« 「偶然と想像」 | トップページ | 2021年度・ベスト20 ワースト10発表 »

2021年12月30日 (木)

2021年を振り返る/追悼特集

今年も押しつまりましたね。いかがお過ごしでしょうか。

さて今年も、毎年恒例の、この1年間に亡くなられた映画人の方々の追悼特集を行います。

 

ではまず、海外の映画俳優の方々から。

1月4日 タニア・ロバーツさん  享年65歳
Tanyaroberts 新年早々、昨年に続いてまたも007ボンド・ガールの訃報です。
1976年映画デビュー。数本の映画で助演の後、1980年からテレビドラマ「地上最強の美女たち!/チャーリーズ・エンジェル」のジュリー役に抜擢され、お茶の間の人気者に。以降セクシー女優として84年、「シーナ」に主演。翌年、「007/美しき獲物たち」でボンド・ガールを演じました。その後も数本の映画に出演しましたが、残念ながら出演作は小粒な作品ばかりでほとんどが日本未公開。代表作はやはり「チャーリーズ・エンジェル」と「007」1本という事になるでしょうね。昨年末、散歩後に倒れ入院、そのまま帰らぬ人となりました。65歳は若いですね。

1月5日 ジョン・リチャードソン氏  享年86歳
この名前を聞いても、大抵の映画ファンなら同姓同名のSFX特殊効果マンを思い出すでしょうね。こちらは「007/オクトパシー」、「エイリアン2」、「スターシップ・トゥルーパーズ」等、錚々たる娯楽大作を担当した名SFX担当者です。
Onemillionyearsbcで、亡くなったのは同名異人の俳優の方です。私にとって思い出深いのは、ラクエル・ウェルチ主演でレイ・ハリーハウゼンがSFXを担当した「恐竜100万年」(1966)でウェルチの相手役を演じていた事ですね。出演作の多くはこれと同じハマー・フィルムのB級SF、怪奇映画です。1970年にはバーブラ・ストライサンド主演の話題作「晴れた日には永遠が見える」にも出演しましたが、ほとんど記憶にありません。その後はまたB級、C級映画が多くなり、73年にはイタリア製エロ・ホラー映画「影なき淫獣」に出演、以後もイタリアで数本の映画に出演しました。まあ私にとっては恐竜映画の傑作「恐竜100万年」でのみ記憶に残る方と言えましょう。

1月21日 ナタリー・ドロンさん  享年79歳
名前でお分かりの通り、名優アラン・ドロンの元夫人です。60年代前半、パリのディスコでアラン・ドロンと出会い、64年に結婚しました。その後アランの勧めもあって女優になり、67年のアラン主演作「サムライ」で夫婦共演を果たします。そして68年の「個人教授」(ミシェル・ボワロン監督)でルノー・ヴェルレーと共演、年下の少年と恋に落ちる年上女性を演じて日本でも大ヒット、以後このパターンの映画が続々作られる、その嚆矢となりました。73年の「新・個人教授」でも同じような役柄を演じてますね。アランとは69年に離婚しましたが、71年にはアランと共演の「もういちど愛して」(ジャック・ドレー監督)に出演してます。離婚後の姓もドロンのままですし、“別れても好きな人”(笑)だったのかも知れませんね。なお88年には「スウィート・ライズ」で監督業にも進出しています。ナタリーの死去後、アラン・ドロンはその死を惜しみ「最初の妻で唯一のドロン夫人だった」とコメントしているそうです。

1月27日 クロリス・リーチマンさん  享年94歳
何と言っても、1971年のピーター・ボグダノビッチ監督の傑作「ラスト・ショー」での名演が忘れられませんね。これでリーチマンさんは米アカデミー賞の助演女優賞を受賞しています。この時45歳でしたから、遅咲きの名優と言えるでしょう。
1946年、ミス・アメリカを競った事などがきっかけで、テレビドラマや映画にも出演するようになります。その後、本格的に演技を学ぶためにアクターズ・スタジオへ入学し、エリア・カザンに師事して演技を磨きます。クレジットに名前が載る映画初出演は55年の「キッスで殺せ!」。その後は映画出演はあまりなく、69年の「明日に向って撃て!」でようやく注目され、そして「ラスト・ショー」に至るわけです。さらに73年のジョン・ミリアス監督デビュー作「デリンジャー」でも好演と名声は高まって行きます。
面白いのは、74年のメル・ブルックス監督「ヤング・フランケンシュタイン」を皮切りに、以後「新サイコ」「珍説世界史PART I」とブルックス作品に連続して出演しているのですね。ブルックスとはウマが合ったのでしょうか。以後も重厚な作品からコミカルな作品まで、幅の広い演技をこなしているのが素晴らしいですね。なお90年の「ラスト・ショー2」でも前作と同じ役を演じています。またアニメの声優としても活躍し、中でも宮崎駿の「天空の城ラピュタ」アメリカ公開版ではあのドーラ婆さんの声を担当してます。最近では2018年の「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」に出演、多分これが遺作になったと思います。本当に素敵な名優でしたね。

2月3日 ハイヤ・ハラリートさん  享年90歳
Hayaharareet ハヤ・ハラリートとする表記も。イスラエル出身で、1959年のウィリアム・ワイラー監督の歴史大作「ベン・ハー」でチャールトン・ヘストンに心を寄せるエスター役でハリウッド・デビュー。エキゾチックな雰囲気の美女でしたが、その後は数本のマイナーな映画に出演したのみ。そして「華麗なるギャツビー」などの監督ジャック・クレイトンと結婚して引退しました。

2月5日 クリストファー・プラマー氏  享年91歳
カナダ出身で、1950年より舞台で活躍、58年のシドニー・ルメット監督「女優志願」で映画にも進出します。そしてあまりにも有名な、ミュージカル「サウンド・ブ・ミュージック」のトラップ大佐役で一躍トップスターとなり、以後数えきれないくらいの映画に出演、軍人役から悪役まで幅広い役柄を演じます。21世紀に入ってからはぐっと渋みを増して、2009年の「終着駅 トルストイ最後の旅」ではトルストイ役、翌年の「人生はビギナーズ」で史上最高齢(82歳)でのアカデミー賞助演男優賞に輝きます。2015年の「手紙は憶えている」でも86歳にして堂々の主演、90歳の認知症老人役を絶妙に演じておりました。88歳で演じた「ゲティ家の身代金」でもアカデミー賞助演男優賞ノミネート(これも最高齢記録)。2019年にも「ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実」で渋い名演技を披露しましたが、これが遺作となりました。80歳を超えて、こんなに精力的に映画出演して印象深い巧演を見せた俳優も珍しいでしょうね。なお「パルプ・フィクション」などに出演した女優アマンダ・プラマーは娘さんです。

3月15日 ヤフェット・コットー氏  享年81歳
Yaphetkotto 1964年頃から映画に出演していますが、強烈な印象を残したのが73年の「007/死ぬのは奴らだ」における敵のボス、ドクター・カナンガ役でした。なにしろラストで圧搾空気入れられて身体がゴム毬のように膨らみ、空中で破裂してしまうマンガみたいな最期でしたから(笑)。
以後もいろんなアクション映画、サスペンス、SF映画と幅広く活躍します。79年のリドリー・スコット監督「エイリアン」、88年の「ミッドナイト・ラン」等での好演も印象的でした。でもやはり1本選ぶとなれば、「007/死ぬのは奴らだ」ですね。

3月23日 ジョージ・シーガル氏  享年87歳
アメリカの俳優で、舞台、テレビで活躍の後、1961年に映画デビュー。以後数本の映画に出演しますが、1966年の「バージニア・ウルフなんかこわくない」(マイク・ニコルズ監督)で若い学者ニックを演じてゴールデングローブ賞とアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされます。その後も数多くの映画で印象的な演技を見せます。そして73年の「ウィークエンド・ラブ」(メルヴィン・フランク監督)で、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を獲得します。78年のロマンチック・サスペンス・コメディ「料理長殿、ご用心。」ではジャクリーン・ビセットと共演、コメディでも達者な演技を見せました。その後も多くの映画に出演しますが、ここ数年はテレビ出演が多くなります。映画では2014年のシャーリー・マクレーン主演「トレヴィの泉で二度目の恋を」に出演しますが、なんと前記のクリストファー・プラマーと共演しているのが奇遇ですね。これが最後の映画出演作のようです。

3月24日 ジェシカ・ウォルターさん  享年80歳
元は舞台女優で、いくつかの舞台に出演後、1964年に映画デビュー、65年のシドニー・ルメット監督「グループ」で注目されます。66年のジョン・フランケンハイマー監督「グラン・プリ」など数本の映画に出演しますが、何と言っても71年のクリント・イーストウッド監督デビュー作「恐怖のメロディ」でのストーカー悪女役が強烈な印象を残しましたね。これで名前を覚えた映画ファンも多いと思います。残念ながらその後はテレビ出演が多くなります。「刑事コロンボ」にも1本出演しています(愛情の計算)。映画にも数本出ていますが、ほとんど日本未公開でした。もっといろんな映画に出て欲しかったですね。なにしろ75年にはテレビ作品「エイミー・プレンティス」でエミー賞を受賞しているほどの実力派なのですから。

5月1日 オリンピア・デュカキスさん  享年89歳
変わった名前ですが、アメリカ生まれの女優です。1960年にオフ・ブロード・ウェイで舞台デビューし、多くの作品に出演します。63年頃からは映画にも出演し、69年のダスティン・ホフマン主演「ジョンとメリー」に助演して注目され、そして87年の「月の輝く夜に」(ノーマン・ジュイソン監督)で主人公の母親役を好演、見事アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞など多くの映画賞で助演女優賞を総ナメします。その後も「ワーキング・ガール」(88)、「マグノリアの花たち」(89)などの話題作に出演、とりわけ89年から始まる「ベイビー・トーク」シリーズ3本ではお祖母ちゃん役を快演。97年の「天使が見た夢」では死んでも天使となって地上に舞い戻って来る老母親役で主演を果たします。近年はテレビ出演が多くなって、スクリーンで見る事が少なくなってたのが残念ですね。

5月9日 ニール・コネリー氏  享年84歳
昨年亡くなられた、ショーン・コネリーの実弟です。なんと兄と1年違いで亡くなるとは。1967年、イタリアの映画会社が当時大ヒットしていたショーン主演の007シリーズにあやかって、この弟を主演に担ぎ出して「ドクター・コネリー キッド・ブラザー作戦」(監督:アルベルト・デ・マルティーノ)なるスパイ映画を製作しました。

Operationkidbrother

主人公の役名は本人と同じニール・コネリー。そして共演者が「007/ドクター・ノオ」のアンソニー・ドーソン、「007/ロシアより愛をこめて」のダニエラ・ビアンキ、「007/サンダーボール作戦」のアドルフォ・チェリ、さらにシリーズでMを演じたバーナード・リーに秘書マネイペニーを演じたロイス・マックスウェルとまあ豪華。役柄もオリジナルとほぼ同じという凝りよう。さすがパクリはお手の物(笑)のイタリア映画と感心。ラストではバーナード・リーの部長がイギリス情報部に入るよう勧誘しますが、ニールは「兄がそこで働いてるから」と断ります(笑)。結局ニールの映画出演はこれ1本きりとなりました。兄貴が世界的に有名になって、その後どんな人生を歩んで来たのか気になりますね。

5月10日 ノーマン・ロイド氏  享年106歳
ヒッチコック監督の「逃走迷路」(1942)のラストで、自由の女神像から墜落して行くシーンで強烈な印象的を残しましたね。これでノーマン・ロイドという俳優の名前を覚えました。106歳で、まだご存命だったのですね。

Normanloyd

ニュージャージー州生まれで、大学中退後、オーソン・ウェルズが主宰する劇団「マーキュリー劇場」に入り、ラジオの「マーキュリー放送劇場」にもたびたび出演してたそうですから、あの全米をパニックに陥れたラジオドラマ「宇宙戦争」にも出演していたかも知れませんね。映画は前述の「逃走迷路」がデビュー作です。その3年後には同じヒッチコック監督「白い恐怖」にも出演しています。またテレビの「ヒッチコック劇場」でも多くの作品で製作補を務めました。ヒッチコックに気に入られてたようですね。映画では他に、以前フィルム・ノワール特集でも紹介した「その男を逃がすな」(1951)や、チャップリンの名作「ライムライト」にも出演しています。その後はテレビのプロデューサー、監督等多彩な活動を行っています。映画出演は数少ないですが、89年のロビン・ウィリアムス主演「いまを生きる」や、93年のマーティン・スコセッシ監督「エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事」などで渋い名演技を披露しています。2005年のキャメロン・ディアス主演「イン・ハー・シューズ」にも大学教授役で出演しました。この時91歳なのですね。映画はこれが遺作のようです。

