ケリー・ライカート作品特集上映
大阪では、九条のシネ・ヌーヴォで10月初より上映されていたが、上映開始時刻がほぼすべて午後6時以降のレイトショーだったので、場所も自宅より遠いし、鑑賞するのは難しいかなと諦めかけていた。
が、幸いヌーヴォの2階にある超ミニシアター(笑)シネ・ヌーヴォⅩで10月末に日中の時間帯で上映される事となったので、なんとか見る事が出来た。時間の関係で、以下の2本しか観られなかったが、観て良かった。いずれも素晴らしい秀作だった。
2008年・アメリカ 80分
製作:Film Science=Glass Eye Pix
配給:グッチーズ・フリースクール、シマフィルム
原題:Wendy and Lucy
監督:ケリー・ライカート
原案:ジョン・レイモンド
脚本:ジョン・レイモンド、ケリー・ライカート
編集:ケリー・ライカート
撮影:サム・レビ
製作総指揮:トッド・ヘインズ、フィル・モリソン、ジョシュア・ブラム
(物語)ほぼ無一文のウェンディ(ミシェル・ウィリアムズ)は、仕事を求め、愛犬ルーシーを連れて車でアラスカを目指していたが、その途中オレゴンのスモールタウンで車が故障し、足止めされてしまう。ルーシーのドッグフードも底をつき、所持金を残しておきたいウェンディはスーパーマーケットで万引きをするが、店員に見つかり警察に連行されてしまい、ルーシーも行方不明になってしまう…。
主演は「マリリン 7日間の恋」等のミシェル・ウィリアムズ。ウィリアムズはライカートの前作「オールド・ジョイ」(2006)を観て感銘を受け、ライカート監督に是非次作に出演させて欲しいとアプローチして、望み通り本作に出演する事となった。
ウィリアムズ扮するウェンディは、貧困生活から抜け出す為に、オンボロ車(ホンダ・アコード)に最低限の荷物を積み込み、愛犬ルーシーと共に職を求め新天地アラスカを目指し旅に出る。
動物を連れてのロード・ムービーと言えば、1974年のポール・マザースキー監督の秀作「ハリーとトント」を思い出す。アメリカ大陸を旅する老人が主人公で、連れているのは犬ではなく猫のトント。題名も似ている。
だが本作がこれと異なるのは、ロード・ムービーにも関わらず、実は開巻早々、旅の途中で立ち寄ったオレゴンのとある街で車が故障し、以後最後までこの街を舞台としたドラマが続く事となる。いわば“旅のないロード・ムービー”とでも言うべき作品である。これは面白い発想だ。
ウェンディは車を直そうと修理工場を探すが、まだ閉まったままだ。そこで時間潰しに、スーパーに立ち寄る。店の前の柵にルーシーを繋いで。
そこでウェンディは、少しでも出費を抑えようと棚の商品を万引きしてしまうが、店員に見つかり、警察に引き渡されてしまう。繋がれたルーシーが気になるがどうする事も出来ない。
ここからウェンディの運命は、坂を転がり落ちるように次々悪い方へと導かれて行く。
警察での長時間の勾留の末に、なけなしの金から罰金を払ってウェンディはようやく釈放されるが、店の外に繋いでおいたルーシーの姿は消えていた。
修理工場に車の修理を依頼するも、エンジンに致命的な故障が見つかって、修理代に2,000ドルが必要と言い渡される。中古自動車でも買える値段だ。無論そんな金など持っていない。泣く泣く車を手放す破目となる。
こうしてウェンディは、寝泊りしていた車も、心の支えとなっていたルーシーも失い、夜は野宿しながら昼は愛犬ルーシーを探し求めて、スモールタウンの街を彷徨い続けるのである。
ウェンディを警察に引き渡したスーパーの店員も、高額修理代を請求する修理工場の担当者も、決して悪意がある訳ではない。万引きは犯罪だし、メンテナンスもせず古い車をこき使った挙句の故障も、すべてはウェンディの責任である。
その半面、近くのビルの老警備員(ウォーリー・ダルトン)がウェンディの苦境を見かねて、携帯を貸してくれたり、ルーシーの尋ね犬のチラシの連絡先や、保健所からの返信先に自分の携帯番号を快く提供してくれたり、別れ際にいくばくかのお金を渡してくれたりと、何かと親切にしてくれる姿も印象的だ。
世の中、決して冷たい人間ばかりではない。このシークェンスにはホロリとさせられた。警備員を演じたウォーリー・ダルトン、味のある好演である。
やがて保健所からの連絡で、ルーシーが、ある裕福で犬好きな人の家で飼われていた事が分かる。
だがその家に寄ってみるも、車もないウェンディが職を求め旅を続けるには、ルーシーはとても連れて行けない事を彼女は自覚する。
