めても」がこれまた傑作だった。人が人を愛する事の意味を問いかける、至高の恋愛映画であり、かつ人間ドラマの秀作であった。新人監督でありながら、また商業映画1作目でありながら、これほどの完成度の高い映画を作るとは。この2本で私は濱口竜介監督の大ファンになった。ちなみに私の採点は2本とも★5つである。
そしてこの新作の登場である。原作が村上春樹の短編というのも魅力である。濱口監督がこの原作をどう料理するか、楽しみにしていた。
原作は50ページほどの短い作品だが、映画はなんと上映時間が3時間近くに及ぶ大長編。しかしさすが濱口監督、原作のエッセンスを生かしながら、過去の濱口作品でも扱われたいくつかの重要なテーマを巧みに取り入れた脚本が相変わらず見事。3時間があっと言う間だった。
(以下ネタバレあり)
主人公家福悠介は舞台俳優であり演出家。妻の音は脚本家である。悠介は妻を深く愛しており、また音は舞台における悠介以外の出演者のセリフをカセットテープに吹き込み、悠介はそれを仕事先に向かう車の中で再生して、音のセリフを受ける形で自分のセリフを喋り、出演舞台での間合い、タイミングを確かめる。
音のセリフの間合いは完璧で、悠介は心地よいリズムで舞台稽古に没頭出来るわけである。
実に見事な夫唱婦随。理想の夫婦でもある。
ところがある日、出張先に向かう飛行機が悪天候でフライト不可となり、悠介は予定を変更して一旦自宅に引き返す。
ところが家に帰ると、妻は若い男とセックスをしていた。悠介は気づかれぬよう家を出る。
あんなにお互い愛し合っていたはずなのに、何故妻は自分を裏切ったのか。悠介は音の心が分からなくなる。
それでも悠介は知らぬ顔をして、これまで通り妻との夫婦生活を続ける。不倫という仕打ちを受けても、妻を愛しているのだ。
そしてある日、音は出かける悠介に「今夜帰ったら少し話せる?」と伝える。
悠介は、どんな話が切り出されるかと悩み、帰りづらくなり、深夜に帰宅すると、音は死んでいた。急性くも膜下出血だった。妻は何を伝えたかったのか。
悠介の心に、ポッカリと埋められない穴が開く。その喪失感を抱えたまま、やがて2年の歳月が過ぎる。
…と、ここでやっとクレジット・タイトルが入る。45分以上経ってるだろうか。つまりここまでがタイトル前の導入部という事になる。
かなり長いアバンタイトルだが、ここまでの間に、後半に生きて来る細かいエピソードがぎっしりと詰め込まれているので退屈する事はない。
車の中でのカセットを通しての妻とのセリフのやり取りもそうだし、悠介が主役を務めるベケット作の「ゴドーを待ちながら」では、悠介は日本語、相手役は外国語で喋っており、舞台上のスクリーンにはそれぞれの言語の字幕が投影されている。
後半の「ワーニャ伯父さん」の舞台でも言語をさらに増加させて使われるこの手法が、悠介演出の舞台劇では当たり前のやり方だという事をここで示している訳である。なお舞台劇で字幕を使用する事はよくある事で珍しい訳ではない。
妻の死から2年後、広島で開催される演劇祭で悠介はチェーホフ作の「ワーニャ伯父さん」の演出を任される。演劇祭実行委のスタッフで韓国籍のコン・ユンス(ジン・デヨン)、は悠介にワーニャを演じる事を望むが、妻を亡くした喪失感から立ち直っていない悠介は固辞する。
ここに一人の重要な人物が登場する。万一事故があっては困るという演劇祭側の方針で、悠介の専属ドライバーとなる若い女性、渡利みさきである。
自分の愛車を他人が運転する事に最初は抵抗を示すが、彼女の運転はとてもスムースで乗り心地がいい。悠介は彼女に運転を任せる事にする。
みさきは寡黙で、必要な事以外は喋らない。悠介は助手席でなく後部座席に座り、これまでと同じようにカセットテープを再生して、音とのセリフ対話を続ける。
これは若い女性と車の中で二人きりでいる事に気を使っての事だろう。また車中でも演劇に没頭する事で、みさきとの間に気まずい空気が流れないように配慮しているのかも知れない。
この、微妙な距離感が、二人だけのドライブを毎日続けて行くうちに、次第に縮まって行く。その演出とテンポが絶妙である。
後段に登場するが、いつしか助手席に座るようになった悠介はみさきに、妻への思いを吐露する。あの日もう少し早く帰っていれば、妻を助られたかも知れないという後悔の思いを。
そうするとみさきもまた、実家が土砂崩れで倒壊した時、自分だけ先に這い出して、家に取り残された母を助けられなかったと語る。