5月18日 チャールズ・グローディン氏  享年86歳
アメリカの映画俳優。1962年にブロードウェイの舞台で俳優のキャリアをスタートさせ、幾つかの演劇賞を受賞、64年頃から映画に出演するようになります。またテレビで脚本、監督も手掛けたりもします。そして68年のロマン・ポランスキー監督作「ローズマリーの赤ちゃん」で演技者としても注目され、以後数多くの映画で渋い助演ぶりを発揮します。印象に残っているのは、ロバート・デ・ニーロと共演した「ミッドナイト・ラン」(88)でしょうかね。デ・ニーロと二人で逃亡するうち、不思議な友情が生まれて行く辺りの演技は見事でしたね。また犬が主演のコメディ「ベートーベン」(92)では犬嫌いの父親役を絶妙に演じ、その続編にも出演しました。

6月13日 ネッド・ビーティ氏  享年83歳
舞台出身の俳優で、ブロードウェイの舞台にも立ちましたが、その舞台を見たジョン・ブアマンに認められ、72年のブアマン監督「脱出」で映画デビューを飾ります。バート・レイノルズ主演の「白熱」(73)では悪徳保安官を演じます。76年には「大統領の陰謀」「ネットワーク」と話題作に出演、後者ではアカデミー賞助演男優賞にノミネートされます。そして何と言っても、78年のリチャード・ドナー監督「スーパーマン」での、ジーン・ハックマン演じる悪役レックス・ルーサーの部下、オーティス役は光ってましたね。続編「スーパーマン II/冒険篇」(81)でも同じ役を演じます。太っている体格を生かし、人の好さそうなコミカルな役柄を演らせたら絶品でしたね。ただこの頃からテレビ出演が多くなり、映画ではB級のおフザケ・コメディ(ほとんど日本未公開)くらいにしか出演していないのは残念ですね。メジャーな作品は95年のショーン・コネリー主演「理由」があるくらいです。その後2007年になって「ザ・シューター 極大射程」「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」で久しぶりに顔を見せ、健在ぶりをアピールしました。近年では西部劇タッチの楽しいアニメ「ランゴ」(2011)で声の出演をしており、これが多分遺作ではないかと思われます。

7月20日 フランソワーズ・アルヌールさん  享年90歳
フランスを代表する名女優ですね。生まれはアルジェリアですが、少女時代に映画に憧れフランスへ。演劇を学ぶうちスカウトされ、十代で主演を果たし人気スターに。我が国では1955年に公開された「フレンチ・カンカン」(ジャン・ルノワール監督)でセクシーな魅力を発散して、後のブリジッド・バルドーに先立つセックス・シンボル的存在となります。ただ一方、アンリ・ヴェルヌイユ監督の2本の作品「過去を持つ愛情」「ヘッドライト」ではしっとりとした名演技も披露します。この3本が代表作と言えるでしょう。以後も数多くのフランス映画に出演しますが、日本未公開作品が多いのが残念ですね。フィルモグラフィーが1977年頃で途切れているので、この頃に引退したのかも知れません。

8月9日 パトリシア・ヒッチコックさん  享年93歳
Patriciahitchcock名前からお分かりのように、アルフレッド・ヒッチコックの娘さんです。ヒッチの良き片腕でもあったアルマ・レヴィルさんとの間に生まれ、演劇学校を出て女優となり、1950年の「舞台恐怖症」、51年の「見知らぬ乗客」、60年の「サイコ」と3本のヒッチ作品に出演しますが、ほとんど記憶に残っていませんね(笑)。その後はテレビ出演が多くなり、「ヒッチコック劇場」にも数本出演しています(この頃から“パット・ヒッチコック”と改名)。78年頃には女優業を辞め、母の仕事(編集者)を受け継いでいたようです。親が偉大過ぎるのも考えものは洋の東西を問わないようです。

8月9日 アレックス・コード氏  享年88歳
この人の経歴が変ってますね。乗馬が得意で、やがてロデオの技術をマスター、ロデオ・ショーの一員として巡業中、大けがを負って引退し、大学に入りますが、在学中に俳優を志します。イギリスのシェイクスピア・アカデミー等で演劇を学び、テレビ出演後62年、映画デビューを果たします。そして65年、ジョン・フォードの名作「駅馬車」のリメイク作品で、ジョン・ウェインが演じたリンゴ・キッド役で主役に抜擢されます。残念ながら映画は大した出来ではありませんでした。その後も何本かの映画に出ますがパッとせず、くさりかけていた頃の84年、テレビのジャン・マイケル・ヴィンセント主演「超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ」にアークエンジェル役で出演、これがヒットして以後87年まで続く人気シリーズとなります。その後もテレビを中心に活躍しますが、映画の方ではこれといった代表作はないですね。結局、映画史に残る不朽の名作「駅馬車」のリメイク作品に主演した事のみで記憶に残る方でした。

9月6日 ジャン=ポール・ベルモンド氏  享年88歳
舞台俳優を経て、1957年に映画デビューし、数本の映画に出ますが、衝撃的だったのがジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」(59)。ゴダールのブツ切り的な即興演出もいいですが、それにベルモンドの演技が見事マッチしました。軽薄で女たらしで、刹那的な行動を繰り返す飄々たる演技には感嘆。最後は警官に尻を撃たれ「俺はサイテーだ」と呟き、自分の指で瞼を閉じて死んで行く、そのカッコ悪いカッコ良さ(笑)。まさにヌーベルヴァーグを代表する傑作でした。ゴダールとはその後も「女は女である」(61)、そして「気狂いピエロ」(65)と3本で組みますが、どれも印象的でした。「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」は日本でもいろんな映画作家が模倣したりパロディにしたりと、その影響力の強さが窺えます。そして俳優としての人気は63年から始まる、世界を股にかけるアクションもの「リオの男」「黄金の男」「カトマンズの男」「タヒチの男」と続く「男」シリーズでしょう。危険なスタントも自分でこなす役者魂は後のジャッキー・チェンにも影響を与えました。個人的に好きな作品は、ロベール・アンリコ監督の「オー!」、フランソワ・トリュフォー監督「暗くなるまでこの恋を」ですね。後者はW・アイリッシュ原作のサスペンス・ラブロマンスで、演技派としても確かな所を見せました。まさにアラン・ドロンと並ぶ(「ボルサリーノ」では共演)、フランスを代表する個性的名優でしたね。

9月6日 ニーノ・カステルヌオーヴォ氏  享年84歳
イタリアの俳優で、映画デビューは、映画史に残るピエトロ・ジェルミ監督・主演の名作「刑事」。ルキノ・ヴィスコンティ監督の「若者のすべて」にも出演しています。そして一躍有名になったのが、ジャック・ドゥミ監督の傑作ミュージカル映画「シェルブールの雨傘」(63)における、カトリーヌ・ドヌーヴの相手役ですね。ミシェル・ルグラン作曲の数々の名曲に彩られた、これも映画史に残る傑作です。もう何度も観ました。
残念な事に、「シェルブール-」の印象が強過ぎて、その他の作品があまり思い浮かばないのですね。ヴィットリオ・デ・シーカ監督「恋人たちの世界」(66)が印象に残っている程度です。意外な所では、フランコ・ネロ主演のマカロニ・ウエスタン!「真昼の用心棒」(66)に、なんと悪役で出演しています。マカロニはもう1本「五人の軍隊」(69)にも出演、なんと丹波哲郎との共演です。その後はこれといった作品もなく、いつの間にか忘れられてしまったようです。それでも、「シェルブールの雨傘」で映画ファンの記憶に残り続けるだけでも良しとすべきでしょうね。

9月16日 ジェーン・パウエルさん  享年92歳
Janepowell_懐かしい。いくつかのMGMミュージカルに出演していて、強く印象に残っています。1948年の「スイングの少女」が我が国初見参。主役の少女役を務め、共演はエリザベス・テイラーでした。そして51年の「恋愛準決勝戦」でフレッド・アステアの相手役を務め、これで有名になりました。あと「掠奪された七人の花嫁」(54)、「艦隊は踊る」(55)などのMGMミュージカルに出演しています。残念なのは、日本未公開映画が多く、その後MGMミュージカルの衰退と同時にあまり映画にも出なくなり、テレビに活躍の場を移します。また所蔵のDVD「恋愛準決勝戦」を観て彼女を偲びましょうか。

11月7日 ディーン・ストックウェル氏  享年85歳
父親は俳優のハリー・ストックウェル、母親は女優・歌手のニーナ・オリヴェット、兄のガイ・ストックウェルも俳優と芸能一家です。子役から俳優のキャリアを積み、9歳の時にジーン・ケリー主演のMGMミュージカル「錨を上げて」に出演、11歳の時にエリア・カザン監督「紳士協定」の演技でゴールデン・グローブ賞の特別子役賞を受賞しています。大人になってもいろんな映画に出演していますが、65年のこちらも子役出身のパトリシア・ゴッジが主演したジョン・ギラーミン監督「かもめの城」が記憶に残る程度で、しばらくは低迷期が続きます。しかし'80年代に入ってから、渋い脇役として復活、ヴィム・ヴェンダース監督「パリ・テキサス」(84)、デヴィッド・リンチ版「デューン/砂の惑星」(84)、やはりリンチ監督の「ブルー・ベルベット」(86)などで好演、そして88年の「タッカー」で遂にニューヨーク映画批評家協会賞の助演男優賞、全米映画批評家協会賞の助演男優賞を受賞、押しも押されぬ名優となります。その後の主な出演作はロバート・アルトマン監督「ザ・プレイヤー」、ハリソン・フォード主演「エアフォース・ワン」、フランシス・F・コッポラ監督「レインメーカー」など話題作が続々。子役出身で大人になっても成功した、数少ない名優の一人と言えるでしょう。

 

さて、日本の俳優に移ります。

1月1日 福本清三氏  享年77歳
Fukumotoseizou 時代劇映画・ドラマのファンなら多分誰でも知っている、「日本一の斬られ役」、「5万回斬られた男」等の異名で知られた、斬られ役・殺され役専門の俳優ですね。普通なら、名前も覚えてもらえないばかりか、クレジットにも名前が載らないくらいの“その他大勢”役者が、これだけ有名になったのは素晴らしい事です。
15歳で東映京都撮影所に入り、大部屋俳優として通行人など、いわゆるエキストラ的な役を演じ続け、やがて時代劇・現代劇を問わず、斬られ役・殺され役を演じるようになります。そして福本さんが考案した特技が、「えびぞり」。思いっきり背中を反らせて後頭部から倒れ込む危険な技。これで人気が出て、ファンクラブが出来るまでになります。そして2003年の米映画「ラスト・サムライ」でハリウッド・デビューを果たします。最近ではついに主演映画「太秦ライムライト」(2014)が作られるまでになりました。
それでも、シャイな性格もあるのでしょうが、有名になっても助演クラスの俳優にさえなろうとせず、生涯斬られ役のまま人生を終えられました。こうした福本さんの生きざまもまた、一つの美学、と言えるのではないでしょうか。

1月23日 坂本スミ子さん  享年84歳
ラテン歌手としてデビューし、NHK「夢であいましょう」にレギュラー出演、主題歌も歌いました。そして映画俳優としても多くの映画に出演。特に大映の「宿無し犬」に始まる田宮二郎主演の「犬」シリーズでは9本すべてにレギュラー出演しています。
強烈だったのは、66年の今村昌平監督「“エロ事師たち”より 人類学入門」ですね。小沢昭一演じるエロ事師のスブやんの妻になりますが、やがて精神を病み、遂には発狂してオッパイ丸出しで鉄格子にしがみつくという体当たりの熱演をし、これで毎日映画コンクール助演女優賞を受賞しました。1983年の同監督「楢山節考」では70代のおりん婆さん役を演じるに当たり、前歯を削り歯が抜けた役作りを行いました。根っからの俳優でもないのに、凄い役者根性ですね。よほど今村監督を信奉していたのでしょうか。今村作品は2001年の「赤い橋の下のぬるい水」にも出演しています。映画出演は2005年の小栗康平監督「埋もれ木」が最後のようです。

