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2022年1月24日 (月)

「水俣曼荼羅」

Minamatamandara 2020年・日本   372分
製作:疾走プロダクション
配給:疾走プロダクション(配給協力:風狂映画舎)
監督:原一男
構成:秦岳志
編集:秦岳志
エグゼクティブプロデューサー:浪越宏治
プロデューサー:小林佐智子、原一男、長岡野亜、島野千尋

今なお補償をめぐり国・県との裁判が続く水俣病患者たちの戦いを、20年の歳月をかけて密着取材し完成させた長編ドキュメンタリー。監督は「ゆきゆきて、神軍」「ニッポン国VS泉南石綿村」「れいわ一揆」等の傑作ドキュメンタリー映画を世に送り出して来た鬼才・原一男。第22回東京フィルメックス特別招待作品。

(梗概)「第1部 病像論を糾す」。日本四大公害病の一つとして知られる水俣病。1956年に公式確認され、今なお補償をめぐる裁判が続いている。何度かの裁判により、初めて国が患者認定制度の基準としてきた末梢神経説が否定され、脳の中枢神経説が新たに採用されたものの、それを実証した熊大医学部浴野教授は孤立無援の立場に追いやられ、また国も県も判決を無視して依然として患者切り捨ての方針を続けている。
「第2部 時の堆積」。小児性水俣病患者・生駒さん夫婦の差別を乗り越えて歩んできた道程や、胎児性水俣病患者とその家族の長年にわたる葛藤、90歳になってもなお権力との新たな裁判闘争に懸ける川上さんの闘いを描く。
「第3部 悶え神」。胎児性水俣病患者・坂本しのぶさんの、人恋しさとかなわぬ切なさ、患者運動の最前線に立ちながらも生活者としての保身に揺れる生駒さん、長年の闘いの末に最高裁勝利を勝ち取った溝口さんの信じる庶民の力、などが描かれる。また、水俣病の患者に寄り添い、水俣の魂の再生を希求する作家・石牟礼道子さんが語る“悶え神”とは。

3部構成・計6時間12分にも及ぶ、とてつもないドキュメンタリー映画である。

それぞれ約2時間からなる各部の合間に15分の休憩を挟むので、完走するまでに6時間40分を要する。これまで私が観た映画で一番長かったのは、濱口竜介監督の「ハッピー・アワー」5時間17分だったが、それを1時間以上も超えてしまった。
それでも見応えあった。さすが、数々のドキュメンタリーの傑作を発表して来た鬼才・原一男ならではである。

水俣病に関するドキュメンタリーとしては、土本典昭監督が1971年に発表した、名作として名高い「水俣 患者さんとその世界」に始まり、「水俣一揆 一生を問う人々」(1973)、これも秀作「不知火海」(75)、「医学としての水俣病」(75)、「水俣病・その30年」(87)を経て、2004年に完成した「みなまた日記-甦る魂を訪ねて」まで実に34年間に亘って作られた水俣病シリーズが有名である。まさに土本監督のライフワークとも言うべき労作である。

私が観たのは「水俣 患者さんとその世界」「不知火海」の2本。いずれも半世紀も前の作品で、もう記憶は薄れかけている。

1980年代に裁判で国とチッソの責任が認められた事もあって、水俣病被害者たちの国を相手取った闘いはもう決着したものと思っていた。昨年公開された、ジョニー・デップ主演の「MINAMATA-ミナマタ-」でも描かれていたのは1971年に水俣を訪れ、多くの水俣病に関する写真を撮り続けたユージン・スミスの数年間の活動ぶりであった。

つまりは、水俣病は、もう遠い過去の歴史の中の事実だと(個人的には)思い込んでいた。マスコミの扱いもごく小さいものとなっていた。

だが、患者さんたちの闘いは終わってはいなかったのだ。2000年代に入ってもまだ裁判闘争は続いていたのだ。しかも私の地元関西でも訴訟が行われていた。知らなかった。まず私の不明を恥じたい。

原一男監督は、戦うドキュメンタリー映画作家の大先輩、土本典昭監督を深く尊敬しているのだろう。高齢になり、体力を要する記録映画作りが難しくなった土本監督の後を継ぐように、原監督は2000年代初頭から水俣病に取り組むようになった。なお土本監督は2008年に逝去されている。本作はまさしく土本監督の弔い合戦のつもりで原監督が取り組んだであろう、渾身の力作である。撮影に15年、編集に5年というとてつもない歳月をかけたのも当然であろう。