彼女自身もまた、肉親を助けられなかった深い喪失感に苛まれている。
互いの後悔の念を共有する悠介とみさきは、心が急速に接近して行く。共にタバコを吸い、二人並んでそのタバコをサンルーフから出すシーンは印象的だ。
一方、演劇祭に向けて悠介たちスタッフは、オーディションで配役を選び、本読みリハーサルを続けて行く。このプロセスも時間をかけてじっくり、丁寧に描かれる。
面白いのは、オーディションで選ばれる俳優が多国籍で、セリフもそれぞれ自国語で喋る、「マルチリンガル演劇」である点だ。それも韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、ドイツなど9カ国にも上るという。さらには韓国女優イ・ユナ(パク・ユリム)は声が出せず、会話はすべて手話である。むろん前述のように実際の舞台ではスクリーンに字幕が映るので言葉は観客に理解出来るのだが。
そのリハーサル風景もユニークだ。最初のうちは各自テーブル席に座り、それぞれの言語でセリフの読み合わせを行う。役者は他の俳優が喋っている言葉が理解出来ないから、どこで言葉を継ぐべきか神経を使う。そうやって何度も読み合わせを繰り返す事で、タイミングを掴んで行く事になる。セリフにしても、悠介は敢えて棒読みに近い喋り方を要求する。
これで思い出すのが、濱口監督の「ハッピー・アワー」である。この映画でも、ワークショップに参加した素人俳優たちが、ほぼ棒読みのセリフを喋るが、読み合わせを何度も積み重ねた事でごく自然な会話になっている。濱口流メソッドと言っていいかも知れない。
このリハーサル風景は映画の中で何度も繰り返される。しかし本読みを重ねる事で、互いに理解出来ない言語であるにも関わらず、やがて違和感なく会話が成立して行く、そのプロセス、張り詰めた緊張感は見ごたえがある。上映時間が長くなるのも納得だ。
ユンスはある日、悠介を食事でもと自宅に誘う。そこにはあの手話の女優、イ・ユナがいた。彼女はユンスの妻だったのだ。ユンスは敢えて聾唖の妻をこの作品に起用したのである。
手話を通しての、ユンスとユナの会話はとても仲睦まじく、互いに愛し合っているのが分かる。自分は妻を本当に愛していたのか…。二人の様子を見て悠介は自問する。
そしてもう一人、オーディションで選ばれた高槻(岡田将生)という若い俳優の存在も重要である。彼は実は音の不倫相手であった事を悠介は知っている。にも拘らず、悠介は高槻を主役のワーニャに起用する。年齢的に若過ぎるのを承知の上で。
その理由はいろいろ解釈出来るが、多分、妻が愛した男が、役者としてどこまでやれるか試してみたいという興味もあっての事だろう。
この高槻というキャラクターも面白い。悠介の車に同乗した高槻が、悠介も知らなかった音の作る物語の結末を語るシーンや、見知らぬ人物が悠介たちを撮影している事に突然怒り出すシーンは、この男の得体の知れなさをうまく表現して出色である。
そのキレる性格が災いして高槻はある事件を起こし、警察に連行されて彼の出演は不可能になる。当然ユンスは、ワーニャのセリフは全部入っている悠介に代役を依頼するが、前述のように妻への思いからワーニャ役を固辞して来た悠介は踏み切れない。
2日間だけの猶予をもらった悠介は、みさきが以前語ってくれた、彼女の実家がある北海道へ行くようみさきに頼む。もしかしたらそこで答えを見つけられるかも知れないという思いで。
そして北海道に到着し、雪に埋もれたみさきの実家の残骸の前で、二人は泣きながら抱き合う。もう過去に囚われない、これからは前を見据えて生きてゆくのだと悠介は心に決める。
みさきもまた同じ思いだろう。ここは感動的だ。
そして最後のクライマックス。舞台で「ワーニャ伯父さん」が上演されている。
そのエンディング、イ・ユナ演じるソーニャが、悠介演じるワーニャの背後から手を差し伸べ、彼の目の前で手話で優しく語りかける。長回しで捕らえられたこのシーンは圧巻である。
字幕で示されるそのセリフもとても印象深い。このシーンでは泣けた。
生きて行く事は辛い。それでも人は生きて行く。過去を振り切り、いつか死を迎えるまでは、人は生きなければならない。
悠介を中心とした、さまざまな人の思いが凝縮された、このシーンは本作の白眉である。心が打ち震える、見事なエンディングである。
3時間近い上映時間ながら、まったく退屈する事なく、身じろぎもせず見入ってしまった。脚本が秀逸。カンヌ映画祭で日本映画初の脚本賞を受賞したのも納得である。