2月8日 森山周一郎氏  享年86歳
声優としてジャン・ギャバンやテリー・サバラス(刑事コジャック)等の吹き替えを担当した事で知られていますが、俳優としても多くのテレビドラマや映画に出演しています。映画は初期の頃は日活の高橋英樹主演の着流しヤクザ映画「さくら盃」シリーズ2本(69)に出演していたのは意外ですね。'80年代にはアニメ映画「さよなら銀河鉄道999」「わが青春のアルカディア」等で声の出演もしています。そしてあの宮崎駿監督「紅の豚」の主役、ポルコ・ロッソの声は絶品でしたね。低音の渋い声が耳にこびりついています。あと映画では周防正行監督「Shall we ダンス?」(96)における、草刈民代の父親役が印象的でした。テレビでは昨年の連続テレビ小説「エール」に出演、これが遺作となりました。

2月17日 瑳川哲朗氏  享年84歳
この方も声優としてテレビの洋画の吹き替えが多いですね。カーク・ダグラス、ヘンリー・フォンダ、ショーン・コネリー、山田康雄亡き後のクリント・イーストウッドと名優が並びます。俳優としては多くのテレビドラマに出演、デビュー当時は大瀬康一主演「隠密剣士」の数本に出演、NHK大河ドラマにも数本出演しています。映画の方は少なく、「大忍術映画 ワタリ」(66)、「風林火山」(69)、テレビと同じ「隠密同心・大江戸捜査網」(79)の井坂十蔵役など数本があるだけです。もっと映画に出て欲しかったですね。

3月24日 田中邦衛氏  享年88歳
大好きな役者でした。映画では無論、加山雄三主演の「若大将」シリーズにおけるライバル・青大将が当たり役ですね。金持の息子でズルいけれど、どこか憎めない役柄が絶品でした。また65年から始まる高倉健主演「網走番外地」でも準レギュラー出演、さらに73年の「仁義なき戦い」シリーズ4作でも小心なのにズル賢い槙原政吉役を好演していました。
映画の出演作品は無数にあり、挙げて行くとキリがありませんが、印象に残っている作品をいくつか。黒澤明監督「椿三十郎」(62)における、十人の若侍の一人。加山雄三、江原達怡と「若大将」のトリオ共演ですね。ここでも口を尖らせて文句言う青大将そのものでした(笑)。67年にはフジテレビの硬派青春ドラマ「若者たち」(森川時久監督)の劇場版でテレビと同じく佐藤家の長男役を演じています。テレビでは最初は視聴率は低かったものの、ジワジワと作品の良さが評価され、映画化が実現したものです。これはシリーズ化され、69年「若者はゆく」、70年「若者の旗」と3本が作られました。'70年の黒澤明監督「どですかでん」の、井川比佐志一家と夫婦交換してしまう日雇作業員役も好演でした。強烈な印象があるのは、'72年の深作欣二監督「人斬り与太 狂犬三兄弟」における文太と兄弟分のヤクザ役で、文太と一緒に暴れまわった挙句、最後は金を無心した母親(菅井きん)に逆上され、仏像で殴り殺されてしまうのです。「仁義の墓場」「県警対組織暴力」にも出演する等、深作監督作品が多かったですね。主演作として印象深いのは、77年の森崎東監督「黒木太郎の愛と冒険」の黒木太郎役、そして86年の根岸吉太郎監督「ウホッホ探検隊」の父親役などで、後者でブルーリボン賞主演男優賞を受賞しました。後年は山田洋次監督作品にもいくつか出演しています(「息子」「学校」「学校Ⅲ」等)。最後の映画出演は、2010年の「最後の忠臣蔵」(奥野将監役)でした。
訃報記事では、テレビの「北の国から」について語られる事が多かったですが、私にとっては上に挙げた他、数多くの映画で作品を陰に日向に支えた名優として忘れられない、素晴らしい方でした。

3月30日 朝比奈順子さん  享年67歳
Onnnakyoushinomezameこの方はユニークな経歴ですね。祖父はロシア人で、宝塚歌劇を目指し宝塚音楽学校に入学、71年、念願の宝塚歌劇団に入団。“小早川有希”の芸名で舞台に立ちます。しかし翌年には宝塚を退団、女優を目指しますが芽が出ず、81年、なんと日活ロマンポルノに転身します。同年の「女教師のめざめ」以降、「宇能鴻一郎の濡れて騎る」等を経て84年の「双子座の女」(監督は山城新伍!)まで14本のロマンポルノに出演しました。主演はそのうち10本でした。ロマンポルノ引退後はテレビに舞台にと活躍の場を広げ、人気女優となります。半面、一般映画の出演はごく少なく、代表作と言える作品はありません。確かな演技力を持っているのですから、映画女優としても活躍して欲しかったですね。

4月3日 田村正和氏  享年77歳
名優・阪東妻三郎の三男で、本人は俳優になる気はあまりなかったようですが、1960年、兄・高廣主演の映画「旗本愚連隊」の撮影現場を見学に行った際に勧められて、同映画の端役として出演し、以後俳優の道を進みます。61年、松竹と専属契約を結び、木下恵介監督「永遠の人」(61)で俳優デビューを飾ります。松竹では数本の作品に出演、青春スターとして活躍します。ただもう一つ、なんかこれといった代表作はなかったように思います。
66年にはフリーとなり、他社出演も多くなりますが、脇役出演が多く、やはりこれといった作品はありません。67年からは大映の作品が多くなり、安田道代主演「痴人の愛」、同「秘録おんな蔵」、松方弘樹主演「眠狂四郎 卍斬り」等に出演しますが、大映は既に末期状態、70年には主演作「おんな牢秘図」もありますが、題名からも分かる通り、低予算エロ路線で、なんだかなあという気がします。結局、映画の方はほとんど代表作もないままにテレビの方にシフトし、まず70年の木下恵介劇場「冬の旅」で好演し、徐々に人気が出て行きます。そして72年、主演した「眠狂四郎」がヒット、以後テレビ、舞台でも演じる当たり役となりました。94年には「古畑任三郎」が大ヒットし、これが代表作になりました。97年には同じ三谷幸喜脚本「総理と呼ばないで」に主演、これも面白かったですね。
映画の方でまずまずだったのは、73年の梶芽衣子主演「女囚さそり 701号怨み節」における元学生過激派グループの一人で、警察の拷問で上半身に大きな傷跡が残り、虚無的な人生を送っている男の役と、93年の 拝一刀役を演じた「子連れ狼 その小さき手に」くらいでしょうかね。映画の方での遺作は、2007年の「ラストラブ」。これがなんと映画秘宝誌で田村さんが最低主演男優賞(笑)を受賞してしまう程の駄作でした。
個人的な思い入れですが、バンツマの遺児だったのですから、映画スターとして、花を咲かせて欲しかったと思います。演技力は間違いなく素晴らしいものがあったのですから。

4月11日 隆 大介氏  享年64歳
1977年、仲代達矢が主宰する「無名塾」の一期生となり、同年、岡本喜八監督「姿三四郎」で映画デビューを果たします。この時は本名でしたが、翌年芸名を隆大介とします。これは仲代さんの奥様、巴さんの苗字と、仲代さんの出世作「人間の條件」で仲代さんが演じた梶大介からそれぞれいただいており、仲代さんの彼に寄せる期待の大きさが分かります。その後2本の映画で助演の後、80年、オーディションで抜擢された、黒澤明監督の「影武者」(80)における織田信長役で強烈な印象を残し、ブルーリボン賞その他の映画賞で新人賞を受賞、一躍注目される事となります。以後も橋本忍監督「幻の湖」、村野鐵太郎監督「遠野物語」、再び黒澤明監督「乱」、小林正樹監督「食卓のない家」など、名匠、巨匠監督の作品に相次いで起用され、個性的な名優として以後も多くの映画、テレビ、舞台で活躍します。個人的に印象深いのは、「幻の湖」での笛を吹く侍と現代人の二役、石井聰亙監督「五条霊戦記」(2000)における弁慶役ですね。戦国武将からヤクザ、刑事まで、幅の広い演技派の名優だったと思います。遺作は今年公開の「信虎」(金子修介監督)。奇しくも「影武者」と同じ、武田家が舞台となる戦国ものでした。 それにしても64歳は若いですね。

5月1日 江原達怡氏  享年84歳
なんと、田中邦衛さんに続いて、加山雄三「若大将」シリーズのレギュラー役者の逝去です。「若大将」ファンとしては淋しいですね。
1948年に「鐘の鳴る丘」に子役で出演。その後東宝へ入社し、若手青春スターとして活躍。やがて59年、岡本喜八監督の「独立愚連隊」シリーズ2作に出演して以降、「戦国野郎」「江分利満氏の優雅な生活」「侍」「殺人狂時代」「日本のいちばん長い日」と岡本監督作品の常連となりました。そして「若大将」シリーズの大ヒットで名前も顔も売れるようになりました。その他で印象に残っているのは、60年の堀川弘通監督の秀作「黒い画集 あるサラリーマンの証言」における、小林桂樹から口止め料をせしめようとしてヤクザに殺されてしまう大学生役、黒澤明監督「赤ひげ」の冒頭に登場する津川玄三役辺りでしょうかね。'70年頃から実業家に転身し、以後映画出演がほとんど無くなったのは惜しいですね。

5月26日 船戸 順氏  享年82歳
1959年、ミスター平凡コンテストで1位に入賞、これを機に同年、東宝に入社して俳優の道を進みます。映画初出演は特撮戦記もの「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」(60)。以後東宝の8.15シリーズ等の大作戦記もの、「サラリーマン目白三平」シリーズや「新入社員十番勝負」シリーズなどのサラリーマンもので活躍します。しかし日本映画が低落傾向になった'71年以降は映画出演も激減し、以後はテレビドラマに活路を広げ、昼ドラマや時代劇、刑事もの等で味のある演技を見せました。映画は71年以降は5本しかなく、81年の加藤泰監督「炎のごとく」が最後の出演作となりました。

6月22日 李 麗仙さん  享年79歳
高校時代から演劇に熱中し、高校卒業後、舞台芸術学院に入学、本格的に演技者を目指します。63年、舞台芸術学院を中退、唐十郎が設立した状況劇場に参加。以後状況劇場の看板女優として数多くの舞台で熱演します。当時の芸名は李礼仙でした。67年に唐と結婚しますが88年に離婚、しかし以後も唐十郎演出の舞台に出演し続けます。
映画は68年の武智鉄二監督「戦後残酷物語」が初出演。69年には大島渚監督「新宿泥棒日記」、72年、勅使河原宏監督「サマー・ソルジャー」と個性的な監督作品に出演します。76年には唐十郎監督「任侠外伝 玄海灘」に出演、85年にはポール・シュレイダー監督「MISHIMA」(日本未公開)と、異色作の出演が続きます。映画出演は少ないけれど、作品を選んでいる気がしますね。その後の映画出演は2003年の恩地日出夫監督「蕨野行/わらびのこう」、同年の金守珍監督「夜を賭けて」、04年、森﨑東監督「ニワトリはハダシだ」、07年、大友克洋監督「蟲師」とこれまた異色作揃い。最後の映画出演は2016年の門馬直人監督の長編デビュー作「ホテルコパン」でした。本当に個性的な、いい女優でしたね。なお息子は俳優の大鶴義丹です。

7月11日 亀石征一郎氏  享年82歳
1959年に東映ニューフェイスの第6期に合格、東映に入社します。同期には千葉真一、太地喜和子らがいます。60年、「おれたちの真昼」で映画初出演、以後も東映東京撮影所製作のアクションもの、青春ものに出演します。残念ながらほとんどは脇役か準主演でした。68年からは活躍の場を大映に移しますが、こちらでも助演が続きます。
Ashitanojoeそんな中、強い印象を残したのが70年の日活作品「あしたのジョー」(長谷部安春監督)における、ジョーのライバル、力石徹役ですね。体格も風貌も力石にピッタリ、これで初めて亀石征一郎の名前を覚えました(笑)。71年の舛田利雄監督「暁の挑戦」を最後に映画出演は途切れ、テレビに軸足を移します。テレビでは時代劇の悪役が多かったですね。ちなみに千葉真一とは親友で、千葉が主宰するジャパンアクションクラブ (JAC)の重役を務め、千葉主演「影の軍団」シリーズにも出演、何と主題歌の作詞まで手掛けました。その後しばらくは映画出演はありませんが、94年の「集団左遷」からはまたボチボチと映画に出演し始めます。ぐっと風格を増し、渋い役者になっていました。映画は2008年の菅井きん初主演作「ぼくのおばあちゃん」が最後の出演作と思われます。