飼い主が外出した後、ウェンディはルーシーに近寄り、悲しいけれど連れて行けない事を涙ながらに詫びる。
ウェンディが投げた棒切れを、ルーシーが何度も嬉しそうに咥えて戻って来るシーンでは泣けた。
そしてウェンディがこの街を去り、不況時代のホーボーのように、貨物列車にただ乗りしてアラスカに向かう所で物語は終わる。
このラストシーンや、「ハリーとトント」との類似性も含めて、この作品にはかつての“アメリカン・ニューシネマ”の残滓をどことなく感じてしまう。
また、生活苦に喘ぐ名もなき庶民の、必死に生きる姿を見つめる描き方からは、イギリスのケン・ローチ作品を思わせたりもする。
しかし、この作品の底流に流れるのは、それらの作品をベースにしながらも、繁栄の狭間に置き忘れてしまわれそうなアメリカ社会の底辺で、自分なりの生き方を模索する人も確かに存在する事を冷徹に、しかし限りなく優しい目で見つめようとする作家の姿勢である。
また、仕事も住む所も失った女性が、広いアメリカの国土をさすらい続けるという物語は、今年公開され、アカデミー作品賞も受賞した「ノマドランド」とテーマにおいて的確に重なり合っているという点も見逃せない。なんと「ノマドランド」の12年も前に、こんな作品が作られていたのである。しかもどちらも女性監督。
本作がわが国では、その「ノマドランド」と同じ年に初公開された、というのも不思議な縁を感じる。
観て良かった。素晴らしい傑作である。公開規模が極めて小さいのが残念である。
出来ればもっと宣伝して、シネ・リーブルやテアトル梅田等の都心のミニシアターでも公開して、多くの人の目に触れる事を望みたい。 (採点=★★★★☆)
2010年・アメリカ 103分
製作:Evenstar Films=Filmscience=
Harmony Productions/Primitive Nerd
配給:グッチーズ・フリースクール、シマフィルム
原題:Meek's Cutoff
監督:ケリー・ライカート
脚本:ジョン・レイモンド
撮影:クリストファー・ブロベルト
音楽:ジェフ・グレイス
製作総指揮:トッド・ヘインズ、フィル・モリソン、ラジェン・サビアーニ、アンドリュー・ポープ、スティーブン・タットルマン、ローラ・ローゼンサール、マイク・S・ライアン
(物語)1845年、オレゴン州。移住の旅に出たエミリー(ミシェル・ウィリアムズ)、ソロマン(ウィル・パットン)・テスロー夫妻ら3家族は、道を熟知しているという男スティーヴン・ミーク(ブルース・グリーンウッド)にガイドを依頼する。旅は2週間で終わるはずだったが、5週間が経過しても目的地にたどり着かず、道程は過酷さを増すばかり。3家族の男たちは、ミークを疑い始めていた。そんな中、一行の前にひとりの先住民が姿を現す。
もう1本観たのがこの作品。「ウェンディ&ルーシー」に続きミシェル・ウィリアムズ、 ウィル・パットンが共演。前作ではちょっと冷たい修理工場の技術員を演じたウィル・パットンが本作ではウィリアムズの夫役を演じているのが面白い。
物語は西部劇。新天地を求め、幌馬車でアメリカ西部を旅する集団というのは過去の西部劇でも何度も登場した題材である。
先ほど公開されたアニメ「カラミティ」でも、この設定が使われている。同作では目的地、本作では旅する州と、どちらもオレゴンという共通性もある。そしてどちらも史実に基づいている。
但し本作でワゴン車を牽引するのは馬でなく牛。幌馬車ならぬ幌牛車(笑)というわけである。しかもワゴンが狭く、多くの荷物を積む為、人はワゴンに乗らず歩いているという設定もユニークである。
一隊は途中、近道を知っているというスティーヴン・ミークという男を雇うが、何日経っても目的地に近づけない。
このミークという男、恐らくは道を知らない。しかし言葉巧みに、いかにも自信たっぷりにこの道で間違いないと言うので、信ずる他はない。
いつまで経っても目的地に着かないので、やがてエミリーたちは道に迷ったかも知れないと思い始めるが、今更引き返せない。そのうち水も食糧も乏しくなって来る。
やがてミークは、一人の先住民のインディアンを捕まえ、道案内せよと命じる。この先住民が歩き始めると、一行はその後を追って旅を続ける。
しかし先住民の言葉は誰も理解出来ないので、彼が何か喋ってもチンプンカンプンである。それでも他に頼れる者がいないので、仕方なくその後を追う。
この設定が面白いのは、ミークの言う通りに進んでも正しい道かどうかも分からない上に、言葉が通じない先住民の案内で、二重に間違った道を進んでいる可能性があるという深刻な状況である。それでももはや引き返せない。
