「由宇子の天秤」
2020年・日本 152分
制作:映画工房春組
配給:ビターズ・エンド
英題: A BALANCE
監督:春本雄二郎
脚本:春本雄二郎
プロデューサー:春本雄二郎、松島哲也、片渕須直
撮影:野口健司
編集:春本雄二郎
ドキュメンタリー・ディレクターの女性がさまざまな問題に突き当り悩む姿を通して現代社会の矛盾や問題点をあぶり出す社会派ドラマ。監督は「かぞくへ」の春本雄二郎。主演は「火口のふたり」の瀧内公美。共演は「佐々木、イン、マイマイン」の河合優実、「かぞくへ」の梅田誠弘、「浜の朝日の嘘つきどもと」の光石研。2021年・第71回ベルリン国際映画祭パノラマ部門出品。第25回釜山国際映画祭・ニューカレンツアワード受賞。スペインのラス・パルマス国際映画祭では瀧内公美が最優秀女優賞を受賞。
(物語)由宇子(瀧内公美)は父・政志(光石研)が経営する学習塾を手伝いながら、ドキュメンタリー・ディレクターとして、世に問うべき問題に光を当てることに信念を持ち、保守的な製作サイドと衝突することもいとわずに活動を続けていた。今は3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件の真相を追っている。だがある日、思いもかけない政志の行動により、由宇子は自身の信念を揺るがす究極の選択を迫られる…。
監督の春本雄二郎については、これまで全く知らなかった。2018年公開の「かぞくへ」で長編監督デビューしているが、ごく小規模の公開でほとんど話題にならなかったようだ。私も観ていない(当地で公開されたかも不明)。
それで、観る気になったのは、プロデューサーとして片渕須直の名前があったからである。「この世界の片隅に」のアニメーション監督がなんでプロデューサーを引き受けたのかとても気になった。
そんなわけで、ほとんど事前情報もないままに白紙の状態で観る事となった。
そして観て驚いた。152分とかなりの長尺だが、マスコミを中心とした情報化社会の問題点、いじめ自殺問題といった社会派的テーマを深く掘り下げた緻密な脚本、緊迫感溢れるスキのない演出、そして瀧内公美のハイテンションの熱演にそれぞれ唸らされ、152分があっと言う間だった。これは本年度の注目すべき傑作である。
(以下ネタバレあり)
主人公由宇子はテレビのドキュメンタリー・ディレクター。3年前に発生した女子高生いじめ自殺事件の真相を追って、遺族、関係者にインタビューし、それらの映像を編集して1本のドキュメンタリーにまとめあげた。その仕事ぶりには並々ならぬ熱意が篭っている。
だが、テレビ局のプロデューサーや幹部が出席した試写会で、プロデューサーは放映して問題になりそうな個所を次々カットして行く。由宇子は抗議するが、上層部の意向は絶対である。カットしなければ放映出来ないと言われ、仕方なくカットを呑むが由宇子は憤懣やる方ない。こうして、不都合な真実は隠蔽されて行く。
このシーン、プロデューサーは「はい、こことここ」といった具合に、いとも簡単に台本に取消線を入れて行く。
実際にテレビで放映される報道番組でも、こんな事がまかり通っているのだろうなと想像出来る。
そう言えば先般公開された秀作「空白」でも、テレビ局がスーパー店長(松坂桃李)にインタビューした映像を編集して、店長に悪意があるようなニュアンスで放映していたのを思い出す。
ここまでで見えて来るのは、由宇子が強い信念を持って、被害者家族に寄り添い、真実を明らかにしようとする姿勢で、それはまさしく理想的なジャーナリスト魂である。
それは理想ではあるが、現実にはトラブルになるのを恐れる上層部や、スポンサーへの忖度も絡んでなかなか難しい。
観客は、まっすぐに真実を追い求めようとする由宇子に共感を覚えるだろう。
だが物語は意外な方向に転回する。
由宇子の父・政志は学習塾を経営しており、由宇子も講師や生徒の相談などを手伝っている。親子の関係は良好なようだ。
ある日生徒の一人、小畑萌(河合優実)が体調を崩して倒れ、由宇子が付き添っているうちに萌の妊娠が発覚する。しかも萌によれば、相手は政志だという。
由宇子は父を問い詰め、政志は関係したことを認める。
政志は萌の父に真実を伝え謝罪すると言うが、由宇子は困惑する。
これが公けになれば、学習塾は経営破綻に追い込まれるだろうし、それだけでは済まず、由宇子が手掛けるドキュメンタリーも放映中止となり、大勢のスタッフにも迷惑がかかる。自身の社内での立場すらも危うくなる。
それらを回避する為には、この事実を隠蔽するしかないと由宇子は決断する。
なんとも皮肉である。ジャーナリストとしての由宇子は真実を包み隠さず明らかにする事を求めているのに、自身の個人的な問題についてはその主義と相反する事をやろうとするのだから。
題名の「天秤」とは、二者択一に追い込まれた場合のどちらを選択すべきかを天秤(はかり)になぞらえているのだろう。高倉健主演作の主題歌「唐獅子牡丹」の歌詞にも「義理と人情を秤にかけりゃ」と歌われている(笑)。
だが、我々だってそんな立場に追い込まれたら、どちらを選択するだろうか、考えさせられる。現実の人生の上でも、例えば浮気をして、それを黙っていた方が一家は平穏に暮らせるだろうし、正直に告白すれば、家庭が崩壊してしまう事だってある。
嘘と真実、どちらに天秤の重りを置くべきか…。この映画のテーマは、我々自身にも突きつけられているのである。