8月14日 ジェリー藤尾氏  享年81歳
Coltismypassport大ヒット曲で、もはやスタンダードナンバーとも言える名曲「遠くへ行きたい」で知られる歌手ですが、映画にも結構出演されてます。1959年の東宝作品「檻の中の野郎たち」が俳優デビュー作で、60年には「足にさわった女」「偽大学生」の2本の増村保造監督作品に出演、後者では学園闘争に巻き込まれ、最後は発狂する偽大学生を熱演します。以後も異色作、話題作に出演、61年の新東宝作品「地平線がぎらぎらっ」では主役の、自分は大量のダイヤの隠し場所を知っていると言って周りを欲望の渦に巻き込んで行く囚人役を演じます。同じ61年には黒澤明監督「用心棒」で、三船扮する三十郎に片腕斬り落とされて泣き喚くヤクザ、63年の加藤泰監督「真田風雲録」では真田十勇士の一人、かわうその六をそれぞれ好演していました。そして個人的に一押ししておきたいのが67年の日活ハードボイルド・アクション「拳銃は俺のパスポート」(野村孝監督)。宍戸錠扮する殺し屋の相棒役を熱演し、これは錠さん自身も出演作中の最高作と認める傑作となりました。70年にはこれも黒澤明監督「どですかでん」に出演しています。
これ以降、映画出演作はほとんどありませんが、こうして代表作を並べてみると、どれも映画史の中でキラリと光る秀作・問題作ばかり。たまたまにしても凄い事だと思います。歌に映画に、人々の記憶に残る俳優・歌手だったと言えるでしょう。

8月18日 辻 萬長(つじ・かずなが)氏  享年77歳
俳優座養成所出身で、68年頃から舞台にテレビに映画に、数多くの出演作があります。91年頃からは劇作家井上ひさし氏主宰の劇団「こまつ座」に所属し、「父と暮せば」など多くの舞台で深みのある名演技を見せました。映画は71年の山本薩夫監督「戦争と人間 第二部
愛と悲しみの山河」
以降、こちらも数多くの映画に助演しています。面白いのは、市川崑監督の金田一シリーズ「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄」「獄門島」でいずれも刑事役(名前は毎回異なる)を演じているのですね。その他出演作は「海軍特別年少兵」「不毛地帯」「野性の証明」「動乱」「幻の湖」「小説吉田学校」「海と毒薬」「敦煌」と巨匠、名匠の話題作、大作がズラリ。目立たないけれど、着実な演技で作品に風格を与えていたと思います。最後の映画出演は2017年の原田眞人監督の「関ヶ原」における柳生石舟斎宗厳役でした。

8月19日 千葉真一氏  享年82歳
この方を初めて見たのは1960年、テレビの「新 七色仮面」の二代目・蘭光太郎役(初代は波島進)ですね。続いてテレビの「アラーの使者」にも主演します。初々しくてカッコ良かったです。映画デビューは61年、東映の警視庁物語シリーズ「不在証明(アリバイ)」の刑事役。続けて「警視庁物語」2本に刑事役で出演します。そして同年、ニュー東映で深作欣二監督のデビュー作「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」「風来坊探偵 岬を渡る黒い風」に主演、アクション俳優としてのスタートを切ります。これらは日活の小林旭主演の「渡り鳥」シリーズのいただきでしたね。同年のSF活劇「宇宙快速船」ではヒーロー、アイアンシャープを演じ、続けて深作監督の「ファンキーハットの快男児」シリーズ2本にも主演します。
スタートは順調でしたが、この頃からテレビに圧されて映画産業は低落傾向となり(61年には新東宝が倒産)、ニュー東映は撤退、同時に千葉真一に向いた作品は作られなくなって、B級作品の助演が多くなって行きます。62年から66年までの時期は、ギャング・アクションものはマシな方で、舟木一夫主演の青春もの、こまどり姉妹主演の歌謡もの等に助演、主演作も少しだけありますが、「柔道一代」とか、一節太郎のヒット曲をベースにした着流し任侠もの「浪曲子守唄」「出世子守唄」と、現代アクションとはほど遠い二本立ての添え物的作品ばかりが続きます。ちなみに「浪曲子守唄」には子役時代の真田広之(下沢広之名義)が千葉の子供役で出演しています。わずかに千葉らしいのは、66年の久しぶりに深作欣二監督と組んだ「カミカゼ野郎・真昼の決斗」で、飛行機にぶら下がる危険なスタントを自らこなし、アクション俳優・千葉を印象付けました。
そして67年の佐藤純彌監督「組織暴力」では、体を張って組織に抵抗し、最後は無残に殺されるチンピラやくざ役を体当たり熱演します。さらに69年の中島貞夫監督「日本暗殺秘録」では血盟団事件のテロリスト小沼正役を抑えた演技で見事に演じ、これで千葉は京都市民映画祭の主演男優賞を受賞します。以後、「やくざ刑事」シリーズや「狼やくざ」シリーズとアクション映画に次々主演、74年からはブルース・リーのカンフー・ブームに乗って「激突!殺人拳」に始まるカラテ・アクション・シリーズが次々と作られ、「殺人拳」シリーズはアメリカにも輸出され、千葉は“ソニー千葉”の名前で海外でも絶大な人気を誇るようになります。勢いに乗った千葉はジャパン・アクション・クラブ(JAC)を創設、真田広之や志穂美悦子などのアクション・スターを育てます。…長々と書いてしまったので以後の活躍は省略します。
思い返せば「仁義なき戦い・広島死闘編」の大友勝利、「柳生一族の陰謀」の柳生十兵衛、「戦国自衛隊」の伊庭三尉(アクション監督兼任)、「魔界転生」のこれも柳生十兵衛、そしてカラテ路線ながらナンセンス・コメディのカルト的快(怪?)作「直撃地獄拳・大逆転」(石井輝男監督)の甲賀竜一と、代表的な主演作が頭に思い浮かび、アクション一筋に日本映画を牽引して来た千葉真一の功績は多大だったと改めて思います。本当にお疲れさまでした。

8月21日 二瓶正也氏  享年80歳
Niheimasanari テレビ「ウルトラマン」のイデ隊員役で有名ですが、俳優としてのスタートは映画です。高校卒業後俳優を志し、60年に東宝ニューフェース15期に合格、61年の岡本喜八監督「暗黒街の弾痕」でデビューを果たします。役名は“殺し屋B”(笑)でした。以後もアクションもの、「若大将」シリーズ、クレージー・キャッツ主演ものとさまざまな東宝プログラム・ピクチャーに出演します。特に岡本喜八監督には気に入られていたようで、「どぶ鼠作戦」「戦国野郎」「江分利満氏の優雅な生活」「ああ爆弾」「侍」「殺人狂時代」と、ほぼ岡本作品の常連でした(偶然にも前記の江原達怡と同じですね)。個性的な顔立ちで、岡本作品を観る度に、「あ、また出てる」と笑ったものでした。
「ウルトラマン」のヒットで、以後はテレビ出演が多くなり、映画出演は徐々に減って行ったのが残念。それでも岡本監督に乞われると喜んで出ていたようで、78年の岡本作品「ダイナマイトどんどん」にも出演しています。97年にはテレビの三谷幸喜脚本「総理と呼ばないで」でレギュラー出演、2005年にはウルトラ・シリーズの「ウルトラマンマックス」ダテ博士役でセミレギュラー出演していたのが楽しかったですね。

11月28日 中村吉右衛門氏(二代目)  享年77歳
人間国宝の歌舞伎界の重鎮ですが、映画の方でも活躍されました。訃報ではあまりその事に触れた記事が少なかったので、こちらでは映画について書きます。
Tekihahonnoujiniari 1956年(当時は中村萬之助名義)12歳の時、中村錦之助主演の「続源義経」に端役で出演、続いて58年、今井正監督の「夜の鼓」で主演の三國連太郎の弟を演じました。60年の「敵は本能寺にあり」では森蘭丸役と、徐々に大事な役柄を演じるようになります。なお明智光秀を演じたのは萬之助の父・八世松本幸四郎でした。親子共演ですね。そして同年の木下恵介監督「笛吹川」では、今度は兄の市川染五郎(現・松本白鸚)と共演してます。役の上でも兄弟でした。また61年の稲垣浩監督「野盗風の中を走る」でも兄弟で共演しています。62年の稲垣浩監督の東宝「忠臣蔵」では萱野三平役。この作品では父・松本幸四郎が大石内蔵助、兄・染五郎が矢頭右衛門七と親子3人が共演してます。この後、しばらくは映画出演は途切れます。
66年に二代目中村吉右衛門を襲名、吉右衛門になっての最初の映画出演は68年の新藤兼人監督「藪の中の黒猫」。これは映画での初主演作でした。
そして翌年、篠田正浩監督「心中天網島」に主役の紙屋治兵衛役で岩下志麻と共演、映画はこの年のキネマ旬報ベストワンをはじめ映画賞を総ナメ、吉右衛門の演技も高く評価されます。この作品は吉右衛門の映画出演作中でもベストだと断言出来ます。同年には大映の戦争大作「あゝ海軍」でも主演を務めました。
その後は歌舞伎の方に専念、映画出演はぐっと少なくなります。78年、熊井啓監督「お吟さま」の高山右近役、89年、勅使河原宏監督「利休」の 徳川家康役、95年のテレビの当り役の映画化「鬼平犯科帳 劇場版」の長谷川平蔵役くらいしかありません。その後の映画出演はずっと飛んで2014年の「柘榴坂の仇討」での井伊直弼役。これが最後の映画出演となりました。奇しくもこの役は、父・松本幸四郎が1953年の松竹作品「花の生涯」で演じた役と同じでした。
それにしても、69年の「心中天網島」における鬼気迫る熱演は今も記憶に残っています。もっともっと、映画に出演して欲しかったと強く思います。惜しいですね。

 

さて、ここからは映画監督の部です。まず外国勢から。

1月7日 マイケル・アプテッド氏  享年79歳
イギリスの映画監督で、72年に長編監督デビュー、注目されたのは79年のヴァネッサ・レッドグレーヴ主演「アガサ/愛の失踪事件」です。翌年の「歌え!ロレッタ・愛のために」ではアカデミー賞作品賞を含む7部門でノミネートされ、シシー・スペイセクが主演女優賞を受賞しました。その他では88年のシガニー・ウィーバー主演「愛は霧のかなたに」、99年の「007/ワールド・イズ・ノット・イナフ」、2010年の「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」が目立つ程度です。ただ1本、異色作が81年のジョン・ベルーシ主演のコメディ「Oh!ベルーシ絶体絶命」で、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮、脚本がローレンス・カスダンという豪華メンバー。ベルーシは割と真面目に(?)演技してます。監督としては器用でしたね。なお2003年から2009年の間、全米監督協会(DGA)の会長を務めています。

1月8日 スティーヴ・カーヴァー氏  享年75歳
新聞・ネットなどでは全く訃報が掲載されませんでしたが、好きな映画監督です。1970年代初より低予算のエロティックな作品を監督してましたが、74年、ロジャー・コーマン製作によるコーマンも監督していたギャング・ママ路線の「ビッグ・バッド・ママ」を監督、これがコアな映画ファンに受けて、私も関わっていた「映画ファンのための映画まつり」(現・おおさかシネマフェスティバル)の第2回(1977)で「ビッグ・バッド・ママ」洋画第1位となりました。アンジー・ディッキンソンのオッパイ丸出しの熱演も見ものです。続いて同じくコーマン製作のアル・カポネを主人公にした「ビッグ・ボス」も監督。「ロッキー」でブレイクする前のシルヴェスター・スタローンも出ています。79年にはビル建設を巡るサスペンス・アクション「超高層プロフェッショナル」でも手堅い演出を見せました。81年には「香港コネクション」、83年には「テキサスSWAT」と、チャック・ノリス主演のB級アクションを連発します。92年の「クレイジー・ジョー」(日本未公開・ビデオのみ)が日本で見られる最後の作品、そして96年の「The Wolves(原題)」が調べた範囲で最後の監督作のようです。コーマン学校卒業生はマーティン・スコセッシ、ジョナサン・デミはじめ後に大物監督になった人が多い中で、師匠ロジャー・コーマン譲りのB級娯楽映画一筋に活躍したという点でも異色の存在だったと言えるでしょう。