映画は2004年の関西訴訟の最高裁判決で、“国・熊本県の責任を認める”判決が下った所から始まる。“まだ責任を認めていなかった”のか、その事に驚く。
裁判で勝ったとしても、わずかの補償金が入って来るだけ。いくら金を積まれようと、失われた身体、失われた時間は戻って来ない。胎児性水俣病(即ち、産まれた時から病苦を背負っている)の患者さんたちも、もうかなりの年齢になっている。生涯、不自由な身体のまま生きなければならない、その人たちの事を考えると胸が痛む。

謝罪会見の場に登場した県や環境庁の責任者たちと、原告団の人たちとの会見シーンがなかなかの迫力。謝罪に来ているはずなのに、ノラリクラリと逃げる県や国側に業を煮やし、次第に声を荒げて来る原告団側。
原告団の弁護士の一人が怒り出し、県と国側に鋭く迫る辺りは、「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三を思い出してつい頬が緩んだ。

奥崎もそうだったが、その次の「全身小説家」でも井上光晴と、原監督の作品はいつも強烈な個性を持ったユニークな人物を見つけ、徹底して密着する事で傑作を生みだして来た。

近年はそんな人物がいなくなった事で、一時は作家として低迷していた時期もあったが、水俣病と取り組んだ本作で、“特定の個性的な人物を追うのではなく、名も無き大衆の怒りとパワーに密着し、その人たちの中に入って共に闘う”というスタイルを確立したようだ。

このスタンスは、2017年に原監督が発表した「ニッポン国VS泉南石綿村」にも受け継がれている。これが本作に取り掛かっているその合間を縫って並行して作られたと言うのも凄い。
こちらも、国の後手に回った健康被害対策、住民たちの国を相手取った裁判闘争、その勝訴を受けての厚生省役人と原告団の面会で逃げ回る役人側、と、本作とまったくそっくりな構図が見える。

両作に共通する、住民に寄り添い、住民の中に入って共に闘い続ける原監督の熱意と執念には頭が下がる。本作と合わせて観れば、より原監督の作品方向が理解できるだろう。


第1部の中心となるのは、そんな裁判の経過以外に、熊本大学医学部の浴野教授が実証した、水俣病の新たな患者認定基準である。それまでは国は“末梢神経説”を認定の基準として来たが、浴野教授説は、有機水銀が脳の中枢神経を侵した結果によるものとする説で、国の定説を真っ向から否定するものである。

この浴野教授のキャラクターが面白い。いつもニコニコして笑顔を絶やさず、それでもズバリ核心に斬り込み、水俣の人たちに寄り添いつつ、国と対決する教授の姿はある意味小気味よい。
奥崎謙三のような過激な人物ではないが、原監督好みのユニークなキャラクターであるのは間違いない。

第2部以降は、数人の水俣病患者をピックアップし、その日々の暮らしぶり、裁判を通しての国家権力との戦いぶりをつぶさに追って行く。

特に第2部の小児性水俣病患者・生駒さん夫婦、第3部の坂本しのぶさんについては、よくそこまで自分をさらけ出してカメラの前に立ってくれたものだと敬服する。

子供の頃から差別されながら、病気と闘い、国と闘ってきた想像を絶する過酷な人生。不自由な身体、うまく言葉が発せられずなかなか思いを伝えられないもどかしさ。それにも関わらず、生駒さんも坂本さんもとても明るい。
坂本さんは、自分の恋愛経験についても楽しそうに語ってくれる。辛かったに違いない人生を送りながら、この明るさはどこから来るのだろうかと思う。

それもこれも、何年にもわたって彼らに寄り添って共に暮らして来た原監督の根気と粘りがあったからこそだろう。
フィクションのドラマでは絶対に描けない、真実の重みがそこにある。

第3部では、「苦界浄土 わが水俣病」等の水俣病に関する著書で知られる石牟礼道子さんも登場する。撮影当時は恐らく80歳代半ばだろう。さすがに身体は弱弱しくなっているが、水俣病に対する思いは変らないままだ。石牟礼さんが語る“悶え神”の言葉の意味も重い。(なお石牟礼さんは2018年、本作の完成を待たず亡くなっている)