その脚本を完璧に映画化し、それぞれの出演者から最良の演技を引き出した濱口竜介監督、凄い。これは過去2作にも感じた事で、実質的な長編映画3作目にして、もはや日本映画の最先端を行く、堂々たる名匠監督となったと言えるだろう。
役者がみんないい。特にみさきを演じた三浦透子と、ラストの手話が心に沁みたパク・ユリムが素晴らしい。三浦透子はこれまであまり知らなかったが、これから伸びる気がする。
ベケットやチェーホフの戯曲に疎い私でも感動したが、もし「ワーニャ伯父さん」の原作ファンならもっと感動するに違いない。原作が読みたくなった。
また、“突然消えてしまった、最愛の人への思いが断ち切れない主人公の心の葛藤”というテーマは、濱口監督の「寝ても覚めても」においても扱われている。あちらは死んだのではなく失踪したわけだが。そしてやはり主人公たちは男女二人連れで車で北海道に向かっている。
前述した「ハッピー・アワー」における濱口メソッド的セリフ指導も含めて、本作は過去の濱口作品的要素も取り入れた、集大成的作品と言えるかも知れない。
長時間上映に文学的な内容と、誰にでも勧められる作品ではないが、濱口監督の前2作に感銘を受けた方は必見である。本年度のベストワン候補に挙げたい秀作である。(採点=★★★★★)
(付記1)
終幕、韓国に舞台が移り、みさきが悠介のあの愛車でスーパーで買い物をするシーンがある。そして車にはイ・ユナの愛犬が乗っている。
何の説明もないが、私の解釈をすれば、悠介とみさきが共に辛い思い出の残る日本を捨て、ユンスとユナ夫婦に誘われ韓国に住居を移したのかも知れない。
また、元々は演劇祭の舞台は韓国だったのが、コロナ禍で韓国での撮影が不能となって、広島に舞台が変更されたという経緯があるので、どこかで韓国でのロケシーンを入れたかったのかも知れない。
このシーンで、町の人々はみんなマスクをしているのが、今がコロナ禍である事を思い出させてハッとなる。
(付記2)
本作のタイトル「ドライブ・マイ・カー」は、ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」に収録されている曲名からいただいているわけだが、その前の村上春樹原作の映画化作品「ノルウェーの森」も実は同じく「ラバー・ソウル」収録の曲名で、しかもこのアルバムの1曲目と2曲目であるというのが面白い。村上春樹はビートルズ・ファンなのだろう。
もひとつ面白い事に、本作で音を演じた霧島れいかは、その「ノルウェーの森」にも出演している。
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コメント
3時間の長さが全く気にならず見れた事が、まず凄いと思う。最後まで見て、私はフィリップ・K・ディックの小説を思い出した。その内容は言葉にするのは難しいが、生きるのは辛い事もあるけれど、全うしようという話。まさか、ディックを思い出すとは。個人的に驚いた。
投稿: 自称歴史家 | 2021年9月 5日 (日) 22:01
少し調べたら村上春樹は、ディックのファンだったよう。ひょっとしたら、ディックはチェーホフが好きだったかも。深いなあ。
投稿: 自称歴史家 | 2021年9月 6日 (月) 08:26
素晴らしい映画でしたね。私は「ハッピーアワー」は半分以上寝てしまった人間ですけど。
今年のキネマ旬報一位は、元からキネマ旬報で人気がある西川美和の「すばらしき世界」かこれのどっちかでしょうか。
西川美和の本で読んだんですが、西川は今でも是枝裕和を師匠と呼んでるそうですが、タイプが全く違います。同様に黒沢清と濱口竜介も全くタイプが違います。
ところで別件なんですが、とんでもない映画を観ました。「ミークス・カットオフ」です。私、42年生きてきて新作・旧作色々映画観ましたが、大袈裟ではなくこの歳になって映画に対する価値観を揺さぶられるほど衝撃を受けました。私の脳味噌では魅力を伝えられないくらいです。「ドライブ・マイ・カー」がある意味言葉の映画なら、「ミークス・カットオフ」は言葉を超越した映画です。あまりに驚いたので、今度仲良くしてくださってる、とあるキネマ旬報ベストテン選考者の方にお願いして、話をすることにしました。
東京以外で上映があるのか知りませんが、これからなら絶対観逃さないほうが良いです。
投稿: タニプロ | 2021年9月 8日 (水) 00:44