3月25日 ベルトラン・タヴェルニエ氏  享年79歳
フランス・南部リヨン生まれ。監督としてだけではなく、脚本家、俳優、プロデューサーとしても活躍します。日本初登場は63年の「接吻・接吻・接吻」。84年に監督した「田舎の日曜日」でカンヌ国際映画祭の監督賞を受賞しています。86年にはジャズプレイヤーと若者の交流を描いた「ラウンド・ミッドナイト」を監督、これも話題になりました。また95年の「ひとりぼっちの狩人たち」はベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞し、世界的に注目される映画監督となりました。その一方、94年の「ソフィー・マルソーの三銃士」はダルタニアンの娘が活躍するコメディ、2009年の「エレクトリック・ミスト 霧の捜査線」(日本未公開)はトミー・リー・ジョーンズ主演のハードボイルド刑事アクションと、結構軽い娯楽映画も監督してるのが面白いですね。

4月20日 モンテ・ヘルマン氏  享年91歳
アメリカン・ニューシネマの隠れた秀作「断絶」(71)を監督した事で知られています。この方もロジャー・コーマン門下生で、59年、コーマン製作の「魔の谷」で監督デビューを果たします。64年には、同じコーマン門下生のジャック・ニコルソンと意気投合、「バックドア・トゥ・ヘル」「フライト・トゥ・フューリー」(64)「旋風の中に馬を進めろ」「銃撃」(66)といった作品でニコルソンが出演する作品を何本か監督します。「フライト-」「旋風の-」ではニコルソンは脚本も担当します。また「旋風の-」「銃撃」はロジャー・コーマン製作総指揮。残念な事にこれらはすべて日本未公開。「断絶」が初の日本お目見え作品という事になります。74年にはこれもコーマン製作で闘鶏を扱った異色作「コックファイター」を監督。これも日本未公開でしたが、2013年にようやく日本で劇場公開されました。これら以外にも何本かの監督作がありますが、ことごとく日本未公開。実力がありながら不運な方ですね。2010年に「果てなき路」が、この時点では日本で劇場公開された2本目の作品で、これがヘルマン監督の遺作となります。もっと評価されてよい異才監督ではないかと思います。

5月11日 バディ・ヴァン・ホーン氏  享年92歳
スタントマン出身で、1950年代以降、いろんなテレビ、映画の西部劇やヒーロー活劇等で有名俳優のスタント・ダブルを務めます。「ペンチャー・ワゴン」(1969)以後、ほとんどのクリント・イーストウッド出演作で専属のスタント・ダブルを務めるようになり、やがてイーストウッド監督作品におけるスタント・コーディネーター、第2班監督を経て、イーストウッド主演「ダーティファイター 燃えよ鉄拳」で監督デビュー、その後もイーストウッド主演「ダーティハリー5」「ピンク・キャデラック」の監督を務めます。イーストウッドの片腕としてなくてはならない存在だったと言えましょう。

7月5日 リチャード・ドナー氏  享年91歳
ニューヨーク、ブロンクス生まれ。NY大学で演劇を専攻、俳優を志して舞台やテレビなどに出演しますが芽が出ず、監督業に転出、1958年よりスティーヴ・マックィーン主演の西部劇「拳銃無宿」を手始めに、「ミステリー・ゾーン」「コンバット」等のテレビドラマを監督、演出の腕を磨きます。61年からは劇場映画にも進出、数本の作品を監督します。我が国初登場はサミー・デイヴィス.Jr主演のアクション・コメディ「君は銃口/俺は引金」。そして76年に監督したオカルト・ホラー「オーメン」が世界的に大ヒット、一流監督の仲間入りを果たします。以後、アメコミの巨額製作費による映画化の先鞭をつけた「スーパーマン」、スピルバーグ製作総指揮の「グーニーズ」、メル・ギブソン主演の「リーサル・ウェポン」シリーズと続々話題作を連発、ヒット・メイカーの道を驀進します。その後の代表作は「マーヴェリック」(94)、シルヴェスター・スタローン主演「暗殺者」(95)、メル・ギブソン主演のサスペンス「陰謀のセオリー」(97)など。近年で面白かったのは2006年のブルース・ウィリス主演の「16ブロック」。社会派的なテーマも盛り込まれたサスペンスの秀作だと思います。これが監督作としては遺作になりました。2009年には「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」の製作総指揮を手掛けるなど、晩年まで旺盛な映画製作活動を続けました。

12月9日 リナ・ウェルトミューラーさん  享年93歳
イタリア・ローマ生まれ。最初は女優でしたが、フェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2」のアシスタントディレクターを務めたことがきっかけで映画監督となります。脚本家としてもチャールズ・ブロンソン主演「狼の挽歌」、フランコ・ゼフィレッリ監督「ブラザー・サン、シスター・ムーン」等の脚本(共作)を手掛けています。監督作品の日本初登場は74年の「流されて…」。これは当時話題になりましたね。注目されたのは76年の「セブンビューティーズ」で、これで女性監督として初めてアカデミー監督賞にノミネートされます。日本での公開作品は前記以外に87年の「流されて2」、89年の「ムーンリットナイト」くらいしかありませんが、日本未公開作品がかなりあるそうで、もっと他の作品を観たかったですね。なお2019年には、91歳でアカデミー名誉賞を受賞しています。

12月26日 ジャン=マルク・ヴァレ氏  享年58歳
カナダの映画監督で、日本での公開作品はあまりありませんが、2009年のエミリー・ブラント主演「ヴィクトリア女王 世紀の愛」で注目され、2013年のマシ・マコノヒー主演のアメリカ映画「ダラス・バイヤーズクラブ」が高く評価され、アカデミー賞にもノミネートされました。翌年のリース・ウィザースプーン主演「わたしに会うまでの1600キロ」もいい映画でした。さらに翌年、ジェイク・ギレンホール主演「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」も心に沁みる秀作で、これからという時の急逝です。58歳なんて若過ぎます。惜しいですね。

 

日本の監督に移ります。

2月13日 成沢昌茂氏  享年96歳
14歳の頃、溝口健二監督「残菊物語」を観て感銘を受け、映画監督を志したそうですから変ってますね。41年、中学を卒業後、日大芸術学部演劇科に入学と同時に、溝口監督の内弟子となり、溝口監督の身の回りを世話するようになります。そして同年、日大在籍のまま松竹京都撮影所助監督部に籍を置き、溝口監督の作品をはじめいくつかの映画で助監督を務めます。この時16~17歳だったといいますから凄い早熟ですね。学徒出陣で戦地に赴き、復員後の47年頃より脚本家として活動を開始します。51年の三船敏郎主演「馬喰一代」が出世作となり、以後数多くの映画の脚本を手掛けます。溝口監督作品の脚本を書く事を念願していましたが「まだ早い」と断られ続け、ようやく54年の「噂の女」で溝口作品への脚本参加が認められ、以後「楊貴妃」「新・平家物語」、溝口の遺作となった「赤線地帯」などの溝口作品の脚本を担当しました。その後も多くの脚本を書き続けましたが、溝口監督への憧憬は終生変らなかったようです。62年には監督業にも進出、松竹先品「裸体」を手始めに、「四畳半物語 娼婦しの」(66)、「花札渡世」(67)、「妾二十一人 ど助平一代」(69)、そして師匠溝口作品のリメイク、「雪夫人繪圖」(68年、公開は75年)と5本の監督作があります。
成沢さんの脚本で印象深い物をいくつか挙げておきます。58年の加藤泰監督「風と女と旅鴉」、59年の内田吐夢監督「浪花の恋の物語」、61年の同じく内田監督「宮本武蔵」、同年の田坂具隆監督「はだかっ子」、68年の深作欣二監督、丸山明宏主演「黒蜥蜴」、そして成沢さんの最高傑作が63年の山下耕作監督「関の彌太ッぺ」。ラストで中村錦之助扮する彌太郎が語る名セリフ「お小夜さん、この娑婆にゃあ辛えこと、悲しい事、いっぱいある。だけど忘れるこった…」には、観る度に泣かされました。私の生涯のベストワン作品でもあります。

2月14日 村山新治氏  享年98歳
1949年に、東映の前身・大泉映画に入社、56年より教育映画部で「風の又三郎」他の児童映画を監督の後、57年、「警視庁物語 上野発五時三五分」で劇映画の監督デビューを果たします。以後も「警視庁物語」シリーズを6本ほど監督します。セミ・ドキュメンタリー・タッチのきびきびした演出が光ってました。59年の三國連太郎主演の「七つの弾丸」は橋本忍脚本の冴えもあって、リアルな犯罪映画の秀作となりました。60年のこれも三國主演「白い粉の恐怖」は麻薬の恐ろしさを、やはりドキュメンタリー・タッチの映像で描いた佳作です。ドキュメンタルな犯罪映画を撮らせたら村山監督の右に出るものはいないでしょう。これはお兄さんで記録映画作家の村山英治さんのいた会社で、記録映画の助監督をしていた経験が生きているものと思われます。印象に残っている作品は、63年の三國連太郎が無法松を演じた「無法松の一生」、同年の北大路欣也主演「海軍」、新藤兼人脚本の吉村公三郎監督「偽われる盛装」のリメイク「肉体の盛装」辺りでしょうか。65年頃からは会社の要請で、風俗もの、アクションもの、任侠もの等も監督するようになります。上に挙げた成沢昌茂さん脚本の梅宮辰夫主演「いろ」とか、同じく梅宮主演「遊侠三代」や菅原文太主演「現代任侠道 兄弟分」等の任侠もの等も、それぞれ手堅い演出を見せてはいますが、なんか村山さんの資質に合ってないような気がします。雇われ監督である以上仕方がないかも知れませんが。74年の「実録飛車角 狼どもの仁義」を最後に東映を退社、以後テレビの世界に移り、「キイハンター」他のアクションもの、「特捜最前線」他の刑事もので気を吐きました。'80年代からは初心に戻ってか、児童映画も数本監督しています。2018年には自伝「村山新治、上野発五時三五分」が刊行されました。これは読み応えがあります。

8月12日 小平 裕氏  享年82歳
こちらも東映の監督です。62年に東映入社、東京撮影所で数本のアクションものの助監督を務めた後、75年に三東ルシア主演の「青い性」で監督デビューを果たします。翌年には志穂美悦子主演「必殺女拳士」、岩城滉一主演の暴走族もの「爆発!750cc族」、多岐川裕美主演「新・女囚さそり 701号」等を立て続けに監督、どれもシリーズの続編でありながら、ちょっと毛色が変ってて注目しておりました。なにしろ「爆発!750cc族」のラストでは、警察の追跡を逃れてホッとした主人公が、どこからともなく飛んで来た銃弾で射殺されてしまうのです。これらによって小平さんは、偶然ですが上のスティーヴ・カーヴァーの項でも紹介した「映画ファンのための映画まつり」第2回で新人監督賞を受賞しています。我々映画ファンが熱い期待を寄せていた事が分かるでしょう。77年の菅原文太主演「新宿酔いどれ番地 人斬り鉄」も、題名とは裏腹に主な舞台は基地の町・福生とやはり変ってます。82年にはなんと、日本ではほとんど見られなくなったSL(蒸気機関車)の姿を求め、中国大陸で2万5000キロものロケーションを行ったドキュメンタリー映画「真紅な動輪」を監督しています。これも製作・配給は東映。よく製作を許可したものです。その後は「パンツの穴 花柄畑でインプット」(85)、「童貞物語」(86)といった青春ものも監督しています。最後の劇場映画監督作は「タイガースメモリアルクラブバンド ぼくと、ぼくらの夏」(90)。題名からは想像がつかないでしょうが樋口有介原作のミステリーです。映画評論家の松田政男さんも、「企業内で独自の美学を貫いた異能の映画監督」と高く評価されておりました。それだけに、映画を監督していた期間がわずか15年は短か過ぎます。もっと映画界で頑張って、我々の期待に応える傑作を作って欲しかったですね。惜しいです。