印象的なのは、夜のシーンで、よく使われる疑似夜景(昼の撮影にフィルターをかけて夜に見せる)ではなく、本当に暗くて何も見えないシーンが何度か登場する。顔が見えるのは、わずかの月明りと焚火の時くらいである。
西部の荒野の夜というのは、本当にこんなにも暗くて不安が募るであろう事を見事に表現している。
先住民はやがて、急斜面の荒野を降りて行く。あまりに急でそのままでは進めないので、ワゴンにロープをくくりつけ、ロープを手繰ってゆっくりと下すのだが、1台のロープが切れ、ワゴンは転落、大破する。仕方なく2台に荷物を積み替え進む。そして遂に一行の一人が倒れ、狭いワゴンに寝かせざるを得なくなる。条件は厳しくなる一方である。
もしかしたら、先住民はわざと悪路に誘導して一行を困らせようとしているのではないか。疑心暗鬼は募るばかりである。
とうとう堪忍袋の緒が切れたミークは先住民に銃を向けるが、もはやミークを信用しなくなった3家族は、そんなミークに銃を向け、状況はにっちもさっちも行かなくなる。
そんな内輪もめを冷ややかに見つめていた先住民は、悠然とその場を去って行く所で物語は終わる。
テーマとして感じられるのは、何度か書いて来たが、“リーダーが道を間違えても、誰かがおかしいと疑い始めても、それでも人間は間違った道を進んでしまう、人間という愚かしい存在への痛烈な批判”である。
これはアメリカが迷い込んだ、ベトナム戦争、イラク、アフガン戦争の、間違ったと思っても引き返せない泥沼の状況の暗喩のようにも思える。
まさに特集のテーマである、「漂流のアメリカ」そのものである。
「ウェンディ&ルーシー」でもヒロインは間違った道を歩んでしまうのだが、それでも人間の善意が彼女を救うという、かすかな希望はあった。
本作ではそれも排除され、人間不信と絶望が全編を覆っている。加えて言葉が通じない事による、コミュニケーション不在も強調される。
アメリカは何を間違ったのか、この国はどこへ行こうとしているのか。混沌の時代の先に人類は希望を見いだせるのだろうか。その状況を冷たく見据えるケリー・ライカートの視線にズシンと打ちのめされてしまう。
西部劇の形を借りた、これは現代の寓話であると言えよう。
(採点=★★★★☆)
なおケリー・ライカート監督作としては、昨年、A24の製作・配給による「First Cow」(原題)がアメリカで公開されて話題を呼び(第86回ニューヨーク映画批評家協会作品賞を受賞)、現在も同じA24製作により、ミシェル・ウィリアムズとの4回目のタッグとなる新作「Showing Up」の撮影が進んでいると言う。いずれわが国でもちゃんとした形で公開されるだろう。
小規模公開なので、なかなか観る機会は少ないだろうが、映画ファンなら、ケリー・ライカート監督作品は見逃すべきでない。上映機会が増える事を心から望む。
(付記)
上の2作品とも、「エデンより彼方に」、「キャロル」で知られる監督トッド・ヘインズが製作総指揮を務めている。ヘインズはその後のライカート監督作「ナイト・スリーパーズ」(2013)、「ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択」(2016・ミシェル・ウィリアムズ出演)でも製作総指揮を担当。ヘインズはライカート監督のデビュー作「リバー・オブ・グラス」を観てその才能に惚れ込み、以後の全作を製作総指揮する事にしたのだそうだ。まるでウェンディに親切にし、お金までくれた警備員そのものだ(笑)。
もっとも、資料によると、ライカートはトッド・ヘインズ監督「ポイズン」(91)では美術を担当すると共に、一部出演もしているそうで、二人の繋がりはそこから始まっていた訳である。
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コメント
ケリー・ライカート特集、東京では10週以上の超ロングラン上映でした。
「ミークス・カットオフ」観てからだいぶ経ちましたが、ただ一本生えていく木から歩き去って行く男をその木から見つめる女性のラストシーンが頭に焼き付いて離れません。
投稿: タニプロ | 2021年11月 8日 (月) 00:44
◆タニプロさん
以前に「ミークス・カットオフ」をお奨めいただいてたので、気になっておりました。教えていただかなければ見逃したかも知れません。ありがとうございました。
投稿: Kei(管理人 ) | 2021年11月 8日 (月) 18:53