映画の最後に、「故・土本典昭監督にこの映画を捧ぐ」とのテロップが出る。これにも泣けた。


まさに、凄いものを観た、としか言いようがない。半世紀以上にわたる、水俣病患者たちの声なき叫びが、スクリーンを通して怒涛のように押し寄せてくるかのようだ。

それでいて、単に怒りと悲しみだけではなく、時に笑い、ユーモアも交え、さまざまな関係者たち(国や県側や、研究者も含めて)の生きざま、人間模様が、それこそ題名にある“曼荼羅”の絵のように多彩な広がりを見せ、我々を包み込んでくれている。映画を超越して、壮大な叙事詩ともいうべき作品である。
常に人間の強さ、弱さ、優しさ、逞しさを追求し続けて来た原監督の、これは集大成的傑作と断言しておきたい。

鑑賞料金は割引なしの3,900円と高額だが、3部作を一挙に鑑賞したと思えば、1部当たり1,300円だから決して高いとは言えない。また別々に日をおいて観るより、一気に観た方がより感動が高まるので、やはりこの興行形式がベターだろう。

水俣病裁判や、未認定患者への認定申請は今もなお続いている。水俣病は決して終わってはいないのだ。その事を我々は、決して忘れてはいけないと思う。
是非多くの人に観ていただきたいと痛切に思う。そして原一男監督の孤高の闘いぶりにも、是非拍手を。 
(採点=★★★★★

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コメント

鬼才どころか、もう巨匠!

どこの映画賞で賞を取るとか、どうせ一位は「ドライブ・マイ・カー」なんだから、キネ旬で何位になるとかも、どうでもいい!

一人でも多くの人に観られて、愛されてほしい。

またブログからnoteに戻りました。キネマ旬報の読者評に送って不掲載になった「水俣曼荼羅」評です。

https://note.com/tanipro/n/n3b033fd61988

投稿: タニプロ | 2022年1月25日 (火) 08:02

まさに人間がむきだしと言った感じで、ドキュメンタリー監督として被写体をあそこまで信用させるのが凄い。

私の今世紀最高の日本映画です。

投稿: タニプロ | 2022年1月25日 (火) 08:04

◆タニプロさん
おっしゃる通り、原監督はもはや日本を代表する巨匠ですね。
今年で77歳になる原監督ですが、製作意欲は益々旺盛、しかも「ニッポン国VS泉南石綿村」が上映時間3時間35分、前作「れいわ一揆」が4時間8分、そして本作と、作る度に上映時間が長くなって、それで完成度も1作ごとにパワーアップしているのが凄い。
高齢になっても、より上映時間が長くなってパワフルな作品を作っている点では、大林宜彦監督を思わせますね。いつまでも元気で、この国を告発する鋭い映画を作り続けて欲しいですね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2022年1月30日 (日) 17:07

キネマ旬報
「水俣曼荼羅」は5位。
うちに「キネマ旬報ベストテンの歴史」みたいな本があるんですが、それには文化映画部門が載っていないので断言できませんが、両方でベストテンに入ったのは「水俣曼荼羅」が初めてなのでは?

投稿: タニプロ | 2022年2月 4日 (金) 18:41

◆タニプロさん
多分初めてです。
と言うのは、私、キネ旬決算号を学生時代から現在まで全部持ってるのですが、昔は文化映画ベストテンは「上映時間がほぼ30~50分程度の教育・研究的記録映画又は同内容のアニメーション」という暗黙ルールがあって、1時間を超える長編ドキュメンタリーは除外されていたからです。そもそも1950年代まではそれらは「短編映画」と呼ばれていましたから。「文化映画」の呼称は60年代以降のはずです。
例えば1982年の小川紳介監督「ニッポン国・古屋敷村」は日本映画の5位ですが文化映画では対象外になってます。94年の邦画1位、原一男監督「全身小説家」も同様。ようやく2012年の「ニッポンの嘘 福島菊次郎90歳」が文化映画のベストワンに選ばれた辺りから長編ドキュメンタリーが文化映画部門の対象になったようです(日本映画部門では29位)。惜しくも両方ベストテンに入りかけたのが2018年の原監督「ニッポン国VS泉南石綿村」で、日本映画14位、文化映画2位でした。
私は長編ドキュメンタリーを「文化映画」と呼ぶのは抵抗があります。2020年の文化映画1位は「なぜ君は総理大臣になれないのか」でしたが、なんでこれが文化映画なんでしょうか。以前のように、短編のみ文化映画で選出し、1時間半を超える長編はすべて日本映画部門で選出する事にすればいいと思います。そうすれば「泉南石綿村」や「なぜ君」も日本映画のベストテンに入った可能性があります。これらが文化映画部門にノミネートされてる事で日本映画のテンに入れる事を控えた人がいるでしょうから。考えて欲しいですね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2022年2月 5日 (土) 13:38