9月3日 澤井信一郎氏  享年83歳
東映出身監督の訃報が続きます。1961年東映に入社。東京撮影所に籍を置き、主にマキノ雅弘監督作品の助監督に就きます。75年の志穂美悦子主演「華麗なる追跡」以降は鈴木則文監督の助監督となり、同年の鈴木監督「トラック野郎・御意見無用」では脚本を鈴木監督と共作。コメディ志向の鈴木監督と、マキノ譲りの澤井さんの人情味とが絶妙にブレンドされた本作は大ヒット、以後10本も続く人気シリーズとなります。澤井さんはシリーズ1~3作目と5作目の4本で脚本を共作し、また2、3、8作目ではチーフ助監督を務めます。「トラック野郎」シリーズの面白さを影で支えた功労者とも言えるでしょう。
81年、松田聖子主演「野菊の墓」で監督に昇進、新人ながら繊細な演出が評価されます。そして84年の角川映画「Wの悲劇」が毎日映画コンクール大賞をはじめ映画賞を総ナメ、一躍日本映画界のエースとなり、以後も「早春物語」「恋人たちの時刻」「ラブストーリを君に」等の青春映画、「福沢諭吉」「わが愛の譜 滝廉太郎物語」等の伝記ものと幅広く活躍します。98年の吉永小百合、渡哲也主演「時雨の記」も格調高い大人の恋愛ドラマの秀作でした。ただ2007年の角川映画「蒼き狼 地果て海尽きるまで」は資質に合わなかったのか監督としてスランプだったのか、大味な凡作でした。以後劇場映画の監督作はありません。デビュー作以来、ずっと好きな監督だっただけに、残念ですね。

10月17日 飯島敏宏氏  享年89歳
57年、KRT(現:TBSテレビ)に入社、テレビドラマの脚本・演出を手掛けるうち、63年に新設のTBS映画部に異動、テレビ映画を数本監督します。その中には渥美清主演「泣いてたまるか」等もあります。転機となったのが65年からTBSで始まった円谷プロダクション製作の「ウルトラQ」。このうちの数本で脚本・監督を担当、やがて今も続く大ヒット作「ウルトラマン」「ウルトラセブン」等のウルトラ・シリーズ、同じく円谷プロの「怪奇大作戦」他、多くの特撮シリーズで脚本・監督を手掛けました。劇場映画の方でも「怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス」(72)、「ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」(2001)等で脚本・監督、「ウルトラマン 怪獣大決戦」(79)で構成・脚本を担当しました。一方で、70年からは木下恵介プロダクションに出向、多くの作品でプロデューサー、演出を手掛けています。こちらでの代表作に、ブームとなった「金曜日の妻たちへ」シリーズがあります。92年にはTBSを退職、木下プロの社長になりました。
「ウルトラマン」等の特撮ヒーローものシリーズが代表作として書かれたものが多いですが、初期の「泣いてたまるか」や、木下恵介劇場のしっとりとしたヒューマン・ドラマでも演出手腕を発揮しており、そちらの方での功績をこそ高く評価していただきたいですね。なにしろ「泣いてたまるか」のうち、山田洋次が脚本を書いたシリーズ中の秀作「子はかすがい」「男はつらい」が共に飯島演出なのですから。

12月5日 牧口雄二氏  享年85歳
またまた東映出身監督の訃報です。どうしてこう重なるのでしょうかね。
1960年に東映入社、京都撮影所に配属され、多くの時代劇、任侠映画で助監督を務めます。その中には「関の彌太ッぺ」、加藤泰監督「緋牡丹博徒 花札勝負」等の傑作もあります。70年頃からはテレビの時代劇を数本監督、田村正和主演の「眠狂四郎」シリーズ等を監督しています。
75年、「玉割り人ゆき」で劇場映画監督デビュー、いわゆるエログロ映画ながら、叙情的かつ耽美的な映像で評価されます。同年、五月みどり主演の「かまきり夫人の告白」を監督、76年には「玉割り人ゆき 西の廓夕月楼」「戦後猟奇犯罪史」「徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑」「広島仁義 人質奪回作戦」と4本もの監督作があります。低予算エログロものから松方弘樹、小林旭主演の暴力団抗争ものまで、幅の広い作品をソツなくこなしました。77年も「毒婦お伝と首切り浅」「女獄門帖 引き裂かれた尼僧」「らしゃめん」と快進撃は続きます。どれもエゲつないくらいのエログロが満載ですが、その中に人間の愚かしさと欲望の浅ましさを際立たせ、シュールな映像美とも相まって一部では根強いファンを獲得しました。“カルトプリンス”とも呼ばれていたそうです。
が、何故か78年以降はバッタリ監督作が途絶え、以後はテレビに本拠を移し、「柳生一族の陰謀」「影の軍団」「柳生あばれ旅」シリーズと、千葉真一主演の時代劇シリーズを中心に活躍します。そして映画界に戻って来る事はありませんでした。映画での活動時期はわずか2年半!これは謎ですね。ともあれ、もっと評価されてしかるべき方だと思います。

 

さて、ここからはその他の方々です。

1月23日 アルベルト・グリマルディ氏 (映画プロデューサー)  享年95歳
イタリアの映画プロデューサーで、1962年に製作会社PEAを設立、数本のアクション映画を製作の後、セルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」のヒットを受けて製作に乗り出した同監督の次回作「夕陽のガンマン」が世界的に大ヒットして、一躍PEAはイタリアを代表する映画会社となります。勢いに乗ってさらに製作費をかけた「続・夕陽のガンマン 地獄の決斗」を作り、これも大成功を収めます。その後も「復讐のガンマン」「豹/ジャガー」、リー・ヴァン・クリーフ主演のサパタ・シリーズ「西部悪人伝」「西部決闘史」等のマカロニ・ウエスタンを連発します。その一方で、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ3監督共作の「世にも怪奇な物語」(69)、フェリーニ監督「サテリコン」(69)、ピエール・パオロ・パゾリーニ監督の「デカメロン」(70)、同「カンタベリー物語」(71)と芸術派監督の異色作を製作、そして72年にはベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラストタンゴ・イン・パリ」を製作、大きな話題を呼びます。その後もパゾリーニ監督(「ソドムの市」)、フェリーニ監督(「カサノバ」「ジンジャーとフレッド」)、ベルトリッチ監督(「1900年」)らイタリアを代表する一流監督の作品を次々と製作します。大したものですね。最後のプロデュース作品はマーティン・スコセッシ監督の「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2001)。娯楽アクションも作れば芸術派監督の作品も作る八面六臂の活躍ぶりで、イタリア映画の発展に大きく貢献した、凄い名プロデューサーだったのだと改めて思います。その割に日本のマスコミにはほとんど訃報が掲載されませんでした。どこに目付けてんでしょうかね。

2月7日 ジュゼッペ・ロトゥンノ氏 (撮影監督) 享年97歳
イタリア・ローマ生まれ、1950年代半ばから撮影監督として活動を開始、57年には巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督「白夜」の撮影を担当します。ヴィスコンティ監督とは以後も「若者のすべて」(60)、「山猫」(63)、「異邦人」(68)と数々の傑作でコンビを組みます。またフェデリコ・フェリーニ監督とはオムニバス「ボッカチオ'70」(ヴィスコンティ監督も参加)を手始めに、前掲のグリマルディ製作「世にも怪奇な物語」「サテリコン」「フェリーニのローマ」(72)、「アマルコルド」(74)、「カサノバ」(76)、「女の都」(80)とほとんどの作品で撮影を担当。その他の代表作はヴィットリオ・デ・シーカ監督「昨日・今日・明日」「ひまわり」、デ・シーカ、ヴィスコンティ、パゾリーニら一流監督が競作したオムニバス「華やかな魔女たち」、ジョン・ヒューストン監督「天地創造」と、まさにイタリアを代表する名撮影監督と言えるでしょう。またアメリカ映画にも早くから進出、スタンリー・クレイマー監督の「渚にて」(59・ダニエル・ファップと共同)、「サンタ・ビットリアの秘密」、マイク・ニコルズ監督「愛の狩人」、ボブ・フォッシー監督「オール・ザット・ジャズ」(英国アカデミー賞撮影賞を受賞)、フレッド・ジンネマン監督「氷壁の女」とこちらも名作揃い。イタリアのみならず、世界の映画史に残る、偉大な撮影監督であるのは間違いないでしょう。

2月8日 ジャン=クロード・カリエール氏 (脚本家)  享年89歳
フランスを代表する名脚本家ですね。
最初は小説家としてスタート、そのうちジャック・タチ監督の「ぼくの伯父さんの休暇」のノベライズと言うか小説版を書いた事から映画界に入り、60年、ピエール・エテックス監督「女はコワイです」の脚本で映画界デビューを果たします。そして63年、ルイス・ブニュエル監督「小間使の日記」の脚本をブニュエルと共同で執筆、以後ブニュエル監督とは「昼顔」(67)、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(72)、「自由の幻想」(74)、ブニュエル監督の遺作「欲望のあいまいな対象」など多くの作品でコンビを組みました。その他の代表作は「ボルサリーノ」(70・ジャック・ドレー監督)、「ひきしお」(71・マルコ・フェレーリ監督)、「ブリキの太鼓」(79・フォルカー・シュレンドルフ監督)、「存在の耐えられない軽さ」(87・フィリップ・カウフマン監督)、「マックス、モン・アムール」(87・大島渚監督)、「シラノ・ド・ベルジュラック」(90・ジャン=ポール・ラプノー監督)、アラン・ドロン主演の「カサノヴァ最後の恋」(92)など。生涯で100本以上の映画の脚本を書きました。近年でもウイレム・デフォー主演の「永遠の門 ゴッホの見た未来」( 2018・ジュリアン・シュナーベル監督)が公開されたばかり。その旺盛な執筆意欲には感服します。フランスを代表する名脚本家と言えるでしょう。14年には米アカデミー賞で名誉賞を受賞しました。

3月15日 大塚康生氏 (アニメーター) 享年89歳
若い頃から漫画家になりたくて勉強、戦後すぐに山口新聞に投稿が採用され、連載を担当します。56年、東映が日本初のカラー長編アニメーション(当時は「動画」と言いました)「白蛇伝」を製作すると聞いて制作スタジオの日本動画社の試験を受けて採用され、その後日本動画は東映に吸収され、設立された「東映動画」で早速「白蛇伝」の原画を担当します。以後も東映動画制作の「西遊記」(60)、「安寿と厨子王丸」(61)、「わんぱく王子の大蛇退治」等多数の東映動画作品で原画を手掛けます。そして65年より製作が開始された「太陽の王子・ホルスの大冒険」の作画監督に就任、この作品で監督の高畑勲、美術設定の宮崎駿といった後の日本アニメを代表する天才たちと出会います。映画は高畑監督の粘りもあって製作に3年を要し、公開されると東映アニメとしては最低の興行成績となり、高畑以下多くのスタッフが降格される事となりますが、これが後年高く評価され、今ではアニメ史に残る傑作となったのは御承知の通り。以後も大塚さんは高畑・宮崎両監督の多くの作品で作画監督を担当する事となります。代表的な作品を挙げても、テレビ「ルパン三世」(一部宮崎、高畑演出)、映画「パンダコパンダ」シリーズ2本(宮崎脚本・美術設定、高畑監督)、テレビ「未来少年コナン」(大塚キャラクター・デザイン・作画監督、宮崎演出)、映画「ルパン三世・カリオストロの城」(宮崎監督)、映画「じゃりん子チエ」(高畑監督)と、アニメ史に残る傑作、秀作ばかり。宮崎駿、高畑勲のお二人が日本を代表するアニメ監督となったのは、大塚さんの貢献もあっての事だと今更ながらに思います。2020年には大塚さんの米寿を祝って「大塚康生画集」(玄光社・刊)が発刊されました。まだまだお元気で、と多くの方がお祝いしたばかりなのに。惜しいですね。