ちょっと無理矢理な感じですが、「ミークス・カットオフ」と並べて書いてみました。
https://tanipro.exblog.jp/28858141/
投稿: タニプロ | 2021年9月 9日 (木) 17:34
◆自称歴史家さん
フィリップ・K・ディックですか。さすが、目のつけどころがユニークですね。ディック作品はまだ3~4冊くらいしか読んでないので、私はまったく思いつきませんでした。
もし良ければどの作品か教えてください。読んでみます。
◆タニプロさん
私も今の所、本作が暫定ベストワンです。
「ミークス・カットオフ」、大阪では10月から「シネ・ヌーヴォ」で公開予定のようです。時間が許せばぜひ見たいですね。西部劇タッチらしいのも私の好みですし。ただ残念ながら、スケジュールではいずれも午後7時半くらいからのレイトショーのようです。それだと見るのは難しそうです。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年9月11日 (土) 22:21
ありがとうございます。ディックの「去年を待ちながら」ですね。出来れば、早川版よりも絶版ですが、アマゾンとかでも手に入りやすい創元文庫の方がおすすめです。
投稿: 自称歴史家 | 2021年9月12日 (日) 20:48
ケリー・ライカート監督の特集、東京ではものすごいロングランで、終わり間際に駆け込んで観ました。
本当は4作品全て観たかったですが、貧乏なんで「ミークス・カットオフ」だけにしました。
(もちろん映画の作り手としては認めてますが)映画の評者としての荒井晴彦が仇敵というほど大嫌いで、映画芸術も大嫌いなんで読んでませんが、荒井が映画芸術で何か言ってるらしいですね。
投稿: タニプロ | 2021年9月12日 (日) 23:22
なお、全然別件ですが、お知らせしたいので書かせてください。ご存知でしたら無視してください。
夫と死別した老女が、ふと訪れた映画館でとある青年と運命的な出会いをし、「私は映画を撮りたい側の人間」と気付かされ動き出すコミック「海が走るエンドロール」(たらちねジョン・秋田書店)が素晴らしいです。人間の肯定ぶりに心打たれます。溢れる映画愛がエモいです。
私は朝日新聞の書評で知りましたが、東京では大きな書店でも売り切れ状態。他店舗から取り寄せて買いました。
あんまりSNSをマメに見てないから知らなかったんですが、Twitterや Instagramでは以前から話題だったらしく、作者のアカウント見たら、何と28万もイイネが付いてました。
人生はいつでもやり直せるという想いに痺れました。太陽を盗んだ男やナイト・オブ・ザ・リビングデッドなどへの目配せなんて言うことがありません。
投稿: タニプロ | 2021年9月12日 (日) 23:32
◆自称歴史家さん
「去年を待ちながら」ですか。ありがとうございます。
調べたら私が通ってる図書館に置いてあるようで、さっそく予約しました。
読み終わったら、もしかしたらですがこのブログで感想アップするかも知れません。期待しないでお待ちください。
◆タニプロさん
「映画芸術」誌はたまに立ち読みする程度です。たまたま「ドライブ・マイ・カー」特集してる最新号に、例の寺脇研と対談して感想書いてるコラムで「ミークス・カットオフ」取り上げてましたね。感想としては、夜のシーン、画面が真っ暗なのがいいとか書いてます。自作でそういう撮り方出来なかったので、うらやましいとか。そんな感じですね。
「海が走るエンドロール」面白そうですね。ネットでお試し版が3話ほど無料で読めるので見ました。「シャイニング」が出て来たり、作者もかなりの映画ファンのようですね。これ、映画化したら面白いと思います。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年9月17日 (金) 11:47
ラストの韓国のシーンですが、そう言う考えもありますね。僕はそうは考えませんでした。あまりにも唐突で訳がわからなくなりました。
分からないから映画は駄目と言うことにはならないのですが、本作では意味があるのでしょうか。僕は韓国ロケのシーンは使わずに日本で撮り直すほうが良かったのではと思います。本作に限って言えば無意味な労力を観客に強いるべきではないと思います。思わせぶりです。ベストテンから外したのは正解でした。
投稿: 広い世界は | 2022年5月11日 (水) 09:19