キネマ旬報は劇映画志向が強い選考者が多いからちょっと不安でしたが、「水俣曼荼羅」がベストテンに入って安堵。原一男監督のTwitter見ると、どうやら「全身小説家」以来の文化映画じゃないほうの一位を取りたかったっぽいです。キネ旬一位を狙う人がいるんですね。

ホームページ見ましたよ。いちいち映画芸術なんかわざわざ買って確認すること無いですよ。私は立ち読みはしましたが、わざわざ「ドライブ・マイ・カー」や「水俣曼荼羅」をワースト一位にする病的なバカがいるなと思いました。

映画芸術選考者に2人親しい人がいるんですが、そもそも原稿料すらまともに払わない。そんな雑誌はどうしようもありません。

どんどん選考者が減っているみたいで、もはや私がいるキネマ旬報東京友の会より少ない。ミニコミ誌同然です。

毎年、ネットでちょっと文句を言われて終わるだけ。編集部は毎号返品の山でしょう。

来年からはわざわざネットに残すことは無いですよ。

映画芸術への文句はこの辺りにしときますね。

投稿: タニプロ | 2022年2月 6日 (日) 14:29

◆タニプロさん
いえいえ、何でも記録として残しておく私の趣味でやってますから(笑)。ちょっとひねくれた映画雑誌が一つくらいあってもいいと思ってますし。

投稿: Kei(管理人 ) | 2022年2月 6日 (日) 21:09

来年も、映画芸術が存在してれば・・・

なお、昨年のキネマ旬報読者ベストテンに「天外者」とか「コンフィデンスマン」が入ったのは、亡くなった三浦春馬と竹内結子のファンの票が集まったからではないかと思ってます。

亡くなった好きな俳優に特別な思いがあるのはしかたがないと思い、黙ってました。

投稿: タニプロ | 2022年2月 7日 (月) 02:40

原一男監督のTwitterが自虐的で苦笑。

https://twitter.com/kazu19451/status/1491765872779685889

https://twitter.com/kazu19451/status/1491768322743881729

https://twitter.com/kazu19451/status/1491780317161484289


投稿: タニプロ | 2022年2月11日 (金) 12:27

◆タニプロさん
そちらのnoteにコメントしようとしましたがうまく行かないので。
実は調べました所、1992年度のベストテンで、佐藤真監督の「阿賀に生きる」が評論家テンで第3位、文化映画ベストテンでも3位と両方でベストテン入りを果たしております。「水俣曼荼羅」が初の両ベストテンダブル入選ではなかった事になります。調べが足りなくてすみませんでした。
しかし不思議なのは、その2年後の原一男監督「全身小説家」が評論家部門でベストワンになった時は、文化映画では1票も入っていなかった点です。それで、この頃までは長編記録映画は文化映画の対象外だと思い込んでいました。どういう基準で同じ記録映画でも文化映画になったりならなかったりするのか、訳分かりませんね。そんなわけで上記のコメントは訂正させていただきます。悪しからず。

投稿: Kei(管理人 ) | 2022年2月13日 (日) 22:30

再確認ありがとうございます。
私も誤解を拡散してしまいました。
後ほど、投稿は削除します。

ひょっとすると今年最大の問題作になりかねない「ウエスト・サイド・ストーリー」(監督 スティーヴン・スピルバーグ)の評をお願いします。

投稿: タニプロ | 2022年2月14日 (月) 12:49

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