由宇子はツテを頼って、モグリの堕胎医で誰にも知られる事なく萌の中絶手術を行おうとする。これも隠蔽工作であり、危うい選択である。
だが物語はさらに急転する。萌の家を訪れた由宇子は、その家から出て来る不審な男子高校生を見咎め、質問すると、彼は「萌は誰とだって寝ている」と言う。萌は嘘をついているのか、彼女の子の父親はいったい誰なのか。由宇子の心に疑念の渦が巻き起こる。
ここからはさらにもう一つのテーマ、“何が嘘で何が真実なのか”が浮かび上がって来る。
テレビ局だって、都合の良いように真実を捻じ曲げて、嘘を報じている場合もある。由宇子もまた、萌の父に萌の妊娠を隠し嘘をついている。
萌が言う、妊娠させた相手は政志だというのも嘘かも知れない。が、あの男子高校生だって本当の事を言ってるかは分からない。嘘の可能性だってある。
由宇子は真実を知ろうと萌に訊ねるが、それが却って萌の精神を不安定に追い込み、車に接触して病院に担ぎ込まれ、そこで萌の父は娘が妊娠していた事を知る。知ってて何故秘密にしていたのか、萌の父は由宇子を問い詰める。
ここから物語は一気に終幕を迎える。由宇子はここで遂に、ある決断をする。このラスト、6分にも及ぶワンカット長回しは本作の白眉である。そして映画は結論を出さないままで終わる。
この長回しシーンは、手持ちカメラでじっくりと、由宇子を凝視するかのように撮られている。まるでドキュメンタリー映像のように見えるのも監督の狙いで、それまで撮る側だった由宇子が、ここでは逆に撮られる側になっている、一種の逆転が起こっているのである。それは、真実を追い求めていたはずの由宇子が、自分の嘘によって逆襲されてしまうこの物語自体を象徴しているのかも知れない。
重い作品である。しかしそれはズシリと我々の心に響く重さである。
真実とは何か、それを白日の下に晒す事に意味はあるのか。真実を求める事が正義だと思っていた由宇子が、自分を守る為には嘘をついてしまう矛盾。
人間とは身勝手で、弱く脆い生き物である。でも、それが人間の真実(実態)なのかも知れない。そうした危うい“バランス”(英語題名)を保って、人間は生き続けるのである。
全編出ずっぱりで熱演する瀧内公美が素晴らしい。実は瀧内は春本監督のデビュー作「かぞくへ」を観て感銘を受け、監督に次の作品に是非出演させて欲しいと直訴したそうだ。監督デビュー作を観てその才能に惚れ込んだのなら、その眼力にも敬服する。スペインのラス・パルマス国際映画祭で最優秀女優賞を受賞したのも納得である。
春本監督、デビューわずか2作目にして、見事な傑作を送り出して来た。凄い新人監督の登場である。今後の活躍を期待したい。 (採点=★★★★☆)
(付記)
片渕須直が本作のプロデューサーとなったのは、春本監督へのインタビューによると次のような経緯があったのだそうだ。
春本が日大芸術学部映画学科の3年生の時に、シナリオを教えていた講師が松島哲也監督で、そこから松島監督との交流が深まり、「かぞくへ」の舞台挨拶には松島と、松島と日大同期だった片渕須直がやって来た。
その時、春本監督は2作目となる本作の脚本を松島監督に読んでもらい、松島監督が製作費にいくらかかるかと聞いて、足りないと感じた松島監督が片渕監督に声をかけ、二人で合わせていくらか出資すると申し出たのだそうだ。春本監督は松島、片渕両監督に、脚本の相談にも乗っていただいたという。
いい話である。本作の完成には、資金面、脚本面の両面において松島、片渕両監督の手厚い支援があったわけである。お二人がいたからこそ、素晴らしい作品が出来上がったのだと思う。
でも、決して裕福とは言えない松島、片渕両氏に資金面でお世話をかけるなんて、日本映画の製作者たち、文化庁のお役人たち、こんな事でいいのか猛省していただきたいと強く思う。
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コメント
つまんなくは無いけど私は今ひとつでした。
双葉十三郎風に点数つけるなら
☆☆☆★★
意欲も込みで。
細かく書きませんでしたが、もうツッコミどころだらけ。
私のレビューです。
https://tanipro.exblog.jp/28910417/
投稿: タニプロ | 2021年10月10日 (日) 01:03
日芸にいた人間としては、ただただうれしいです。
いまの若い映画人たち、すごいですね。
実は仲間うちのLINEで、大雑把だけど映画のテーマって「再生」が多い気がするんだけどこの映画のラストはある意味まんま再生だ、それは観て確認してくれと投稿しました。
本当にいい映画ですね。
投稿: 周太 | 2021年10月22日 (金) 18:18
◆周太さん
日大芸術学部におられたのですか。それは嬉しいですね。あそこは片渕須直監督や沖田修一監督に、本作の春本監督と、いい人材を輩出してますね。
>この映画のラストはある意味まんま再生
あのラストは、何もかも失った由宇子が、それでももう一度やり直そうと立ち上がる、まさに再生する姿を描いているのでしょう。また一時は死んだかと思えた彼女が、実は生きていた、文字通りの“再生”の二重の意味を持っているのかも知れません。ご指摘、的を射ていると思います。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年10月26日 (火) 22:21