3月17日 原 正人氏 (映画プロデューサー) 享年89歳
1958年に日本ヘラルド映画に入社、後に宣伝部長となり、「小さな恋のメロディ」「エマニエル夫人」などのヒット作を生み出します。また69年にはヘラルド配給の手塚治虫製作・総指揮「千夜一夜物語」の製作に携わり、翌年の同じく手塚治虫製作・監督「クレオパトラ」にも製作協力、75年のこれもヘラルド配給の黒澤明監督「デルス・ウザーラ」製作協力と、徐々に映画製作分野に立ち入って来ます。そして81年、独立してヘラルド・エース(現アスミック・エース)を設立し、洋画配給と並行して本格的に映画製作に乗り出します。82年、ヘラルド・エース第1回作品として、神代辰巳監督「赤い帽子の女」を製作、以後大島渚監督「戦場のメリークリスマス」(83)、篠田正浩監督「瀬戸内少年野球団」(84)、黒澤明監督「乱」(85)と日本を代表する名匠、巨匠の作品のプロデューサーを務めます。その後も杉井ギサブロー監督のアニメ「銀河鉄道の夜」、篠田正浩監督「舞姫」「写楽」、森田芳光監督「失楽園」「黒い家」、原田眞人監督「金融腐蝕列島・呪縛」「突入せよ!『あさま山荘』事件」、黒澤監督の遺稿を映画化した小泉堯史監督のデビュー作「雨あがる」、同監督の「阿弥陀堂だより」と秀作、意欲作を製作します。一方でホラー映画として異例の大ヒット、「リング」シリーズも手掛ける等、その幅広い活躍ぶりには目を瞠るものがあります。亡くなられた直後の米アカデミー賞の、逝去した映画人に哀悼を捧げる“メモリアム”コーナーで追悼されたのも異例の事です。それくらい、世界の映画人からも偉業を認められていたという事でしょうね。

4月24日 菊池俊輔氏 (作曲家) 享年89歳
テレビアニメ「ドラえもん」の主題歌や、テレビドラマ「仮面ライダー」「キイハンター」等の音楽を担当した事で知られていますが、映画音楽も多数手掛けています。作曲家、木下忠司に師事し、61年、東映製作の梅宮辰夫主演「八人目の敵」(佐藤肇監督)で映画音楽デビュー、以後東映を中心に数多くの作品で音楽を担当しました。主な作品に「兄弟仁義」シリーズ、加藤泰監督の傑作「明治侠客伝 三代目襲名」「昭和残侠伝」シリーズの1作目以降「死んで貰います」までの7本、菅原文太主演の「現代やくざ」シリーズ、「まむしの兄弟」シリーズ、志穂美悦子主演の「女必殺拳」シリーズ等、任侠映画、アクション映画を中心に東映プログラム・ピクチャーを数多く手掛けています。その中で異彩を放っているのが、伊藤俊也監督のデビュー作「女囚701号 さそり」で、梶芽衣子が歌う主題歌「怨み節」の作曲も手掛け大ヒット、これはタランティーノ監督「キル・ビル」のエンディングでも流れてましたね。シリーズ2、3作目の「女囚さそり 第41雑居房」「女囚さそり けもの部屋」でも音楽を担当しました。伊藤俊也監督とはその後も「犬神の悪霊(たたり」「誘拐報道」「白蛇抄」等でコンビを組んでいます。伊藤監督から信頼されていたのでしょうね。また野田幸男監督の「0課の女 赤い手錠(ワッパ)」というカルト的作品もあります。テレビの方ではもう数え切れないくらい多数のアニメ、アクション映画、時代劇の音楽を担当しました。本当にお疲れさまでした。

6月4日 西脇英夫氏 (映画評論家) 享年77歳
大好きな映画評論家の一人でした。1970年代頃から「映画批評」誌やキネ旬などで映画評論を執筆していましたが、取り上げる作品はことごとく、日活、東映、大映のB級アクション映画ばかり。東映作品でも、最初の頃は任侠映画についても素敵な文章を書いておられましたが、やがて東京撮影所製作のギャングもの、フィルム・ノワール的サスペンス・アクションのウェイトが大きくなって行きます。そんな作品の中から、隠れた秀作なんかも拾い上げてくれて、我々映画ファンにとっても西脇さんの評論はとても参考になりました。そして1976年に発刊された映画評論集「アウトローの挽歌 黄昏にB級映画を見てた」はまさにアウトローB級アクションについてのバイブルのような名著です。もう何度も読み返しました。今も手元に置いて時々読む程です。渡哲也主演の「無頼」シリーズ論における「一人斬り込みに出かけるヒロイズムへの情感は、いつまでたってもたった一人でしかないニヒリズムへの確認に変っていった」は今も記憶に残る名文と言えるでしょう。
西脇さんはまた別に“東史朗”名義での劇画原作者という顔もあります。「マスコミゲリラ」(長谷川法世・画)他、数多くの劇画原作を書き、また同じ東史朗名義でにっかつロマンポルノの脚本や、いくつかの小説もも書くという多才ぶり。またもう一つの大きな仕事は、キネ旬に連載された、古今東西のミステリー小説について、映画化された作品と原作との対比を簡潔にまとめた「映画より面白い」です。これも毎回面白くて何度も読みました。その守備範囲の広さには感服するばかりです。
本当にお疲れ様でした。追悼を兼ねて、また「アウトローの挽歌」を読み返す事にしましょう。

7月6日 前田米造氏 (撮影監督) 享年85歳
54年、日活撮影所に撮影助手として入社し、日活がロマンポルノに転身した72年に「たそがれの情事」(西村昭五郎監督)でカメラマンとしてデビュー、以後ロマンポルノをはじめ数多くの映画で撮影監督を担当しました。ロマンポルノの代表作は神代辰巳監督「女地獄 森は濡れた」(73)、「 濡れた欲情 ひらけ!チューリップ」(75)、そして傑作「赫い髪の女」(79)、田中登監督「女教師」(77)、池田敏春監督「天使のはらわた 赤い淫画」(81)、根岸吉太郎監督「キャバレー日記」(82)など異色作が並びます。一般映画でも東宝の山口百恵主演「風立ちぬ」(76)、「霧の旗」(77)、藤田敏八監督「帰らざる日々」(78)、根岸吉太郎監督「俺っちのウエディング」(83)、そして何と言っても森田義光監督「家族ゲーム」(83)がありますね。これはキネ旬ベストワンほか多数の映画賞を受賞した傑作です。森田監督とは「ときめきに死す」(84)でも組んでいます。さらに84年の伊丹十三監督「お葬式」がこれまたキネ旬ベストワン、85年にはまたまた森田芳光監督「それから」がキネ旬ベストワン、よく見れば3年連続キネ旬ベストワンという快挙です。1年空けて87年にはまたも伊丹監督の「マルサの女」キネ旬ベストワンの他映画賞を総ナメ。考えたら凄い事です。前田さんは以後も伊丹監督のほとんどの作品で撮影監督を担当しました。その他の代表作に角川春樹監督「天と地と」(90)、和田誠監督「怖がる人々」(94)、鈴木清順監督「ピストルオペラ」(2001)、鈴木監督の遺作となった「オペレッタ狸御殿」(2004)、澤井信一郎監督のこれも遺作「蒼き狼 地果て海尽きるまで」(2006)など。まさに日本を代表する名カメラマンだと言えるでしょう。前田さんの遺作となったのは2012年の及川善弘監督「ひまわり ~沖縄は忘れない、あの日の空を~」でした。

8月15日 山内静夫氏 (映画プロデューサー) 享年96歳
父は作家の里見弴。鎌倉文化人である事から小津安二郎監督とも親交があり、それもあってか1948年、松竹に入社。54年よりプロデューサーとして一本立ち。そして56年の小津監督「早春」でプロデューサーを務め、以後「東京暮色」「彼岸花」「お早よう」「秋日和」、62年の遺作「秋刀魚の味」まで、小津監督のすべての松竹作品でプロデューサーを務めます。ちなみに「彼岸花」「秋日和」は父・里見弴の原作でした。
小津監督死去以降も多くの松竹作品でプロデューサーを務め、中には篠田正浩監督「暗殺」(64)、「異聞猿飛佐助」(65)などの異色作もあります。66年以降は一線を離れていましたが、1983年、小津監督の生涯をまとめたドキュメンタリー「生きてはみたけれど 小津安二郎伝」(井上和男監督)を手掛けて以降プロデューサーに復帰、以後も精力的に映画製作に務めます。主なものに山田洋次監督「ダウンタウン・ヒーローズ」(88)、勅使河原宏監督「利休」(89)などがあります。そして93年には小津安二郎監督生誕90年(没後30年)記念して、侯孝賢など世界の七人の映画監督に、小津監督について語ってもらうドキュメンタリー「小津と語る」を製作しました。
まさに生涯、小津監督への敬愛の念と映画愛を持ち続けた方だと言えましょう。なお2004年からは鎌倉文学館館長も務めました。

8月27日 岡田 博氏 (ワイズ出版創業者・映画プロデューサー) 享年72歳
1949年、福岡生まれ。子供の頃から東映チャンバラ映画や日活アクション映画を浴びるように観たそうです。この年代はみんなそうですね(笑)。書店勤務の後、化粧品の通販会社を立ち上げ、やがて89年、ワイズ出版を設立しました。92年に出版した「石井輝男映画魂」は石井輝男監督の研究本として読みごたえがあり、私も買いました。以後30年以上も映画に関する本を出版して来ましたが、感心するのは、「市川崑の映画たち」を例外として、多くはB級映画、プログラム・ピクチャーを撮って来た映画人、マイナーな映画作品を好んで取り上げている点です。例えば95年から2年間で10冊が刊行された「日本カルト映画全集」では石井輝男監督「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」、長谷川安人監督「十七人の忍者」、小沼勝監督「夢野久作の少女地獄」、関本郁夫監督「天使の欲望」、加藤泰監督「沓掛時次郎 遊侠一匹」、神代辰巳監督「女地獄・森は濡れた」、増村保造監督「盲獣」、牧口雄二監督「女獄門帖 引き裂かれた尼僧」、丸根賛太郎監督「狐の呉れた赤ん坊」、長谷部安春監督「暴行切り裂きジャック」…とまあ、キネ旬ベストテンとはまるで縁のない、しかしB級映画ファンなら狂喜するカルトの異色作ばかり。これで採算が取れるんでしょうか(笑)。以後も「沢島忠全仕事」「映画監督 深作欣二」「映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法」「清/順/映/画」と続くどれも大分量の監督インタビュー・研究本、友人の鈴村さんが編集した「その場所に映画ありて プロデューサー金子正且の仕事」「加藤泰映画華」「冬のつらさを 加藤泰の世界」とまあ映画ファンの心をくすぐり揺さぶる優れた映画研究本を発刊して来られました。岡田さんのおかげで、どれだけ多くのプログラム・ピクチャー作家が再評価された事でしょうか。素晴らしい事です。また95年からは映画製作にも乗り出し、石井輝男監督「無頼平野」、つげ義春のエッセイを映画化した「蒸発旅日記」(山田勇男監督)、安部慎一のコミックの映画化「美代子阿佐ヶ谷気分」(脚本・監督:坪田義史)、そして石井輝男監督の研究者であるダーティ工藤監督の石井輝男に関するドキュメンタリー「石井輝男映画魂」、瀬々敬久監督の4時間半を超える長編「ヘヴンズ ストーリー」、同じく瀬々敬久監督「なりゆきな魂、」(2017)と、こちらもカルトな映画を製作して来ました。2020年には日本映画ペンクラブが岡田さんの功績を称えて、岡田さんに特別奨励賞を授与しました。膀胱ガンの為、72歳という若さで逝去された事は、日本映画界、映画出版界においても大きな損失でしょう。悲しいです。

9月2日 ミキス・テオドラキス氏 (作曲家) 享年96歳
ギリシアの作曲家で、オペラや交響楽を作曲する傍ら、1950年代半ばから映画音楽も手掛けるようになります。56年のイギリス映画「将軍月光に消ゆ」、62年のアメリカ映画「真夜中へ五哩」(アナトール・リトヴァク監督)、同年のアメリカ映画「死んでもいい」(ジュールス・ダッシン監督)といった英米の作品で音楽を担当します。63年、ギリシアの映画監督、マイケル・カコヤニス監督「エレクトラ」の音楽を担当し、その翌年、カコヤニス監督の「その男ゾルバ」が世界的に称賛され、テオドラキスも一躍有名になります。67年にはこれもカコヤニス監督「魚が出て来た日」、69年、こちらもギリシア出身のコスタ=ガヴラス監督「Z」(イギリス・アカデミー賞作曲賞を受賞)と次々に話題作を手掛けます。71年、またもカコヤニス監督「トロイアの女」を担当、73年にはユーゴ映画「風雪の太陽」(ステェイペ・デリッチ監督)と、世界を股にかけて活躍します。同年、再びコスタ=ガヴラス監督と組んだ「戒厳令」も話題になります。この年にはシドニー・ルメット監督の「セルピコ」も手掛けました。最後の作品は89年のトルコ・ スウェーデン・ スイス合作「霧」( ズルフュ・リヴァネリ監督)だと思われます。ギリシアを代表する世界的な名作曲家と言えるでしょう。

9月7日 山本暎一氏 (アニメーション監督) 享年88歳
中学時代よりアニメーターを志し、高校卒業後に横山隆一が主宰するおとぎプロに入社します。1961年、手塚治虫が設立した虫プロダクションの創設メンバーの一人となり、以後虫プロでテレビアニメ「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」の演出や脚本などを手掛けます。62年には虫プロ作品「ある街角の物語」の演出、原画を担当、これは劇場でも公開されました。69年には上の原正人さんの所でも触れた、劇場長編アニメ「千夜一夜物語」、70年の「クレオパトラ」(手塚治虫と共同)の監督を手掛けました。73年にはこれも虫プロ製作の映画「哀しみのベラドンナ」も監督…といった具合に、73年の同社倒産まで、演出、作画、脚本、プロデューサーと、多岐に亘って活躍しました。虫プロ倒産後は、74年に第1作がテレビ放送された「宇宙戦艦ヤマト」シリーズに企画段階から参加、脚本と絵コンテチェックも担当します。84年には橋田寿賀子原作のNHK朝ドラの大ヒット作「おしん」の劇場アニメ化作品で監督を務めました。著書に「虫プロ興亡記 安仁明太の青春」があります。手塚治虫を支え、テレビアニメ黎明期の発展に貢献した功績は大なるものがあると言えるでしょう。

10月19日 レスリー・ブリッカス氏 (作詞・作曲家) 享年90歳
本職は作曲家ですが、映画音楽の作詞、映画の脚本、交響楽の作曲も手掛ける等、マルチに活躍された方です。007シリーズのうち、「007/ゴールドフィンガー」「007は二度死ぬ」の2本や、ブレイク・エドワーズ監督「ビクター・ビクトリア」等でそれぞれ主題歌の作詞、またミュージカル映画「ドリトル先生不思議な旅」の作詞・作曲・脚本(アカデミー主題歌賞受賞)、「チップス先生さようなら」、ジーン・ワイルダー主演の「夢のチョコレート工場」のそれぞれ作詞・作曲、アルバート・フィニー主演「クリスマス・キャロル」(1970)の脚色と音楽、その他手掛けた舞台ミュージカルは30作品…といった具合に幅広い活躍をされました。受賞歴はグラミー賞を1回、アカデミー賞を2回。なお作曲家のアンソニー・ニューリーとの共同作業も多く、「007/ゴールドフィンガー」の作詞、「夢のチョコレート工場」の音楽はニューリーとの共同です。ただ、日本での訃報の扱いがごく小さかったのが残念ですね。

10月28日 高岩 淡氏 (映画プロデューサー、元東映社長) 享年90歳
1954年に東映入社、71年に取締役東映京都撮影所長となり、75年には高岩さんのアイデアで京都撮影所のオープンセットを利用し東映太秦映画村を開村、これは大成功を収めました。その後順調に昇格、93年、岡田茂前社長の後を継いで代表取締役社長に就任、9年間社長を務めた後、岡田裕介氏に社長の座を譲って会長に就任します。2006年に相談役となった後、一線から退きました。プロデューサーとして手掛けた作品は「柳生一族の陰謀」「宇宙からのメッセージ」「赤穂城断絶」「火宅の人」「鉄道員(ぽっぽや)」「ホタル」「男たちの大和 YAMATO」等多数。著書に「銀幕おもいで話」 (双葉文庫)があります。岡田茂社長が“不良性感度映画”(笑)で突っ走ったのに対し、その路線をやんわりと軌道修正して行った点では功績があったと言えるでしょう。

11月13日 ワダ・エミさん (衣裳デザイナー) 享年84歳
Wadaemi「ワダエミ」と表記する事も。京都市立美術大在学中に、当時NHKディレクターだった演出家の故・和田勉さんと結婚。和田さんが演出する舞台の美術や衣装を手掛けるうちに、衣装デザイナーとして活動を始めます。そして85年、黒澤明監督の映画「乱」で衣装デザインを担当、これが高く評価され、翌年の米アカデミー賞で見事衣装デザイン賞を受賞しました。以後次々とお呼びがかかり、 市川崑監督「鹿鳴館」(86)、 勅使河原宏監督「利休」(89)、さらには ピーター・グリーナウェイ監督「プロスペローの本」以降3本のグリーナウェイ監督作品で衣装を担当します。香港映画からもお呼びがかかり、93年のロニー・ユー監督「キラーウルフ 白髪魔女伝」、97年のメイベル・チャン監督「宋家の三姉妹」では連続して香港電影金像奨・ 最優秀衣装デザイン賞を受賞します。99年に大島渚家督「御法度」の衣装を担当の後、チャン・イーモウ監督「HERO」ではまたまた香港電影金像奨・ 最優秀衣装デザイン賞を受賞、以後もチャン・イーモウ監督「LOVERS」など、2017年頃まで香港映画、中国映画で精力的に活躍を続けます。…しかしこの間、日本映画からはさっぱり声がかかっていないのはどうしてでしょうかね。海外での仕事が忙しすぎるのか、日本映画界がワダさんのスケールに追いつけなかったのか。ようやく2019年、「サムライマラソン」で日本映画に復帰。しかしこれとて製作ジェレミー・トーマス、監督バーナード・ローズと外国人が絡んでいるのは何とも微妙です。結局純粋な日本映画?参加は2019年公開のオダギリジョー初監督作品「ある船頭の話」という事になります。なんと「御法度」以来20年ぶりです。最新作はアン・ホイ監督の中国映画「第一炉香」(20年・公開未定)。そしてこれがワダさんの遺作になりました。
国際的な活躍は嬉しいのですが、日本映画界に活躍の場がないとは何とも残念です。酷いのは日本アカデミー賞に衣装デザイン賞部門がない!(美術賞はある)。これからして絶望的ですね。日本映画界に喝!(張本勲さんお疲れさまでした。関係ないか(笑))。

11月26日  スティーヴン・ソンドハイム氏 (作詞・作曲家) 享年91歳
この方は何と言っても、舞台、映画での歴史に残る傑作ミュージカル「ウエストサイド物語」の作詞を手掛けた他、数々のミュージカルの傑作を作詞・作曲したことで有名ですね。その他の主な作品は、66年にリチャード・レスター監督で映画化された「ローマで起った奇妙な出来事」(62)、「フォリーズ」(71)、「太平洋序曲」(76)、そして2007年、ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演で映画化された「スウィーニー・トッド」(79)(映画題名は「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」)、2014年にディズニーで映画化された「イントゥ・ザ・ウッズ」(87) など多数。受賞歴がアカデミー賞1回、トニー賞8回、グラミー賞8回、ピューリッツァー賞1回と凄いこと。また73年には、ハーバート・ロス監督「シーラ号の謎」脚本も手掛けてます。共作したのが俳優のアンソニー・パーキンスというのも面白い。ソンドハイムは今年公開された映画「tick, tick... BOOM!: チック、チック...ブーン!」の中で、主人公ジョナサン・ラーソンが尊敬しあこがれ、またラーソンの才能を認める人物として登場していましたね。しかも、スピルバーグがリメイクした「ウエスト・サイド・ストーリー」が製作されたのも今年。ソンドハイムが亡くなられた年にこれらが作られたというのも、不思議な縁を感じますね。

 

その他にも惜しい方が亡くなられていますが、本稿では映画関係に絞って取り上げましたので割愛させていただきました。以下お名前だけ挙げさせていただきます。(敬称略)

 1月12日 半藤一利  (歴史作家) 享年90歳
 1月16日 フィル・スペクター (アメリカの音楽プロデューサー) 享年81歳
 3月22日 平野甲賀 (書籍装丁家) 享年82歳
 4月 4日 橋田壽賀子 (脚本家) 享年95歳
 4月23日 ミルバ (イタリアの歌手、「愛のフィナーレ」他) 享年81歳
 4月30日 立花 隆 (ジャーナリスト、評論家) 享年80歳
 5月16日 澤田隆治 (テレビプロデューサー、演出家) 享年88歳
 5月18日 若山弦蔵 (声優、「バークにまかせろ」他) 享年88歳
 5月30日 小林亜星 (作曲家、俳優) 享年88歳
 5月18日 寺内タケシ (ギタリスト、寺内タケシとブルージーンズ) 享年82歳
 6月21日 原 信夫 (ジャズミュージシャン、シャープス&フラッツ) 享年94歳
 7月13日 高橋健二 (ジャッキー吉川とブルー・コメッツのベーシスト) 享年83歳
 7月16日 中嶋弘子 (ファッションデザイナー、「夢であいましょう」司会者) 享年95歳
 8月17日 笑福亭仁鶴 (落語家、タレント) 享年84歳
 8月24日 チャーリー・ワッツ (ローリング・ストーンズのドラマー) 享年80歳
 9月30日 すぎやまこういち (作曲家) 享年90歳
11月 9日 瀬戸内寂聴 (小説家、僧侶) 享年99歳
11月22日 喜多條忠 (作詞家、「神田川」他) 享年74歳
12月 3日 新井満 (作家、作詞作曲家、「千の風になって」) 享年75歳
12月10日 マイク・ネスミス (ミュージシャン、モンキーズメンバー) 享年78歳
12月18日 神田沙也加 (女優、歌手) 享年35歳

それから今年は、著名な漫画家の先生方が大勢亡くなられましたので、代表作と共にまとめて挙げておきます。

 4月16日 久松文雄 「スーパージェッター」 享年77歳
 5月 5日 富永一朗 「チンコロ姐ちゃん」 享年96歳
 7月31日 サトウサンペイ 「フジ三太郎」 享年91歳
 8月 7日 みなもと太郎  「風雲児たち」 享年74歳
 9月24日 さいとう・たかを  「ゴルゴ13」 享年84歳
10月 8日 白土三平 「忍者武芸帳・影丸伝」 享年89歳
10月12日 岡本鉄二(白土三平の弟)「カムイ伝」作画 享年88歳
12月 8日 古谷三敏 「ダメおやじ」 享年85歳
12月11日 平田弘史 「弓道士魂」 享年84歳

特にさいとう・たかを、白土三平、平田弘史の3氏は共に'50年代から60年代にかけて、貸本漫画がブームとなる中で“劇画作家”として頭角を現し、メジャーとなった点で共通しています。その貸本漫画の研究者としても活躍されたみなもと太郎氏まで亡くなられるとは…。一つの時代が終わったような気がして淋しいです。合掌。

 

今年も、長年に亘り映画界に大きな足跡を残された方々が多く亡くなられました。慎んで哀悼の意を表したいと思います。

今年1年、おつき合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしく、良いお年をお迎えください。

 

 ランキングに投票ください → にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 

|

« 「偶然と想像」 | トップページ | 2021年度・ベスト20 ワースト10発表 »

コメント

毎年年末恒例の追悼特集。お待ちしていました。
しかし本当に色々な方が亡くなりました。
亡くなった事を知らなかった人も取り上げられていて感慨深いです。
しかも今年は映画関係者以外も名前をあげられていますね。
じっくりと読ませていただきます。
この記事を書いていただき、私も元気で読める事自体がめでたいです。
しばらく前に入院されてこの記事が読めなかった年は寂しかったです。
こちらこそお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。

投稿: きさ | 2021年12月31日 (金) 09:27

◆きささん
あけましておめでとうございます。
いつも丁寧なコメントお寄せいただきありがとうございます。とても励みになって頑張ろうという気になります。
追悼記事、もっと簡単に書けばいいのですが、性分でして、書き始めるとつい力が入って、文章が長くなってしまい時間がかかってしまうのが悪いクセ。まあ今年の暮れもそうなりそうな予感が(笑)。
本年もよろしくお願いいたします。

投稿: Kei(管理人 ) | 2022年1月 2日 (日) 22:14

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「偶然と想像」 | トップページ | 2021年度・ベスト20 ワースト10発表 »